「サッカーのまち」藤枝市にある静岡県立藤枝東高等学校サッカー部のOB会・後援会です。藤枝東高では、今や世界的スポーツのサッカーを1世紀近くも前から「校技」と定めて全校で取り組み、数多くのプロサッカー選手を輩出してきました。

 

今回、8年前に完成した人工芝グラウンドの整備が急きょ必要となったため、プロの世界で活躍する選手たちの協力も得ながら、母校の後輩たちのために、サッカーの未来のために、クラウドファンディングに挑戦します。

 

 

 

藤枝東高とサッカーの歴史は、1924年、前身である旧制志太中の初代校長の錦織兵三郎が、「蹴球と呼ばれていたサッカーに着目して校技に指定したことから始まりました。錦織校長は全校生徒に「サッカー靴」を作らせ、登下校時にも履かせたと言います。2年後の1926年に、後にサッカー王国をけん引することとなるサッカー部が創部されました。

▲1926年 旧制志太中学校蹴球部

 

初めて全国の頂点に立ったのは、1957年の静岡国体でした。この優勝を皮切りに、冬の選手権大会で4回、高校総体、国体、全日本ユースでそれぞれ2回、計10回の全国制覇をしています。


▲1957年 静岡国体優勝パレード(藤枝市白子商店街)

▲1998年 全日本ユース優勝

 

日本代表選手も数多く誕生しており、古くは1936年のベルリン五輪の松永行、笹野積次の両選手に遡ります。1964年の東京五輪と1968年のメキシコ五輪には富沢清司、山口芳忠が出場し、2012年のロンドン大会では今回のプロジェクトメンバーの一人でもある村松大輔が選ばれました。

ワールドカップ代表としては、中山雅史と長谷部誠が挙げられます。中山は、日本が初出場した1998年のフランス大会と2002年の日韓大会で活躍、フランス大会で日本人初ゴールを記録しました。長谷部は2010年の南アフリカと2014年のブラジルの両大会代表で共にキャプテンを務め、2018年のロシア大会でも、チームを引っ張っていってくれることでしょう。

▲2010年 ワールドカップ南アフリカ大会後に来校した長谷部誠


 

 

 

 <高校時代に印象的だったことは?>

ここまでやってこられたのは、高校時代に藤枝東高校サッカー部にいたからこそだと思っています。1年生で練習試合に出た時から、当時の鎌田監督には、ボールを取られたら取り返せと言われ続けました。切り替えの速さや、負けないで食らいつく、諦めない、ということを叩き込まれました

また、ある先輩を例に出して、「上手くなる選手には2通りいる」と言われたことを覚えています。最初から技術や体力に秀でた人と、自分で努力して練習して積み上げていく人がいる中で、日本代表にまでなったその先輩は後者だったそうです。先輩のように、常に努力することを自分に言い聞かせ、自ら成長していかなくてはいけないと絶えず言われていました。高校時代は、本当にいろいろなことを教えてもらい、自分を成長させるヒントをもらったと思います。


▲1985年 当時のチームメイトと中山雅史(後列中央)、鎌田監督(右端)

 

<人工芝グラウンドで練習している後輩たちに向けて一言>

藤枝東のグラウンドが人工芝になったのはとても良いことだと思いますが、少し寂しさも感じています。自分のときは土だったので、1年のときは昼休みに食事もせずに、土の中でグラウンド整備をしていました。

そうしてこれまでさまざまな思いでボールと共に走り続けた先輩がいて、人工芝の下にはその先輩たちの血と汗と涙が染みこんでいるので、その上に「今」を積み上げて新しい歴史を作っていってほしいと強く感じます。時代によって新しい方法やシステムが生まれ、さらに成長するための変化も必要になりますが、そこに向かうための「魂」は先輩たちがグラウンドに残してくれています。人工芝は表面をコーティングしているものであり、そのグラウンドには先輩がずっと積み上げてきた魂が込められていることを感じてください。

そして、人工芝が整備されたより良い環境の中で、強い選手に、強い人間に、藤枝東として誇れる人間になってくれることを願っています。

 


▲1985年 高校サッカー選手権準決勝での中山雅史(国立競技場)

<1986年卒:ヤマハ発動機、ジュビロ磐田、コンサドーレ札幌、アスルクラロ沼津>

 

 

 

校技のサッカーを90年以上支えてきた藤枝東高のグラウンドはサッカー仕様で、天皇杯の舞台にもなり、1957年の静岡国体の際は天覧試合も行われました。コンクリートの観覧席だけでなく、松の木によじ登って試合を観戦したという昔からのファンもいて、多くの市民にも親しまれてきました。 

 

 ▲1957年 天皇皇后両陛下を迎えて行われた静岡国体(藤枝東高グラウンド)

 

ただ、日本の学校ならではの全面「土」だったため、雨が降れば水はけが悪くて泥田状態になり、乾けば風の強い日には砂ぼこりが舞い上がり、サッカー部の活動だけでなく、体育の授業にも支障をきたしてきました。

 


▲2001年 県高校サッカー新人戦 泥の中で果敢にドリブルする成岡翔(藤枝東高グラウンド)

 

そこで、検討されたのが人工芝化構想でした。2008年7月に実現に向けた実行委員会が発足し、2009年3月に待望の人工芝グラウンドが完成、かつて競い合った帝京高校(東京)を招いた記念試合で誕生を祝いました。冬でも緑一色のグラウンドは、サッカーの藤枝東高の存在を一段と際立たせてきました。 

▲完成した当時の人工芝(藤枝東高グラウンド)

 

ところが、新たな問題が浮上しました。人工芝の劣化です。8年間にわたってサッカー部の活動に、あるいは体育の授業にとフル回転していたため、人工芝が予想をはるかに上回る速度で傷み始めました。全体に黒ずみ、摩耗も目立ち出しました。あちらこちらに凹凸ができ、滑るように繋がっていたパスが波打つようになりました。荒れた表面に足を取られ、骨折事故も発生しました。


▲浮いて引っかかってしまうゴール前や、埋めた隙間や”つぎはぎ”が目立つ現在のグラウンド

 

こうした状況に、人工芝の整備に踏み切ることとなり、再び結成された実行委員会による募金活動が始まりました。サッカー部OB会・後援会ではこの趣旨に賛同し、より多くの方に知ってもらうために「クラウドファンディング」に挑戦して、母校のグラウンド再生を後押ししようと考えました。そして、プロの世界で活躍するOBの選手たちも、この思いに強く賛同してくれました。

 

 

 


 

<サッカー部で汗を流したグラウンドでの思い出は?>

東高のグラウンドでは、全体練習が終わった後によく仲間たちとフリーキックの練習を遅くまでやっていた記憶があります。一年生の時には「ライン係」だったので、誰よりも早くグラウンドに来てラインを引いていましたね。

▲2001年 高校総体県大会で市民に見守られプレーする長谷部誠(藤枝東高グラウンド) 

 

<高校時代を振り返り、今のサッカー人生に繋がっていることは?>

厳しい走り込みで体力的に基礎となるものが出来上がりましたし、プレー面ではのびのびとアイデアを大切にするというスタイルのもとサッカーを愉しむということを学びました。それは今に繋がっていると思います。 

 

<人工芝グラウンドで練習している後輩たちに向けて一言>

人工芝になったのは卒業後のことですが、素晴らしい環境の中でトレーニングや試合ができるいまの生徒たちは本当に恵まれているなと思います。まずは多くの方々と共に安全な人工芝を再び取り戻して、この環境を当たり前と思わずに、感謝の気持ちを持って頑張ってください。

 

▲2001年 高校総体県大会決勝ではPK戦を制して優勝、全国でも準優勝に輝く(エコパスタジアム)

<2002年卒:浦和レッズ、VfLヴォルフスブルク、1.FCニュルンベルク、アイントラハト・フランクフルト(ドイツ)>

 

 

 

藤枝東高の人工芝グラウンドは、サッカー部のためだけに存在するのではありません。平日の使用状況を見てみると、午前8時40分から午後3時20分まで一般生徒が体育の授業で使用し、午後4時から6時30分までサッカー部が練習します。ちなみに体育の授業は大半がサッカーで、女子生徒も専用サッカーシューズを履いて、グラウンドを走り回ります。夜になると藤枝東FCの小中学生やОBなどの市民に開放されています。さらに土日や祝日はサッカーの公式戦や練習試合の会場になり、年間フル稼働状態です。実際の使用率を見ても、授業53%、サッカー部30%、その他17%と、「みんなのグラウンド」として活躍しているのです。

▲クラスごとのユニフォームでサッカーを中心に盛り上がる校内大会

 

この人工芝は学校後援会の所有物であり、今回の整備には5000万円近い資金が必要となります。そこで、2017年夏、藤枝東高の学校後援会(北村正平会長)、サッカー部後援会(河村正史会長)、同窓会(小山明良会長)、サッカー部OB会(岩田要司会長)、サッカー部父母の会(曾根良祐会長)による藤枝東高校運動場人工芝整備実行委員会が立ち上がりました。

現在も同窓生を中心に募金を行っていますが、その資金はまだまだ不足しています。しかし、芝の状況を考えると今度の春にはどうしても芝の整備を行う必要があり、卒業生やサッカーファン一人ひとりの力を信じ、プロ選手やさまざまな世代のOB・OGの協力によって、本プロジェクトへと発展しました。また、『キャプテン翼』の高橋陽一先生にもご賛同いただき、リターン品にてご協力いただくこととなりました。

なお、今回は当初予想よりも早く整備の必要性が生じたことで急ぎ資金が必要となりましたが、今後については学校や各会と相談しながら、整備のための費用も計画的に準備していくことになっています。

 

 

 

 

<藤枝東高サッカー部で印象に残っている場面は?>

 2001年、高校2年生の時のインターハイ静岡県予選決勝がとても印象に残っています。エコパスタジアムが2002年ワールドカップに向けて完成した年で、素晴らしいスタジアムで1万人以上の観客の中でプレーさせてもらったこと、全校応援の大きな後押しをいただいて、PK戦で11人目までもつれながら優勝できたあの瞬間は、今でも脳裏に色濃く残っています。厳しい戦いで勝ち取った県予選の勢いのまま、全国大会でも準優勝という結果を出すことができました。 

振り返ってみると、後にJリーガーとなる選手が6人とメンバーも充実していて、全校応援で東高の生徒や先生方みんなに応援してもらいながらプレーする高揚感、また、期待に応えたいというプレッシャーを前向きな力に変えて結果を出していくという、素晴らしい経験をさせてもらいました。

▲2001年 高校総体県大会決勝 大井健太郎(エコパスタジアム)

 

<藤枝東高の「校技」がサッカーであることを実感したことは?>

藤枝東高ではサッカーが大好きな生徒、サッカー部を応援してくれる生徒や先生方が非常に多く、私たちは常日頃から多くの力をもらっていました。サッカー部が良い結果を出せば、みんなが祝福してくれて、近所の方も声をかけてくれます。東高のグラウンドで試合があるときは、練習試合、公式戦にかかわらず多くの方が見に来てくれました。学校の中だけではなく、地域の方も含め、サッカーへの愛の深さを感じましたね。
また、男子の授業の多くはサッカーで、みんながサッカー経験者であるかのようにレベルが高く、真剣勝負が行われます。私たちも気を抜いて軽いプレーなどできない雰囲気です。これもまたサッカーが校技であると実感するところでした。

<2003年卒:ジュビロ磐田、湘南ベルマーレ、アルビレックス新潟、ジュビロ磐田>

 

 

 

高校サッカー選手権の4回をはじめ、全国制覇10回を数える藤枝東高。しかし、1998年度の全日本ユースを制したのを最後に、全国優勝からは遠ざかっています。2007年度の選手権では決勝に進出して、国立競技場のスタンドを藤色で埋め尽くし、それは壮観でした。でも、V決戦に敗れ、全国の頂点に立つことはできませんでした。

 

▲2008年 藤色に染まった選手権決勝のスタンド(国立競技場)

 

その後、残念ながら全国の舞台での躍動からは遠ざかっています。「古豪」「伝統校」の冠は付いても、「強豪」とは言えないのが現状です。しかし、全国で輝くことこそが藤枝東高の本来の姿です。

▲2015年 全国高校サッカー選手権に出場(駒沢陸上競技場)

 

静岡のサッカーも低迷しています。かつては実績を積み重ね、「王国」と言われたこともありました。そして、その担い手は藤枝東高でした。やはり、サッカー王国復活に藤色パワーは欠かせません。藤枝東高には王国をけん引する姿が一番似合うのです。その姿を見ることを、私たちは何より期待しており、同じ気持ちを持つ方々と共に応援し続けたいと思っています。 

 

 

 


<藤枝東高サッカー部で印象的だったことは?>

3年の春に南米遠征に行かせてもらったことです。メキシコとアルゼンチンに3週間ほど行きましたが、サッカーをする環境の悪さに驚きました。ただ、その中でも上を目指し努力する姿からハングリー精神を学び、自分たちの環境の良さにも気づく機会になりました。遠征の最後にボカ・ジュニオールの同年代と試合をしましたが、大人のような体格で、全く歯が立たず大差で負けました。世界のレベルの高さを肌で感じ、目を覚まされた試合になりました。これ以降、国内の高校年代相手では負け知らずで、唯一負けたチームは流経大柏高校だけです。 

▲2008年 流経大柏高校との選手権決勝での河井陽介(国立競技場)

 

<河井選手たちの選手権決勝から全国での躍進が途絶えていますが、最近の藤枝東に足りないことは?> 

後輩たちの試合の結果は、常に気にしています。早い段階で負けると残念ですし、藤枝東高のサッカーを観られる機会も減ってしまいます。最近の藤枝東高は、全国大会に出る機会や全国で勝ち上がる機会が減っており、全国制覇や全国トップレベルの成績を明確な目標として描けているのかが気になります。

明確な目標を描くことで、練習、試合、私生活への姿勢が変わってくると思います。明確な目標を持つためにも、どんどんレベルの高いチームと試合をしてほしいです。負けたとしても、目指すレベルを肌で感じられますし、勝てたら自信にも繋がり、力もつくと思います。

県内では決勝に出ることが当たり前という姿勢で戦ってほしいですし、全国大会に出ることは後輩にも繋がっていく大事なことなので、まずは全国大会のチャンスを掴み、出るだけでなく全国に「藤枝東」の名をとどろかせてほしいと思います。 

<2008年卒:清水エスパルス>

 

 

 

今回のプロジェクトを指揮する服部康雄元サッカー部監督は、現在プロとして活躍する多くの選手達の指導者として1995年から13年間サッカー部監督を務めました。自身も、東高選手時代には2年連続で選手権準優勝を果たしています。

▲教え子や後輩の活躍に期待する服部康雄元監督(藤枝東高グラウンド)

 

<藤色のユニフォームに思うことは?> 

私は藤枝東高グラウンド横にある藤枝小学校でしたので、幼い頃から藤枝東のグラウンドに遊びに行ってはサッカーを教えてもらいました。当時、東高サッカー部も高校三冠王を取り全盛時であったため、幼心に高校生になったらあの藤色のユニフォームを着て高校チャンピオンになるのだと心に誓ったものでした。晴れて高校入学後、初めてユニフォームを着て試合に出場した時の喜びには格別のものがありました。

そして、監督として母校に赴任が決まった時には、伝統ある藤枝東の監督として大きな不安に包まれましたが、同時に、決まった以上は自分の色を出しながら挑戦し、サッカー部OB・現役・同窓生が一緒になって大きな器の中で校歌を歌わせるのが使命である、と自らに言い聞かせました。今も、かつて憧れた藤色のユニフォームが、再び全国のファンの目に焼き付く日を心待ちにしております。 

 

<今回のクラウドファンディング挑戦にあたって>

多くの卒業生はもちろんのこと、いつも応援してくれる地元住民や市民、また藤枝東高を愛する多くのファンの皆様は、今一度全国の舞台で活躍する藤枝東イレブンを応援したいと日々祈念いただいていることと思います。監督・スタッフ・選手一同は、その想いに応えようと一生懸命に練習・試合に打ち込んでいます。

我々OB会・後援会ができることは、思い切りサッカーに取り組める環境の整備だと考えています。凹凸のない、雨の日でもサッカーが気持ち良くできる人工芝の改修資金調達を、同窓生はもちろんのこと、賛同する藤枝東サッカー部ファンやサッカーを愛する皆様の熱意で成功に導きたいと考えております。目標金額も大きく、達成にはきっと困難もありますが、卒業生はじめ、サッカーを通して多くの絆を結びつけ、サッカー部や後輩たちのためご協力いただきたいと思います。

アナログな私ですが、より多くの方から共感を得て整備したいと考え、若い教え子たちと協力して今回このクラウドファンデイングを立ち上げました。OBを代表して、中山・石川・長谷部・成岡・大井・岡田・山田・河井・村松などの選手たちも趣旨を理解し、全面的に協力を申し出てくれました。力強い賛同者の協力も得ました。あとは、藤枝東高校とサッカーの未来を応援する皆様方の情熱を待つばかりです。是非、多大なるご協力をお願いいたします。

 

<1974年卒:藤枝東高サッカー部監督(1995~2008年)>

 

 

 

人工芝整備の全体経費5,000万円の内、1,000万円をFAAVOにて募ります

 ・リターン品の制作、発送・・・100万円

 ・FAAVO手数料・・・200万円

⇒必要経費を差し引いた全額を、藤枝東高校運動場人工芝整備実行委員会へ寄付

 

 

 

2017年12月・・・プロジェクト開始

2018年3月10日・・・プロジェクト終了⇒必要経費を試算し、残金を募金へ

2018年3月末・・・ミニフォトブック・HPへのお名前修正締切

2018年6月頃・・・支援者様へリターン品の発送

2018年7~8頃・・・人工芝の整備工事(予定)※夏休み

 

 

 

ミニフォトブックは、A5サイズフルカラーで36ページ程度を想定しています。OBプロ選手の写真やサッカー部の歴史などを、本プロジェクトオリジナルで編集した限定品です。

10,000円以上でご支援いただいた方のお名前を、ミニフォトブックとサッカー部OB会・後援会ホームページ(来春公開予定)に掲載させていただきますので、下記の注意点をよくお読みください。

 

①掲載するお名前は、基本的には、FAAVO会員登録時に使用した「公開名」(=「応援コメント」で表記される名前)です。匿名希望(掲載希望無し)や複数申込で申込者以外の名前を希望される方は、備考欄に必ずその旨をお書きください。

※リターン品発送先の宛名のお名前は反映されません。

 

②支援コースにより、掲載される文字のサイズが異なります。

   10,000円・・・小

   30,000円、100,000円、300,000円・・・大

 

③同じ文字サイズ内での掲載順序は、支援した日時が早い順となります。

 

④目標金額に達した場合、募集期間終了後のレポートに掲載名一覧を掲出いたします。もし、支援申込済でもお名前がない場合、または修正が必要な場合は、3月末までにメールでご連絡ください。

※支援申込後も、3月10日の締切までは、ログインして「アカウント設定」で公開名の変更が可能です。

 

※レポートをアップすると、支援者様に「新規レポートUP」のメールが届くようになっています。パソコンからのメールを受け付けない設定にしている場合は、設定解除をお願いします。

 

※ご支援にあたってのよくある質問は、こちらのQ&Aをご覧ください。

 

レポートでもOB選手やサッカー部の様子をお伝えします。
是非ご支援を宜しくお願いします。

  • 2018/09/24 23:46

    爽やかな秋晴れというより、まだまだ暑さも残る中、昨日23日、無事に新人工芝グラウンドの完成式典が行われました。主催は、同窓会や後援会など5団体からなる藤枝東高運動場人工芝整備実行委員会です。 式典は13時に、河村正史副実行委員長(サッカー部後援会長)からの完成報告で始まり、藤枝市長でもあるO...

  • 2018/09/10 23:03

    昨日9日、現役サッカー部員の皆さんが、返礼品の発送作業を行いました!服部元監督の一言を皮切りに、80名を超える生徒が、驚くほど真剣に取り組みました。 一生懸命ながらも慣れないことで、上手くできていないものもあるかもしれませんが、このひたすらな思いも伝わったら、関係者一同うれしく思います。 ...

  • 2018/09/08 16:24

    ついに、藤枝東高の人工芝整備が無事に完成しました!素晴らしいピッチです!!青々と新しくなったこのグラウンドで、サッカー部も在校生も、伸び伸びと安心してサッカーを楽しむことができることでしょう。このプロジェクトをはじめとする多くの皆さんのご支援・ご協力のおかげです。本当に、本当に、ありがとうござ...