
今日は、長野県小諸市でイタリアンバール「kozorite」を運営されている、高桑雅弘さんからいただいた応援メッセージを紹介させていただきます。
高桑さんは、医師であり、料理人でもあります。平日は福井市で在宅診療医として人の暮らしに近い場所で診療に関わり、週末は小諸市でkozoriteの厨房に立たれています。
最初に聞いた時は、「医師と料理人の二刀流」という印象でした。(正直聞いても信じられませんでした)
でも、高桑さんの話を知るほど、それだけでは全然足りないと感じます。
高桑さんが見ているのは、病気だけではなく、その人の生活そのものなのだと思います。
どんな環境で暮らしているのか。
誰とつながっているのか。
何に困っているのか。
どんなことを大切にして生きているのか。
病院の中だけでは見えない、その人の暮らしや関係性まで見ようとしている。高桑さんが大切にしている「地域を診る」「生活を診る」という視点に、僕はすごく惹かれました。
そして今回、小諸市のkozoriteでYOHAKUワークを実施させていただきました。
これは、僕にとっても大きな実践でした。
なぜなら、今までやったswitchでも、研修会場でも、特別に用意されたイベントスペースでもなく、実際に日々お客さんが来ている飲食店で行ったからです。
飲食店には、すでに人の流れがあります。
店主とお客さんの関係があります。
常連さんの会話があります。
何気ない近況報告があります。
ぽろっと出る本音があります。
だからこそ、そこで本当に声が出るのか。そして、その声が他の人にも見える形になるのか。
僕はそこを見ていました。
高桑さんからいただいたメッセージの中で、特に印象に残ったのがこの言葉です。
「声の見える化」によって、店主として私だけが受け取っていた利用者のアイデアや夢が言語化され、他の誰かが受け取れる形になりました。
この言葉は、かなり大きかったです。
kozoriteのような場所には、日々いろいろな声が集まっているのだと思います。
お客さんの夢。
まだ形になっていないアイデア。
誰かに話したかったこと。
ちょっとした困りごと。
本当はやってみたいけれど、まだ動けていないこと。
そういうものを、高桑さんは店主として、そして医師としての感覚でも、日々受け取っているのだと思います。
でも、それが高桑さん一人の中にだけ溜まっていくとしたら、やはり限界があります。
「あの人、こんなことを言っていたな」
「この人とあの人がつながったら面白そうだな」
「あの話、他の誰かが聞いたら動くかもしれないな」
そう感じても、日々の営業や運営の中で、すべてを覚えておくことはできません。
その場にあった大事な声が、店主の記憶の中だけに残って、流れてしまうこともある。

今回のYOHAKUワークで起きたのは、その声が外に出たことでした。
店主だけが受け取っていた利用者のアイデアや夢が、言葉になった。言葉になったことで、他の誰かも受け取れる形になった。これは、単に「ワークショップがうまくいった」という話ではないと思っています。
実際の飲食店という現場で、日々こぼれている声が見える形になった。
ここに大きな意味がありました。
高桑さんは、さらにこう書いてくださいました。
「これが習慣化された先で、想いが多層的につながり新しいチャレンジが生まれる機会は必ず実現すると実感できました!」
僕はこの「習慣化された先」という言葉が、とても大事だと思いました。
一回イベントをやって終わりではない。
一回だけ盛り上がって終わりでもない。
日常の中で声が見えるようになる。
それを誰かが見られるようになる。
また別の日に、別の人がそこに自分の声を重ねる。
そういうことが積み重なっていくと、場にある情報の密度が変わっていくのだと思います。
飲食店は、料理を出す場所であると同時に、地域の小さな情報が集まる場所でもあります。
「あの人最近こうらしいよ」
「こんなことをやりたい人がいるらしいよ」
「この場所、何かに使えないかな」
「あの人、誰かとつながれたら動きそうだよね」
そういう声は、普段からいろいろな店にあるはずです。
でも、それが店主さんの頭の中だけにあると、地域の資産になりにくい。見えないままだと、他の人が受け取れない。
他の人が受け取れないと、つながりも生まれにくい。
今回、kozoriteで見えたのは、そこでした。
店に集まっている声は、見える形にできれば、その店だけの会話では終わらない。店主だけの記憶でも終わらない。
その場に来る別の人が受け取れる。
「あ、それ自分も関心がある」
「その人、紹介できるかもしれない」
「一緒にやったら面白そう」
そんなふうに、声が場の中で動き始める可能性がある。これは、YOHAKU食堂だけの話ではないと思いました。
地域には、すでに人が集まっている飲食店があります。
カフェがあります。
宿があります。
コワーキングがあります。
小さな商店があります。
そこには、それぞれの店主さんが日々受け取っている声がある。
常連さんとの会話がある。
地域の人の本音がある。
まだ形になっていないアイデアがあります。
もし、その声を店主さん一人が抱え込むのではなく、場の中に残せるようになったら。
もし、その店に来る人たちが、他の人の声を受け取れるようになったら。
地域の中にある既存の店舗が、ただ消費する場所ではなく、声や関心が重なっていく場所になっていく。
そう考えると、YOHAKUの仕組みは、自分たちの食堂だけで完結するものではないのだと思いました。
もちろん、どの店でも同じようにできるわけではないと思います。店主さんの考え方も、場の空気も、お客さんとの関係性も、それぞれ違います。無理に仕組みだけを持ち込んでも、うまくいかないと思います。
でも、kozoriteのように、すでに人の暮らしや声を受け取っている場所では、YOHAKUの仕組みが自然に重なる可能性がある。
今回、高桑さんがそれを実感として受け取ってくださったことが、僕にとってとても心強かったです。
高桑さんは、医師として人の生活を見ています。
そして、kozoriteという飲食店を通じて、地域の人の声にも触れています。
その高桑さんから、「声の見える化」によって、店主だけが受け取っていたアイデアや夢が、他の誰かも受け取れる形になったと言っていただけた。
これは、YOHAKUの可能性を外から確認してもらえたような感覚がありました。僕たちが田村で始めようとしているYOHAKU食堂は、まだ小さな一歩です。
でも、小諸のkozoriteで実際に声が出たこと。
そして、それが飲食店の現場で価値として受け取られたこと。
さらに、他の店舗や地域の拠点にも広がる可能性が見えたこと。
これは、これからYOHAKU食堂を育てていく上で、とても大きな意味があると思っています。
高桑さんから、
「引き続き小諸のkozoriteも協力してまいります!」
という言葉をいただけたことも、本当にありがたく、心強く感じています。
高桑さん、本当にありがとうございます。
小諸で見えたこの可能性を、田村での実践につなげていきます。

小さなきっかけがやがてみんなの一歩に繋がるように。



