10月8日、ゆいツールは北ロンボクバヤン地区ロロアン村に視察に行きました。
カウンターパートのマストゥールさん、ゆいツールの現地ボランティアに加え、日本から加わった本業が建築士のボランティアさんも一緒でした。
バヤン地区は、州都マタラム市から車で2~2.5時間くらいのところにあります。そこに行くまでに山を越え海岸沿いを走り、壊れた建物を横目に見ながら進みました。
ところどころに、インドネシアの国家防災庁(BNPB)のオレンジのテントがあり、住民の人たちが自分たちで建てたバラックのような家々があり、仮設教室を建築中の学校があり、病人をテントに収容した大きな病院があり、いくつものテント、がれきを片付けて家を建てる人たちの姿がありました。
ロロアン村は、少し山を登ったところにありました。
今回そこを視察先に選んだ理由は、このテント支援のプロジェクトを一緒に考え、支えてくれた日本人の方のご家族がその村の出身だったからです。
私自身は、北ロンボクにあまりつながりがなく、今回西ロンボク以外でどこを支援しようか、と考えたときに、被害が大きかった北ロンボクで比較的主要道路から離れているその村に行くことにしました。事前にマストゥールさんが下調べに行ってくれていて、現地の人とコンタクトをとってからでかけました。
最初に訪れたのは、ロロアン第一公立小学校です。(写真)
学校の先生や地元の方とお話ししました。
この学校は、建物は大きく崩れてはいませんでしたが、ひびが入り天井が一部壊れてました。
同行した建築士さんは壊れた個所を見て、レンガの上に直接屋根が乗っていて、とても地震に耐えられるつくりではない、とコメントしていました。
学校の先生たちは、怖くて生徒を建物の中で勉強させられない、と言っていました。
白いテントが建っていましたが、暑くてそこでは勉強できず、木の下で勉強している、とのことでした。テントが暑い、という話はほかでも聞いていて、こちらから提供するテントは色が緑でより暑いのでは、と心配しましたが、先生がたは木陰の方に建てるつもりだ、とのことでした。
建てる場所の広さを確認し、ロロアン村の他の学校の確認に回りました。
(ほかの学校の様子については、後日ゆいツールブログで紹介する予定です)
結論から言うと、被害が大きかったある学校は、政府と民間から支援されて、立派な仮設教室が建てられていました。または、BNPBや別の支援でテントが建っているところもありました。
逆に、建物が壊れず残っている学校は、支援が後回しにされているのが感じられました。
それでも建物にはひびが入り危なくて中で勉強できないため、生徒たちは外に机を出して学んでいたり、ブルーシートの屋根を作ったりしているのが伺えました。
ロロアン村では、地震で亡くなった人はひとりでした。
また、一番奥の集落は発電が独立していて(水力発電)、地震の時に停電しなかったという話も聞きました。
家が壊れても人々は、たくましく暮らしていました。
もうすぐ雨季が始まります。支援が必要なところに、テントを届けたいと考えています。
(最初と状況が変わり、テント提供先を少し見直す予定です)
現在追加発注した11個のテントが、ロンボクへ向け輸送中です。
ご支援いただいたみなさんの善意が、現地にきちんと届くように引き続き努力していきます。
NPO法人ゆいツール開発工房(ラボ)
代表 山本かおり