
【15店舗を渡り歩いて、たどり着いた一人サロン】
こんばんは。髪育JAPAN代表、趣味美容師の宇留間です。いつもご視聴、応援ありがとうございます。
クラウドファンディング21日目、ちょうど3週間が経ちました。残り44日、現在49名の方に応援をいただいております。ありがとうございます。
本に書いたのは、鎌倉で一人サロンを19年続けてきた僕の目から見た、髪の真実です。美容師の数だけ真実があっていい。正解は一つじゃない。それを活動を通して感じてきました。でも、自分に自信がなく、自分の思いを堂々と表現できなかった頃の僕は、ずっと自分の外側に正解を探していたんですよね。だから軸が育たなかった。映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に出てくる、浮いているスケボーみたいな感覚です。地に足がつかない。その違和感が、僕の美容師人生のスタートにありました。しかし年齢を重ねるにつれて、自分の中にある「こうでありたい」を証明していく生き方のほうが、面白くなっていきました。
今日は、一人サロンにたどり着くまでのお話をしました。憧れて入ったお店を辞めて、今の店を持つまでの5年ほどの間に、僕は15店舗を渡り歩いています。業界にかけたご迷惑は、いつか美容師人生を通して返したいと思っています。
15店舗を渡り歩いた結果わかったのは、僕は誰かと一緒にサロンワークをするのが無理なんだ、ということでした。当時は、自分に合う店が見つからないと思っていたんです。既存の枠に自分をはめようとして、はまらない。それに気づくまでに時間がかかりました。
美容師を辞めたいと思ったことは一度もありません。でも美容師だけで食べられない時期は、日雇いのアルバイトもしていました。24、5歳の頃、夏休みの女子校の校庭で水まきをしたり、丸ビルの建設現場で壁のボードを運んだり。ところがある日、目の前でボードを置いていた棚が崩れて、作業員の方が足を大きく骨折するのを見たんです。腕を折ってハサミを持てなくなったら終わりですから、その日で日雇いはやめました。美容師をやりたいなら、きつくても美容師で食べられる道を探せ。そう教えられた気がします。今思えば、一人でやることに早く気づけ、ということだったんですよね。
一人でやると決めて地元の鎌倉に戻ったのが2007年5月。いきなり独立はできないので、歩いて探して、70代のご姉妹の先生がされているサロンに飛び込み、鏡を一つお借りできないかと交渉しました。東京にはすでに面貸しサロンという考え方がありましたが、当時の鎌倉にはなかったと思います。そこで1年4か月お借りしながら、地域に知っていただく活動も始めました。
でも環境は時間とともに変わります。最初はありがたかったけれど、だんだん本当の自分の店を持ちたくなる。不動産屋さんを全部回っても、物件は見つかりませんでした。結局見つけたのは、普段の生活の中で「あそこで美容室ができたらいいな」と外から見ていた、今の3階の場所です。毎日ついていた電気が、ある日を境につかなくなった。直感で、空くなと思いました。聞きに行ったらその通りで、交渉させていただき、2008年9月9日にオープンしました。
一人サロンを長く続けられたコツは、スタッフを増やして大きくしていく路線を、最初から切り落としていたことです。一人サロンを始めると、すぐに限界がわかるんです。10時から22時の12時間営業でも、カットカラーで2時間枠なら1日6人。普通ならそこでアシスタントを雇おう、となるのかもしれません。でも僕はその道を断っていた。じゃあどこに可能性を見出すのか。
答えは、お客様のお悩みの変化の中にありました。僕が10歳年を重ねれば、お客様も10歳年を重ねる。そのとき、美容師としての役割をヘアデザインのまま変えずに進むのか。その問いを自分にしていくことになるんです。役割をヘアデザインの外へ広げよう、深めようとしたとき、一人サロン美容師の生きる道が見えてきた。僕にとって、それが髪育でした。
1対1の価値に、お客様も美容師も気づいていく時代が来ていると思います。その一つのきっかけが2020年でした。美容に何を掛け算するのか。僕は、美容×健康だと思っています。髪の健康を美容師側が考え始め、お客様も求め始めたんです。
一人サロンは、スタッフのいるサロンの美容師とは違うところにあって、一人サロン特有のルールがある。それをこれから一人サロンを目指す方に伝えていきたい。一人でやると決めて独立したら、面白い世界がその先にはあります。
というわけで、本日は21日目となるクラファン活動報告です。やってみて改めて、クラファンは一生に一度なんだと感じています。100歳まで生きる人生の中で、最初で最後の挑戦。初めての本が出たこのタイミングで挑戦してよかったと、今すでに思っていますが残り44日、最後まで走り続けてまいります。



