
こんにちは、ヨコロンコーヒーの大山ようこです。
昨日に続いて、私があっぴーさんこと小髙明日香さんにインタビューさせてもらったお話をお届けします。今日は、あっぴーさんが与論島で過ごしてきた20年のことを聞きました。
■ 「こんなに座ってていいのかな?」
「島で働きはじめて、驚いたことはある?」と聞くと、あっぴーさんがいちばん驚いたのは、お茶の時間だったそうです。
あっぴーさん与論移住したての頃
それまでの職場では、ちょっとしたミスでも厳しく叱られ、手が空いていてもおしゃべりは許されなかった。ところが島では、午前に1回、午後にもう1回。みんなで腰を下ろして、お茶を飲みながら、ゆっくり話をする。
「こんなに座ってていいのかな?仕事もいっぱいあるけど大丈夫かな?って思ってた。」
そわそわしていたあっぴーさんは、あるとき気づいたと話してくれました。
自分がちゃんと座らないと、まわりのみんなも休めない。
セカセカしないで一緒に座ることが、みんなを休ませることになるんだ、と。
頑張る人ほど、休んでいい。島の人たちは、それを言葉ではなく、毎日のお茶の時間で教えてくれていたのだと、私は聞きながら思いました。
■ 「いい歌い手だよ」と言い続けてくれた仲間
センターで歌を唄うあっぴーさん島の民謡の話になると、あっぴーさんの表情が少し変わりました。
三線を弾きながら歌う人がいなくなったとき、「じゃあ、私がやろうか」と引き受けたこと。
当時、その役は女性がほとんどいない領域だったこと。
女性の声は太鼓に合わないんじゃないか。自分がもっとうまく歌えたら、民謡にもっと人が集まるんじゃないか。ひとりで責任を背負い込んで、ずっと悩んでいたそうです。
「それでも、仲間がずっと『いい歌い手だよ』って言ってくれたから、ここまで頑張ってこれた。悩みながら、楽しかったよ。」
そんなお話も印象的でした。
■ 「なんとか兄ちゃん、なんとか姉ちゃん」
3人のお子さんを育ててきたあっぴーさんに、子育ての頃のことも聞いてみました。
赤ちゃんを連れて週に1回通う民謡の練習だけが、やっと三線を弾ける自分の時間だった頃もあったそうです。エイサーチーム「舞弦鼓(ぶげんこ)」としての舞台の時の集合写真(一番右下があっぴーさん)
そして、いま島で育つ子どもたちを見ていて、うらやましいと思うことがあると教えてくれました。年上の子を「なんとか兄ちゃん」「なんとか姉ちゃん」と呼んで、年の離れた子同士が仲良く遊んでいる。あっぴーさんにとって、先輩はずっと「怖い」存在でしかなかったから。
道ですれ違う大人と子どもが、気軽にあいさつを交わせる島。その中で、「地域の人たちが、ありがたいな」と思えるようになったといいます。
私自身、まさにその「兄ちゃん、姉ちゃん」たちのあとをついて回って育ったので、この話には胸が熱くなりました。
■ 「真面目にやんなくても、大丈夫」
最後に、「いま大切にしていることは?」と聞きました。
「自分の物差しを、持たないようにしたいな。」
いいなと思ったら、真似したい。違うなと思ったら、「そういう人もいるんやな」と受け止める。
「じゃあ、悩んでいた頃の自分に、ひとこと言うとしたら?」と聞くと、少し笑って、こう答えてくれました。
「真面目にやんなくても大丈夫。なんとかなるから。でも、悩んでた日々も今の私をつくってるから、それでいいんだけどね。」
■ 受け取ったものが、巡っていく
インタビューの終わりに、あっぴーさんはこう話してくれました。
「変わったというより、つくられていった。与論島に、与論島の人に、育ててもらったと思ってる。」
一番上の左側で三線を弾きながら唄うあっぴーさんとエイサーチーム「舞弦鼓(ぶげんこ)」
気にかけてくれる人と、還れる場所があれば、人は何度でも息を吹き返せる。
ヨコロンが大切にしているこの想いを、あっぴーさんは20年かけて、自分の人生で見せてくれているように感じました。
そしていま、あっぴーさんは、島で受け取ってきたやさしさを、ヨコロンで新しく島を訪れる人へ手渡そうとしてくれています。
受け取った人が、今度は誰かを迎える人になる。その輪が、ヨコロン村なのだと思います。
明日は、そんなあっぴーさんがデザインしてくれた、あるものをご紹介します。
この活動報告をシェアしていただいたり、与論島や古民家に興味がありそうな方に伝えていただけたりすることも、私にとって大きな励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。
ヨコロンコーヒー焙煎所
大山ようこ
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なぜ「村」と呼ぶのか。「おかえり」と迎える人と、「ただいま」と帰ってくる人。その往復が重なっていく場所を、私は村と呼びたいと思いました。ヨコロン村は、一棟貸切宿「ヨコロン」を拠点に、与論島との関係を育てる人たちとつくる、小さな村です。



