
11月からハウステンボス美術館で開催される「OTEMAE ブロムホフ 茶道を愛した異邦人」展に向け、オランダの資料を読み進めています。
先日、2021年にオランダ・フリースラント州の歴史専門誌『Historisch Tijdschrift Fryslân』に掲載された「ティティア・ベルフスマ―日本で大きな印象を残した最初の西洋女性」という論文を読みました。
この論文は、「日本人はティティアという西洋女性をどのように受け止めたのか」という視点から書かれた、とても興味深い内容です。
私自身、ブロムホフや茶道具を中心に研究を進めていますが、オランダ側ではこのような切り口でティティアが語られていることも、大変勉強になりました。これから4回に分けて、この論文の内容をご紹介したいと思います。
江戸時代、日本と西洋世界を結ぶ唯一の窓口だった長崎・出島。
その広さは、オランダ・アムステルダムのダム広場ほどしかない小さな人工島でした。
1641年以来、この島で暮らすことを許されていたのは十数人ほどのオランダ商人だけ。それも男性に限られていました。
ところが1817年、その歴史に初めて例外が生まれます。フリースラント出身の女性、ティティア・ベルフスマが出島へやって来たのです。ティティアは法律家の家に生まれ、後にヤン・コック・ブロムホフと結婚します。
1816年、長男ヨハネスが誕生。同じ年、ブロムホフはバタヴィアへ赴任し、その後、長崎出島のオランダ商館長に任命されます。
1817年、一家は乳母ペトロネラ・ムンスとともに「フラウエ・アガタ号」に乗り、日本へ向けて旅立ちました。
しかし、この旅が日本美術史に思いもよらぬ足跡を残すことになるとは、誰も想像していなかったでしょう。
(つづく)



