Check our Terms and Privacy Policy.

「ファッションを読む」をコンセプトにする「AFFECTUS Vol.3」出版

「どこでどう着るの?」「こんな高い服、誰が買うの?」そう思われることが多いモードファッション。でも、モードは今僕たちが当たり前に思う服装やライフスタイルを作り上げてきました。そのモードの謎を読み解きます。しかも写真を使わず、言葉だけで。言葉がファッションを面白くする。それが『AFFECTUS』です。

現在の支援総額

543,084

543%

目標金額は100,000円

支援者数

173

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2018/10/01に募集を開始し、 173人の支援により 543,084円の資金を集め、 2018/10/29に募集を終了しました

エンタメ領域特化型クラファン

手数料0円から実施可能。 企画からリターン配送まで、すべてお任せのプランもあります!

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

「ファッションを読む」をコンセプトにする「AFFECTUS Vol.3」出版

現在の支援総額

543,084

543%達成

終了

目標金額100,000

支援者数173

このプロジェクトは、2018/10/01に募集を開始し、 173人の支援により 543,084円の資金を集め、 2018/10/29に募集を終了しました

「どこでどう着るの?」「こんな高い服、誰が買うの?」そう思われることが多いモードファッション。でも、モードは今僕たちが当たり前に思う服装やライフスタイルを作り上げてきました。そのモードの謎を読み解きます。しかも写真を使わず、言葉だけで。言葉がファッションを面白くする。それが『AFFECTUS』です。

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています



thumbnail

AFFECTUS vol.3に収録するタイトルのご紹介、今回は第14本目になります。いよいよ、今夜が最終回です。 最後に、このタイトルをご紹介できることを嬉しく思います。ラストタイトルのデザイナーは、マーガレット・ハウエルです。 ハウエルは心地よさをデザインしている。そう呼んでもいいのではないでしょか。それは、僕が伝えたい紙でファッションを読むことの心地よさと、通じるものでもあります。 vol.3最後のタイトル、ぜひ読んでみてください。       「マーガレット・ハウエルが着たくなる」   30代になってから、自分が着る服の好みが変わってきた。モードな服が苦手になってきたのだ。デザイン性が強く、濃厚な世界観の服を着ることがどうにもこうにも重く感じられて、その服に心地よさを感じらなくなってしまった。ミラン・ヴィクミロビッチがジル・サンダーのクリエイティブ・ディレクターをしていたころ、『時計じかけのオレンジ』からインスパイアされたシングルのライダースを発表した。シーズンビジュアルにも登場した、そのレアなライダースを僕は持っている(バーニーズのセールで購入)。30代になって数年を過ぎた僕は、ある日その服を着てみた。鏡に映る自分の姿を見て、こう思ったのだ。 「きついな……」 モードな服を着ているおじさんがいて、その姿を見て「痛い……」と思ったことはないだろうか。その感覚だった。自分自身でこの感覚を味わうとは。いやはや、まったくもって面白いよ。デザインは好きなのに、自分にはちょっと違うなと思ってしまう服になってしまった。だから売る気にもならないし、かといって積極的に着ることもない。悲しいことだ。 それから僕は、無印を着ることが多くなる。そこそこの価格で、ベーシックなデザインでナチュラルなテイストが気に入っていた。無印の店舗を歩いていたら、お客さんに在庫を尋ねられるほど、無印に溶け込んでいた。しかし、無印に完璧に満足していたわけではない。一番はシルエット。やはり幅広い世代をターゲットにしているせいか、シルエットにキレがない。凡庸なのだ。 ナチュラルなテイストで、デザインはベーシック、それでいてシルエットにキレのある服。そんな服がないだろうか。あった。それがマーガレット・ハウエルだった。 もちろんマーガレット・ハウエルは昔から知っていた。しかし、20代の僕はハウエルの服に興味が持てなかった。ハウエルのデザインが物足りなく感じたのだ。若い頃はどうしたって、刺激を求めてしまう。モードに熱中していた僕に、ハウエルの良さを理解するのは難しかった。 数年前のある日、渋谷のマーガレット・ハウエルの路面店を訪れた。そこで僕は1着のジャケットを購入する。価格はたしか4万半ば。リネン100%の裏無し、一枚仕立ての2つ釦ジャケット。色はやや暗めのライトグレー。そのやや暗めのライトグレーは生地そのものが、その色に染められているわけではない。つまり後染めではない。糸を染めて織られた、先染めの生地だ。後染めよりも先染めの生地の方が、色に深みが出る。 糸の色の濃度も均一ではない。濃いグレーと薄いグレーに染められた糸によって、織られている。そのことが、生地の表面に豊かな表情を描いている。まるで極小のチェックが、消えては浮かんでるようにも見える無地の生地。なんとも味わい深い。 生地に触れてみると、コットンが混ざっているのかと思える柔らかさがあった。しかしコットンとは異なる、リネン特有の弾力ある素材感がたしかにある。実に味わい深い。 パターンを見てみよう。バックスタイルはノーベントで、背中心に切替はない。そのことが全体のフォルムに柔らかさを生む。身体を優しく包み、気持ちを穏やかにする。縫代は折伏せ縫いで、5mmのステッチが入っている。上衿とラペルの端には、裾の身返し部分までコバステッチが続く。身頃裏のアームホールの縫代は、グレーのバイアス生地によってパイピング。派手さはないが、シンプルで丁寧な仕事。 以前、同じようにナチュラルなテイストが持ち味のヤエカのジャケットを着てみた。全体に丸みが強すぎて、僕の好みではなかった。しかし、ハウエルは違う。ハウエルの服はリラックス感がありながら、どこかにスリムなラインが潜んでいる。ただ、そのリラックス感を生んでいる服のボリュームが、当時の僕にはちょっとはまっていなかった。ハウエルの提案するシルエットを着るには、僕はMサイズを着るべきである。けれど、Mサイズを着た際のシルエットが僕には思った以上に大きく感じられて、好みではなかった。そこで1サイズ下のSサイズを着てみる。 「これだ」 鏡に映る自分の身体に描かれたシルエットは、身体を丸く優しく包みながら、1サイズ下を着たことによってボリューム感が理想に近づき、元々持っていたハウエルの絶妙にスリムなラインがより一層生きてきた。理想のシルエットが、そこにはあった。 袖丈がやや短く感じられたが、袖口に切羽の仕様がないし、春先か秋に着たかったから、袖口は二度ほど軽く折って着るつもりでいた。そう考えると、袖丈の短さは大した問題ではない。僕はこのジャケットを、シャツを着るように極めてカジュアルに着たかったのだ。リネン特有のシワ感を楽しむように、着込んで味わい深く着たかった。そのジャケットの全てに頷き、僕は購入する。それが僕にとって初めての、マーガレット・ハウエルだった。 ハウエルは優しい。その服を着たときに感じられる、あの優しさは独特だ。ささくれ立った心も、忙しなく焦る心も、完璧に抑えてくれるとは言わないけど、その気持ちを静めてくれる。あの優しさ、穏やかさ。自分を飾り立てることなく、ありのままでいていい。その自然な姿でいることが、あなたの魅力になる。そんなハウエルのメッセージが、服を通して伝わってくるかのようだ。 ファッションの魅力は、自分を変えてくれることだ。たいていそれは、自分を飾ることによって成立する。事実、そのようなデザインがファッションには多い。しかし、ハウエルは逆のアプローチを取る。飾り立てない。そもそも魅力とはなんだろう?飾り立てた自分に、魅力を感じられても嬉しいのか?もし、ありのままの自分を魅力と感じてもらえるなら、それはとても幸せで心地いいことじゃないのか? マーガレット・ハウエルはそんな日常の心地よさを、実現してくれる服だと思う。自然な佇まいの中にあるエレガンスを見つけてくれる服。それがマーガレット・ハウエルだ。 ちなみにここまで語っておいてなんだが、僕が所有するハウエルはそのジャケット1着だけだ。 <了>    *こちらのタイトルは、note「AFFECTUS」にアップされた「マーガレット・ハウエルが着たくなる」と同じ文章になります。


thumbnail

AFFECTUS vol.3に収録するタイトルのご紹介、今回は第13本目になります。残すところ、あと1本となりました。 今回ご紹介するのはサルバムです。その荒々しく、恐れを知らない姿勢に見える姿が、服に乗り移ったかのようなデザインが魅力です。 当たり障りなく。それが現代を生きるコツかもしれません。しかし、その逆をいくような言動でデザインをしていくデザイナーの藤田哲平氏。そこには、現代を考えるきっかけがあるかもしれません。 ぜひ読んでみてください。       「怒りを纏うサルバム」   人の感情は言葉に表れる。その人がどんな言葉の使い方をするのかで、その人の感情が垣間見える。そういう意味では、サルバムのデザイナー藤田哲平氏のインタビューには苛立ちや焦燥、憤りが感じられる強い言葉とその感情が端々に滲んでいる。一読すると、そのストレートな物言いに生意気さを感じて、反発や嫌悪感を抱く人もいるだろう。 けれど、今の時代、好き嫌いはおいてその率直さは貴重に思えた。誰もが批評家になれる今の時代、発信者にとって嫌われないことは重要な選択になっている。それはそうだろう。誰だって、面倒な争いや非難の渦には巻き込まれたくない。僕だってそうだ。できるだけ、そういった類のものから遠く離れて、穏やかに暮らしたい。だが、そのことが「無難」を量産しているのかもしれない。誰にも嫌われないようにすると、それなりに好まれるものしか生まれない。人の心に深く突き刺さり揺さぶる、強烈で鮮烈な何かは生まれない。 昨今、スポーツ選手への人々のコメントを見ていると、品行方正を好む人が多くなっていると僕は感じる。清く正しく。その傾向が、ウェブの進化が遂げる前、時代で言えば「昭和」に比べると強く感じる。実力があるなら「なんだこいつ!?」と思われるような、荒ぶったり生意気な気性の選手がいたって僕はいいと思う。みんながみんな、真面目ではつまらない。ダークヒーローがいたっていい。個性があるから楽しくなる。そこに好き嫌いが生まれるから楽しくなる。 サルバムは以前から名前は聞いていたが、藤田氏のインタビューを読んだことがきっかけで、その率直さが面白くて興味を持ったブランドだった。ただ、そのコレクションを見ても、特別僕の心に響くものではなかった。けれど、今年1月にピッティで発表された17AWコレクションを見ると、そこには目が止まり惹き寄せられるものがあった。そこで過去のコレクションをサルバムのオフィシャルサイトでルックとショー映像を見てみると、コレクションの変遷が見れて興味深かった。 デビューシーズンである2014AWからしばらくはそんなに強くは感じなかったのだが、16SSシーズンあたりで、藤田氏の師である山本耀司の影響が感じられた。まるで若かりしころの山本耀司が、現代で時代の空気から感じる感情にまかせて服を作っているような、そんな感覚だった。16AWになるとその匂いは、さらに強くなる。 オフィシャルサイトではショー映像も見れて、現在は15AW・16SS・17SSの3シーズンが視聴可能である。15AWと16SSを見たが、あくまで僕の個人的感覚になるが、特別強烈に惹かれるものは感じなかった。けれど、その感覚が様変わりしたのが17SSだ。BGMにマーシーこと真島昌利の曲「こんなもんじゃない」が使われ、その曲が流れ始めるスタートにはカッコよく見せるとか綺麗に見せるとか、自身を飾り立てるような卑しさとは無縁な、ありのままの生の個性をぶつけるような正直さがあった。 ブランドアイデンティティと言えるルーズシルエットに変わりはない。しかし、その服は荒々しい感情が猛るように綺麗には収まらず、身体の上で崩れたフォルムを持っていた。その崩れはディテールにまで及ぶ。ポケットは身頃へ綺麗に縫い付けられておらず、ポケット口が取れかかっているような状態。ジャケットは背中のサイドの切替がスリットのように切り開かれ、その隙間からジャケット下にレイヤードされた白い布が、疾走感を伴って足早に過ぎ去るモデルの動きと呼応するように左右上下に揺れる。切りっぱなしの裾からゆらめく糸の断片は、その儚さゆえに目に焼きつく。それは、人が傷ついた後の心の様のようだ。 その服を見ていると「未完成」という言葉が浮かぶかもしれない。僕も最初はそう思った。けれど、それは違う。これは未完成ではなく完成だ。綺麗にフィニッシュされることが完成で、崩れた様が未完成。そんなクソみたいな固定観念は捨てろ。一見未完成に見える、荒々しく暴れる感情を無理やり押さえつけられた服のこの形こそが、美しい完成型だと訴えかけてくる。僕にはそのように感じられた。 真島昌利の独特のしゃがれ声で繰り返される「こんなもんじゃない」という歌詞。それは藤田氏の苛立ちを代弁しているかのようだ。ルーズシルエットには野暮ったさよりも繊細さ、崩れたディーテルには切なさよりも荒々しさ。それは怒りという感情が、服の形となって目の前に現れたかのようだ。この17SSは藤田氏の「怒り」という感情が生々しく露わになっているようで、そこには私小説のような趣が漂っていた。そしてこのコレクションが、さらに発展を遂げたのがピッティで発表された17AWだ。 暗闇の中照らされる広く長いランウェイ。そこをモデルたちが、ただ前を見据えて早足で歩幅広くまっすぐに歩いていく。ルーズシルエットと崩れたディテールは17SSと同じだが、そこにはエレガントな空気が明らかに纏い始めた。美しく誇り高い人間の様とも言える空気が。極めて個人的な感情の発露。そんな私小説的趣がさらに一段と深まり、「怒り」は美しさを引き連れて訴えてくる。 「クソッタレ」 美しい容姿を持つ女性が、そんな苛立ちを吐いているかのようなコレクションだ。 以前、何か(ハンターハンターかも)で「その人を知りたければ、その人が何に怒るのかを知るべき」という文章を読んだ。ネガティブに思える感情である怒り。けれど、そのネガティブなはずの怒りがその人らしさを最も露わにし、その強烈で激しいエネルギーが新しい道を切り拓く。 怒りを纏うサルバムは人間に対して真っ正直な服だ。嫌いな人は嫌いだろう。切りっぱなしの生地や、うねりまくったステッチに顔をしかめる人はきっといる。服の体をなしてないと言う人もいるかもしれない。しかし、その荒々しさがたまらなく好きだと心に響く人がいるに違いない。そんな人たちがサルバムを着ている人たちだろう。 先日放送されたファッション通信では、ピッティで発表したサルバムのコレクションを追う模様が流れていた。番組内で藤田氏がインタビューに応えていたが、これまでと変わらないストレートな言葉があった。敵を作ることも厭わず、自身の道をひたすらにまっすぐ進むかのごとく。 サルバムは2017LVMH PRIZEのセミファイナリストに選ばれた。現時点で、誰がファイナリストになるのか、その結果はわからない。LVMH PRIZEは単純にデザインの素晴らしさが焦点になるわけではなく、そのブランドが本当に支援を必要としているかも重要なポイントだ。通常なら、実績があることは有利に働く(日本は特に)。けれど、ことLVMH PRIZEに関しては実績があることは決してアドバンテージにはならない。むしろグランプリを獲るにあたっては確実に不利に働く。 そういう意味では、現在も藤田氏含めてスタッフが2人で上代で年間売上が1億というサルバムには、可能性があるんじゃないかと僕は思っている。願わくば世界の新しい才能たちが競う最終決戦の場で、日本の私小説がどのような評価を得るのか、僕は見てみたい。 <了>    *こちらのタイトルは、note「AFFECTUS」にアップされた「怒りを纏うサルバム」と同じ文章になります。


thumbnail

AFFECTUS vol.3に収録するタイトルのご紹介、今夜は第12本目になります。 まだディープなファッション好きにしか知られていない、面白いブランドがあります。そのフォルムと色使いは、古典的でありながら未来的であり、クラシック&フューチャリティと言えるデザインです。 そしてそこには華やかさがあります。今回はそのデザインについて語ります。 ぜひ読んでみてください。       「華やかで野心的なデルポゾ」   発表の場がニューヨークとは思えないほど、ビビッドでダイナミックなコレクションを発表しているブランドに、僕はここ数シーズン注目している。その名前は、1974年スペインのマドリードでヘスス・デル・ポゾが創業したDelpozo「デルポゾ」だ。創業者のヘスス・デル・ポゾは2011年8月に亡くなり、現在クリエイティブ・ディレクターを務めているのは2012年に就任したスペイン人のジョゼップ・フォントになる。フォントはバルセロナで建築・デザイン・パターンを学び、キャリアを積んできた。 フォントが手がけるデルポゾはフェミニンな空気が充満し、「かわいい」という表現がとてもよく似合う。華やかで多様な色と柄の組み合わせが、女性のかわいさを輝かす。ただかわいいだけでない。そのルックには優美さも漂っている。華やかで優美。その魅力にさらなる磨きをかけているのが、精緻なディテールだ。見るなり、かけられた時間と手間が瞬時に伝わる刺繍に代表されるように、パリのクチュールブランドに勝るとも劣らない技巧が施されたディテールは、その服にかけられた魔法だ。 女性のかわいさをこれでもかと引き出すデザインにプラスされているテイストが、もう一つある。それは未来感。1960年代のパコ・ラバンヌやクレージュに通じるニュアンスを含んだデルポゾの未来感は、当時のパコ・ラバンヌやクレージュよりもずっとエレガント。その未来的なエレガンスを生む力となっているのが、ダイナミックかつ不思議な造形になる。 デルポゾの造形の特徴を述べると、それは「曲線」だろう。布は自分で意志を持ったかのごとくカーブを描き、女性の身体の上で踊っている。描かれたいくつものカーブは不思議さで満ち、布と女性の身体の間に作られた空間には女性の身体の上で立体感を伴った浮遊感が漂う。その立体的な浮遊感の造形に、クチュールテクニックを用いたディテールと華やかで優美な色と柄が服のテクスチャーとなり、かわいくも不思議で、コレクションは未来的な力強さを放つ。毎シーズン見せる未来感あるダイナミックな造形に、フェミニンな印象とは異なる、服作りへの野心を僕は感じる。 ファッションデザインの歴史はシルエットの変遷を辿ることと同義だと僕は思っている。女性の身体の上で、どのようなシルエットが描かれてきたのか。ヴィオネがバイアスカットを用いて流麗で美しいシルエットを描き、クリスチャン・ディオールが贅沢に布を使って硬質で力強いシルエットを描き、ココ・シャネルがジャージー素材でフラット&ナチュラルなシルエットを描いてきた。それらのシルエットに対する解答の連続が、ファッションデザインの歴史を作ってきた。 その歴史の転換点となったのがマルタン・マルジェラを始めとする初期のアントワープ勢の登場である。彼らはファッションデザインの価値を、それまでとは異なる軸へ持っていった。彼らのデザインの軸となったのは「アイデンティティ」の表現。自分が何者なのか、自分が自分であるために必要な何か、それを自問自答し、探り当てた答えをファッションデザインに昇華させている。すごく乱暴な言い方をすれば、デザイナー自身がものすごく「好きなもの」をとことん表現している。それが、服に個性が生んだ。しかもとびっきり強い個性を。他にはない価値が、アントワープのデザイナーたちの服にはあった。 当時の彼らの服には、特別高価な素材ばかりが使われていたわけではない。とてもチープな素材も使われていた。2000年に僕が買ったマルタン・マルジェラのメンズジャケットも、ポリエステル55%・ウール45%のチープさ漂う古着屋で安く売っているジャケットみたいな素材だ。だけど、そのジャケットは当時の価格で約7万5千円で(今のマルジェラよりもだいぶ安いが)、素材だけ見ればその価格の価値はないように思える。いや、まったくないだろう。しかし、僕はその価格で納得した。そのデザインが唯一無二だったから。 やや肩が落ちるぐらいに肩幅が若干広めで、丸みを帯びたシルエット。そして、フロントボタンを留めてジャケットの両身頃がフロントで重なった状態でプレスをすることで、重なった身頃が素材の表面にプレス跡として残るようにされたフィニッシュは、地味で誰にも思い浮かびそうなテクニックだけど、当時誰もがやっていないマルジェラだけが見つけて、実行した(これが重要)テクニックだった。誰が好き好んで、そんなプレスの出来損ないみたいな仕上がりを、積極的にデザインとして取り入れるだろうか。マルタン・マルジェラだけが持つ特別な視点だ。そこに僕は、特別な価値を感じてその高価なジャケットを購入した。そしてそのジャケットを僕は今でも着ている。 ファッションデザインをシルエットから解き放ったのが、アントワープのデザイナーたちになる。素材が普通でも、シルエットに新鮮さがなくても、どこかに強烈な個性が匂う服が歴史を変えた。そして、現代では服の形に焦点が再び当てられている。ただ、以前と異なるのはシルエットに加えてボリュームがキーになっている点。そのシルエット&ボリューム(=造形とここでは呼ばせてもらう)に「自分の好きなもの」をとことん表現するブランドが現れた。ヴェトモンである。デザイナーのデムナ・ヴァザリアがアントワープのアカデミー出身というのも、因果に感じる。「造形+自分の好きなもの」をデザインベースにしたブランドが変えた世界が、現在になる。 そんな時代にあって、デルポゾのアプローチは造形への焦点が強く、やや古典的なアプローチに感じる。1950年代のオートクチュール黄金期のようなアプローチだ。けれど、デルポゾとオートクチュール黄金期のブランドと違うのは、若々しさと新鮮さだ。 その理由は肌を見せる面積の大きさと、幼児体型を思わせる造形がミックスされていることが起因している。デルポゾは女性の肌を美しく見せ、その印象には軽さが伴う。また、クリストバル・バレンシアガのような幼児体型を思わす造形を大人の女性が着ることで不思議なニュアンスを生み、それが若々しさと新鮮さに繋がり、古典的なアプローチでありながら古く感じさせない新しさをもたらしている。 こういったブランドがニューヨークで発表していることが、また興味深く面白い。華やかさの一方で、ファッションデザインの歴史へ挑戦するかのごとく、野心さを漂わしたデルポゾはこれからも注目していきたい。 <了>    *こちらのタイトルは、note「AFFECTUS」にアップされた「華やかで野心的なデルポゾ」と同じ文章になります。