
ブロムホフ家族図には、三人の女性が描かれています。妻ティティア、乳母ペトロネラ、そして召使いのマラティです。
ティティアは「日本へ渡来した最初の西洋婦人」として私も皆さまにご紹介してきました。しかし、同行した乳母ペトロネラもまた、日本に足を踏み入れた最初の西洋女性の一人でした。そしてもう一人、マラティという女性の存在も見落とすことはできません。マラティは、当時のオランダ植民地の奴隷制度のもとでブロムホフ家に仕え、日本へ連れて来られた東南アジア出身の女性です。
十九世紀初頭、オランダ東インド会社の支配地域では、奴隷制度は合法であり、社会制度の一部として存在していました。マラティは、そのような時代を象徴する存在でもあります。ティティアやペトロネラとともに来日した彼女もまた、日本の歴史に足跡を残した人物として記憶されるべきでしょう。記録で確認できる限り、マラティもまた、最初に来日した東南アジアの女性の一人といえます。
再建された出島の商館長の部屋を訪れると、寝室の隣には「女中部屋」が復元されています。実はこの部屋は、長崎・丸山遊郭の遊女たちが寝泊まりした部屋でした。
江戸時代、出島に出入りできたのは、幕府の役人や商人、そして丸山の遊女たちでした。オランダ人は日本へ妻子を伴うことが許されていなかったため、幕府はその代わりとして、丸山の遊女だけに出島への出入りを特別に認めていたのです。
ブロムホフも最初に長崎へ赴任した際、糸萩という遊女と親しい関係となり、二人の間には娘が生まれました。しかし、その娘は幼くして亡くなっています。また、シーボルトと「お滝さん」の関係は広く知られています。
このような禁令があることを十分承知していたにもかかわらず、ブロムホフは二度目に商館長として来日した際、妻ティティアと幼い息子、乳母ペトロネラ、そして召使いのマラティを伴っていました。彼は「病気療養のため妻の看病が必要である」という理由を掲げましたが、一度将軍が下した命令が覆されることはありませんでした。結局、ティティアたちは約三か月後、オランダへ帰国することを余儀なくされます。
ブロムホフ家族図は、家族の最後の肖像を描いているだけでなく、その背後にあった出島の制度、丸山遊女の存在、そしてオランダ植民地社会の現実までも映し出しています。
一枚の絵の中に、十九世紀初頭の世界の複雑な姿が刻まれてます。



