約1年半かけてつくってきたものを、ようやく皆さんにお披露目することができ、クラウドファンディングの応援やあたたかい言葉もいただいています。
本当にありがとうございます!
ゲームがこうして形になった今、あらためて振り返っていることがあり
今日はそれを綴っておこうと思います。
実は振り返ってみると、はじめからゲームを作りたかったわけではありませんでした。作りたかったのは、研修や対話へ向かうための、少しやさしい入口。そのためには何ができるだろう、どんなものがいいのかな、と模索を続けていたと言いますか。そもそも勉強や学ぶことが好きでなくても、難しい言葉を知らなくても、うまく話せなくても。話したり、聞いたり、笑ったりしながら、自分や誰かのことを少し知っていく。新しい知識が身につく。そんな時間をつくれたらと思っていたのです。
養生デザインに来ていただくまでに、少し時間と距離がありました
私はこれまで「ほどほど養生」というテーマで健康や養生のセミナー、企業研修、カウンセリングセッションなどを行ってきました。
参加してくださった方からは「もっと早く来ればよかったです」「ずっと来たいと思っていたけれど、参加するまでに勇気がいりました」「こんなにちょっとしたことで変われるんですね」と言っていただくことも、たくさんありました。
もちろん、そう言っていただけることはとても嬉しいです。
でも同時に私たちのところに来ていただくまでに、ずいぶん時間がかかっているんだなぁとも感じていました。
もちろんお客様、それぞれのタイミングがありますし、それをいますぐ来てほしい!とか、先を急がせる気持ちはありません。
ただ、どれだけ私たちが「ほどほどでいいですよ」「難しいことではないですよ」と伝えても、セミナーや研修という言葉を聞くだけで、身構えてしまう方もいらっしゃる、ということ。
特に企業研修の場合は、参加する皆さんがすべて「自分から学びたい!研修を受けたい!」と思って来てくださるとは限りません。
「仕事が忙しいのに、行かなくちゃいけない」「義務だから参加する」「研修かぁ。ちょっと面倒くさいな」そんな気持ちを持って参加する方も、きっといらっしゃると思うのです。そして、それが決して悪いわけではないのです。
私もサラリーマン時代は「研修です」と言われたら、抱えている業務と時間や優先順位のバランスを考えたり、ちょっと身構えたりしていました。
だからこそ、研修の内容をよくするだけではなく、その場に入るまでの気持ちを少し柔らかくするような、何かが必要なのではないかとずっと思っていたのでした。「研修なのに、自然と笑ってしまう」「勉強するつもりではなかったのに、終わったら何かに気づいている」「職場のための研修だけど、自分のための時間にもなってた」「研修のことを、帰ってから家族にシェアしたくなる」そんな、やさしい入口を作ることはできないだろうか。ずっとそんなことを考えていました。
言葉にすると、遠くなってしまう気がして
もう一つ私の中にあったのが、「ウェルビーイング」という言葉に対する印象やイメージ、理解のされ方への違和感でした。
私が暮らしている福井県は、「幸福実感日本一」を掲げています。
県庁の方と、ウェルビーイングをどのように広げていくかについてお話しする機会もありました。
実際「ウェルビーイング」という言葉を聞くと、「意識の高い人たちの話でしょう?」「自分には関係ないかも」「なんだか難しそう」と感じる人も、まだまだ多いのではないかと思います。
ウェルビーイングは、本当は特別なことではありません。
自分の気持ちに気づくこと。誰かの話を聞くこと。
一緒に笑うこと。
ほっとできる時間を持つこと。
そうした日々の暮らしの中に、すでにあるものだとも思っています。
それなのに、「ウェルビーイング」という言葉になった途端に、なんだか難しいものに見えてしまう。言葉を伝えようとすることで、かえって人が遠ざかってしまうような気がする。それが、私は少し嫌だったのと、それ自体に違和感を感じていたのでした。
少し話は変わりますが、私はもともとカタカナ用語があまり得意ではありません。英語ならまだわかるのですが、日本語で説明できることを、あえてカタカナで表現しているものに、ちょっとした苦手意識があります。(・・と言いながら、「ボードゲーム」もカタカナなのですが。)
なので、ウェルビーイングという言葉を覚えてもらうことよりも、まずは体験してもらう。知ってもらう。遊んで、話して、誰かの言葉を聞いたあとに「ああ、こういう時間もウェルビーイングなのかもしれない」と感じてもらう。そんな入口も作りたいと思っていました。
作りたかったのは、ゲームではなく
私の中にはじめからあったのは「研修や対話への入口を、もっとやさしくしたい」「ウェルビーイングを、難しい言葉を使わずに感じてもらいたい」という思いでした。
つまり、作りたかったのはゲームそのものではなく、人が身構えずにその場へ入っていける「入口」だったのだと思います。
そんなときに出会ったのが、このプロジェクトメンバーでもあるボードゲームクリエイター ちゃがちゃがゲームズの川口さんです。
私が考えていることをお話ししたとき、川口さんが「それ、ゲームでやってみましょうか」と提案してくれました。
その言葉を聞いたとき、私の中にあったものと、「ボードゲーム」という形が、バチッと重なったような感覚がありました。「それなら、やってみたい!」瞬間でそう思えたのです。最初からボードゲームを作ることが夢だったわけでも、明確な完成形が見えていたわけでもありません。でもずっと考えていたからこそ思いを話せる人と出会い、「こんな方法がありますよ」と提案してもらえたようにも思います。こうしてご縁とタイミングが重なって、ゲームづくりが始まりました。
同じ場所で、リアルに会って手を動かして話す
実際にゲームづくりが始まってから、川口さんとは約1年半にわたって何度も打ち合わせを重ねました。2週間に1回以上のペースで実際に会ったり、その合間にはオンラインで話したり。ファミレスに夜ごはんの時間から集まり何時間も「こうでもない」「ああでもない」「これはおもしろいかも」「いや、なんだか違う」と話し続けたこともありました。そういえば打ち合わせの後はドリンクバーでコーヒーを何杯も飲みすぎて、興奮も冷めやらずで眠れなかったなぁ、と思い出しています。

AIやデジタル化が進み、スマートフォン一つで、たくさんのことができるようになりました。
オンラインで会議ができることも、離れた場所にいる人とつながれることも、本当にありがたいことです。
でも一方で、誰かと実際に会って、同じものに触れながら話す機会は、少しずつ減っているようにも感じます。
チームで膝を突き合わせ、実際に手を動かしながらゲームを作る中で私はあらためて、アナログな時間のよさを感じることもできました。
相手の声を聞くこと。
表情を見ること。
同じものに触れること。
その場の空気を肌で感じること。
デジタルの時代だからこそ、あえて同じテーブルを囲み、食事の間はお互いの近況報告からはじめ食事が終わったら、実際に手を動かしながら話す。
きっと今ではタイパとしてはよくないと判断されることなのかも知れません。
打ち合わせのためにスイッチを入れ、すぐに本題に入り、話すことが終われば終了。
効率は良いのかも知れないけれどなんだか味気ない。
時間のムダ、と思われることは話すことができない。
そんな風潮にも疑問を感じることが少しずつ増えてきたのも、オンラインの会議が当たり前になってきた頃からでした。
そんな私の内情からボードゲームは、私が作りたかった「やさしい入口」と、とても相性のよいものでした。
「正しく学ぶ」より、遊びながら気づく
マイウェルツリーは、ウェルビーイングについて正しく学ぶためのゲームではありません。講師が答えを教えるものでも、上手に話せた人が評価されるものでもありません。
問いをきっかけに、自分のことを少し話してみる。
誰かの話を聞いて、「そんなことを考えていたんだ」と、初めて知る。同じ場所で過ごしている人でも、それぞれ違う景色を見ていたことに気づく。そうした小さなやり取りを、遊びながら体験するゲームです。講師と受講者。上司と部下。教える人と、教わる人。そうした肩書きや役割を、少しだけわきに置いて、同じテーブルを囲む。
説明されて理解するのではなく、遊んでいるうちに自分で何かに気づいていく。主役の人の面白さを知る。私は、ウェルビーイングを説明する教材ではなく、ウェルビーイングを感じられるゲームを作りたかったのでした。
そうして、思いがゲームになっていきました
こうして、時間をかけてルールや内容も遊んでは考え修正し、修正しては遊んで、また考える。それを繰り返して少しずつ頭の中にあったことがボードゲームという形になっていきました。

はじめから、完成した姿が見えていたわけではありません。
ただ、思いがあって、それを聞いて受け入れてくれる人と出会い、手を動かしながら一緒につくってきた。
その繰り返しが「マイウェルツリー」という形になりました。
約1年半。楽しいことばかりではなく、「これだと、あんまり楽しくない。おもしろいゲームになっていないな」と、みんなで黙り込んだ日もありました。
楽しいゲームを生み出す場なのに、その場の雰囲気が悪くなってしまったことも多々ありました。
今だから話せる、そんな出来事もあります。
また、そんなお話もこちらの活動報告でお付き合いいただけたら嬉しいです。
引き続き、どうぞよろしくお願いします!



