注目のリターン
飛生は、40年間同じ場所ではありませんでした。
北海道白老町の山あいにある、旧飛生小学校。
1986年、この場所をアーティストたちが共同アトリエとして使い始めたことから、飛生アートコミュニティーは始まりました。
開校10周年当時の飛生小学校
それから40年。
人が入り、人が離れ、新しい世代が加わる。作品が生まれ、祭りが生まれ、森の風景も変わっていく。
飛生は、同じものを40年間守り続けてきた場所ではありません。
その時々にいる人たちが、この場所を受け取り直しながら、何度も姿を変えてきました。

学校だった飛生から、共同アトリエへ
飛生アートコミュニティーが生まれる前、この場所には飛生小学校がありました。
地域の子どもたちが通い、校舎や周囲の森で過ごしてきた学校は、児童数の減少によって1986年に閉校します。

その同じ年、旧校舎をアーティストたちが共同アトリエとして使い始めました。
最初から「地域をアートで活性化しよう」と始まったわけではありません。きっかけは、大きな作品をつくるための広い制作場所がほしい、というシンプルなものでした。
けれど、そこに少しずつ人が訪れ、展覧会や音楽の時間が生まれます。
飛生は、制作するための場所から、人が集まり、出会う場所へと変わり始めました。

場所をひらき、森へ
2000年代に入ると、次の世代のアーティストたちが飛生に集まり始めます。
2009年には「飛生芸術祭」が始まり、2011年からは「飛生の森づくりプロジェクト」もスタートしました。
校舎の中だけでなく、森に道をつくり、作品をつくり、音楽や祝祭の時間をつくる。
そこにはアーティストだけでなく、さまざまな仕事や暮らしを持つ人たちも加わっていきました。
飛生は、作品をつくるためのアトリエから、場所そのものをみんなでつくる活動へと少しずつ変わっていきます。
photo : Kai Takihara


Photo : Ryoichi Kawajiri
40年続いたからこそ、見えてきたこと
飛生を取り巻く環境も、この40年で大きく変わりました。
地域では人口減少や高齢化が進み、活動を支えてきたメンバーたちも、それぞれ仕事や暮らし、年齢を重ねています。これまでと同じ方法を、そのまま続けていくことが難しくなっているのも事実です。
けれど、私たちはそれを「飛生を守らなければならない」という話だけにはしたくありません。
飛生はこれまでも、人が入れ替わり、活動の形を変えながら続いてきました。
40周年を迎える今は、もう一度この場所を見つめ直し、次の飛生がどんな姿になっていくのかを考える時期なのだと思っています。
Photo : Asako Yoshikawa
2026年、過去と未来を考える
今年の飛生芸術祭は、9月5日から13日まで開催します。
40周年という節目にあわせて、これまでの飛生や地域の記憶を振り返る展示やトークを行う一方、現在の森や作品、新しく参加する若いアーティストたちの表現も紹介します。
テーマのひとつは、「過去と未来」。
懐かしむためだけではなく、これまで何が起きてきたのかを知ることから、これからの飛生を考えてみたい。
そして、この芸術祭で交わされる言葉や、新たに生まれる風景も、今回つくる一冊の大切な材料にしたいと考えています。
2026年のフライヤー illustration : Mitsugu Aikawa Design : Shie Sato
「僕らは同じ夢をみる」——なぜクラウドファンディングなのか
飛生の40年は、運営メンバーやアーティストだけがつくってきたものではありません。
森づくりに参加した人、芸術祭や祝祭を訪れた人、地域で暮らす人、遠くから応援してくれた人。それぞれの中にも、「飛生の記憶」があります。
2011年から続く飛生芸術祭には、「僕らは同じ夢をみる」という言葉があります。同じ場所にいても、見ている風景や残っている記憶は一人ひとり違う。それでも、それぞれの記憶が重なりながら、飛生という場所はつくられてきました。
2015年の開催時フライヤー illustration : Saki Takihara
皆さんの飛生の記憶も、冊子に。
今回の冊子では、過去の資料や関係者への取材に加えて、クラウドファンディングや今年の芸術祭を通して、皆さんの「飛生の記憶」も集めます。
忘れられない風景や出来事、なぜか今も覚えていること。そうした一人ひとりの記憶を「それぞれの飛生(仮)」として、一部を冊子に掲載する予定です。
このクラウドファンディングを、冊子を支えていただくだけでなく、飛生の40年をみんなでもう一度見つめる機会にできたらと思っています。
Photo : Asako Yoshikawa
50万円集まらなければ、この本はつくりません
今回の目標金額は50万円です。
このクラウドファンディングは、目標金額に届かなければ支援が成立しない「All-or-Nothing方式」で実施します。
40年分の記録を一冊の本として形にするには、それなりの時間と費用が必要です。
だから今回は、集まった金額の範囲で小さくつくるのではなく、50万円を冊子制作の最低ラインとしました。
いただいたご支援は、取材・編集、デザイン、写真や資料の整理、印刷・製本、発送、クラウドファンディング手数料などに充てます。
50万円を超えるご支援が集まった場合は、取材や掲載資料、ページ数、印刷・装丁などをさらに充実させ、より多くの記憶を残せる一冊を目指します。
Photo : アキタヒデキ
どんな一冊をつくるのか
今回の冊子では、40年の出来事をただ年表のように並べるのではなく、飛生がどのように姿を変えてきたのかを、写真や資料、人の言葉からたどります。
予定している内容は、
〇 飛生小学校だった頃の記録
〇 1986年、共同アトリエが始まった頃
〇 飛生芸術祭や森づくりの歩み
〇 過去の写真やアーカイブ資料
〇 これまで関わってきた人たちの声
〇 現在のメンバーと、今年新たに加わった若い世代の声
〇 皆さんから集める「それぞれの飛生」
〇 そして、これからの飛生について
などです。
A5判・32ページ以上、一部カラーでの制作を予定しています。
完成は2027年春頃を目指していますが、急いでまとめるのではなく、今年の芸術祭で生まれる言葉や風景も含めながら、時間をかけて一冊にしていきます。

リターンについて
今回は、支援額が上がるほどたくさんの品物が届く、というリターンにはしていません。
3,300円には、冊子の発送を伴わない「お気持ち応援コース」をご用意しています。
6,600円以上のコースでは、完成した40周年冊子をお届けします。
11,000円以上では、ご希望のお名前を冊子に掲載。
33,000円は、冊子制作そのものをより厚く応援してくださる方向けのコースです。
また、110,000円では企業・団体からの協賛を受け付け、冊子5冊のお届けと、企業名・団体名の掲載を予定しています。
いただいたご支援は、できるだけ取材や編集、資料整理、デザイン、印刷・製本など、一冊そのものをより豊かにするために使いたいと考えています。
詳しい内容は、各リターン欄をご覧ください。
「台風21号により倒れた木を立ちあげた後の集合写真」 Photo: カワジリ・リョウイチ
40年後の飛生を、まだ誰も知らない
40年前、旧飛生小学校をアーティストたちが使い始めたとき、今の飛生の姿を想像していた人はいなかったと思います。
森に道ができることも、芸術祭や祝祭が生まれることも、これほど多くの人がこの場所に関わることも、きっと最初から決まっていたわけではありません。
飛生は、何かを守り続けたから40年続いたのではなく、その時々の人や出来事を受け入れながら、何度も姿を変えてきました。
だから私たちにも、この先の飛生がどうなるのかはまだわかりません。
それでも今、一度これまでを振り返り、そこに残っている記憶や言葉を集めることはできる。
この一冊を、40周年を記念するためだけではなく、次の飛生を考え始めるための一冊にしたいと思っています。
飛生を知っている人も、これから知る人も。その時間に少しだけ加わってもらえたらうれしいです。
Photo : Asako Yoshikawa
最新の活動報告
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【飛生の40年】続けるために、形を変えた。(2021)
2026/09/28 13:3940周年記念誌の制作に向けたクラウドファンディングは、目標金額を達成しました。たくさんのご支援、本当にありがとうございます。現在は、より充実した一冊を目指して、引き続きご支援をお願いしております。クラウドファンディング終了まで、いよいよあと2日。第17回は、「続けるために、形を変えた。」______2020年。新型コロナウイルスの感染拡大によって、毎年続けてきた《TOBIU CAMP》を中止しました。一方で、飛生芸術祭は来場時間や人数を調整しながら開催。それまで当たり前だったやり方が、当たり前ではなくなりました。そして翌2021年。「今年はどうする?」森づくりの時間を使って、みんなで何度も話しました。いつもの形でやる。規模を小さくする。一日だけやる。今年もやめる。いろいろな考えがありました。その中で選んだのは、TOBIU CAMPをそのまま元に戻すことではありませんでした。一日限り。人数を限定し、内容も時間もぐっと絞る。そして名前も、《トビウの森と村祭り》新しい形の祝祭が生まれました。やってみると、そこにはこれまでとは違う飛生の時間がありました。大きくなくてもいい。たくさんのことを詰め込まなくてもいい。その時の自分たちにできる形を探しながら、集まり、つくり、楽しむ。続けることは、同じ形を守り続けることではない。飛生はこれまで、何度も形を変えてきました。変えることで、残るものもある。《トビウの森と村祭り》は、そんなことを改めて知った時間だったように思います。今回の40周年記念誌では、こうした出来事や写真、関わってきた人たちの声を一冊にまとめます。より充実した一冊にしていくために、クラウドファンディングでは引き続きご支援をお願いしております。 もっと見る
【飛生の40年】町の中に、“7年2組”が現れた。(2019)
2026/09/28 13:3840周年記念誌の制作に向けたクラウドファンディングは、目標金額を達成しました。たくさんのご支援、本当にありがとうございます。現在は、より充実した一冊を目指して、引き続きご支援をお願いしております。クラウドファンディング終了まで、あと3日。第16回は、「町の中に、“7年2組”が現れた。」______羊屋白玉さんと飛生、そして白老との関わりは、何年にもわたって続いていきました。2017年には、飛生で《GOOD MORNING, TOBIU!》を制作。翌2018年には約2か月間白老に滞在し、旧柏村旅館を舞台に《シラオイ・マッシュルーム・パビリオン》を発表しました。そして2019年。白玉さんは再び白老に滞在します。萩野地区に暮らしながら、町の人から話を聞き、一緒に歩き、その土地のことを全身で知っていく。そうして始まったのが、7年2組という架空の夜間学級、《トビウ小7年2組 萩野篇》でした。きのこ先生、キックボクシング世界王者、酪農家、産婦人科医。地域内外のさまざまな専門家を先生として招き、スーパーや金物店、公共施設、空き店舗など、白老の町のさまざまな場所を回遊する神出鬼没な学級です。ほかにも、子どもたちと町を巡るパレードや、生活介護施設を舞台にした「サウンドピクニック」などが行われました。アーティストが町に暮らし、人々と交流を重ね、その生活が地続きで、いつの間にか作品になっていく。町の人たちも少しずつ巻き込まれ、気づけば活動を一緒につくる側になっていく。どこからが作品で、どこまでが作品なのかも曖昧なまま、気づけばたくさんの人が白玉さんの周りを囲んでいました。その後も白玉さんは、《牛をめぐる冒険》など、白老で出会った人や場所から作品をつくり続けていきます。一度作品を持ってきて終わるのではなく、滞在し、また戻ってきて、関係を重ねていく。作品が終わっても、関係は終わらない。飛生がこれまで培ってきた関係づくりとはまた違う方法で、白玉さん独自の町との関わりが育っていきました。それは飛生にとっても、町と関わることについて、たくさんの気づきをもたらすプロジェクトになりました。今回の40周年記念誌では、こうした出来事や写真、関わってきた人たちの声を一冊にまとめます。より充実した一冊にしていくために、クラウドファンディングでは引き続きご支援をお願いしております。 もっと見る
【飛生の40年】森づくりのそばに、いつもいてくれた人
2026/09/27 12:4940周年記念誌の制作に向けたクラウドファンディングは、目標金額を達成しました。たくさんのご支援、本当にありがとうございます。現在は、より充実した一冊を目指して、引き続きご支援をお願いしております。クラウドファンディング終了まで、あと3日。第15回は、「森づくりのそばに、いつもいてくれた人。」______2010年、飛生芸術祭を訪れたキヨさんこと、川上清泰さん。翌2011年、森づくりを始める前に、国松希根太がキヨさんのもとを訪ねました。「森づくりをやりたい。学校林が荒れ果てている。どうしたらいいですか?」キヨさんは、「一度、見に行こう」と飛生へやってきました。そこから、長い関わりが始まります。白老で森や川など、自然環境に関わる活動を続けてきたキヨさん。初めて飛生の森を見たときは、校舎のまわりは整備されているけれど、森には枯れた木や倒れた木が多いと感じたそうです。そして始まった森づくり。当時のことを、キヨさんは笑いながら話していました。「みんな若かった。この若者たちは何ができるんだろうって不安はあったよ。事故だけは起こしたくないなって。」それでも、みんな文句も言わず、音を上げずに作業する。「これなら、なんとかなるかな」と思ったといいます。それからキヨさんは、森づくりのそばにいつもいてくれました。森のことを僕らよりずっとよく知っていて、僕らを導いてくれる賢者のようでもあり、誰より無邪気な少年のようでもあった。いつも同じ森にいて、同じように面白がっていた。キヨさんは、仲間そのものでした。キヨさんにとって、飛生でやっていたことは「森をつくる」ことではなく、自然との関わりを考えることでした。飛生の森は、小さな場所にたくさんの木が生えています。木々は競い合うように上へ伸び、やがて次の世代へと更新されていく。2018年に《Tupiu NEST》のある木が倒れたことも、木や森との関係を改めて考える出来事になりました。自然相手に、ひとつの正解はありません。人間は歩いて場所を変えられるけれど、木々は歩くことができない。だからこそ、人間が木々の関係を見ながら、どう関わるのかを考える。キヨさんは、そんなふうに森を見ていました。そして、こんなことも話していました。「飛生に参加して、自分の人生も変わったと思う。でも飛生も変わった。みんな一緒に変わった気がする。」ここまで深く関わるとは思っていなかった。「別に芸術家でもなんでもないから」と笑いながら、それでも時間もお金も費やしてしまうくらい、飛生は楽しい場所だったといいます。木も世代交代していく。人間もまた世代交代してほしい。それが自然なんじゃないか。そして最後に、キヨさんはこんなことを話していました。「自然相手って、正解はない。いろんなやり方があっていい。ひとつでもふたつでも、木々の想いみたいなものをつかみとれるか。そういう人たちの集まりであってほしいな。」森づくりのそばに、いつもいてくれたキヨさん。今回の40周年記念誌では、こうした出来事や写真、関わってきた人たちの声を一冊にまとめます。より充実した一冊にしていくために、クラウドファンディングでは引き続きご支援をお願いしております。 もっと見る





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