日蘭交流の記憶――川原慶賀筆「ブロムホフ家族図」修復プロジェクト

長らく公開されることのなかった一枚の絵があります。 現在、オランダ国立世界文化博物館に所蔵されている、江戸時代に出島で描かれた川原慶賀筆「ブロムホフ家族図」です。この絵は200年間未公開のまま人々の目に触れる機会がありません。私はこの作品を修復し、日本で初めて公開する文化事業に挑戦します。

現在の支援総額

1,315,500

18%

目標金額は7,000,000円

支援者数

40

募集終了まで残り

48

日蘭交流の記憶――川原慶賀筆「ブロムホフ家族図」修復プロジェクト

現在の支援総額

1,315,500

18%達成

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目標金額7,000,000

支援者数40

長らく公開されることのなかった一枚の絵があります。 現在、オランダ国立世界文化博物館に所蔵されている、江戸時代に出島で描かれた川原慶賀筆「ブロムホフ家族図」です。この絵は200年間未公開のまま人々の目に触れる機会がありません。私はこの作品を修復し、日本で初めて公開する文化事業に挑戦します。

神戸市立博物館と東京大学総合図書館には、五人構図の「ブロムホフ家族図」が所蔵されています。

 神戸市立博物館の作品は、画面寸法が69.0×85.5センチで、衝立の一面に貼り込まれています。反対側には、19世紀の長崎を描いた鳥瞰図が貼られており、衝立の両面に長崎の風景とブロムホフ一家の肖像が配された構成となっています。

 一方、東京大学総合図書館の作品は、画面寸法が56.5×98.5センチで、掛軸として伝えられています。

 いずれも、今回クラウドファンディングで修復を目指しているオランダ国立世界文化博物館所蔵の作品、83.0×158.4センチより小さく制作されています。

 神戸市立博物館と東京大学総合図書館の作品は、構図や人物配置が極めてよく似ています。私は、この二作品を同一系統の作品と考えています。

 また、両作品には川原慶賀の署名や落款があります。しかし、人物の描写や筆致を比較すると、今回修復を目指しているオランダ国立世界文化博物館の作品とは、明らかに異なる特徴が見られます。

 神戸市立博物館の解説によれば、この衝立は川原慶賀がシーボルトへ贈ったものの、文政11年、1828年のシーボルト事件に際して長崎奉行所に没収されたという伝承があります。その後、長崎奉行の侍医を務めた北川家に伝わり、昭和6年、1931年に池長孟が購入したとされています。

 あくまでも伝承を含む来歴ではありますが、シーボルト事件、長崎奉行所、さらに長崎奉行の侍医・北川家へ伝来したという経緯を踏まえると、この作品は単なる市中向けの複製ではなく、長崎の支配層や知識人の間で受け継がれてきた、特別な作品であったことをうかがわせます。

一方、東京大学総合図書館の掛軸には、作品の由来を記した箱書きが残されています。箱書きには、次のように記されています。「文政元戊寅歳夏阿蘭陀加比丹妻子等召連肥州長崎江致着舩候、珎敷儀ニ付於 公邉人物寫茂被 仰付候由ニテ、右寫繪圖一枚御出入大通辞末 永甚左衞門ゟ指上候事」

 おおよその意味は、「文政元年戊寅の夏、オランダ商館長が妻子らを伴って肥前長崎へ到着した。大変珍しいことであったため、公辺から人物を写すことも命じられたという。その写絵図一枚を、御出入の大通詞・末永甚左衛門より差し上げた」というものです。

 この箱書きに記された「文政元年戊寅歳夏」という年代は既に指摘されているように誤りです。ブロムホフ一家が長崎へ到着したのは1817年、文化14年です。文政元年は1818年ですから、記された出来事と年代が一致しません。

 この食い違いは、単なる一字の書き損じではなく、この箱書きは、ブロムホフの来日当時に記されたものではなく、ブロムホフが日本を離れた後、さらに相当の年月を経てから、過去の出来事を伝聞や記憶に基づいて書いた可能性があると考えています。

 私が本歌(最初の作品)と考えているのは、オランダ国立世界文化博物館所蔵の五人構図の家族図です。

 まずブロムホフ本人の依頼によってこの作品が描かれ、その後、公辺の許可を受けて写しが制作された。その写しの一つが東京大学総合図書館の作品であり、掛軸へと仕立てられたのではないかと考えています。

 箱書きにある、「公邉人物寫茂被仰付候」という言葉は、公辺、すなわち幕府または長崎奉行所から、人物を写すことが命じられたことを示しています。

 また、「右寫繪圖一枚」と記されていることから、原画そのものではなく、それをもとにした「写絵図」一枚であったとも読むことができます。

 さらに、末尾には、「御出入大通辞末永甚左衞門ゟ指上候事」とあります。末永甚左衛門は、1818年半ばから1830年まで大通詞を務め、1828年のシーボルト事件では関係者として処罰されています。

 この経歴を考えると、東京大学の作品は、末永甚左衛門が大通詞を務めていた1818年から1828年までの間に制作または献上され、その後に掛軸へ仕立てられた可能性があります。

 また、「御出入」という表現にも注目しています。ここでいう「御出入」は、末永甚左衛門が日常的に出入りし、御用を務めていた相手を示しているものと考えられます。そして「指上候」とあることから、この作品は末永甚左衛門が、しかるべき身分の人物へ差し上げたものだったのではないでしょうか。

 献上先が誰であったのかは明らかではありません。しかし、長崎奉行、あるいはそれに準ずる身分を持つ大名など、長崎の事情に関心を持つ有力者であった可能性は考えられます。

 ここで、四つの家族図を比較してみます。

 オランダ国立世界文化博物館所蔵の五人構図、アムステルダム国立美術館所蔵の六人構図、神戸市立博物館所蔵の五人構図、東京大学総合図書館所蔵の五人構図の作品です。

 オランダ国立世界文化博物館とアムステルダム国立美術館の作品には、人物表現や筆致に共通した特徴が認められます。一方、神戸市立博物館と東京大学総合図書館の作品も、互いによく似た特徴を示しています。

 特に興味深いのが、顔の表情はもちろんですが、ブロムホフの左手です。

 オランダ国立世界文化博物館とアムステルダム国立美術館の作品では、ブロムホフの左手は軽く握り込まれています。これに対し、神戸市立博物館と東京大学総合図書館の作品では、左手の掌を上に向け、指を開いた状態に描かれています。

 顔貌や衣服の描写だけでなく、この左手の表現まで二つの系統に分かれていることは、単なる模写の際の誤差とは考えにくいように思います。

 私は、この比較から、神戸市立博物館と東京大学総合図書館の作品は同一系統に属し、いずれも川原慶賀自身がすべてを描いたものではなく、慶賀工房で制作された作品ではないかと考えています。

 神戸と東京大学の作品には、いずれも慶賀の署名があります。しかし、署名があるからといって、必ずしも慶賀の自筆とは限りません。むしろ、工房の絵師が制作した作品に、慶賀工房の正式な作品であることを示すため、慶賀の署名や落款が加えられたのではないでしょうか。

 そう考えると、慶賀の署名は単なる作者名ではなく、工房作品の品質や正統性を保証する、いわば認証の役割を果たしていた可能性があります。そして、そのような認証が必要であったのは、神戸や東京大学の作品が、しかるべき身分の人物に贈られる作品であったからではないかとも考えられます。

 私は美術史の専門家ではなく、この分野では門外漢です。しかし、作品を並べ、寸法、構図、筆致、左手の表現、署名、箱書き、伝来を一つひとつ照らし合わせていくと、これまで別々に見えていたものが少しずつつながってきます。

 今回、クラウドファンディングによってオランダ国立世界文化博物館所蔵の家族図が公になったことで、これまで謎とされてきたことが、少しずつ明らかになりつつあります。

 この家族図の存在は、「ブロムホフ家族図」の本歌と写しの関係だけでなく、長らく謎に包まれてきた川原慶賀工房の制作体制、さらには工房作品における署名や認証のあり方を解く鍵になるのではないかと考えています。

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