"奇跡の”有機JAS認証パイン農園存続・未来へ!世界自然遺産・沖縄西表島から挑戦

西表島がある沖縄県八重山地方は、国産ブランドパインの約50%を生産しています。しかし現状、農家の高齢化や外国産パインの圧倒的な価格競争力により、国産ブランドパインは押し負けています。極上の有機栽培パインで国産ブランドパインの競争力を高め、パイン農家が安心して生産できる環境と後世育成の土台を作ります。

現在の支援総額

2,222,500

222%

目標金額は1,000,000円

支援者数

146

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2026/02/25に募集を開始し、 146人の支援により 2,222,500円の資金を集め、 2026/03/31に募集を終了しました

"奇跡の”有機JAS認証パイン農園存続・未来へ!世界自然遺産・沖縄西表島から挑戦

現在の支援総額

2,222,500

222%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数146

このプロジェクトは、2026/02/25に募集を開始し、 146人の支援により 2,222,500円の資金を集め、 2026/03/31に募集を終了しました

西表島がある沖縄県八重山地方は、国産ブランドパインの約50%を生産しています。しかし現状、農家の高齢化や外国産パインの圧倒的な価格競争力により、国産ブランドパインは押し負けています。極上の有機栽培パインで国産ブランドパインの競争力を高め、パイン農家が安心して生産できる環境と後世育成の土台を作ります。

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【西表島のパイナップルの歴史③】―生食用パインへの転換とピーチパインの誕生―西表島のパイナップルは、やがて大きな転換期を迎えます。安い輸入パインの増加により、缶詰用パインの需要が減少。そして1970年代〜1980年代頃から、それまでの**缶詰用(加工用)**から、生のまま食べるパインへと少しずつ変わっていきました。それまで主流だった缶詰用の大量生産から、手間をかけて育てる完熟の生食用パインへと舵を切ったのです。当時、西表島で作られていた主なパイナップルはハワイ種(正式名:N67-10/スムースカイエン)その後、スナックパイン(ボゴールパイン)やソフトタッチといった品種が作られていました。このソフトタッチは小ぶりなため売るのが難しいパインでした。しかし桃のような甘い香りがすることから、西表島の農家が**「ピーチパイン」**と名付け、販売を始めました。こうして西表島のパイナップルは、缶詰用から生食用へと姿を変え、今では島を代表する特産品として多くの人に親しまれるようになりました。そして今も西表島では、多くの農家がパイナップルを育て続けています。私自身もこの西表島のパイナップルに惚れ込み、農家として日々畑に向き合っています。これからもこのパイナップルの魅力を多くの人に届けていきたいと思っています。西表島アナナス農園江袋正和


【西表島のパイナップルの歴史②】 ― 缶詰工場の時代(後編)―1960年代、西表島ではパイナップル栽培がさらに広がり、島の暮らしを支える大切な作物になっていきます。当時、缶詰用パインの買取価格は1kgあたり4〜6円ほど大学卒の初任給が1〜2万円ほどの時代だったことを考えると、このころはパイナップルが農家にとって大きな現金収入だったと言われています。当時主流だった品種はスムースカイエン(ハワイ種)。このころは生食用ではなく、缶詰用のパイナップルだったため、皮が割れていても、味があまり良くなくても問題はなく、とにかく大きく、重いパイナップルを作ることに力が注がれていました。肥料を多く使い、2〜3kgもある大きなパインを作り、馬車やトラックに山のように積んで工場へ運び込んだそうです。その後、海外から安価な缶詰が輸入されるようになり、西表島のパイン産業は少しずつ影響を受け始めます。さらに1971年の輸入自由化によって、海外から安価な生食用パイナップルも大量に入ってくるようになりました。こうして西表島のパイン産業は大きな転換期を迎えることになります。そして西表島のパイナップルは、缶詰工場の時代が終わるとともに、缶詰用から生食用へと少しずつ変わっていくことになります。その話は、また次回。お楽しみに。西表島アナナス農園江袋 正和


【ネクストゴール130万円達成しました!】皆さまの温かいご支援のおかげで、ネクストゴールとして掲げていた130万円を達成することができました。本当にありがとうございます。心より感謝申し上げます。最初の目標である100万円を達成することができ、さらにこうしてネクストゴールまで到達できたことに、正直とても驚いています。このプロジェクトを通して、西表島のパイナップルや有機栽培のことに関心を持ってくださる方がこんなにもいるのだと感じ、とても大きな励みになっています。皆さまからいただく応援やメッセージ一つひとつが、これからも前に進んでいく力になっています。クラウドファンディングはまだ続いています。最後まで見守っていただけたらとても嬉しいです。そしてこの挑戦を通して、西表島のパイナップルの魅力や、有機栽培の価値をこれからも多くの方に伝えていきたいと思っています。もしよろしければ、SNSでのシェアなどでこのプロジェクトを広めるお手伝いをしていただけたら嬉しいです。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。 西表島アナナス農園江袋正和


皆さまの温かい応援のおかげで、クラウドファンディングは現在**129万5500円(129%)**まで到達しました。本当にありがとうございます。【西表島のパイナップルの歴史①】 ― 缶詰工場の時代(前編)―今回の活動報告では、西表島のパイナップルの歴史について少し書いてみたいと思います。これは、僕がまだ生まれる前の話。もちろん、僕の知らない時代のことです。島の先輩方から聞いた話も交えながら、書いてみたいと思います。西表島でパイナップルの栽培が始まったのは、昭和31年(1956年)頃といわれています。最初は大富集落を中心に島の東部で栽培が始まり、その後、上原を中心に西部地区にも広がっていったとされています。台風や干ばつにも比較的強いパイナップルは、島の自然環境に合った作物として多くの農家が栽培するようになります。当時の沖縄はまだアメリカ統治の時代。パイナップルは西表島の農家にとって貴重な現金収入になる作物でした。昭和35年(1960年)には中野集落にパイナップル缶詰工場が完成します。それ以前は大原の方に加工施設があり、上原など西部で収穫したパイナップルを船で大原まで運んでいたそうです。上原港から大原港までは海を回っておよそ35〜40km。当時の船で収穫したパインを運ぶのはとても大変な仕事だったといいます。島の方から聞いた話では、子どもの頃、父親に連れられてそのパイナップルを船で運ぶ手伝いをし、大原でアメリカ人に遊んでもらった思い出があるそうです。当時の西表島には、そんな時代の空気が流れていました。そしてこのあと、西表島のパイナップルはさらに広がっていくことになります。その続きは、また次の投稿で書きたいと思います。西表島アナナス農園江袋正和


石垣島のパイン農家3人が配信している「パイン農家のゆんたくラジオ」♯32にゲストとして呼んでいただきました。少し長めの回ですが、僕のことや今回のクラウドファンディングへの想いをたっぷり話しています。とても愉快な3人で、話しているといつも笑顔にさせてくれます。Spotifyでお聴きいただけます。▶︎ https://open.spotify.com/episode/4Vc18W4FZ5hEMkavFOQums?si=dc674ac2f3264d93「パイン農家のゆんたくラジオ」で検索または、このQRコードからどうぞ。これまでの回も八重山のことやパインの話などとても楽しいので、ぜひ聴いてみてください。西表島アナナス農園江袋正和


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