動かぬ体、溢れ出す感情。ALS合⽥朝輝監督の奇跡の映画をリッツカールトンで初公開

体が動かない。声も出ない。それでも合田朝輝監督は映画を撮ると決めました。視線で紡いだ想いを作品に乗せ、リッツカールトン大阪で届ける挑戦。限界を越えて生きる姿が、あなたの心に火を灯します。この瞬間は、誰かの人生を変える物語のはじまりです。

現在の支援総額

582,000

116%

目標金額は500,000円

支援者数

56

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募集終了まで残り

52

動かぬ体、溢れ出す感情。ALS合⽥朝輝監督の奇跡の映画をリッツカールトンで初公開

現在の支援総額

582,000

116%達成

あと 52

目標金額500,000

支援者数56

体が動かない。声も出ない。それでも合田朝輝監督は映画を撮ると決めました。視線で紡いだ想いを作品に乗せ、リッツカールトン大阪で届ける挑戦。限界を越えて生きる姿が、あなたの心に火を灯します。この瞬間は、誰かの人生を変える物語のはじまりです。

監督の合田朝輝です。


仕事をし始めてしばらくした頃、友人からひとつの提案がありました。

「講演で話している内容を、子どもたちにも伝わる形に、絵本にしてみないか」

正直、最初は現実味がありませんでした。

ただ、やってみたいという気持ちはありました。

私がアイデアを出し、友人が文章を書き、別の友人が絵を描く。

そうやって役割を分担しながら、少しずつ形にしていきました。


構想から完成まで、およそ2年。

時間はかかりましたが、『フィーロくんのいと』という一冊の絵本ができあがりました。

完成した時、達成感と充実感がこみ上げるのを感じました。


その絵本は、地元の学校に寄贈され、

いろいろな場所で読み聞かせをしてもらえるようになりました。

私が会ったこともない人たちが、この絵本を手に取り、読んでくれている。

私が死んでも残るものが作れた。

心残りが一つ減った感覚。

いつ死んでもいい。

そういう風に思うようになりました。


かと言って死にたいわけではないんです。

ALSという病気と付き合っていく中で、私はいつ死んでもおかしくない。

これからどのタイミングで死ぬことになっても、

それが私の寿命で運命。

そう思うようになったんです。


諦めているわけじゃないんです。

めちゃくちゃ死にたくないんです。

ALSを何が何でも治す。

それが私の夢です。

そこに向かってできることは続けています。

同時に、いつ死んでも仕方ない。

そんな不思議な感覚で、

今も生きてます。


絵本が完成する少し前から、体の状態が段々落ちていくのを感じていました。

できていた動作が、ひとつずつ難しくなる。

できなくなったことを確認して、受け入れていく日々。

それまで続けていた仕事や活動も、

徐々に維持することが難しくなっていきました。

そんな2024年の12月に、

私は呼吸が止まり、救急搬送されました。


その日は朝から体調が悪く。

食事もほとんど取れず、「休めば治るだろう」と軽く考えていました。

しかし、夜になっても回復せず、

少しずつ息が苦しくなり。

ヘルパーさんに不調を訴えたところで、

私の意識は途切れました。


目を覚ました時、そこは病院でした。

この時期の記憶は、あまりはっきりしていません。

正直に言えば、あまり思い出したくない時間です。

医師から「気管切開」という選択肢を提示されました。

「あなたも周りも楽になる」から早くした方が良いと。


すぐには決断できませんでした。

もう少し粘りたい。

手術をすれば、生活の質が下がる。

そう思っていました。

当時はまだ、リハビリでHALを使ってなんとか歩くことができていました。

完全に動けないわけではない。

ギリギリではあるけれど、「まだできていること」が残っている状態でした。

食事やリハビリ、日々の生活に気を配りながら、

なんとか現状を維持していた時期です。

だからこそ、気管切開をすることで、

そのバランスが一気に崩れてしまうのではないか、という不安がありました。

できるだけ先延ばしにしたい。

もう少し、この状態でいたい。

気管切開をすれば、全て壊れて失ってしまう。

そう考えていました。


しかし、結果として、気管切開を選びました。

選んだ、というよりは、

それしか選択肢が用意されてなかった、という方が正確だと思います。


手術自体は特別なものではありません。

医療的には一般的な処置であり、

看護師として働いていた頃には、何度も見てきたものでした。

手術室に運ばれて、麻酔をして、目が覚めたら終わってる。

しかし、患者としてそれを受けることは、まったく別の体験でした。


術後の生活は、想像していたものとは大きく違っていました。

只々、地獄。

痛み、違和感、咳、吸引、呼吸苦。

どれも今までの日常には無かったものです。 

その変化に、適応できない状態が続きました。

気管切開をしてからの一年間は、全く余裕がありませんでした。

新しい体の状態に慣れること。

生活の流れを作り直すこと。

それだけで精一杯でした。


日常のすべてが、別のルールで動き始めます。

呼吸器の管理、体位の調整、周囲のサポート。

生活そのものを、一から組み直していく必要がありました。

ベッドから起き上がれない日も増え、

同時に、身の機能がどんどん落ちていくのをはっきりと感じていました。

これまで必死に守ってきたものが、

少しずつ、確実に崩れていく。

現実は、あまりにも無慈悲でした。


「楽になる」という医師の言葉の意味を、何度も考えました。

間違っているわけではないと思います。

呼吸は安定しますし、命のリスクは確実に下がる。

ただ、それは医療的な意味での「楽」であって、

少なくとも自分にとっては、生活の実感とは一致しませんでした。

むしろ、負担が増えたと感じることの方が多かった。


それでも、時間は進んでいきます。

環境は変えられない以上、

自分が合わせていくしかない。

毎日、試行錯誤を繰り返しました。

どうすれば楽になるのか。

どうすれば負担が減るのか。

どうすれば生活が回るのか。

試して、失敗して、また試して。

それを繰り返していきました。


結果として、「楽になる」ことはありませんでした。

慣れただけです。

痛みを。

苦しみを。

耐えながら生活することに。

完全に無くなったわけではありませんが、

いつ、どのタイミングで「それ」が来るのか、

ある程度予測できるようにはなりました。

それだけでも、感じる負担は変わります。

今は、少しだけ余裕が戻ってきました。


これが、現在に至るまでの経緯です。

自己紹介としては、少し長くなりました。

ただ、どれだけ言葉を並べても、

今の自分の状態はうまく伝えられない気がしています。

それでも、

私のことが、誰かにほんのちょっとでも届けば良いと思って、

出来る限り言葉にして、残しておきます。


改めて。

合田朝輝といいます。

ALSという状態の中で、映画を作ろうとしています。

もしよければ、

この先の過程も、引き続き見てもらえたら嬉しいです。

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