
石川県羽咋郡志賀町
【瓦屋さん】R君の決断
東北の3.11
当時、埼玉で建設関係にお勤めの旦那さんと
息子さん、娘さんの4人家族のkさん。
埼玉は東北地震で震度5の地震に襲われ
Kさんのご家族がお住いの住宅が半壊しました。しばらくは車中泊と避難所での生活でしたが、ご主人のご実家へ引っ越す事になり...いろいとあって...Kさんのご実家である、石川県で暮らす事を決断しました。
実家は瓦屋さんでKさんは家業の事務仕事を、手伝いながらの子育てでした。
子供達も地域に馴染んで、自然いっぱいの能登ですくすくと育ち、息子さんが高校3年生のお正月でした。
2024年1月1日 能登地震
Kさんの住む羽咋郡も、激しい揺れに襲われ
水道は止まり、電気も止まり、
毎日のように余震が続く中
真冬で積雪の中、道路が瓦礫の山で
車では運ぶことが出来なくて
徒歩20分かかる集会所に、生活用水を
貰いに通ったそうです。
1ヶ月程で道路は車両通行可能になり
ご近所の高齢のご夫婦も、避難所から通いで、自宅の片付けを始められ、地域でボランティアの方と一緒に片付けの手伝いをし、屋根の修理が殺到する中、先ずはブルーシートで家を囲い雪や雨からガードをしたりと走り回ったとおっしゃっておりました。
Kさんの息子さんは、幼少期から高校までずっとサッカー一筋で、頑張っており大学も、サッカー推薦で決まっていたのですが、このまま…ふるさとを離れられないと決断したそうです。
何故ずっと頑張ってきたサッカーをやめてしまったのか聞いてみると、気になってサッカーに集中出来ない未来が見えると…
そしてサッカーで応援してもらった事、試合会場の設営など地域の方にたくさんお世話になった事。楽しかったお祭りや大好きな能登の海でのたくさんの思い出が全部めちゃくちゃになってしまったから...片付けてからでもサッカーは出来るからと、ニコニコな笑顔で、作業中に汗だくで話してくださいました。
「家業を継ぎたい」
「元どうりにしたい」
親方と屋根にあがり瓦の点検をしたり、ブルーシートで補修したりと、頼もしいんです。
決断はいつしたのかと聞くと、吹雪の中お母さんと水を運びながら、重いし寒いし手はちぎれそうで辛かった時に、サッカーしてる場合じゃないって思ったそうです。
今、2年9ヶ月経ちましたが、サッカーへの思いを尋ねると...走れるかなぁって、笑いながら...今は久保建英選手がいるから任せるそうです。
そして皆さんに私達の
空き家プロジェクトの説明をしました。
「その場所があったら息子は
サッカーしてたかもしれない…
地震に息子の夢まで壊された」
2年9ヶ月経った今でも
まだ手付かずの家屋がたくさんあります。
そして、熊本地震があり
備える事が如何に重要な事なのか
熊本が能登や被災地に伝えているようだと
お忙しい中たくさんお話してくださいました。
私達の
空き家プロジェクトは
備える事と場所を創る事です。
私達だけで備えても仕方ないんです。
このプロジェクトは皆さんと
一緒じゃないと出来ません!
拡散とご支援の御協力を
よろしくお願いいたします!!
空き家プロジェクトチーム
【p.m.r】



