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インドネシア・ロンボク島地震災害支援~学校に大型テントを届けたい

キャンプファイヤー 寄付型のバッヂ

バリ島のすぐ隣の島、ロンボク島で8月5日に発生した大地震により、多くの家屋が倒壊しました。学校も例外ではありません。校舎を失った子供たちが、大型テントで安心して勉強できるように、みなさまのご支援をお願いします。

現在の支援総額

542,000

108%

目標金額は500,000円

支援者数

84

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2018/08/20に募集を開始し、 84人の支援により 542,000円の資金を集め、 2018/09/19に募集を終了しました

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キャンプファイヤー 寄付型のバッヂ

インドネシア・ロンボク島地震災害支援~学校に大型テントを届けたい

現在の支援総額

542,000

108%達成

終了

目標金額500,000

支援者数84

このプロジェクトは、2018/08/20に募集を開始し、 84人の支援により 542,000円の資金を集め、 2018/09/19に募集を終了しました

バリ島のすぐ隣の島、ロンボク島で8月5日に発生した大地震により、多くの家屋が倒壊しました。学校も例外ではありません。校舎を失った子供たちが、大型テントで安心して勉強できるように、みなさまのご支援をお願いします。

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ロンボクの大地震から、1年が経ちました。「インドネシア・ロンボク島地震災害支援~学校に大型テントを届けたい」にご支援いただいたみなさま、お久しぶりです。実は6月に、現地を訪れ最後の支援金を小学校に寄付してきたのですが、こちらで報告するのがすっかり遅くなってしまいました。ゆいツールブログでの報告はこちら。6月に現地を訪れた時に、仮設住宅に暮らしている人にちょっとインタビューをしてみましたが、家を再建している人もいました。政府からの補助金をもらえた人もいるし、もらえなかった人もいるようです。東ロンボクのスンバルン村に住む、デディくんはまだ仮住まいをしていると言っていました。(スンバルン村訪問時の様子2018年10月)でも、ロンボクの大半の人たちは、普通の暮らしをしています。リンジャニ山(富士山級の山)の登山は、まだ正式に受け入れを再開していないようで、一部の観光地を除いてツアー客の戻りも鈍いようです。でも、ロンボク島は今がベストシーズン。欧米のお客さんは少しづつ増えていると思います。7月に、観光地のギリ・メノ島で、ゆいツールが育てている若者たちがエコワークショップを開催しました。ロンボク島では最近、在住の外国の方がごみ銀行と協力して、浜辺のクリーンアップ活動を定期的に行ったり、行政もごみ銀行設置に予算をつけたり、市民の活動も活発になっています。9月には、ロンボクの若者を連れてバリ島にスタディツアーにでかけます。日本の大学生もひとり、参加の予定です。みなさまも、機会がありましたらぜひロンボク島へお越しください。ロンボクの若者たちがお迎えいたします。お問い合わせはこちらへ。(スンギギの海。前方にバリ島のアグン山が見える)


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「インドネシア・ロンボク島地震災害支援」プロジェクトにご支援いただいたみなさまへみなさまの温かいご支援に、心より感謝申し上げます。この度、報告をまとめましたので、ゆいツールホームページ(下記)よりご覧いただけたらと思います。https://yui-tool.jimdo.com/ロンボク島地震災害支援/PDF資料:報告「インドネシア・ロンボク島地震災害支援」プロジェクト現在、10万円近い残金があります。これは、10月に現地をまわった時に、学校へのテント支給は他の団体や政府などの手も回っていて、ゆいツールがすでに注文した21個以外に新たにテントを購入する必要がないと判断したために残ったものです。また、12月に現地をまわった際には、雨季ということと学校が長期休みだった関係で、多くのテントが畳まれていました。そして、多くの学校で校舎の建て替え、仮校舎の建設が進んでいました。今回余っている支援金につきましては、今年の6月に現地に入った折に、被災した学校を訪問し必要な支援についてヒヤリングをする予定です。ひとつ考えているのは、スンギギ第一公立小学校です。(写真下。いずれも3月の様子)ここはゆいツールのテントが11月の嵐で壊れてしまった学校で、3月に別の用事で訪れた際には、まだ校舎では勉強できず、先生たちも廊下で仕事をしていました。いただいた支援金を役立てられるように、情報を集めたいと思います。ロンボク島は、雨季も終わりこれから気持ちの良い季節が始まります。昨年度は、多くの学生さんがロンボク島を訪れてくれました。(くわしくはゆいツールブログをご覧ください)ぜひみなさんも、一度ロンボク島へお越しください。お待ちしています。NPO法人ゆいツール開発工房(ラボ)代表 山本かおり


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最終報告がたいへん遅くなりました。ゆいツールは、みなさまからご支援いただいたお金で21個の大型テントと、12枚のブルーシートを購入し、ふたつの学校には屋根材の提供、東ロンボクスンバルン地区スンバルン・ブンブン村等にペットボトルの水(段ボール13個分)を支援しました。その他、ロンボクでのテントの配布用トラックのレンタル料などがあります。余ったお金で、扇風機などを購入する予定です。(12月に現地で様子を見てから決定)細かな支出については、改めてホームページでご報告させていただきます。上の写真は、遅れて配布した北ロンボクのバヤン地区ロロアン村の小学校での、テント使用状況です。11月に入り雨季が始まったため、テントの中で勉強できることは子供たちにとって大きな安心となっている様子です。なお、ゆいツールが支援した学校のリストをゆいツールホームページに公開しています。今回の支援プロジェクトでは、多くのみなさんにご協力をいただきました。本当にありがとうございました。ゆいツールにとっても、大きな経験となりました。日ごろ、せっせと現地に通い、多くのカウンターパートと信頼関係を築いてきましたが、今後も益々ロンボク島の発展のために、関与し続けようと考えています。また、今回ご支援いただいたみなさんには、ぜひロンボク島を訪れてほしいなと思います。ロンボク島で、お待ちしています。NPO法人ゆいツール開発工房(ラボ)代表 山本かおり


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10月に、ゆいツールがロンボク島でテントを提供した学校の様子を確認しました。 くわしくはこちら⇒ゆいツールブログ(10月25日付け) 第2弾で発注した11テントは、今月末にロンボク島到着の予定です。 途中でトラブルがあったようで、到着が大幅に遅れました。 まあしかし、インドネシアというのはそういう国です。 地震から2か月以上が経ち、思った以上に現地では復興が進んでいました。 仮設教室が建てられた学校、あちこちから提供されたテントを張っている学校。 それでも、テントを必要としている学校はまだあります。 合計21テントをどの学校に配布したか、最終のリストを作成中です。(近日中にホームページの情報を差し替えます) また、西ロンボクの2つの学校(グヌンサリ地区グントゥール・マチャン村の幼児学校と、ナルマダ地区セラ村のイスラム学校)については、テントではなく仮校舎の材料の一部を提供することとしました。それから、中部ロンボク北バトゥクリアン地区マスマス村の新村長ハビブさんには、学校支援用にブルーシートを12枚提供しました。 それから、東ロンボクスンバルン地区を訪問した際に、ペットボトルの水段ボール13個分を購入しました。 今回困ったのは、知り合いに「学校の教材・備品を支援してほしい」と言われ、うっかり地震災害にあった学校の話だと思って聞いていたら、もともと貧しいイスラム学校への支援の話でした。「この支援金は、地震で被害にあった子供たちを助けるために集めたもので、その他の目的では使えない」と何度説明しても「助けてほしい。お金があるのになぜ助けられないのか」と言われました。 これもまた、ザ・インドネシアです。 他にも、仮モスク用にブルーシートを、困っている住民に支援を、とあちこちから声がかかりましたが、その度に支援の主旨を説明しました。 インドネシアは、そしてロンボク島は住民の大半がイスラム教徒です。そのため、イスラム関係の国内外の組織から多くの支援が入っていました。それについては、予想していたことでした。その一方で、そういった団体も末端まで支援を行きわたらせることはできないのかな、と感じました。 あまりにも多くのモスクが、学校が、住宅が被害にあいました。 今年は雨季の訪れが遅いため水不足ではあるものの、テントや仮設住宅が水びたしになる期間が短くなっています。住宅の再建がどこまで進むか、とても気になるところです。 また、提供したテントの中で子供たちが安心して勉強できるかどうかも気になります。 12月にまた現地を訪れて、確認したいと思っています。 NPO法人ゆいツール開発工房(ラボ) 代表 山本かおり


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10月8日、ゆいツールは北ロンボクバヤン地区ロロアン村に視察に行きました。 カウンターパートのマストゥールさん、ゆいツールの現地ボランティアに加え、日本から加わった本業が建築士のボランティアさんも一緒でした。 バヤン地区は、州都マタラム市から車で2~2.5時間くらいのところにあります。そこに行くまでに山を越え海岸沿いを走り、壊れた建物を横目に見ながら進みました。 ところどころに、インドネシアの国家防災庁(BNPB)のオレンジのテントがあり、住民の人たちが自分たちで建てたバラックのような家々があり、仮設教室を建築中の学校があり、病人をテントに収容した大きな病院があり、いくつものテント、がれきを片付けて家を建てる人たちの姿がありました。 ロロアン村は、少し山を登ったところにありました。 今回そこを視察先に選んだ理由は、このテント支援のプロジェクトを一緒に考え、支えてくれた日本人の方のご家族がその村の出身だったからです。 私自身は、北ロンボクにあまりつながりがなく、今回西ロンボク以外でどこを支援しようか、と考えたときに、被害が大きかった北ロンボクで比較的主要道路から離れているその村に行くことにしました。事前にマストゥールさんが下調べに行ってくれていて、現地の人とコンタクトをとってからでかけました。 最初に訪れたのは、ロロアン第一公立小学校です。(写真) 学校の先生や地元の方とお話ししました。 この学校は、建物は大きく崩れてはいませんでしたが、ひびが入り天井が一部壊れてました。 同行した建築士さんは壊れた個所を見て、レンガの上に直接屋根が乗っていて、とても地震に耐えられるつくりではない、とコメントしていました。 学校の先生たちは、怖くて生徒を建物の中で勉強させられない、と言っていました。 白いテントが建っていましたが、暑くてそこでは勉強できず、木の下で勉強している、とのことでした。テントが暑い、という話はほかでも聞いていて、こちらから提供するテントは色が緑でより暑いのでは、と心配しましたが、先生がたは木陰の方に建てるつもりだ、とのことでした。 建てる場所の広さを確認し、ロロアン村の他の学校の確認に回りました。 (ほかの学校の様子については、後日ゆいツールブログで紹介する予定です) 結論から言うと、被害が大きかったある学校は、政府と民間から支援されて、立派な仮設教室が建てられていました。または、BNPBや別の支援でテントが建っているところもありました。 逆に、建物が壊れず残っている学校は、支援が後回しにされているのが感じられました。 それでも建物にはひびが入り危なくて中で勉強できないため、生徒たちは外に机を出して学んでいたり、ブルーシートの屋根を作ったりしているのが伺えました。 ロロアン村では、地震で亡くなった人はひとりでした。 また、一番奥の集落は発電が独立していて(水力発電)、地震の時に停電しなかったという話も聞きました。 家が壊れても人々は、たくましく暮らしていました。 もうすぐ雨季が始まります。支援が必要なところに、テントを届けたいと考えています。 (最初と状況が変わり、テント提供先を少し見直す予定です) 現在追加発注した11個のテントが、ロンボクへ向け輸送中です。 ご支援いただいたみなさんの善意が、現地にきちんと届くように引き続き努力していきます。   NPO法人ゆいツール開発工房(ラボ) 代表 山本かおり