
国家民族宗教を超えて、理解親睦協力を促進、多様性の尊厳を重視し、敬意を表す、そんな時代が必要です。今のような、力任せに、一族のビジネスを優先することが、まかり通る現実は、止めなければならない。1991年に、ゴルバチョフ来日の際に、北方ユーラシア学会とソ連科学アカデミーの合意によってアルタイ山脈でパジリク(スキタイ文化の一部)文化の凍結王墓発掘をプロデュースし、日本から100人以上の研究者をアルタイ山脈・ウコック高原に派遣しました。A.P.デレビャンコロシア科学アカデミー正会員と加藤九祚国立民族学博物館名誉教授(故人、南方熊楠賞、外務大臣表彰)との信頼関係を基礎に実現、ウコック高原にある日ソ合同で発掘した王墓の選定は、V.I.モロージンロシア科学アカデミー正会員と私大野遼が合意した。田中琢元奈良国立文化財研究所長と私の弟直正ら多くの人の協力で、大型トラック、バックフォー、冷凍コンテナ、発掘機材、大量のオートバイなどをウラジオストクからコンテナ8本でノボシビルスク経由アカデムゴロドク、アルタイ山脈まで搬送した。事件は本発掘が行われていた1991年8月に起きた。ゴルバチョフ元大統領が静養していたクリミアで拉致され、見る間にソ連が崩壊した。この時、私は、学術研究より、生きている人間に関わることが重要になったと覚悟を決めた。「ユーラシア文化センター」を創設しようとしていたが、ユーラシアと日本の先住民族・少数民族にウェートを置いた人と文化の枠組み「ユーラシアンクラブ」の設立を、ハバロフスクの政府庁舎で開かれたシンポジウムで提案し、1993年1月10日九段会館で開催したシンポジウムで正式に創設した。今回、霞ケ浦サンライズフェスティヴァルで、オープニングとなる、鹿島灘から歩崎後援水中林に昇る日の出(サンライズ)にアイヌのカムイノミ(平和の祈り)をお願いするアイヌの酋長浦川治造との親交は、この九段会館に、「またシャモ(日本人)が悪さするんではないか」退去して九段会館に来たアイヌの人たちに混じっておいでだった時からである。私は、東京アイヌ協会結成にも関わり協会の規則を執筆した。浦川さんは、今ユーラシアンクラブの副理事長である。ちなみに理事長は江藤セデカ。アフガイスタン、イランの絨毯やアジアの文明形成に重要な役割を担ったラピスラズリなど宝飾類を扱う実業家で、親しくしていたウィグル人の紹介。もう一人の副理事長はバーボルド(日本名富川力道)は、学生時代モンゴル相撲で二連覇、大相撲のモンゴル人力士と親しく、俳句の書籍を出版するほどの文人。今回、フェスティバルでモンゴル相撲の大会を準備中。現在の服部英二ユーラシアンクラブ名誉会長は、元パリのユネスコ本部と特別事業部長、ユネスコ事務総長特別顧問を務め、世界の研究者を組織しシルクロード総合調査を計画実施した文明研究の権威。加藤九祚先生の紹介。



