注目のリターン
もう二度と聴けないかもしれない、希少性の高い音色

石川県珠洲市にある古い建物に、震災と豪雨、二つの災害を越えて残った古いグランドピアノが残されています。この物件のオーナーが建物を引き継いだ際に残置物としてあったもので、調べてみると、戦後に作られた、かなり希少性の高いピアノなのだそう。
長年放置されていたためか、コンディションがかなり悪かったのですが、お店のお客様が弾いているうちに、少しずつ、美しい音色を出すようになってきました。その様は「まるで、ピアノが弾いてほしがっているみたいで」とオーナーは話します。

しかし、調律師に依頼すると、経年のため限界がきており、オーバーホールが必要で、このまま放置すれば、もう元の音色は聴けなくなってしまうそうです。
修理代金は 150 〜200 万円ほど。
戦後につくられ、令和6年の能登半島を襲った震災をも乗り越えてきたこのピアノを、私たちは「さいはてのピアノ」と名付け、能登の復興のシンボルとして後世に受け継いでいきたいと考えています。
ご支援いただいた方には、「今の音」と「生まれ変わった音」、その両方を聞き比べるという、二度とない体験をお届けし、一緒に楽しんでいただきます。
「さいはてのピアノ」について

昭和 27 年(1952 年)、ヤマハが製造したグランドピアノ、型番 25。
現在、石川県珠洲市の「Cafe Cove」に置かれているこのピアノが、どのような経緯でこの地へやってきたのかは定かではありませんが、終戦からわずか 7 年、ピアノを持つこと自体が大きな贅沢だった時代の一台に、当時の人たちは目を輝かせたにちがいありません。巡り巡って近隣の学校に置かれていたそうですが、そこも廃校になってしまい、この建物に運ばれてきたと伝えられています。

修復を依頼した職人によると、このピアノは世界最高峰の高級ピアノメーカー・ベーゼンドルファー(通称:ベーゼン)の音づくりを手本にしているのではないかとのこと。ヤマハの楽器製造技術がまだ発展途上にあった時期のもののようです。
ベーゼンはオーストリア・ウィーンの楽器メーカーです。
音楽の街・ウィーンで使われる楽器は、一般的に使われる楽器とは異なります。
ホルンは、ウィーナーホルン。ロータリーがなく、口元の丸いパイプを交換しながら演奏します。オーボエもウィーナーオーボエ。リードをさす部分が膨らんでいるのが見た目の特徴。クラリネットはエーラー管。リードはマウスピースに糸で巻きます。トランペットはロータリー。
このように特殊な楽器を使うのですが、ベーゼンは世界三大ピアノのひとつとして今も多くの愛好家の方々が演奏されています。音の奥行きと深み、そして温かくまろやかな響きが特徴です。
初期のヤマハ・グランドピアノは、愛好家の間で今も特に珍重されており「好きな人にはたまらない」──そう言われる希少性が、このピアノにはあります。

令和6年1月、能登半島地震がこの地を襲いました。追い打ちをかけるように豪雨にも見舞われましたが、このピアノは奇跡的に生き延びました。
地元の調律師では手に負えないため、富山県南砺市に工房を構え、石川県立音楽堂のピアノなども手がける熟練の職人に、修復の相談をしています。
歴史があり、希少で、なおかつ二つの災害を生き延びた音を、このまま消えさせるわけにはいかない。それが、私たちがこのプロジェクトを始めた理由です。
私たちについて

このクラウドファンディングは、ピアノのオーナーであるCafe Coveの大畑佐知と一般社団法人 能登乃國百年之計が主催しています。一般社団法人 能登乃國百年之計は、2024 年 4 月に設立された、能登復興のための中間支援組織です。「能登を、能登らしい能登へ」を合言葉に、市民の復興ビジョンを集め、担い手を育て、地域の復興団体同士をつなぐ役割を担ってきました。

復興は長期戦です。地域に根ざした文化や暮らしを大切にしながら、持続可能な未来をつくっていくこと。それが私たちの使命です。
今回のピアノ修復は、その一環として位置づけています。音楽という、誰にとっても身近な価値を通じて、能登と全国の皆さまをつなげたいと考えています。

このプロジェクトの一番の魅力は、「今の音」と「生まれ変わった音」、その両方を体験できることです。
同じ一台のピアノが、支援の前と後でどう変わるか。プロのオーケストラや音楽ホールでも、めったに用意できない聞き比べです。
「歴史が生まれ変わる瞬間に立ち会う」
それが、このプロジェクトで皆さまに体験していただきたいことです。
リターンについて

ご支援いただいた皆さまと、この貴重な音色の体験を分かち合いたいと考えています。
現地で一緒に体験する
2026 年「風の音楽祭」ビフォア演奏(現在の音)限定チケット
2027 年 ピアノ修復後の「風の音楽祭」限定チケット
Cafe Cove でのお食事・ドリンクチケット
ご自宅で能登を楽しむ
「風の音楽祭」2026・2027 年 オンラインチケット
珠洲の特産品
オリジナルグッズ
リターンなしの純粋応援
お礼のお手紙と、能登の観光情報をお送りします!いつか現地に来てください!
スケジュールとご支援の用途

・ 2026 年 10月:CAMPFIRE にてプロジェクト公開
・ 2026 年 10月25日:クラウドファンディング終了
・ 2026 年 11 月 29 日:第4回「風の音楽祭」にて「今の音」によるビフォア演奏
・ 終了後、速やかに本格オーバーホールへ着手
・ オーバーホール後、Cafe Coveに設置
・ 2027 年 11月:「風の音楽祭」にて修理後のアフター演奏
能登の未来と、さいはてのピアノ

令和 6 年能登半島地震から、珠洲市はまだ復興の途中です。多くの支援が全国から寄せられてきましたが、復興には長い時間がかかります。
石川県が策定した「創造的復興プラン」では、能登の未来にとって最も重要な課題のひとつに「関係人口の拡大」が掲げられています。一時的な支援ではなく、能登に何度も足を運び、関わり続けてくれる人を増やすこと。それが、能登が持続的に立ち直っていくための鍵だと、私たちは考えています。

このピアノは、その入り口になります。2026 年11 月 29 日の音楽祭、2027年の修復後アフター演奏会、その後はカフェでより多くの人と出会う──この歴史の音色を聴きに、能登へ足を運んでほしい。一度きりの被災地としてではなく、「また音を聴きに行きたい場所」として、珠洲市を記憶してもらいたいのです。
修復後は、地域の人と観光客が、コーヒー一杯を片手に音楽を通じて出会う。そんな日常の風景を Cafe Coveに取り戻したいと考えています。復興支援であると同時に、極上の音楽体験でもある。このピアノは、そのどちらも叶えてくれます。
さいはてのピアノをきっかけに、どうか能登にお越しください。
ご支援のほど、どうぞよろしくお願いします!
みなさまからの応援メッセージ






最新の活動報告
もっと見る
私は「エリーゼのために」まででした
2026/10/21 10:49クラウドファンディング終了まで、あと4日。達成率は61%になりました。ご支援いただいた皆さん、本当にありがとうございます。■今日は、少し恥ずかしい話をします。私は小学生まで、ピアノを習っていました。確か、3歳くらいから習い始めたような記憶があります。なにしろ「おぼっちゃま」でしたから・・・そして、最後に弾いた曲が「エリーゼのために」です。ミ・レ・ミ・レ・ミ・シ・レ・ド・ラ。あの有名な出だしです。私のピアノは「エリーゼのために」で止まりました。そして、そのまま40年近くがたちました。ピアノを習った方の中には「私もエリーゼで終わった」という方が、案外多いのではないでしょうか。みなさんの「私はここまで」エピソード、もしよかったら教えてください。■さいはてのピアノを弾いてみました先日、さいはてのピアノの前に座る機会があったので、弾いてみました。指が覚えていたのは、出だしだけでした。(右手)ミレミレミシレドラ(左手)ラミラ(右手)ドミラシ(左手)ミミソ(右手)ミラシド、くらいで終了です。いやはや、時の流れと言うのは残酷なものですね・・・笑ふと気になって、この曲のことを調べてみました。「エリーゼのために」は、ベートーヴェンが1810年ごろに書いた小品です。ところが、本人が生きているうちには世に出ていません。楽譜が見つかって出版されたのは、ベートーヴェンが亡くなってから40年もたった後のことでした。「エリーゼ」が誰なのかも、いまだにはっきりしていないそうです。誰にも知られずにしまい込まれていた曲が、見つけ出されて、いまでは世界中の子どもたちが最初に覚えるピアノ曲になっている。■「さいはてのピアノ」は、エリーゼみたいですねさいはてのピアノも、建物の「残置物」として、誰にも弾かれずに置かれていました。それが見つけられて、調べてみたら戦後8178番目の、時間をかけて作られた最後の世代の一台だった。埋もれていたものが、もう一度鳴る。そういうことは、曲にもピアノにも起こるようです。修復が終わったら、私も続きを練習しようと思います。40年止まっていた「エリーゼのために」を、生まれ変わったピアノで最後まで弾く。来年の「風の音楽祭」までに間に合うかどうかは、正直、自信がありません。でも、ピアノのほうは「手を入れれば必ず復活する」と、竹田さんが言ってくれました。あと4日です。どうか、このピアノにもう一度、最後まで曲を弾かせてやってください。ご支援と、シェアをお願いします。一般社団法人能登乃國百年之計 副理事長 岩城慶太郎 もっと見る
どうやってピアノを直すのか?
2026/10/18 21:27クラウドファンディング終了まで、あと7日。達成率は45%になりました。ご支援いただいた皆さん、ありがとうございます。今日は、このピアノをどうやって直すのか、について書きます。修理代は150万から200万円。「ピアノの修理にそんなにかかるの?」と思われた方もいるでしょう。私も最初はそうでした。新品を購入した方が安いんじゃないかとすら思いました。竹田さんがピアノの中身を引き出して見せてくれたとき、鍵盤1本につき、木とフェルトと金属でできた小さな機械が1つずつ、ぶら下がっていました。鍵盤を押すと、この機械がハンマーを跳ね上げて、弦を叩く。88本の鍵盤に、88個の機械。これが「アクション」です。オーバーホールは、これを一つずつ診ていく仕事です。弦は、88鍵で230本ほど。全部張り替えます。弦を巻き取っているピンも、錆びているので抜いて交換します。ハンマーのフェルトは、70年叩き続けて固く潰れているので、新しいものに貼り替えます。湿気でやられた部品は、他の中古ピアノから外した健全なものと差し替えます。鍵盤の下のクロス、ペダルのクロスも取り替えます。一度全部ばらして、組み直す。沖縄で同じ型のピアノを修復した工房は、これにまる一年かけていました。200万円は、部品代というより、この一年分の手仕事の値段です。そして、ここが大事なところですが、全部を新品にするわけではありません。響板と呼ばれる、音を響かせる大きな木の板は、当時の国産のエゾ松のまま残します。このピアノの音の素は、ここにあります。70年かけて乾いた木は、いまでは手に入りません。新しくするのは、擦り減った部分。残すのは、育った部分。11月29日の「風の音楽祭」で、手を入れる前の音を聴いてください。来年の11月、手を入れたあとの音と聴き比べてください。何が変わって、何が変わらなかったか。それを一緒に確かめるのが、このプロジェクトです。あと7日。引き続き、ご支援とシェアをお願いします。 もっと見る
「さいはてのピアノ」のお値段のハナシ
2026/10/16 11:29前回の報告で、さいはてのピアノが「戦後8178番目のピアノ」だとお伝えしました。あの日から、どうにも気になって、夜な夜な調べていました。分かったことを3つ、お話しします。1. いちばん最初の一台でしたフレームに刻まれた「No.25」は「25号」という型番です。ヤマハの公式記録によると、25号が作られていたのは1949年8月から1953年まで、たった4年あまり。1954年には「G3」に代替わりし、それが今の「C3」、ヤマハで一番売れているグランドピアノにつながっていきます。つまり、さいはてのピアノは、その血筋のいちばん最初にいる一台です。※「C3」についてはこちら↓をご覧くださいhttps://jp.yamaha.com/musical-instruments/pianos/products/grand-pianos/espressivo/2. 当時は家が建つ値段でした発売当時の値段は47万円。その年の国家公務員の大卒初任給が、月4,223円。初任給の9年分です。いまの初任給に当てはめると、およそ2,800万円。家が建ちます。ちなみに、同じ血筋のいまのグランドピアノは300万円弱。当時は、その10倍も遠い存在でした。廃校になった学校から来たと聞いていますが、この一台を珠洲に入れた人は、相当な覚悟だったはずです。3. ゆっくり作られた最後の世代でした当時のピアノは、木を落ち着かせるために、出荷まで1年半ほど寝かせていたそうです。ところが1956年、ヤマハは木材の乾燥を自動化します。それまで3か月から1年かかっていた工程が、半日から4日に。ここからピアノの大量生産が始まります。さいはてのピアノは、その直前の生まれ。時間をかけて作られた、最後の世代です。4.そして、仲間がいました沖縄の工房が、同じ4万番台の25号を、まる一年かけて修復していました。弦を全部張り替え、塗装をはがして塗り直し、部品を一つひとつ替えて、今年4月に完成。70年以上前のピアノが、ちゃんと息を吹き返している。竹田さんの「手を入れれば必ず復活する」という言葉を、もう一度かみしめました。珠洲と沖縄。日本の端と端で、同じ頃に生まれた兄弟が、それぞれ次の出番を待っています。残り9日です現在54名の方から57万8,100円、目標の28%です。正直に言います。まだ足りません。戦後8178番目のピアノに、もう一度歌わせてやってください。ご支援と、シェアをお願いします。 もっと見る





コメント
もっと見る