何かを完全にゼロから創り出せるほど、人間の想像力は都合よくできてはいない。万年筆にブルーブラックのインクを吸入し、真新しいノートの1ページ目に向き合うとき、そこに書きつけられる物語の輪郭を決定するのは、いつだって僕自身が過去に通過してきた、ごく私的な記憶の断片だ。新しい物語のヒロインの造形に、かつて愛した人の影を無意識に落としてしまうことは、物書きにとって決して珍しいエラーではない。彼女の少し乱暴な歩き方や、真冬でも冷たい飲み物を好むところ、あるいは、核心を突かれたときに視線を逸らすわずかな間の取り方。そういった事実のディテールをひとつずつ拾い集め、インクの染みに変えていく。事実、現在書いているこの作品の底には、間違いなくひとりの女性の存在が静かに横たわっている。彼女はもう、この世界のどこにもいない。 突然の欠落だった。僕の日常という完璧だったはずのダイヤグラムは、ある日を境に唐突に途切れ、その先には圧倒的な空白だけが残された。悲しみや喪失感といった、手垢のついた感傷的な言葉でその空白を埋める気にはなれなかった。僕はただ、乾ききった日常を正確に反復するしかなかった。朝には濃いめのブラックコーヒーを淹れ、決まった時間にデスクに向かい、ノートを開く。そうして文字を連ねていくうちに、ある明確な目的に気がついた。 僕は、彼女との間に残されたままの「中途半端な空白」に、自分自身の手で正確なピリオドを打とうとしているのだ。物語のヒロインに彼女の欠片を投影し、ひとつの独立した世界の中で息をさせ、そして、物語の結末とともに完璧な形で手放すこと。それは単なるフィクションの構築ではなく、あの日、突然立ち消えになってしまった彼女との時間を「正しく終わらせる」ための、ひどく個人的で、静かな儀式のようなものだった。冷めきったコーヒーを一口飲み、僕は万年筆のペン先をふたたび紙面に落とす。インクが乾く頃には、少しだけ風向きが変わっているはずだ。そう信じて、僕は今日もノートのなかの彼女に向かって、美しく、そして残酷な別れの言葉を書き続けている。




