2018/11/26 12:45

小中学校の時「なかよし学級」という、知的障害のある子やクラスに馴染めない子達が入る”特別な”クラスがありました。


そのなかよし学級にいた志村くん(仮名にします)という男の子に強烈に嫉妬した記憶があります。


図工か美術のクラスで、粘土で好きなものを作る時間。
当時からものづくりの真似事みたいなことが得意だったぼくは、先生によく褒められました。

「みんな見てみー。古白川こんなんやっとるぞー。」

みんなが粘土でありきたりなものを作る中、粘土をねじったりちぎったり、裂いたり編んだり膨らませたり、他の生徒がしないことを沢山していたので、みんなの前で作品を紹介されて得意げになっていました。

へへへと鼻をこすりながら横を見ると、なかよし学級の志村くんが、粘土の下に敷いていた紙の広告を、ちぎり絵の様にして粘土に貼ったり、美術室に落ちていた押しピンや釘を拾って粘土の人形に刺したりしていました。


いびつながらも明らかな異彩を放つその粘土人形に思わず「やられた…」と思いました。

その手があったか!思いつかなかった…と、志村くんに軽い嫉妬をおぼえながら、教師に「先生見て凄いでコイツ〜。こんなことしとうでー!」と伝えました。

すると美術の先生は、

「志村お前なにしとんねん!今粘土の授業やろ!誰が勝手にこんなことしてええ言うたんや!すぐ直さんかい!」

と志村くんを怒鳴りつけました。
志村くんは怒鳴られて硬直し、萎縮しきっていました。


てっきり褒めるのかと思っていたので呆気に取られ、自分の中で何かが急激に冷めていくのと同時に、
「あぁ、俺の作ったもんは先生に褒められる程度のレベルのもんやったんやな」
と感じ、志村くんに強烈な嫉妬をおぼえました。

先生には怒られたけど、あの瞬間確実に感じた敗北感のようなものと、腑に落ちない疑問。

これは一体何のための授業なんや。
と子供ながらに感じたことを30歳を越えた今でも鮮明に憶えています。

情熱を注いで教育というものに向き合っている指導者が沢山いることは知っています。
学校に色んな事情があることも。


でも、学校の本来の目的って何なんだろう。
何のためにあるのだろう。


学校がもし、全ての創造性の源である「なんで?」を「そういうもんだから」に変えてしまう場所なんだとしたら、もはやそれは学校という形でなくてもいいのかもしれない。


人間はみんな未来に向かいたい。
気持ち良い、楽しい、嬉しい、心地良い方に向かいたい。

ものづくりにはモノだけでなく未来をつくる力がある。
ぼくたちはものづくりで未来をつくる。自分たちの目と手と足と頭で。


いつだって、学校でもなく、会社でもなく
「未来は僕らの手の中」に!

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