
こんばんは、ヨコロンコーヒーの大山ようこです。
今日から3日間、ヨコロン宿の運営チームのひとり、小髙明日香さんのことをお話しさせてください。島のみんなからは「あっぴーさん」と呼ばれています。
与論島に移住して20年。「Yoron emA(ヨロン・エマ)」を営みながら、デザインの仕事や与論民謡を受け継ぐ活動をしていて、ヨコロンのTシャツのデザインも担ってくれています。
■ 年賀状が届かなくなった、おじいちゃんを探して
「なんでそんなに急ぐんだろう。なんで、もっと人に優しくできないんだろう。」そんな疑問を抱えながら、東京や沖縄など各地を移り住んでいたあっぴーさん。
与論島・8月開催される「サンゴ祭り」で三線を弾き、唄うあっぴーさん。
与論島に来たきっかけは、昔お世話になったおじいちゃんからの年賀状が、3年ほど届かなくなったことでした。
フルネームも分からないまま、島の人に聞いてまわってたどり着くと、おじいちゃんは元気そのもの。年賀状を書くのが、ちょっと面倒になっていただけだったそうです。
そのおじいちゃんのところで夏の1か月を過ごし、家と仕事が見つかって、移住を決めました。最初の家は、家賃7,000円。ガスもなく、日中外に出した鍋の水を、夕方に浴びる暮らしからのスタートでした。
あっピーさんが当時住んでいたお家
■ 「私、普通だったんや」
どこの誰かも分からない自分に、島の人たちは「バイトしない?」と声をかけ、仲良くしてくれた。
そして、地元では「変わった子」と言われていたあっぴーさんが、与論島に来てみると、「みんな、私以上に変なのよ。すごく安心した。私、普通だったんやって。」
冗談ばかり言って、いつも笑いをはさんでくる島の人たち。人と関わるのが苦手だったあっぴーさんの中に、「人って面白いな。人間も悪くないな。」という気持ちが、少しずつ育っていきました。
島で受けた親切が積み重なって、いまは「受けたものを返していきたい」と話すあっぴーさん。そして今、ヨコロンで、新しく島を訪れる人を迎える側に立ってくれています。
明日は、あっぴーさんが20年かけて見てきた与論島のお話をお届けします。
この活動報告をシェアしていただいたり、与論島や古民家に興味がありそうな方に伝えていただけたりすることも、私にとって大きな励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。
ヨコロンコーヒー焙煎所
大山ようこ
―――
なぜ「村」と呼ぶのか。「おかえり」と迎える人と、「ただいま」と帰ってくる人。その往復が重なっていく場所を、私は村と呼びたいと思いました。ヨコロン村は、一棟貸切宿「ヨコロン」を拠点に、与論島との関係を育てる人たちとつくる、小さな村です。
日曜・月曜・火曜分も、同じくらいの長さに縮めましょうか?



