手段が目的になる
社会課題解決型のビジネスやボランティアは、目的が手段になってしまい「何のためにやっているのか」を忘れていきがちです。
事業ドメインや最終受益者と呼ばれるもので「本来の目的は何か」「誰にとって良いのか」という部分です。
問題を解決するために手段として生まれたはずのビジネスが、ビジネスを回すことが目的になり、問題を解決する気なんてさらさらないような団体も世界には沢山あります。
「誰かのために」
そんなん嘘です。
もしそれだけなら。
語弊を恐れずに宣言すると、ぼく達は「誰かのため」だけにやっているわけではありません。
好きだから、楽しいからやっているんです。
その上で、その結果として誰かのためになったり、社会のためになればそれに越したことはない。
クラウドファンディングで、君達の好きなこと楽しいことにお金を出すのか?
もっともだと思います。
でも。
この考え方の強みは「好きなことだから全力でコミットできる」という所にあります。
「誰かのために」が嘘でなくても、自分を犠牲にして誰かのために何かをするのには限界があります。
時間、お金、労力、限られた資源を、自分や誰かから得続けないといけないからです。
資源には限りがあります。いつか尽きます。
でも、湧き上がってくる気持ちは、尽きることがありません。
「好きだから」「楽しいから」という強烈にポジティブな理由に裏付けされているからです。
「誰かのために」が機能する唯一のケースは、
「誰かのために何かをすることが、自分の喜びと100%イコールで直結している場合」だと思います。
「自分の喜び」と「誰かの幸せ」がイコールになる状態。
「好きなこと」が「誰かのため」にもなる。
好きなことだから続けられる。
だから自分たちには
「寄付がなくなったので継続が不可能になりました。」
「資金が尽きたので撤退します。」
こんなことはあり得ないんです。
今まで何度も訪れた危機を自力で乗り越えてきたおかげで、ノウハウと地力が付きました。
売り物にならないものを何十個も何百個も作って、直して。
もしも何もない最初からクラウドファンディングなんてやっていたとしても、痛みは少なかった分、すぐに資金が尽きて終わりだったと思います。
一番辛い最初の時期を乗り切った今だからこそ意味があることなんです。
声をかけてくれる会社などができ、産業としてのアウトプットができました。
「可哀想な人達を助けるので代わりにお金をくれませんか?」ではなく、
「大好きな事楽しい事を一緒にすることで未来ができるヤツらが沢山増える。
そこにBETしてくれませんか?死ぬほどコミットします」ということです。
ちょっと偉そうに聞こえるかもしれない言い方ですが、全部本当のことです。
最初から全部本音で書いていこうと思います。
ぼくは自分が社会からドロップアウトした人間で、誇れるものは何もありません。
でも、同じような人間には少しだけ言えることがあるんです。
カンボジアで行っているものづくりを通して、
社会からドロップアウトした人間にも希望を与えたい。
道端で昼間からシンナー吸ってひっくり返ってるガキンチョにも、
お前にだって未来があるよって言うことを伝えたい。
運が悪くても、環境が悪くても、失敗しても、生きられる場所はある。
あいつみたいなバカでもできるんだから、俺だってできるはず!って思って欲しい。
一度失敗した人間でも再挑戦していいんだということを知って欲しい。
ぼくの夢は
「失敗しても、何か大きなことを諦めても、再挑戦する人が増える社会を作ること」です。
それをする時に、できれば自己犠牲だけではなく、自分たちや対象の人間が最高に楽しい!と思える方法でやっていきたいんです。
どうかご協力いただけませんでしょうか。
よろしくお願いします。