三河帯芯を日常へ。 帯を支えてきた、100年続く“見えない素材”を、今着る服に。

帯の形と美しさを内側から支えてきた「三河帯芯」。愛知県西尾市で服づくりを続けるUZUiROが、その軽さ・丈夫さ・独特のハリを生かし、今の暮らしになじむシャツやバッグへ仕立てます。地域の素材と技術を、日常で使われる形に変え、次の100年へつなぐ挑戦です。

目標突破
ネクストゴール挑戦中!

現在の支援総額

1,653,500

330%

ネクストゴールは3,000,000円

支援者数

99

募集終了まで残り

21

三河帯芯を日常へ。 帯を支えてきた、100年続く“見えない素材”を、今着る服に。
目標突破
ネクストゴール挑戦中!

現在の支援総額

1,653,500

初期目標100%突破

あと 21
330%

ネクストゴールは3,000,000

支援者数99

帯の形と美しさを内側から支えてきた「三河帯芯」。愛知県西尾市で服づくりを続けるUZUiROが、その軽さ・丈夫さ・独特のハリを生かし、今の暮らしになじむシャツやバッグへ仕立てます。地域の素材と技術を、日常で使われる形に変え、次の100年へつなぐ挑戦です。

【今の矢作川を見ても、ここに60隻以上の「紡績工場」が浮かんでいたなんて、なかなか想像できません。】

川の上に浮かべた船。その両側には水車。川の流れを動力にして、船の上で糸を紡ぐ。

そんな、今では少し信じられないようなものづくりが、かつてUZUiROのある愛知県西尾市で行われていました。

その名は、「船ガラ紡」。

今回、三河帯芯について調べ、地域の方からお話を伺う中で、この船ガラ紡と、今私たちがクラウドファンディングで取り組んでいる「三河帯芯」の間に、思いがけないつながりがあることを知りました。


【愛知県西尾市は、昔から「綿」とともにあった町】

西尾市には、綿にまつわる古い伝承があります。

平安時代初期の799年、三河国に漂着した人物と綿の種についての記事が『日本後紀』などに残されています。現在の西尾市には、その伝承に関係する天竹神社があり、綿祖神を祀る神社として知られています。
-毎年行われる、天竹神社 綿祖祭の様子-

西尾には、こうした綿にまつわる古い伝承があります。その後、時代を経ていきながら、江戸時代には三河地方で綿作や綿織物が大きく発展し、その生地が江戸に流通したことから、「三河木綿」と呼ばれる産地へ成長していきました。

-参考- 西尾市『新編西尾市史』関連資料


【川に浮かぶ船が、そのまま紡績工場だった】

時代は明治へ。

明治初期 、臥雲辰致(がうん たっち)という人物によって日本で発明された紡績機「ガラ紡」が、三河地方にも広がっていきます。

そのガラ紡を西尾市では、全国的にも稀な方法だった、

船そのものを、紡績工場にしたのです。

川舟の両側に水車を取り付け、矢作川や矢作古川の流れを利用してガラ紡機を動かす。

1878年、鈴木六三郎という方が矢作古川で船ガラ紡に成功したと伝えられていて、翌年には矢作川沿いの中畑町へ広がり、この地域は船ガラ紡の中心地になっていったとされています。

明治31〜32年(1898〜1899年)最盛期には、約64隻。

矢作川の岸辺に、何十隻もの船ガラ紡が並ぶ。
船の上から「ガラガラ、ガラガラ」と機械の音が聞こえてくる。

今の静かな川の景色からは想像しづらいですが、当時はそれだけ多くの人が、川とともに糸を作っていました。

-参考-『日本が誇る産業遺産・三河ガラ紡』 作成:愛知大学中部地方産業研究所


【でも、船ガラ紡は消えていった】

産業は、同じ姿のままずっと続くわけではありません。

水害の危険。
発動機の普及。
そして電力による大量生産。

時代が変わるにつれ、ガラ紡は次第に陸上工場へ移り、船ガラ紡は昭和8年(1933年)頃を最後に姿を消したとされています。

よく西尾市中畑町沿いの矢作川を車で通りますが、その面影を見つけることはできません。

- 昭和33年 の和紡績の愛知県の分布図資料 / 西三河で広く生産されている-


【ところが、糸の物語はそこで終わっていなかった】

今回、三河帯芯について改めて地域の方へお話をうかがう中で、私たちは一つの話を聞きました。

中畑町などで紡がれていたガラ紡糸は、帯芯にも使われていた。

今回の織元 榊原さんに、お話を伺い、

ガラ紡の糸は太さに独特のムラがあり、時代とともに用途を変えながら、帆前掛けや敷物、そして帯芯などにも使われていったことが資料にも残っているそうです。

「船の上で紡がれた糸」と、
そしてその後は、陸上で続いたガラ紡糸、
今UZUiROが向き合っている「帯芯」。

船ガラ紡そのものは姿を消しました。けれど、そこで紡がれていた糸が帯芯などにも使われていたと知ると、西尾の繊維産業が、時代に合わせて用途や形を変えながら続いてきたことが見えてきます。

三河帯芯を織るシャトル織機-現在も現役で使われる昭和のシャトル織機-


【あの「豊田佐吉も見に来た」——地域に残る、ひとつの口伝】

もう一つ興味深いお話を伺いました。ガラ紡のことを、和紡とも呼ばれるのですが、西尾市にいらっしゃる和紡組合の杉浦様からもこんなお話をうかがいました。

「豊田佐吉も、この地域の繊維の生産を視察に来たという話が残っている。」

トヨタグループの礎を築いた発明家、日本の織機発展に大きな足跡を残した豊田佐吉。

ガラ紡糸を織って生地にしていたこのまちの技術を見にきていたとはなんだかロマンを感じずにはいられません。

(ただし、この話について、文献や公的資料による裏付けまでは確認できていませんので、この地域に伝わる一つの「口伝」としてご理解ください。)

そんな話が今も残っていること自体が、この土地で紡績や織物がどれほど身近な仕事だったのかを感じさせます。


【そして今、「帯の中」から「日常」へ】

かつて川の流れを使って、船の上で糸を紡いだ人たちがいました。その糸は、用途を変えながら、帆前掛けや帯芯など、人の暮らしを支える素材になっていきました。

そして今、UZUiROは、これまで帯の内側に隠れていた三河帯芯を、シャツやバッグとして日常へ届けようとしています。

三河帯芯の特徴を、あえて表に生かしたUZUiROのシャツ。

UZUiROが今回の挑戦で大切にしていること使われることで、伝統は続いていく。

時代に合わせて、用途が変わる。
新しい使い方が生まれる。

昔の人たちも、同じものを同じ方法で守り続けたわけではありません。

水車から電力へ。
船から工場へ。
糸の用途も、その時代に必要とされるものへ。

形を変えながら、産業は続いてきました。

だから私たちも、三河帯芯を「昔からあるから残したい」だけでは終わらせたくありません。

シャツとして着たい。バッグとして持ちたい。この素材、面白い。

そう思ってもらえる使い方を増やすこと。それが結果として、織機が動き、仕事が生まれ、技術が残ることにつながると考えています。

それが、私たちが三河帯芯を「今、着る服」にした理由です。

三河帯芯を使ったUZUiROのシャツ

今回のクラウドファンディングで一着を選んでいただくことも、この素材に新しい用途を一つ増やすことだと思っています。

今回のクラウドファンディングを始めてから、たくさんの方から、

「こんな素材が西尾にあったんだ。」
「三河帯芯って面白い。」
「もっといろんなものを作ってほしい。」

そんな言葉をいただきました。

私たちにとって、支援金額が増えること以上にうれしいのは、「三河帯芯を知っている人」が増えていることです。

かつて船ガラ紡が消えていったように、産業の形は時代によって変わります。

でも、新しい使い方が生まれれば、その先へ続いていく可能性があります。

今回、三河帯芯のシャツやバッグを選んでくださること。SNSでこの取り組みを誰かに伝えてくださること。

その一つひとつが、この地域の長いものづくりの「続き」になっているのだと思います。

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