AFFECTUS vol.1とvol.2のリンク付きタイトルリストを作りました。 下記リストのタイトルをクリックすると、同タイトルがアップされたnoteページにリンクして全文が読めます。 クラウドファンディングを始める前は、もっともリターン価格が安いvol.3の購入が一番多くなると想定していました。プロジェクト本文に書きました通り、書籍版AFFECTUSは1話完結型で、どのタイトルから読んでも楽しめる構成になっています。 けれど、クラウドファンディングがいざスタートすると、パトロンになってくださった方の76%がvol.1,2,3の合計3冊を購入してくれました。vol.3の収録タイトルは毎日紹介していますが、vol.1と2に関しては、一覧ですぐに読んで確認できるページがプロジェクト内にありませんでした。 そこで、vol.1と2のタイトルリストを作りました。vol.1とvol.2の内容を読んでから検討したい時は、ぜひこのリストを活用してください。 AFFECTUS vol.1 ファッションは面白い アンリ・カルティエ=ブレッソンのような服 ヴェトモンの服 マルタン・マルジェラとエルメス さようなら、セルジュとルーシー ヴェトモン、デザイン、エレガンス モダンなコムデギャルソン ラフ・シモンズのメンズ ラフ・シモンズのウィメンズ PLAY - 1 - PLAY - 2 - ゴーシャにざわつく 甦ったクレージュ AFFECTUS vol.2 美しさは、歪な造形の、その向こう側にあった ヘルムート・ラングはアヴァンギャルド ラフ・シモンズがカルバン・クラインへ もう一つの魅力 ボスウィックの写したバレンシアガ ジュンヤ・ワタナベの退廃的美しさ 世界をフラット化するコーシェ ヨウジヤマモト 2003SS マルタン・マルジェラ 2001SS ジル・サンダー 2014AW メジョン・ガリジェラ ミウッチャの違和感あるデザイン イメージの外側にある服 日常に寄り添ったディオール 『逃げ恥』を観て思い出す服を好きな理由
AFFECTUS vol.3に収録するタイトルのご紹介、本日は第6本目になります。 今回のタイトルを初アップしたのは、ブログがnote移行前でして、ブランドサイトで書いていたころの2017年1月でした。 今回のタイトル、他とは一線を画します。モードが重要テーマのAFFECTUSですが、このタイトルではモードについて一切書いていません。これは初期のブログが、まだテーマが定まってなかったためで、今ではAFFECTUSで書くことはない文章になっています。 好きなこと=ファッションについて、なぜファッションが好きなのか、それを映画「君の名は」をきっかけに、自分のこれまでを振り返り、考え続けて書いた文章になっています。 好きなことをやりたいかどうかで悩んでいる人にとって、何かの参考になれば。 これまでよりも長文ですが、ご一読していただたらと思います。 「なぜ、こんなにもファッションに惹かれるのか」 昨年12月下旬、映画『君の名は。』を見てきた。通算で3回目の鑑賞。どうして、自分はこんなにもこの作品に惹かれるのか。それが、この3回目の鑑賞でわかった。詳細を述べるのは映画を見ていない方のために避けるが、作中語られる「なぜ、こんなにも惹かれるのか。その理由はわからない」という感覚、この感覚に僕が深く共感していたからだった。それが作品を3回見ることで、初めてわかった。 好きな人、好きなこと、好きな場所。人には何かしらの「好き」があると思う。たまらなく好き。そういう類の好きが。でも、その好きがなぜ好きなのか、なぜたまらなく好きなのか、その理由を明確に語ることができる人はどれだけいるのだろう。僕の「たまらなく好き」はファッションになる。なぜ、こんなにもファッションに惹かれるのか。その理由はいまだわからない。その感覚と同じ感覚を、『君の名は。』を見ていると感じることができて、そのことが僕にとって大きな魅力となっていたようだ。 おそらくファッションに夢中になることもなければ、大学卒業後に就職し、今とは違う人生を歩んでいたと思う。ファッションの道で働くことを選んだことで、今まで体験してきた「それなりの思い」をせずに済んだのかもしれない。いや、今の時代、どこの業界どの企業で働こうと、安住することはできないのだから、そこではきっと今とはまったく異なるそれなりの思いをしていたはずだ。 それでも、30歳すぎに社会人としてスタートを切ることと、まったく同じ体験をすることはなかっただろう。 文化服装学院卒業後は、就職せずに自分のブランドをスタートさせた。僕は28歳になっていた。これは本当無謀だった。今考えると。いや、今でもやっていることは十分に無謀なんだけど、それ以上に無謀だった。銀座のギャラリーで展示会を行ったが、来たのは友人と知り合いの編集者だけ。これは無理だと見切りをつけ、一度就職して経験を積もうとあっさり進路変更する。自分でも清々しいほどの変更だった。感動すら覚える。それほど無理だと思った証拠だ。そこで、遅まきながら就職活動をスタートさせた。しかし、ほぼ同時のタイミングで、父が病気になり大学病院へ入院することになった。急性骨髄性白血病だった。2007年12月のことだ。そのことで生活が一気に困窮することになる。そして、担当の先生からは父は年を越せないかもしれないと言われた。 そのため、父の症状もさることながら、早く仕事を決めて金銭面での不安を少しでも解消することが急務になる。だけどお金が必要だからといって、ファッション以外の仕事を選択肢にはしなかった。そんな状況でも、どうしてもファッション以外の仕事は考えられなかった。甘えだと言われても。コネも何もない。自分で切り開くしかない。僕はコンビニで夜勤のアルバイトによってどうにか生きる糧を工面しながら、就職活動をスタートさせた。 しかし、これが決まらない。それはそうだろう。決まるわけない。どこの企業が未経験者の30歳を雇おうとするのか。書類審査で落ちる。その連続だ。書類審査で落ちる数のあまりの多さに、当初はファッション以外の仕事は選択肢になかったが、その思いをまたあっさり変更する。ファッション業界以外の企業にも応募するようになった。月日がたつにつれ事態が差し迫っていき、そうも言っていられなくなったのだ。収入のために仕事をしながら、プライベートで服を作ろう。そういう思いを僕は抱くようになる。 当時、そんな思いで応募した会社に、ベルギーワッフルの会社があった。「いやー俺、甘いもの好きだし、いいんじゃないのかな〜〜」と思った。ベルギーワッフル店の店長と店員のほのぼのストーリーを考えるぐらいに。人間、メンタルが追い詰められると、物事をひたすらポジティブに考えるようだ。僕だけかもしれないが。それを体感した時期だった。しかし、書類は通るわけもなく落ちる。同様に応募した他のファッション業界以外の企業も、同じく書類審査で落ちる。 その過程で、2008年4月、父が亡くなった。僕の就職という問題は解決することなく、家の状況も一向に上向くことなく。病室で父が息を引き取るのを、僕はすぐそばで見ていた。当時父が亡くなったとき、その病室で担当医が言葉を詰まらせ、涙を流していた。医者は人間の死に数多く触れているはずだから、患者の死にはもっとドライだと勝手ながら思っていたので、その担当医の先生の反応は意外で、今でもその涙を覚えている。 父の葬儀を終えても、生活が厳しい現実は変わらない。早くどうにかしなくては。ファッション業界への応募もしながら、他業界の企業への応募を並行して継続していた。時折、ファッション業界の企業では書類審査を通り、面接までいけることもあった。業界では名の知れたコレクションブランドも、いくつか面接を受けた。しかし、決まらない。そうこうしているうちに、年が変わり2009年になった。そこで僕は、改めて履歴書で自分の経歴を眺めた。「あ〜こりゃあ、ファッション好きにしか見えんわ」そう思った。どう見てもファッション好きにしか見えない。ファッション以外の企業を受けたところで、「こいつ、本当にやる気あるのか?」と疑われて当然だ。 そう思った僕は、気持ちを改める。もうファッションの企業だけを受ける。そう決断し、書類の書き方や文章表現を思考錯誤し(未経験の自分にできるのはそれぐらい)、応募するようにした。すると不思議なもので、一社内定をもらえた。それは縫製工場だった。ただし、工場は日本国内にはなく中国にあった。僕はその中国の縫製工場に駐在員として趣き、経験を積んだのち、工場スタッフの指導や現地企業との交渉を担当するという仕事だった。 しかし、人間一つ望みが叶うと、欲が出てくる。やっぱり、僕はファッションデザインがやりたかった。偶然ある会社がデザイナーを募集する求人を発見する。それが僕が最初に勤めた、現在では40年近い歴史を持つミセスブランドの会社だった。縫製工場への最終返事までまだ時間があったので、僕はその会社へ応募する。すると書類審査が通り面接へと進んだ。一回目は面接とデザイン画を描く実技試験。それが通り、最終面接となる会長と社長との面接となった。しかし、面接が終わった帰り道、手ごたえがあまりに感じられなく、これは落ちたと思った。そのとき、歩いているときにマンションからハンカチなのかシーツなのか、なんなのか覚えていないが布がベランダに干され、揺れていた。僕にはその布が赤い布に見えた。中国の国旗に見えたのだ。 けれど、手ごたえの無さとは裏腹に、会社から連絡があり、もう一度面接を受けることになった。そこで、再度社長から実技試験を伝えられた。ブランドのショップをリサーチし、デザイン画を描いて提案するという試験だった。僕は縫製工場への最終返事を理由を付けて引き延ばす。そして課題を制作し、完成したデザイン画をプレゼンした。プレゼン終了後、社長から「あなたを採用します」と言われ、その場で社長は内線で総務部長を呼んだ。内定だった。その場で結果が判明するとは思わなかったので、実感がわかなかった。とにかく僕は、なんとか最終的には自分の希望通り、デザイナーとしてスタートを切れることになった。入社したのは2009年7月。僕は31歳になっていた。結局、書類審査を受けた会社の数は100社を超え、就職活動を始めて約1年7ヶ月経過したことになる。 その後、その会社で経験を積んだ僕は、老舗の大手セレクトショップのウィメンズ企画として転職することになる。この業界で働く人間なら、知らない人間はおそらくいない企業だろう。転職が決まった時は、良くここまできたなと思った。結局、そのセレクトでの勤務は短期間で終わったのだが、その時に出会った人との関係は今でも続いていて、自分の今の活動にチャンスもくれた。感謝しかない。 自分がなぜファッションに惹かれているのか、その理由はいまだわからない。何度も弱気になったことはあるし、それは今でもそうだし、光が見えない不安を常に抱えている。晴れない闇を歩く感覚だ。それでも、どんなに心が折れてしまっても、身体が勝手に動いていく。まだ作ったこともない、作りたいファッションに向かって。たぶん、僕にはファッションで実現したい何かがあるんだろう。それがなんなのか。今やりたいことは、自分のイメージする世界と暮らしの価値観を、MISTER TAILERというブランドを通して「作りたい、書きたい」ということ。 本当は理由なんて、たいして重要ではない。大切なのは、鼓動が高鳴るほどの「好き」に出会えることだ。それでも、僕はファッションが好きな理由について考えていく。そこに何かヒントがあるように思えるから。自分がファッションで実現したい何かの。たとえ、そこが辿り着くことがどれだけ困難な場所であったとしても、弱音も引き連れて足掻き、手を伸ばしていく。 <了> *こちらのタイトルは、note「AFFECTUS」にアップされた「なぜ、こんなにもファッションに惹かれるのか」と同じ文章になります。
AFFECTUS vol.3に収録するタイトルのご紹介、今夜は第5本目になります。 現在、クラシックなエレガンスを作れる日本人デザイナーといえば、僕の中では山本耀司と渡辺淳弥の二人です。けれど、モダンなエレガンスといえばサポート・サーフェスのデザイナー、研壁宣夫です。 ミラノで育まれた感性をベースに、立体裁断にて自らパターンを作って生み出す浮遊感あるフォルムは、女性の凛とした佇まいを表現します。 モダンなエレガンスを作ることに関して研壁宣夫は、僕の中で日本人No.1デザイナーです。 その美しく儚げな服について語ったこの文章、ぜひ読んでみてください。 「風が具現化したサポート・サーフェス」 とても心地のいいショーを見せてくれるブランドがある。そのブランドのショーには派手な演出や舞台はない。生演奏で聴こえてくる音楽は、とてもシンプルなメロディで空間を澄んだ空気で満たす。その生演奏をバックに、服を着たモデルたちが淡々と歩く。特別さも過剰さもなく、あるのは心地よさという格別な感覚。「凜としている」という表現は、あのショー空間の心地よさを言うのだと思う。 そのブランドの名前は、1999年に研壁(すりかべ)さんがスタートさせたサポート・サーフェス。布の量感を大切にしたシンプルでリアルかつドレープ性あるデザインは、大人の女性を美しく見せる。美しく見せるだけではない。その服は女性の持つ可愛らしさも引き出す。そこはかとなくフェミニンな香りがあるのだ。 ジャケット、シャツ、コート、パンツ、ニット。すべてのアイテムに、布が身体に付かず離れずの程よい距離感があり、その様が静かで美しい。強烈な主張の服ではない。すれ違ってから、惹かれる何かを感じて思わず振り返る。そんな様相を呈した服だ。 たとえばコート。コートといえば重厚な雰囲気を感じるのが普通。けれど、サポート・サーフェスのコートには、コートらしいかっちりさを感じると同時に軽やかさが漂う。布と身体の間に空間が作られ、女性の身体の上でゆらめく布が身体を優しく丸く包み込む。その姿からは、見ているこちらまで服を着ている女性の心地よさが伝わってくるかのようだ。 布は身体から離れるだけでない。袖やウェスト、バストなどフォルムのどこかにスリムさを感じさせるラインが混じっている。女性だけが持つ、女性特有の美しいボディラインも布は優しくなぞっていく。その布のゆらめきとスリムなラインが、緊張感とリラックス感という異なる要素を混在させ、コートの印象を強くも優しくもする。 僕が印象に残っているアイテムはパンツだ。タックが入って腰周りに膨らみを持たせ、股上は深めで裾に向かって絞られていく。いわゆるテーパードなラインを描く。ここでも、服に緊張感とリラックス感は混在している。パンツ丈は短く、くるぶしをのぞかせる。毎シーズン展開されている定番のアイテム。ショーでもこのパンツは度々発表されていて、このパンツを穿く女性モデルの姿には、優美さが漂う。歩くたびにパンツの布が揺れ、ヒダやカゲを生む。シルエットにゆとりはありながらもルーズさとは無縁な、まさに大人の女性のための知的さ漂うパンツだ。 僕が個人的に思う、ヨーロッパのエレガンスに真正面から勝負できる日本人デザイナーは三人。その三人とは、山本耀司さんと渡辺淳弥さん、そして研壁さんである。ただ、前者二人と研壁さんでは、エレガンスのタイプが異なる。山本耀司さんと渡辺淳弥さんの持つエレガンスは、1950年代のパリオートクチュール黄金期に端を発する王道エレガンスで、とてもクラシックだ。一方、研壁さんのエレガンスは都会的で、モダンな匂いが強い。そのモダンなエレガンスで充足された服が、サポート・サーフェスだと言える。 2017SSのショーを会場で見ているうちに、ある言葉が僕の頭をよぎった。 「風が服になったみたいだ」 風が服になり、その服をモデルが身にまとっている。もし風に色がついたなら、こんな色なんじゃないか。そんなふうに僕には思えた。そしてそれは服だけにとどまらず、ショーで流れる音楽にも言える。水や空気、そういった僕たちがふだん感じる自然を、音楽として演奏したらきっとこんな音になる。僕はそう思えた。 現代は、急がされ忙しく慌ただしい。いつからこんなふうになったのか。もうすぐ年末年始を迎える。僕は子供のころに感じられた正月三が日の特別な空気が、とても好きだった。街は静かなで、人の気配は感じられず、でも冬の冷たい空気が新鮮さを新年とともに運んできたような、あの特別な空気には格別の心地よさがあった。 サポート・サーフェスのショーは見ていると、そのあまりの心地よさが眠気を誘う。ショーを見ながら、うとうとと眠くなってしまう。そんな気持ちいい空気がこのブランドのショーには満ちている。だから、僕はまたサポート・サーフェスのショーが見たくて、足を運んでしまう。風が色をまとって、人間のために形となって現れた服。そんな服の醸し出す空気を、何度も感じたくて。 <了> *こちらのタイトルは、note「AFFECTUS」にアップされた「風が具現化したサポート・サーフェス」と同じ文章になります。
AFFECTUS vol.3に収録するタイトルのご紹介、今夜は第4本目になります。 今回ご紹介するタイトルに登場するデザイナーは、すでにファッション界を引退しています。 アン・ドゥムルメステール。その名前に響きが、僕はとても好きです。 今回のタイトルは、他のタイトルに比べてエモーショナルが強い文章です。アン・ドゥムルメステールにはそう書きたくなる、パーソナルなものがありました。 黒い服ばかりを作ってきた彼女。けれど、彼女の黒い服はとてもロマンティックです。 ぜひ読んでください。 「心を救うアン・ドゥムルメステールの服」 カール・ラガーフェルドは彼女のことを「クイーン・アン」と呼んだ。その彼女とは、アン・ドゥムルメステール。2013年、伝説のアントワープ6のメンバーでもあるアンは、自身が創立したシグネチャーブランドのデザイナー辞任を発表し、彼女はファッション界から去ってしまった。突然だった。前触れもなく。けれど、その颯爽とした去り方もアンらしい。 彼女の服は常に黒。黒を使用しないシーズンはなかったのではないか。そう思えるほど、黒=アン・ドゥムルメステールというイメージがとても強い。彼女が使う黒には、他を寄せ付けないとか、他を圧倒するとか、そういう類の強さを感じさせるものではなく、どこまでも繊細で、その繊細さ故に惹かれてしまう、そういう魅力を秘めていた。 素材感にも優しさが滲んでいる。アンの服には時間の経過を感じさせる。それは、人が何年も大切に着てきたような空気だ。温もりと暖かさを感じる素材なんだ、アンの使う素材は。服のシルエットもそうだ。黒という色の印象とは違い、ほどよいボリュームを含んでいて、服は身体に付かず離れずの距離感を保って、布は着る人の身体を優しくなぞっていくようなシルエットを描く。その様が、とても美しい。 アンの作る服は、どこまでも人間に優しい。僕は一時彼女の服を熱心に見ていた。表参道ヒルズのショップには何度も足を運んだ。結局買わず、ただ見るだけの客なので、ショップからしたらいい客ではなかった。でも、アンの服を見るには、たとえ同じデザインの服が他のショップで見れたとしても、アンの服はあの表参道ヒルズのショップで見たかった。あの空間で見ること。それが僕にとっては大切だった。 なぜ、あのとき、彼女の服にあんなにも惹かれたのだろう。もちろん、デザインが好きで、それを見たいという気持ちがあったのは確かだ。パターンや縫製も見て、自身の勉強のためもあった。 だけど、今思うと、それらだけでは理由としては、何か物足りないように感じる。なぜ、アンの服に惹かれてしまったのか。やっぱりそれは、結局のところ、彼女の服には優しさがこれでもかというぐらいに、溢れているからだ。あの優しさを感じたくて、僕は彼女の服を見たくなっていた。大げさな言い方すれば、心が救われるような優しさだ。染み込むような感覚を感じさせてくれる。彼女の服は着れなくてもいい(僕には似合わない)。ただその場にあるだけで、心を救ってくれる優しさに満ちた服だ。それは服というより、小説を読んだ後に通じる感覚を僕にもたらした。小説のように、心へ深く届いてくる。それが、アンの作る服だった。 ブランドの魅力とはなんだろう。デザイン?パターン?素材?僕はそのどれも答えではないと思っている。ブランドの魅力は、その世界観。その世界観へ浸ること。その心地よさがブランドの魅力だと僕は思っている。いわば服は、そのブランドの世界観への橋渡し役。アンの服を見ると、ファッションデザインの歴史において何か革新的なことをやったのかというと、そんなことはないと僕は感じる。それは、アンのクラスメートであったマルタン・マルジェラの服と比べると、より強く感じる。 アンは服そのものに革新性をもたらしたわけではない。彼女は何も特別なことはしていない。ただひたすらに、自分の好きな世界を描いてきただけだ。パティ・スミスに憧れ、ダークでロマンティック、繊細で詩的な世界を描いてきただけだ。服は彼女にとってその世界を描く筆と絵の具だったように思う。アンが作っていたのは服ではなく世界。ファッション界はそのためのキャンバス。 自分の好きを突き詰める。これがファッションデザインにおいて重要なのだが、アンはその見本ともいえるぐらいに、自分の世界を突き詰め続けてきた。トレンドが彼女のデザインにフィットしない時代であろうと、彼女は自分の世界をひたすらに貫いてきた。そう、アン・ドゥムルメステールはカッコいい。 僕は音楽に対する造詣は浅くて、洋楽を聴くことはほぼない。だから、パティ・スミスの名前は知っていてもどんな曲を歌っているのか、全く知らなかった。けれど、ある日YouTubeでパティ・スミスが歌う姿を見た。カッコいい。その言葉しか浮かばなかった。とにかくカッコいい。そしてすぐにアン・ドゥムルメステールという名前が浮かんだ。ああ、アンの服はパティ・スミスのために作られた服だったんだ。そう思えるほど、歌うパティ・スミスの姿はアン・ドゥムルメステールの世界そのものだった。アンは、パティ・スミスに憧れ、この世界を描くために服を作ってきたのか。自分の好きな世界をここまで濃厚に深く、20年以上に渡って探求してきたアンは本当にカッコいい。 アカデミーを卒業したアンは、すぐに家を買った。23歳のころだ。ル・コルビュジエが設計した家だった。お金はなかったけど、どうしてもコルビュジエの家が欲しくて手に入れた。そのために、アンは必死に働いた。その家に住んだ心地よさを、アンは『high fashion』2006年8月号で、こう述べている。 「あの家から、今まで私はどれだけインスピレーションをもらったことか。ファンタスティックで、まるで詩の中に住んでいるようなのよ」 そして、そのインタビューでアンはこうも述べている。僕はその言葉を改めて読んでみて、自分を信じたくなった。たとえこの先、どんな苦境に喘いだとしても、その先までたどり着ける。そう思えるほどに。 「本当に欲しいものは手に入る」 <了> *こちらのタイトルは、note「AFFECTUS」にアップされた「心を救うアン・ドゥムルメステールの服」と同じ文章になります。
AFFECTUS vol.3に収録するタイトルのご紹介、今夜は第3本目になります。 今回ご紹介するタイトル、最初はデザインの話で少し硬く感じるかもしれません。けれど、終盤に近づくにつれ、服の話へとシフトしていき、僕が理想とする服について述べています。 「その服には綺麗さや可愛さを感じることは、もしかしたら、ないかもしれない。だけど着てみたらとても心地よく、自分の姿を鏡で見たらなんだか自分らしいと思える服」 こんなことを語っています。 ぜひ読んでみてください。 「フラットデザイン、SNS、コンセプト」 ファッションに限らず、デザインはその時代の中心となる産業やモノに大きく左右されていく。そういう意味で現代の中心はウェブを中心とした業界で、一番大きな転機になったのはやはりiPhoneの登場だと思う。 感覚的にシンプルな操作が特徴のスマホの誕生と呼応するように、ウェブサイトのデザインが装飾やリアリティが重視されたリッチデザインから、スクロール重視で立体感を失った平面的なデザインに簡略化されてシンプルになっていった。ウェブサイトの簡略化を推し進めたのが、Windows 8の登場。これを機に、いわゆるフラットデザインがWindows 8のModern UIによって本格化し進行した。ちなみにフラットデザインに関しては以下の本が読みやすくおすすめ。『フラットデザインの基本ルール』佐藤好彦 著 現代の人々にとって、ウェブに触れない日はないというぐらいに、ウェブが世界に与える影響力はとてつもなく大きい。日常的に触れているモノの感覚が変われば、それに触れている人々の感覚も否応なしに変わる。変わらないほうが難しい。一緒に住んでいる人がいたら、その人の影響は否応なしに受けるように。 フラットデザインが進行することで、世の中ではよりイージーで感覚的に楽しめるモノが好まれるようになった。写真をメインにしたInstagramの利用者が増加していったのも、そういう時代感覚の変化があったからだと思う。というより、そういう時代変化の感覚を掴んだから、創業者のケヴィン・シストロムとマイク・クリーガーはInstagramをスタートしたのかもしれない。 フラットデザインが流行という枠を超えて、世の中にあるのが当たり前になっている今、人々の娯楽の中心は何だろう。スマホ?SNS?僕の結論はクリエイティブだ。つまり創造的な行為。SNSが時代の娯楽の中心と考えてもいいのだけど、そこをもう少し突っ込んで本質を捉えてみると、クリエテイティブではないかと思う。今は個人が自分のクリエイティヴィティをイージーな感覚で作りSNSを通して発表、そしてその反応を楽しむ時代。それが全世界で行なわれている。毎日世界中の人々がクリエイティブな行為を、国を越えて楽しんでいる。こんな時代、人類の歴史上初めてだ。 その時代の変化に伴い、人々の価値観も当然変わってきた。例えば、00年代はまだメディアの力が大きかったと思う。そしてメディアに登場するモノやヒトに、憧れを抱き消費が行なわれていく。そんな時代だった。けれど今は違う。大切なのは、テレビの向こうにある遠くの憧れよりも自分の価値観。今、人は何よりも自分の価値観が大切で、自分がいいと思えるモノやヒトを自らウェブやSNSで発見し、自分の価値観への共感を楽しんでいる。もちろん、自分の価値観に共感を得る楽しみは昔からあったけど、現代ではその楽しみがより強く露わになってきた。 そういう時代の流れを経て、個人がクリエイティブを楽しむ行為はますます深化する。その手助けを、これから次々に生まれるであろう新たなSNSやアプリが行うだろう。この時代の流れは止まらない。では、そういう時代にあって、必要になる価値観とはなんだろう。それは「自分らしくあること」だと僕は考える。自分の感性で自分らしいモノを作りアップし、そこに共感を得る。クリエイティブを楽しむには、自分らしくあることが大切だ。 それをファッションで体現していきたいのが、僕のコンセプト“GOOD BODY, GOOD HEART”「からだにいい、こころにいい、ここちよさ」になる。 服を着て、綺麗になるよりも可愛くなるよりも、心地よくなること。その服には綺麗さや可愛さを感じることは、もしかしたら、ないかもしれない。だけど着てみたらとても心地よく、自分の姿を鏡で見たらなんだか自分らしいと思える服。僕は服を、服の綺麗さや可愛いさで選ぶより、服を着たときの心地よさで服を選ぶ楽しみ方を伝えたい。心地よさを感じると、人は自然と自分らしく振る舞える。服を着ることは、人からどう見られるかが大切。けれど、人の視線から離れて服を着る日があってもいい。心地よくて自分らしくいられる。そんなふうに服を着れた日の女性は、魅力的に見えると僕は思っている。 現代の女性の毎日は、テクノロジーの進化で便利になったり新しい面白さが生まれた一方で、せかされ、せわしくなり、慌ただしくもなった。からだとこころへの負担は、ますます増えていく。こんな世界で、いつも豊かな気持ちでいることは、なかなか難しくないだろうか。 小説を読む、ドラマを観る、ご飯を美味しく食べる。毎日繰り返すありふれたことを、大切に続けていきたい。大切にしたいのは、特別な一日より繰り返されるありふれた毎日。背伸びをする必要はなくて、無理に自分を飾る必要もないし、友人とカフェでお茶をするようにありのままで。誰かになることではなく、自分でいることの楽しさと心地よさ。もう、誰かに何かに、自分を投影する必要はない。あなたが、あなたらしくいられるように。 そんな心地よさを体感してもらえる服を、僕は作っていきたい。 <了> *こちらのタイトルは、note「AFFECTUS」にアップされた「フラットデザイン、SNS、コンセプト」と同じ文章になります。