日蘭交流の記憶――川原慶賀筆「ブロムホフ家族図」修復プロジェクト

長らく公開されることのなかった一枚の絵があります。 現在、オランダ国立世界文化博物館に所蔵されている、江戸時代に出島で描かれた川原慶賀筆「ブロムホフ家族図」です。この絵は200年間未公開のまま人々の目に触れる機会がありません。私はこの作品を修復し、日本で初めて公開する文化事業に挑戦します。

現在の支援総額

1,180,500

16%

目標金額は7,000,000円

支援者数

35

募集終了まで残り

50

日蘭交流の記憶――川原慶賀筆「ブロムホフ家族図」修復プロジェクト

現在の支援総額

1,180,500

16%達成

あと 50

目標金額7,000,000

支援者数35

長らく公開されることのなかった一枚の絵があります。 現在、オランダ国立世界文化博物館に所蔵されている、江戸時代に出島で描かれた川原慶賀筆「ブロムホフ家族図」です。この絵は200年間未公開のまま人々の目に触れる機会がありません。私はこの作品を修復し、日本で初めて公開する文化事業に挑戦します。

はじめに〜このプロジェクトについて〜 

はじめまして。私は茶道家として活動し、茶文化の研究・普及活動を行っております、茶の文化フォーラム株式会社の堀内議司男(茶名・壷中庵 宗長)と申します。

 本プロジェクトは、江戸時代後期に長崎・出島オランダ商館長を務めたヤン・コック・ブロムホフゆかりの未公開作品――川原慶賀筆「ブロムホフ家族図」を、日本で修復し、本邦初公開へつなげるための文化保存プロジェクトです。

 2026年11月13日より、長崎・ハウステンボス美術館にて、

「 OTEMAE ブロムホフ 茶道を愛した異邦人」展(主催 ハウステンボス株式会社・日本経済新聞社)

が開催されます。

パレス ハウステンボス

ハウステンボス美術館

 本展では、ブロムホフが江戸時代に蒐集しヨーロッパへ持ち帰った茶道具約120点を、約200年ぶりに日本へ里帰りさせ、本邦初公開いたします。

 そして今回、この展覧会にあわせて、長年公開されることのなかった「ブロムホフ家族図」を修復し、日本で初めて公開したいと考えています。


ブロムホフとは何者だったのか

2009年にライデン国立博物館(現オランダ国立世界文化博物館)のマティー・フォラー先生の講義を拝聴して以来、私はヤン・コック・ブロムホフ(1779~1853)という人物に深い関心を抱いてまいりました。

彼は、江戸時代の出島オランダ商館長であり、日本初の英語辞書を編纂した人物としても知られています。

オランダ・アムステルダムで生まれ、フランス革命戦争やナポレオン戦争を経て、1805年にバタヴィア(現インドネシア・ジャカルタ)でオランダ東インド会社に勤務しました。

1809年に出島の荷倉役(倉庫番)として来日し、商館長ヘンドリック・ドゥーフの推薦で長崎の通詞たちに英語を教え、英語辞書の編纂を始めました。1813年、イギリス軍の捕虜となり、一時オランダへ帰国しましたが、1817年に商館長として再び来日します。


オランダ国立世界文化博物館鎖国下、日本とヨーロッパを結ぶ唯一の窓口であった出島。当時、ヨーロッパではナポレオン戦争の影響によりオランダがフランスに併合されましたが、その間も出島には唯一オランダ国旗が翻り続け、日本と西洋を結ぶ窓口としての役割を果たしていました。

オランダ再独立後、出島オランダ商館長として赴任したブロムホフは、途絶えかけていた日蘭貿易の回復に尽力するとともに、日本の文化や動植物の調査・研究を積極的に支援しました。

また、後に日本研究の先駆者として名を残す フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの活動の基盤を築いたのもブロムホフでした。

江戸参府では徳川家斉に謁見し、多くの蘭学者たちと交流。その最前線で日本文化に深い関心を寄せたブロムホフは、茶道具、絵画、工芸品、人物模型、出島模型など、多岐にわたる日本文化資料を蒐集しました。

帰国後、それらをオランダ国王へ売却したことで、ヨーロッパ最初の本格的日本コレクションが成立します。19世紀初頭の日本文化を今日に伝える貴重な記録であり、日本とヨーロッパの文化交流の歴史を物語る遺産となっています。

特に興味深いのは、彼が収集した茶道具です。それは単なる「異国趣味の収集品」ではありませんでした。点前が成立するほど体系的に揃えられており、彼が「茶の湯」という文化そのものを理解しようとしていたことが分かります。

 私は長年茶道に携わる中で、ブロムホフは単なる収集家ではなく、ヨーロッパ“最初の茶人”であったのではないかと考えるようになりました。

昨年、オランダで出会った一枚の絵

昨年、展覧会の企画調査のため、オランダ・ライデンのオランダ国立世界文化博物館を訪問しました。そこで出会ったのが、川原慶賀筆「ブロムホフ家族図」です。

この作品は長らくブロムホフ家の子孫によって大切に保管されてきました。しかし、その存在は知られていたものの、一般公開されることはありませんでした。

そして昨年、オランダ国立世界文化博物館へ寄贈され、公的コレクションの一部となったのです。

 作品寸法は、83 × 158.4 cm。額装を含めると 98.9 × 174.3 cm に及びます。

 実際に対面すると、その圧倒的な存在感に言葉を失いました。人物の表情、衣装の描写、細部に宿る空気感――。そこには、単なる異国風俗画ではない、「特別な時間」が描かれていました。

 オランダ国立世界博物館蔵・川原慶賀筆 ブロムホフ家族図

川原慶賀という絵師

川原慶賀筆「出島図」
オランダ国立世界文化博物館
川原慶賀(1786年~1860年頃)は、江戸時代後期の長崎で活躍した絵師です。出島を通じて来日したオランダ人や外国人との交流が盛んであった長崎にあって、彼は西洋人から高く評価され、とりわけシーボルトの依頼を受けて数多くの作品を制作したことで知られています。

慶賀は、日本の風俗、職人の仕事、祭礼、街並み、動植物、そして人々の暮らしを、驚くほど緻密な観察眼によって描き残しました。その作品は単なる絵画ではなく、写真の存在しなかった時代の日本を伝える貴重な視覚資料でもあります。

シーボルトは、日本の自然や文化をヨーロッパへ紹介するために膨大な資料を収集しましたが、その多くを支えたのが慶賀の筆でした。慶賀が描いた植物図譜や風俗画は、後にヨーロッパで刊行されたシーボルトの著作にも活用され、日本研究の発展に大きく貢献しています。

そして、《ブロムホフ家族図》は、慶賀の作品の中でも特に重要な一枚です。

この作品には、出島オランダ商館長ヤン・コック・ブロムホフ、その妻ティティア、息子ヨハネス、乳母のペトロネラ、そしてインドネシア系の召使が描かれています。鎖国下の日本において、西洋人一家が揃って描かれた例は極めて稀であり、当時の国際交流の実像を今に伝える貴重な記録となっています。

また、この作品は単なる家族肖像画ではありません。西洋の肖像画的な構成を取り入れながらも、日本人絵師ならではの細やかな観察によって、衣服の質感や人物の表情、所持品に至るまで克明に描写されています。そこには異国の人々への好奇心と敬意、そして長崎という国際都市ならではの視点を見ることができます。

《ブロムホフ家族図》は、美術作品であると同時に、出島を舞台とした日蘭交流の歴史を映し出す「時代の証言者」なのです。

なぜ、同じ構図の作品が複数存在するのか

ブロムホフの商館長としての来日は、当時の日本人に大きな衝撃を与えました。ブロムホフが家族を伴っていたからです。なかでも、出島に現れた西洋女性の姿は極めて珍しく、人々の強い関心を集めました。

そのため、長崎奉行所は絵師に命じて一家の姿を描かせ、その画像はさまざまな形で模写・再構成されながら広く流布していきます。肉筆画として描き継がれただけでなく、長崎版画として制作され、日本各地へと伝えられました。

現在でも数多くの異版や類似作品が残されており、その中には本来の人物像から離れ、「西洋婦人図」や「阿蘭陀夫婦図」として一般化したものも少なくありません。また、実際にはブロムホフ夫妻とは無関係でありながら、その名を冠して伝えられた作品も見られます。

それほどまでに、ブロムホフ一家の来航、とりわけ西洋女性の存在は、鎖国下の日本人の想像力をかき立てる出来事であったのです。[参考文献:東京大学所蔵の二つの「ブロムホフ家族図」松井洋子・高島晶彦著]

慶賀筆とされる同構図の家族図は世界に数点確認されていますが、本作品はその中でも最大の画面を有し、筆致も最も精緻であることから、現存作品群の中で最初に制作された可能性が高いと考えられます。

オランダ国立世界文化博物館の主任学芸員ダーン・コック氏は、興味深い見解を示しています。江戸時代、慶賀が描いた作品は長崎奉行所の検閲を受ける必要がありました。

一度、ある形式――この場合「背景を持たず、ソファに座るブロムホフ家族」という構図――について許可が下りると、その後は改めて検閲を受けることなく、同構図を繰り返し制作できたのではないかというのです。

 これは長崎湾や出島風景を描いた慶賀作品にも共通して見られる特徴です。つまり本作品は、単なる肖像画ではなく、鎖国時代における文化交流と検閲制度の痕跡をも伝える歴史資料でもあるのです。

この絵が描いた「最後の時間」

 この家族図は、ブロムホフが家族とともに長崎・出島で過ごした、かけがえのない時間を描いた肖像画です。当時、日本は鎖国体制下にあり、外国人の滞在には厳しい制限がありました。特に女性や子どもの渡航は許されていませんでした。しかしブロムホフは、その禁を越え、妻ティティアと幼い子どもを伴って来日します。けれど、その滞在は長く続きませんでした。家族はわずか三ヶ月ほどで日本を離れることになります。

 そして――

 それは、家族にとって永遠の別れでもありました。

この絵は、その別れを前にした、家族がともに過ごした最後の時間を描いた肖像です。他の同構図作品と⽐べても、⼈物の表情にはどこか厳しさと切迫感がにじみ出ており、当時の彼らが置かれていた状況が静かに迫ってきます。

異国の地で暮らす不安 
家族が引き離される予感

その時間が、この一枚には刻まれているのです。

ティティア ― 日本人を魅了した最初の西洋女性

わずかな滞在であったにも関わらず、妻ティティアは、西洋女性として初めて来日した存在として長崎の人々に強い印象を残しました。その姿は日本三大土人形の一つでもある地元長崎の「古賀人形」にも表され、「西洋婦人」として現在に至るまで記憶され続けています。

また、ティティアは、日本を訪れた最初の西洋女性として知られるだけではありません。彼女はスクエア・ピアノを出島へ持ち込み、日本で初めて西洋ピアノを演奏した人物としても知られています。

さらに、ティティアが残した書簡には、日本人から抹茶でもてなしを受けた様子が記されています。現存する史料から確認できる限りでは、ティティアは抹茶を飲んだ最初の西洋女性の一人と考えられます。

ブロムホフが茶道具を蒐集し、日本文化への理解を深めていた一方で、ティティア自身もまた日本の風俗や文化に強い関心を寄せていました。出島で供された一碗の抹茶は、単なる飲み物ではなく、日本人のもてなしの心に触れる体験だったことでしょう。

日本で初めてピアノを奏でた西洋女性。そして、日本人から抹茶でもてなしを受けた最初の西洋女性。その存在は、ブロムホフ一家が日蘭交流の歴史において特別な位置を占めていることを物語っています。

なぜ今修復は必要なのか

企画調査のためライデンを訪れた際、私はダーンさんから、この《ブロムホフ家族図》の保存状態について詳しくお話を伺いました。

作品は約200年という長い歳月を経ており、画面や額装には経年による劣化が見られます。しかし現在、オランダ国立世界文化博物館には、この作品を本格的に修復するための十分な体制が整っていないとのことでした。

その一方で、日本には江戸時代の絵画や表装に関する高度な修復技術が継承されており、本作品についても日本で修復を行うことが現実的かつ最善の選択肢であることを知りました。

私は長年にわたりブロムホフとそのコレクションを追い続けてきましたが、この貴重な作品を未来へ伝えるためには、今まさに修復が必要な時期に来ていることを強く実感しました。

「この展覧会という歴史的な機会に、この作品を修復し、日本で公開したい」と。

この作品は単なる西洋人肖像画ではありません。江戸時代、日本とオランダが唯一交流を続けていた時代の記憶であり、異国で生きた家族の記録であり、そして日本人絵師・川原慶賀が見つめた“世界”そのものなのです。 

 修復を担う人々

 本作品の修復は、京都の修復工房「宇佐美修徳堂」に依頼いたします。


修復を担当するのは、長年文化財修復に携わってきた宇佐美直治さん、そして次世代を担う宇佐美直希さんです。

文化財修復は、単に傷みを直す作業ではありません。作品が持つ時間や歴史を尊重しながら、未来へ受け渡していく極めて繊細な仕事です。

 今回の修復では、作品本来の姿を損なうことなく、完全公開と次世代への継承を可能にする修復を目指します。これは一枚の絵画を守るだけでなく、日本の修復技術そのものを未来へ繋ぐ取り組みでもあります。

 オランダ国立世界文化博物館
学芸員 ダーン・コックさんからのメッセージ


【ブロムホフ家族図の現在の状況】



修復スケジュール(予定)

 本プロジェクトでは、作品の安全性を最優先に、オランダと日本の関係者が連携しながら修復・公開準備を進めてまいります。


200年の時を経て蘇る『ブロムホフ家族図』
修復を経て、いよいよ日本の皆様の前に姿を現します

本プロジェクトでご支援いただきたい内容

 本クラウドファンディングでは、「ブロムホフ家族図」の修復および輸送費用へのご支援をお願いしております。

 具体的には、

・オランダ―日本間の往復輸送費
・日本国内輸送費
・修復費
・保存・展示準備費
・上記プロジェクトに関わる諸費用 

 などに充てさせていただきます。

 文化を未来へつなぐために
このプロジェクトは、一枚の絵画修復にとどまるものではありません。

江戸時代、日本とヨーロッパが交わった記憶
異国で生きた家族の時間
日本人絵師が見つめた世界

 それらを、未来へ受け渡すための試みです。もしこの作品が修復されなければ、この絵は静かに時の中へ埋もれていくかもしれません。だからこそ今、この作品をよみがえらせたい。

200年の時を超えて受け継がれてきたこの作品を、次の時代へ手渡したい。

 どうか皆さまのお力をお貸しください。

 心より、ご支援をお願い申し上げます。

茶道家 堀内議司男(壷中庵・宗長)


支援金の使い道

集まった支援金は以下に使用する予定です。

  • 人件費

  • リターン仕入れ費

  • ・オランダ―日本間の往復輸送費 ・日本国内輸送費 ・修復費 ・その他上記プロジェクトにかかる費用

※目標金額を超えた場合はプロジェクトの運営費に充てさせていただきます。

支援に関するよくある質問

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  • 1817年、日本へ妻ティティアと幼い息子ヨハネスを伴ってやって来たヤン・コック・ブロムホフ。しかし幕府は西洋人女性と子どもの滞在を認めず、ティティアたちはわずか数か月で帰国を余儀なくされます。 その後、ティティアは1821年、35歳の若さで夫と再会することなく亡くなりました。 ブロムホフが日本から帰国したのは1824年。愛する妻を失い、幼いヨハネスと再び暮らし始めた彼は、1827年にマリア・アドリアナ・ファン・ブレーゲル(愛称ミミ)と再婚します。 ミミは名門ファン・ブレーゲル家の出身でしたが、二人の間に子どもは生まれませんでした。彼女はヨハネスの継母となり、母を失った少年を温かく育てます。 夫妻はアメルスフォールト郊外のビルクホーフェンという広大な農園で暮らしました。ブロムホフは日本から帰国した後も日本を忘れることはありませんでした。 農園には「ミヤコ(Miaco)」という名の農場を造り、日本庭園を設け、日本の友人から送られてきた種子を育てます。日本で集めた品々に囲まれながら、まるで日本とともに生きるような暮らしを送っていたのです。 その生活を陰で支え続けたのがミミでした。 1853年にブロムホフが亡くなると、彼女はその遺した膨大な日本関係資料や書簡を整理・保存します。そのおかげで、ブロムホフの文書は1907年にオランダ国立公文書館へ収蔵され、現在でも私たちは彼の手紙や記録を読むことができます。 また、日本から持ち帰ったコレクションも一族によって大切に守られ、今日ではライデンのオランダ国立世界文化博物館をはじめ、各地の博物館に伝えられています。 もしミミがそれらを守り伝えなかったなら、私たちは今日、ブロムホフの足跡をこれほど詳しく知ることはできなかったでしょう。 ブロムホフを語るとき、多くの人は最初の妻ティティアに注目します。しかし、帰国後約30年にわたって彼を支え、日本との思い出を未来へ伝えたもう一人の妻・ミミの存在も、決して忘れてはならないのです。※画像はミミと再婚した頃のブロムホフの肖像画、そして晩年のミミの写真 もっと見る
  • ヨハネス・コック・ブロムホフは、1816年3月6日にオランダ・ハーグで生まれました。父は長崎出島オランダ商館長ヤン・コック・ブロムホフ、母はティティア・ベルフスマです。翌1817年、生後わずか1歳半ほどで両親とともに日本へ渡りました。 しかし、当時の日本は鎖国下にあり、西洋人女性や子どもの滞在は幕府によって認められていませんでした。父ブロムホフは何とか妻子の滞在を願い出ますが、その願いは受け入れられず、ヨハネスは母ティティア、乳母ペトロネラ・ムンスらとともに、わずか数か月で日本を去ることになります。 滞在期間は短かったものの、金髪で青い目をした幼いヨハネスの姿は、日本人に大きな衝撃を与えました。当時の日本人は西洋の子どもを見る機会がほとんどなく、その愛らしい姿は長崎の絵師たちによって盛んに描かれました。川原慶賀や石崎融思(祐旨)らによる「ブロムホフ家族図」には、母ティティアや乳母ペトロネラとともに抱かれたヨハネスの姿が描かれ、日本における異国文化受容の象徴的な存在となりました。現在確認されているブロムホフ家族図の多くに、幼いヨハネスが描かれていることからも、その存在がいかに印象深かったかがうかがえます。 日本を去った後、一家は長い航海を経て帰国します。しかし、その過酷な旅は母ティティアの心身に大きな負担を与えました。ティティアは1821年4月2日、35歳という若さでハーグにおいて亡くなります。ヨハネスはわずか5歳で母を失ったことになります。 一方、父ブロムホフはその後も出島商館長として1824年まで日本に留まりました。つまり、ヨハネスは幼少期の大半を父と離れて過ごしたことになります。1824年に父が帰国すると再び親子は生活を共にし、その後ブロムホフは1827年に再婚します。 成人したヨハネスは法律を学び、「Mr. Johannes Cock Blomhoff(法学士ヨハネス・コック・ブロムホフ)」として知られるようになりました。1852年にはサラ・マリア・ファン・デ・ポルと結婚し、父ヤン・コック・ブロムホフが1853年に没すると、その遺品の中でも最も重要な二枚の「ブロムホフ家族図」を受け継ぎます。 その一枚は、現在オランダ国立世界文化博物館(Wereldmuseum)が所蔵する五人構成の家族図であり、もう一枚は現在アムステルダム国立美術館(Rijksmuseum)が所蔵する六人構成の家族図です。ヨハネスはこの二つの作品を大切に守り続けました。 1900年1月29日、ヨハネスは83歳でその生涯を閉じます。六人構成の家族図は未亡人サラ・マリア・ファン・デ・ポルに受け継がれ、その後ファン・デ・ポル家に伝来しました。そして最終的にはファン・デ・ポル=ウォルテルス=クイナ財団を経て、2008年にアムステルダム国立美術館の所蔵となっています。一方、五人構成の家族図もブロムホフ家に大切に伝えられ、現在はオランダ国立世界文化博物館に所蔵されています。 彼自身が日本について語った記録はほとんど残されていません。しかし、生後わずか一年半で体験した日本での出来事は、多くの日本絵画や版画の中に今なお生き続けています。幼いヨハネス自身には日本での記憶は残っていなかったでしょう。それでも、日本人にとって彼は「初めて目にした西洋の子ども」の一人であり、その姿は約二百年を経た現在でも、「ブロムホフ家族図」を通して江戸時代の日蘭交流の情景を私たちに静かに語りかけています。 さらに、今日私たちがこれらの作品を目にすることができるのは、ヨハネスとその家族が二枚の家族図を代々大切に守り伝えてきたからにほかなりません。もしヨハネスが父の遺品として受け継ぎ、後世へ伝えることがなければ、「ブロムホフ家族図」は現代まで残ることはなかったかもしれません。その意味でヨハネスは、自らが描かれた作品の最初の継承者であると同時に、日本とオランダを結ぶ貴重な文化遺産を未来へ伝えた重要な継承者でもあったのです。   もっと見る
  • 「ブロムホフ家族図」と一口に言っても、実は一枚だけではありません。現在確認されているだけでも複数の作品が存在し、大きく分けると、六人構成、五人構成、四人構成の系統があります。 私が最も重要だと考えているのは、今回クラウドファンディングで修復を目指しているオランダ国立世界文化博物館所蔵の家族図です。 この作品は約200年にわたり、ブロムホフ家の子孫によって大切に受け継がれ、昨年になって初めてオランダ国立世界文化博物館へ寄贈されました。 一方、アムステルダム国立美術館所蔵の家族図(写真)は、ブロムホフの死後に息子ヨハネスが相続し、ヨハネスの死後はファン・デ・ポル家へ受け継がれ、その後、財団を経て、2008年にアムステルダム国立美術館が購入して収蔵されたことが分かっています。つまり、この二つの作品は、約200年という歳月の中で、まったく異なる道を歩んできたのです。アムステルダム国立美術館や大英博物館所蔵の作品は、ブロムホフ、ティティア、ヨハネス、乳母ペトロネラ、女性召使マラティ、そして名の分からないジャワ人少年(大英博物館の作品では少年と思われる人物)の六人構成になっています。 私は、この六人構成にはブロムホフ自身の意図があったのではないかと考えています。単に日本人に見せるための絵ではなく、母国オランダへ持ち帰ることを意識した肖像画だったのではないでしょうか。 18〜19世紀のヨーロッパでは、東インドで成功した人物が、異国の召使や奴隷身分の人物を従えて描かれることは、海外での成功や社会的地位を象徴する表現でもありました。 そう考えると、六人目の少年は、ブロムホフの権威や東インドでの成功を視覚的に示すために描かれた存在だった可能性があります。もしそうであるならば、ブロムホフは、家族の記憶を残すための家族図と、東インドで成功した商館長としての姿を示す家族図という、性格の異なる二つの作品を制作させたことになります。 もちろん、これは現時点では一つの仮説です。 しかし、私がさらに興味深く感じるのは、その後の作品の歩みです。約200年もの間、ブロムホフ家が子孫へ大切に伝え続け、決して手放すことなく守り抜いてきたのは、今回修復を目指しているオランダ国立世界文化博物館所蔵の家族図でした。もしブロムホフ自身、あるいはその子孫が、「わが家を代表する一枚」と考えていた作品があったとすれば、それがこの作品だったと考えるのは、ごく自然なことではないでしょうか。 だからこそ、この作品を修復し、約200年ぶりに日本へ里帰りさせることには、単なる修復事業を超えた大きな意味があると私は考えています。 もっと見る

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