日蘭交流の記憶――川原慶賀筆「ブロムホフ家族図」修復プロジェクト

長らく公開されることのなかった一枚の絵があります。 現在、オランダ国立世界文化博物館に所蔵されている、江戸時代に出島で描かれた川原慶賀筆「ブロムホフ家族図」です。この絵は200年間未公開のまま人々の目に触れる機会がありません。私はこの作品を修復し、日本で初めて公開する文化事業に挑戦します。

現在の支援総額

1,315,500

18%

目標金額は7,000,000円

支援者数

40

募集終了まで残り

47

日蘭交流の記憶――川原慶賀筆「ブロムホフ家族図」修復プロジェクト

現在の支援総額

1,315,500

18%達成

あと 47

目標金額7,000,000

支援者数40

長らく公開されることのなかった一枚の絵があります。 現在、オランダ国立世界文化博物館に所蔵されている、江戸時代に出島で描かれた川原慶賀筆「ブロムホフ家族図」です。この絵は200年間未公開のまま人々の目に触れる機会がありません。私はこの作品を修復し、日本で初めて公開する文化事業に挑戦します。

今回、「ブロムホフ家族図」を調べるにあたって、川原慶賀に関するさまざまな資料を探しました。しかし、慶賀の残した作品の膨大さに比べると、参考にできる研究書や論文が意外なほど少ないことに気づきました。

 もちろん、これまでにも長崎の研究者や、オランダの博物館関係者によって、慶賀の画業や作品についての研究は行われています。しかし、慶賀の生涯から作品、工房、注文主、海外での評価までを総合的に知ることのできる文献は、決して多くありません。

 その理由の一つは、慶賀自身についての記録が、ほとんど残されていないことです。

慶賀の日記や書簡、家族や弟子による記録はほとんど確認されておらず、生年や没年さえ確定していません。どこで誰から絵を学び、いつ頃から出島に出入りし、どのような注文を受けていたのかについても、不明な点が数多く残されています。

 そのため、慶賀の生涯を調べようとしても、本人の言葉からたどることはできません。残された作品や、ブロムホフ、フィッセル、シーボルトら外国人の記録、博物館の収蔵目録などを、一つずつ照合しながら考えていくほかないのです。

 第二の理由は、慶賀の作品の多くが海外に所蔵されていることです。

オランダ国立世界文化博物館には、慶賀およびその工房による500点を超える絵画が所蔵されています。さらに、ロシア、ドイツ、イギリスなどにも作品が伝わっています。

ところが、日本国内にいると、これらの作品をまとめて見ることは容易ではありません。現在ではインターネット上で画像を見ることのできる作品も増えましたが、解説がオランダ語や英語であったり、作品名や作者の表記が博物館ごとに異なっていたりします。画像だけが公開され、詳しい来歴や制作年代が示されていないものもあります。また、博物館の解説が、後の研究によって改められる可能性もあります。美術館や博物館の解説だからといって、すべてが確定した事実とは限らないのです。

 第三の理由は、慶賀の作品数があまりにも多く、しかも慶賀本人の作品と、門人や工房による作品との区別が難しいことです。

慶賀は、人物画、風俗画、植物図、動物図、魚類図、職人図、長崎港図など、実に多くの作品を残しています。しかし、そのすべてを慶賀一人が描いたとは考えにくく、実際には門人や工房の絵師が制作に加わっていたと考えられます。

 作品に慶賀の署名や落款があるからといって、必ずしも慶賀一人の自筆とは限りません。江戸時代の絵画制作では、師匠の名のもとに、門人や工房が制作を行うことは珍しくありませんでした。

 そのため、慶賀研究では、単に落款を見るだけではなく、人物の顔、描線、衣服、構図、彩色、使用された紙や絹などを比較しなければなりません。一点ずつ丁寧に検討していく必要があり、研究には大変な時間がかかります。

 また、川原慶賀が、美術史だけでは捉えきれない人物であることも、研究の少なさにつながっていると思います。慶賀の作品には、美術史だけでなく、日蘭交流史、長崎史、博物学、植物学、動物学、民族学、服飾史、工芸史など、さまざまな分野が関係しています。

 植物図を研究するには植物学の知識が必要です。出島の風俗図を読むには、当時の長崎の制度や生活を知らなければなりません。オランダ人の注文による作品を考えるには、オランダ側の史料や収集の目的も調べる必要があります。

 あまりにも多くの分野にまたがっているため、一人の研究者が慶賀の全体像を捉えることは難しかったのでしょう。

 さらに、慶賀は長い間、「シーボルトのために絵を描いた絵師」として語られてきました。

もちろん、シーボルトとの関係は慶賀の画業を考えるうえで大変重要です。しかし、慶賀はシーボルトが来日する以前から、ブロムホフやフィッセルらの注文を受けて、出島で絵を描いていました。

 慶賀を「シーボルトの絵師」としてだけ見てしまうと、それ以前の仕事や、シーボルト離日後の画業、さらには出島の外国人たちとの幅広い関係が見えにくくなってしまいます。

 日本にある作品だけを見ても全体像はわかりません。オランダの作品だけを見ても、長崎の画壇や日本絵画との関係は見えてきません。ブロムホフ、フィッセル、シーボルトのコレクションを比較し、さらに国内に残る作品と結びつけて考える必要があります。

 参考文献が少ないことは、調査を進めるうえで大きな困難でした。しかし、それは同時に、まだ明らかにされていないことが数多く残されているということでもあります。

幸い、現在はインターネットによって海外の博物館の収蔵品や研究資料にアクセスできる時代になりました。さらにAIを活用することで、これまで点在していたオランダ語や英語の資料、論文、博物館の解説などを横断的に調べ、相互に比較・検証することも可能になっています。デジタル化された博物館資料とAIは、歴史研究の可能性を大きく広げつつあります。

 今回、私もそうした新しい手法を活用しながら国内外の資料を読み比べていきました。その結果、従来ほとんど紹介されてこなかった資料や、博物館ごとの見解の違い、さらには作品同士を比較することで初めて見えてくる事実にも数多く出会うことができました。

 川原慶賀は、すでに研究し尽くされた画家ではありません。むしろ、デジタルアーカイブとAIという新しい研究環境が整った今だからこそ、国内外に散在する作品や資料を結び付け、新たな視点から再評価することのできる絵師なのです。

 今回の「ブロムホフ家族図」の調査からも、従来の博物館解説や作品の人物同定を、そのまま受け入れるのではなく、複数の作品を比較し、画面を自分の目で見直すことの大切さを感じました。

 川原慶賀は、すでに十分研究された絵師ではありません。むしろ、これほど多くの作品を残しながら、今なお全体像の見えていない絵師です。だからこそ、作品を一点ずつ見直し、国内外の資料を結びつけながら考えていくことに、大きな意味があるのだと思います。

※画像は川原慶賀筆《宇治茶摘み図》(1823〜1829年頃)シーボルトの依頼によって描かれた作品です。

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