【残りあと20日を切りました!】ネクストゴールを目指します!

昨年の冬至からスタートしたあしたの箱の店舗プロジェクトは、応援してくださる皆様の
かなり迅速な!ご支援のおかげで、20日を残して早くも120%を達成することができました。
たくさんのメッセージもほんとうにありがとうございました。
なかなかお一人お一人に返信するのが追いつかずで悔しい限りですが、
残りの日数いっぱいまで、次のネクストゴールを目指すべく全力を注ごうと思っています。
活動報告にも少し書かせていただきましたが、ネクストゴールの詳細をただいま細部調整中です。
近日中に詳細公開させていただきますので、引き続き応援をどうぞよろしくお願いいたします!




みなさまはじめまして。
そして、恵比寿時代にお世話になったみなさま、お元気にされていますか?
あしたの箱の店主、松平映子と申します。

2016年に恵比寿で間借りのチキンカレー専門店「あしたの箱」をスタートして、2018年に神奈川県真鶴半島に移住。
それから6年間、真鶴で暮らしながら、あちこち旅をするようにカレー営業をしてきましたが、今年に入ってすぐにある物件との出会いがあり、はじめて実店舗に向けて動き出しました!


人気者の鹿のロゴと定番チキンカレー。さらし玉ねぎをたっぷりかけて。

真鶴に引っ越してきて、とにかく人や食材の豊かさにびっくりしたわたしは、この6年間、夢中でカレーを作っていました。
気がついたら、恵比寿で定番だったオリジナルチキンカレーに加えて、真鶴でとれた新鮮なお魚や、干物、柑橘を使ったカレーやアチャール、近隣の新鮮で美味しいお野菜を使ったスパイスプレート、竹筒で作るビリヤニなど、メニューも賑やかになっていました。

それは暮らしそのものがカレーになっていくという感覚でした。真鶴半島で、そんなカレーをみなさんに食べていただきたい!そう思う中で、今回の物件に出会いました。

それは二階建ての一軒家で築50年。あちこち痛んでいて、それなりに修復が必要です。さらに床が7センチほど傾いている⁉︎
でも、大通りから一本入った背戸道にたたずむ、かわいい柵と木に囲まれた素敵な一軒家です。
手持ちの資金では足りず、紆余曲折した結果、クラウドファンディングに初めて挑戦することとなりました!どうかみなさまのお力をお貸しください‼︎


<店舗予定物件の現状><寄って見た図>

<引いて見た図>


<補修必要箇所>


<店舗予定設計図>


1階部分が店舗スペース。2階は事務所と在庫スペースになる予定です。奥の客席部分が16畳と広いので、お子様づれでも安心して入っていただける場所になればいいなと思っています。目標以上にお金が集まったらWi-Fi完備にしてテラス席も作れるかも?そうなったらいいなぁ。

まぁそんな妄想は置いておいて、1階の床や軒の修復、入り口の工事、配管、配電、厨房設備設置で大体250万円くらいかかります。それからカウンター、内装費で150万円。自己資金はかきあつめて100万程。クラウドファンディングでなんとか300万円集めたいです!

実はこの物件、もう家賃も発生しています。
とにかく早く工事にかかりたい!
いろいろと大変な条件下ではありますが、応援してくださるみなさんと、楽しみながら今回のプロジェクトをなんとかやり遂げたいと思っています。そんな気持ちでスタートしました。真鶴でのあしたの箱を見てみたい♪と思っていただけたなら、ぜひ一緒にゴールまで走ってください!

今回のクラウドファンディングを通して、みなさまにご支援をお願いするだけじゃなくて、恵比寿店閉店後も変わらずスパイスとともにあった真鶴での6年間と、わたしのちょっとしたカレー人生についても、みなさまに知っていただけたら、とても嬉しいなぁと思っています。

少し長くなってしまったので第一章と第二章に分けてみました。
何がやりたいかだけ分かればそれでええねん!という方は、第一章だけを読んでいただければと思います。
「あしたの箱」ってどういう意味やったん?と思ってしまった方は、ぜひ第二章までお付き合いください!


<目次>
■第一章 あしたの箱のNOW HERE
1. 真鶴ってどんなとこ?
2. 真鶴×スパイス 人も食も豊かな真鶴で生まれた新しいレシピ 

■第二章 わたしのカレー人生  〜あしたの箱の中身はなんだ〜
1. カレー屋にいる時だけ普通でいられた学生時代
2. あしたの箱 恵比寿店オープン。
3. 雑誌に載ったら、行列のできるお店になったの巻
4. 地獄のトライアングル。時間は命⁉︎
5. 恵比寿店閉店。真鶴へ。
6. 真鶴で、豊かさとは何かを知る。
7. 畑とスパイスの出会うところ。
8. 料理とは、自分を信じるということ 
9.YESかNOか。お店はちょっと傾いている!
10.あしたの箱の中身はなんだ?


第一章


真鶴町は、神奈川県の南西部に位置する人口6,800人の小さな漁師町です。半島の形が鶴が首を伸ばしたようなので真鶴という名前になりました。半島の先に「お林」と呼ばれる照葉樹林の森があり、豊かな海を守っています。漁獲高は、全盛期に比べるとずいぶん減ったそうですが、港では朝早くから威勢の良い漁師さんたちがせりを行っています。地元の方々は年に一回の「貴船まつり」をとても大切にしていて、お祭り中心に全てが回っているといっても過言ではありません。
なんだかここだけ、社会とは違う時間が流れているような不思議な町です。

 真鶴の海は、港以外は護岸工事がされておらず、溶岩をベースにした多孔質の岩石に多様な生物が共生しています。透明度は驚くほど。お林からの水が海中に湧き出しているからかもしれません。

真鶴港貴船まつり

朝の水揚げの様子。みなさんとてもかっこよい。

この日はキハダマグロがたくさん上がっていました。すごい迫力。地元のおじさんたちはみんな仲良し。真鶴には、背戸道と呼ばれる狭くて複雑な路地が細かな網目のように張り巡らされている。

背戸道からさらに階段で少し登ると物件があります。人の視線を感じない静かな佇まい。





真鶴という町は、とても小さな循環のある町です。
漁師さんや干物屋さん、魚屋さんに宿屋さん、和菓子屋さん、植木屋さん、みかん農家さん、お肉屋さん、農家さん、電気屋さん、ガス屋さん、ガソリンスタンドのおじさん、酒屋さん、磯料理屋さん、お寿司屋さん、お弁当屋さん、パン屋さん、コーヒー屋さん、不動産屋さん、神主さん、住職さん、美容師さん、絵描きさん。

住民が町の中でそれぞれ重要な役割を果たしています。みんな顔見知りで、誰がどんな風に仕事をしているのか知っています。いいお魚が買いたい時、美味しい干物が買いたい時、わたしはその人の顔を思い浮かべます。

東京の目黒区で暮らしていたわたしは、最初はびっくりして戸惑いましたが、慣れてみると物語の中で暮らしているような愉快な毎日です。

移住してからは店舗がなかったので、港での間借り営業に加えて、あちこちに呼ばれるまま、旅するようなスタイルでカレー屋をやってきました。東京、横浜、茅ヶ崎、熱海、小田原、山梨などいろんなところに行きました。そうするうちに自然と、真鶴の美味しいものを素材として使うようになり、それを半島の外のみなさんに知ってもらいたいと思うようになりました。そしてそのたびに新しいレシピが生まれました。港での定期営業では、地元の方々が興味津々で食べに来てくださいました。みんなスパイスでアレンジされた魚や干物を食べて喜んでくれます。

真鶴は漁業と石材業で栄えた町です。
石は港から船で運ばれました。
お魚は港から入ってきます。
半島の北側の付け根部分に真鶴駅があり、そこが真鶴の中心のようですが、駅はただ、人が出入りするだけの場所です。本当は南側の港が真鶴の中心だとわたしは感じています。地元のみなさんが貴船まつりとともにずっと守ってきた暮らしがそこにあります。

移住してたかが6年くらいのわたしが、その循環の輪に入れていただけるのかどうか、わたしには分かりませんが、ただ、真鶴の素敵なところをカレーを通してみなさんに伝えられたらいいなと思うのです。
だからこのまちでカレー屋を開こうと思います。


真鶴の玄関口、二藤商店の二藤昇さん。お店には新鮮な魚やお惣菜が並ぶ。
あしたの箱新店舗の大家さんでもあります。

港の干物屋さん、「髙橋水産」の友人夫婦漁師さん髙橋水産の鰆を使った干物カレー

<ひいらぎとうずらのアチャール> これは友人がたまたま両方口に入れて生まれたメニュー。

<ひいらぎの干物> 大体捨てられてしまうお魚らしいですが、干物を炙って食べるととても
美味しいです。小さくて顔もかわいくて、わたしのお気に入りです。


真鶴港のシェアキッチンでの定期営業

地元のみなさんと知り合える。

真鶴で初めて出会った、間引きで出てくる早摘みみかん。独特のさわやかな香り。

真鶴の早摘みみかんをふんだんに使ったスパイスプレート
<真鶴でよく獲れるソウダガツオ>血合いが多く痛みやすいため、市場では流通しない魚。
新鮮なソウダガツオとレモンピックル
焼いても美味しい。

スパイスでマリネしたシキシマハナダイを月桃の葉で包んで蒸します。

漁師さんが釣って来てくれたシキシマハナダイ。
海と畑のつながりのプレート

<SHO CURRY×match box×あしたの箱 コラボプレート>
みんなで食材を調達してワンプレートに。美味しかった!
ぽんぽこファームさんのオーガニック野菜をスパイスプレートにプレイワーカーおけまるくんと作った野草のスパイスプレート

ナチュラルワインも、わたしが真鶴で出会ったものの一つです。Wine Lovers Factory景子ちゃんがカレーに合わせて選んでくれる時間がいつも楽しみ。

ワインが大好き。カラダが喜ぶワインをみなさんに飲んでいただきたい!
Wine Lovers Factoryの景子ちゃん。



思い返してみると、ここには書ききれないほどいろいろな出会いがありました。そうして、新しいあしたの箱の準備が少しずつ整っていたのかもしれません。とうとう自分のお店を持つ流れがやって来たわけです。

思い起こせば20数年前、学生の時にたまたま通りがかったカレー屋の扉に貼ってあったアルバイト募集の貼り紙が、わたしの割と長いカレー人生の始まりでした。


どうして自分はスパイスカレーだったのか。

どうして「あしたの箱」という名前なのか。

どうして今店舗を持つことにしたのか。


第一章はここまでです。
第二章からは、わたしのカレー人生についてお話させていただきます。もしご興味を持っていただけたら、本を読むような気持ちで、引き続きお付き合いいただけたらと思います。

これまで読んでいただいて、もし真鶴にこんなカレー屋があったらいいな!と思ってくださったなら、ご支援をどうぞよろしくお願いいたします‼︎





<第二章>


スパイスカレーとの最初の出会いは、大阪の大学一年生の時でした。

その頃、わたしに謎の出来事が起こりました。
ある日、突然人と話せなくなったのです。今思い返しても全く原因は分からないままですが、とにかく夏休み明けにゼミの教室の扉を開けた瞬間、そうなっていたのでした。後から対人恐怖症という言葉を知りました。

それからは結構大変でした。
周囲の人に対人恐怖症であることを悟られないようにすることに全エネルギーを持ってかれるような毎日。人を避けながら大学に通い、毎日帰宅するとクタクタになっていました。
当然のようにいつも孤独でした。

そんなある日、たまたま通りがかった学生街のはずれにある、スパイスカレー屋さんのアルバイト募集の貼り紙が目に止まりました。貼り紙を見ていたら、頭にバンダナを巻いた国籍不明のおじさんが出てきて、


「あんたカレー好きか?」


と聞くので、わたしは、


「す、好きです。」


と答えた。
そしたらおじさんは「採用!」と叫んだ。


それがわたしのカレー人生の始まりでした。

そのお店は三角形の薄っぺらいビルの一階にあって、カウンター13席だけの恐ろしく小さなお店でした。メニューはチキンカレーとチャイ、ビール、サイドメニュー2、3品ほど。でもそのチキンカレーの美味しさと言ったら、食べた後からまた食べたくなるほどでした。
マスターは沖縄の人で、おしゃれと女の子が大好きな、なんていうかものすごくキュートな人でした。

わたしは大学を休みがちになり、かわりにカレー屋に通うようになりました。マスターのチキンカレーに取り憑かれた人たちは、マニアックな研究者、裁判官、バンドマン、民族楽器演奏者など、風変わりな人が多くて、スパイスの香りとキュートなマスター、そしておかしな愛すべきお客さんたちで店内はいつも幸福感で満たされていました。

不思議なことに、対人恐怖症のわたしが、なぜだかそこでは普通にみんなと大笑いすることができたのです。その時からわたしは、スパイスの不思議な力について考えるようになっていました。

それでも、大学3年生になってもわたしの症状は一向に改善せず、一歩カレー屋を出ると、また逃げ回るような世界へと戻っていくというような日々を送っていました。将来の展望も描けないまま、就職活動などできるはずもなく、できればずっとこのカウンターの中にいたいと思うようになりました。


そうだ!カレー屋になればいいんだ。
そうすればずっとここにいられる。


そう思ったわたしは、図々しくもマスターに、チキンカレーの作り方を教えてほしいと頼みました。するとマスターは、


「映子なぁ、レシピは教えられへんねん。ごめんやで。教えてやりたい気持ちはやまやまなんやけどなぁ。。
でもな、映子は自分のカレーを見つけなあかん。ほんでカレー屋をやるのはもっと後にしとき。
まだまだいろんなもの見てきたらええよ。」


そんなことを言ってくれました。
わたしは人生最初の夢が破れ、とても落ち込みましたが、その時のマスターの言葉がずっと耳に焼き付いていました。






私は、学生時代に身につけたMacの編集技術のおかげで、印刷会社のデザイン部になんとか就職することができました。
その頃にはさすがに、対人恐怖症である自分を受け入れられるようになっていて、そうするとだんだんと症状も治まるようになりました。

わたしは普通に結婚し、子どもが生まれ、東京に引っ越しました。大阪のカレー屋時代からはもう6年もたっていましたが、私はマスターのカレーが忘れられず、しょっちゅうチキンカレーを試作しては周囲の人に振る舞っていました。でも何度作っても、マスターのあの味は再現できないし、ちっとも美味しくもありませんでした。

それである時から、マスターのカレーを追いかけるのをやめることにしました。
わたしだったらどんなカレーが美味しいと思うかを、ゼロから自分に問いかけるように作り始めました。


そんなある日、主人の仕事仲間から、恵比寿にあるバーの昼間に入るお店を探しているから、そこでカレーを出さないかと誘われました。ちょうどそのタイミングで、チキンカレーの試作もほぼ完成していたわたしは、やっとこの時が来た!と思いました。すぐに、「やります!」と返事をして、友人と相談しながら3ヶ月でブランディングからメニューの内容、必要な設備集め、デザインまで全てやりました。

そこで出すチキンカレーは、マスターのカレーとは全然違うけれど、わたしが美味しいと思う、
わたしの理想のチキンカレーでした。


<恵比寿のあしたの箱> 右は強力な相方の正美ちゃん。





恵比寿の雑居ビルのどんつきにある、誰も知らないカレー屋がいきなり集客できるはずもなく、最初の3ヶ月は1日5人〜10人来ればいいところでした。毎日30食近くのカレーを捨てることになりました。ちょうどその頃、渋谷で選挙フェスをやっていて、その熱気をうらめしく思っていました。

来月でお店閉めようかな、なんて思いはじめていた時です。一人で食べに来てくれた男性が、レジで名刺を1枚くれました。『dancyu』の編集の方でした。


「8月のカレー特集に載せたいんですが、明後日が原稿の締め切りなんです。無理やりねじ込むので、明後日に取材とか大丈夫ですか?」


小学6年生の時にガリガリくんを3回当てた時のあの「神はいた。」という確信が数十年ぶりに蘇えった。それからは『dancyu』のカレー特集の影響力の大きさを知ることに。

ある朝オープンの看板を出しに外に出たら、10人ほどが何か並んでいる。何かイベントでもあるのかな?と思ったらうちの店に並んでいて、びっくりしてあわてて店に戻ったのでした。

毎日捨てていたカレーは、営業開始2時間で売り切れるようになりました。そうして無名だったあしたの箱は、突然カレー業界でちょっとは知られるお店になったのでした。


プロの写真家さんが素敵な写真を撮ってくださって感激。




その後も『ポパイ』に掲載していただいたりと追い風が続き、あしたの箱は順調に行列のできるお店として定着しました。そして、とにかく忙しかった。回転と効率を追求する日々の始まりでした。

最初はとても嬉しく有り難く、張り切っていた私でしたが、常連のお客さんとゆっくりお話しすることもできないどころか、お店に入ってもらうことも難しい状況になっていきました。だんだん疲れが出てくると同時に疑問が湧いてきた。

もちろんカレーをみなさんに食べて喜んでいただけるのはほんとに幸せなことでした。
でもわたしがやりたかったカレー屋ってこういうことだったかな。。


[ 当時の一日のスケジュール ]
朝8時までに保育園に送り、9時までに店入り

オープン前から並んでいるお客さんになるべく早く食べてもらえるように準備

営業が終わるとすぐ次の日の仕込み

自転車をかっ飛ばして17時半までに3歳の娘の保育園のお迎え

駅前のスーパーで夕飯の買い物

帰宅後すぐ夕飯の支度

3人の子供たちを寝かせる

その日の集計と次の日の仕込みの残りを終わらせる

わたしは、お店と自宅と保育園という、息をつく間もない地獄のトライアングルに閉じ込められたようでした。土日は休みだったけど、クタクタに疲れていて、子どもたちと近所の公園に出かけるのがやっとでした。

そんな中、小2の次女が学校をちょくちょく休み始めた。その時は理由が分からなくて原因探しをしていましたが、今思えば、そりゃそうだよね。親がずっと余裕のない家なんて、わたしだって嫌だ。玄関で泣き喚く次女を置いて、泣きながらお店に走る日も少なくなかった。

とにかくカレーの味を落とさないように、
でも1分でも早く帰れるように、
早く玉ねぎを切って、早く皿を洗って、早く動く。身のこなしも無駄なくね。ハヤクハヤク。

それが当時のわたしにとって一番重要なことでした。さもなくば、死あるのみ。笑
ほんとにそう思っていました。
わたしにとって時間は命そのものでした。
カレー屋をやるってこういうこと?
だとしたら、わたしはカレー屋にはなれない。
マスターがもうちょっと後にしろって言ったのはこういうことだったのか。
お客さんたちの笑顔のおかげで、なんとか頑張れていました。



当時の私と、まだ小さかった子ども達。 左から長女、次女、三女。(一番左はお友達のTくん)




そんなある日、友人たちと夕飯を食べている時のことでした。
突然心臓に激痛が走る。
びっくりして思わず両手で心臓を押さえた。


「心筋梗塞ちゃうの⁉︎」

「病院に行った方がいいよ」


みんないろいろ心配してくれた。


次の日からは最初の激痛はもう消えていたけど、弱い痛みはずっとベース音のように続いていました。ごまかしながらカレー営業は続けていたけど、自分の中で、なんとなく痛みの原因は分かっている気がしていました。

そんな時、夫からある話が出ました。


「真鶴に移住したい」


「もう家も決まってる」


彼は一年前から神奈川県の真鶴半島というところに映像を撮るために通っていて、すっかり気に入ってしまったらしく、そこで暮らしてみたいということでした。

わたしは真鶴なんて町は知らないし、漁港なんてなんでもサビちゃうし嫌だと思った。でも、いろんなタイミングが一度に合ってしまうみたいなことがたくさん起こって、あっという間に話は進み、とうとう引っ越すことに決まったのでした。
どちらにしても、東京での生活はいろんな意味で限界が来ていたし、わたしはどこかでホッとしていました。

お店の準備を3ヶ月でやったように、閉店もそれから3ヶ月で決まり、それからはあたふたと引越しの準備が始まりました。
一緒に子育てをサバイバルした友人たちや、仲良くなった常連さんたちと別れるのは悲しかったけど、これでやっと、わたしは地獄のトライアングルから抜け出せることになったのでした。





『髙橋水産』の干物試食コーナー

真鶴に来て最初の朝、港の干物屋さんで買ってきたアジの干物を食べてみたら、脂が乗ってふわふわで、噛み締めるとじんわりと美味しく、わたしは静かに感動しました。今まで食べてたパサパサの干物っていったいんなんだったんだろう。中目黒の高級スーパーに行ってやたら高い干物を買ったって、きっとこんなに美味しくない。
真鶴にたった一軒だけあるスーパーでは、その朝に港で上がったお刺身が並ぶ。
漁港の近くに住むってこういうことなんだ。

野菜も産直にいけばびっくりするくらい新鮮で安くて、これはすごいことだぞ、とわたしは思った。
生まれてからずっと都会暮らしだったわたしには知るはずもない豊かさがここにありました。
後々このことが、自分のカレーを変えることになるとは思ってもいませんでした。


しばらくは日がな一日、初めて住む一軒家を整えながら海を眺めたりして、のんびり暮らしていました。
庭には小さなお社と畑、鶏小屋と豚小屋があって、斜面側のテラスからは真鶴港と相模湾が一望できました。目黒の狭い2LDKの部屋や、子どもがぐずったらすぐに通報されるあの生活が、遠い幻のようでした。

真鶴半島を流れるゆったりとした時間の中で、気がついたら心臓の痛みは消え、持病の喘息もなぜだかすっかり治っていました。



自宅のお庭からの眺め。

庭には金柑や夏みかんの木があり、毎年たくさん収穫できる。





微生物たちが循環を繋げるぽんぽこファーム。柔らかな空気が畑を包んでいる


真鶴に来てからというもの、カレーは全然作っていませんでした。
恵比寿店での忙しさが少しだけトラウマのようになっていました。もうこのまま作らなくなるかもしれないなぁなんて思っていた時、友人が、二宮の畑でスパイス教室をやっている人がいるから一緒に行こうと誘ってくれました。

二宮から車ですぐの山頂にある「ぽんぽこファーム」という畑につくと、
ビニールハウスの中から、日焼けした細身の男性がお花を片手に出てきました。


「あら。Nさんのお友達?真鶴の方ね。よろしくお願いします〜。」

ちょっとオネエ言葉のその人は、後々わたしの師匠となる岡嵜さんでした。オネエなのかと思ったら妻子のある方でした笑。


出荷用のカレンデュラと岡嵜さん。
サフランからターメリックまで、畑で作ってしまう。


ぽんぽこファームのスパイス部門でもあるスパイスファームアチャ。
そこでの岡嵜さんのスパイス教室は驚きの連続でした。
ハウスの中の机の上にはあらゆるスパイスや調味料が並べられていて、畑でとってきたばかりのいろんな野菜がピカピカと光っていました。

参加者はその材料を使ってその場でレシピを考え、スパイスプレートの一品を担当します。スパイスを使ったことがない人がほとんどの中、岡嵜さんがてきぱきとみんなのおぼろげなメニューをまとめ、さりげなくアドバイスを挟んでいく。

最初は不安そうだった参加者も、次第にその時の思いつきで食材を追加したり、調理法を変えたり、スパイスを変えたりと、だんだん自由になっていくのが分かりました。
それはまるで、畑とスパイスのオーケストラのようでした。

気がついたら見たこともないようなとびきり美味しいスパイスプレートが完成していました。それぞれが自由に作っているにも関わらず、毎回不思議とまとまりのある一皿になる。それはわたしにとって、びっくり仰天、腰を抜かすような体験でした。

素人でも、スパイスのことなんかなんにも知らなくても、こんなに美味しいスパイス料理が作れるんだ!

なんてクリエイティブで自由な世界なんだろう。

みんながここでやることは、ただ、自分の感覚を信じるということ。

その体験は、わたしを再びカレーに向かわせることとなりました。


その時の畑の野菜を使って、思い思いのスパイスを組み合わせ生まれるコラボレーションプレート。
参加者は自由で大胆なオリジナリティを発揮する。

尊敬する師匠の岡嵜さんと、「 畑のスパイスクッキング 」



 

わたしは、お店で出せるレベルという意味では、チキンカレーしか作れませんでした。自分の思うチキンカレーができるまで、ただひたすら脇目もふらず、何年もかけて一つのレシピを育ててきました。恵比寿で立ち上げたお店はそういうカレー屋でした。

真鶴に引っ越してからカレーを作っていなかったのは、こんな豊かな食材に溢れる真鶴に住んでいながら、チキンカレー以外のカレーが作れなかったからでもありました。

でも、畑のスパイスクッキングでのあの衝撃に背中を押され、わたしは少しづつ、畑で野菜をもらってきたり、港で魚を買ってきてはカレーの試作を始めました。移住してからちょうど1年がたったころでした。


自宅のキッチンにて。手の届くところにある食材でカレーを作りはじめた。

畑の今、美味しい野菜を使わせていただく。

港で上がる新鮮な魚介類。

自分の畑で採れるお野菜も。

手に入った食材はすぐメニューに。

でも手当たり次第にカレー関係のレシピ本を読み漁り、いろんな食材で試してみるも、全く美味しくできない。
作ったりやめたりを繰り返していました。

そんな時、わたしはチキンカレーのレシピに取り組んでいた時のことを思い出しました。もうこれ以上無理だと思った時、マスターのカレーを追いかけるのをやめて自分の感覚に戻ったら、あっという間にレシピは完成したのでした。
それは、いろんなアンテナをOFFにして、ゆっくりと自分にダイブしていくような感覚でした。

そうすれば、必ず美味しくなる。
自分らしい味が見えてくる。

日々そんなことを考えていたら、不思議なことに、作ってみたいものや使いたい食材が次々と出てくるようになって、わたしは夢中になって作っていました。そして美味しくできたなら、忘れないうちにノートに細かくメモする。
それは、大好きな寺村輝夫さんの『こまったさんシリーズ』の中で、
こまったさんが歌うように料理に入っていくあのシーンに似ているなぁと思いました。それを "こまったさんゾーン" とわたしは読んでいます。( あれはほんとに素晴らしい本だと改めて思います。)


 

この映像は、3年前、「海と畑 つながりのプレート」というテーマでイベントを開催した際に、夫が撮ってくれた映像です。短いものですが、あの時わたしが感じていた新しい世界の手触りみたいなものを、とても上手に映像で表現してくれました。畑はぽんぽこファームさん。船を出してくださったのは漁師の佐々木幸壽さんです。


料理とは、自分の感覚を信じること。
ある程度基本を覚えたら、レシピ本は全部捨てて、あとは自分にどうすればいいか聞いてみる。
好きな映画のワンシーンが背中を押してくれることもあるし、友人や家族との会話の中に、魔法のレシピが隠れていることもある。海の中の世界に、畑の土の中に、ヒントを見つけることもある。
とにかく自分の感覚にいつも耳を澄ましている。

そうしたら、1年で2冊のわたしだけのレシピ集ができました。それぞれのレシピには思い浮かぶ景色があって、
いろんな出会いやストーリーが詰まっていました。わたしにとってカレーとは、出会いであり、暮らしそのものでした。

よし。準備は万端。
このレシピで旅に出よう。

そうしてあしたの箱は、風のふくままに旅するカレー屋として再開したのでした。


愛用のレシピノート

ACCHI KOCCHI CARAVAN (2020年〜2023年) 
いろんな人に出会って、いろんなところに行きました。




ACCHI KOCCHI CARAVANという営業スタイルでスタートして4年がたちました。
いろんな町のキッチンを旅するスタイルはわたしに合っているように思えました。あちこちに出かけていって、あしたの箱のエッセンスをパパっと振りまくような、そんなイメージでわくわくしながら出かけていきました。
キッチンの中からは、それぞれのお店の良いところがよーく見える。みんな素晴らしい思いの溢れるお店ばかりで、毎回幸せな気持ちになりました。知らない町に行って、そこの素敵な一面を知るのもとても楽しかった。

でも、次第に考えるようになったのは、自分が場を作ったらどんなだろう?
ということでした。
きっと、今までいったどのキッチンとも違う、わたしのキッチンになることだろう。それはわたしの原点でもありました。
学生時代に見ていた、スパイスの香り漂う、愉快で平和で安全な世界。いつでもそこにあって、スパイスの魔法と愉快なおしゃべりが待ってるところ。
こうして振り返ってみると、そのまだ存在しないキッチンを目指して、徒歩でゆっくり向かっていたような20年だったなぁと思います。


さて、わたしの箱はどこにある?



そんなある日、友人から一枚の写真が送られてきました。



「?」


なんの写真だろう?真鶴のどこかなのかな。あの階段を登ったら何があるんだろう?
わたしはその、木と石段だけの写真に引き込まれるように、しばらく見入っていました。

そして、それがまさに、今回のプロジェクトの物件となるのですが。
とにかくすべての条件が悪く、資金も全然足りない。傾いている床を水平にしたり、朽ちている軒を直したり、もともと民家だから、厨房も一から作らないといけない。家を囲むように立つ木の剪定も大変そう。屋根もちょっと怪しい。
などなど。


まわりの友人たちは心配して、「NO」という反応でした。

わたしはものすごく悩みました。とても怖かった。
なにか、安全ではない、恐ろしい世界に自分が入っていくような感じがしました。
ふつうに算数ができるなら、ここは「NO」だ。でもわたしはなぜか「NO」とはなりませんでした。母がちょくちょくその物件に立ち寄り、四つ葉のクローバーをたくさん見つけてきてくれて、それをノートに大事に挟みました。


見兼ねた地元の工務店の方が、初期費用がかからない物件があるから、一緒に見に行こうと誘ってくださいました。そして目的の物件を見た瞬間、わたしはやっぱりあの物件なんだと確信することができました。そうしたら恐怖はもう消えていました。


大通りから一本入った背戸道にひっそりと建つその物件は、あしたの箱の匂いがしました。
最初に友人が送ってくれた、石段と木の風景を見た時に、わたしの心はすでに決まっていたのかもしれません。

移住7年目にして、あしたの箱の店舗プロジェクトはやっと動きはじめたのでした。


店舗予定の物件にて。




ここまでお付き合いくださったみなさま、ほんとうにありがとうございます。
長い文章を読んでいただけて、とても光栄に思っています。

長々と書いてきましたが、
実は、あしたの箱ってどういう意味があるのか、ということをずっと書いたんだなぁとここまで書いて分かりました笑。
店名を決めた時、わたしもその意味は分かりませんでした。その時はただ、なんとなくいいなぁと思ってつけたのです。今回のこの振り返りは、あしたの箱の蓋を開けて、中を覗き込むようなことだったんだなと思います。

あしたの箱とは、からっぽの箱のことでした。
その中にはレシピも、わたしの特別な思いも、理想も、こだわりも、なーんにも入っていません。
全部の枠やこだわりをなくして、からっぽになった時、そこに素晴らしいクリエイションが起こることを、わたしはカレーを通して知りました。

だから旅するわたしのプレートの上はいつも空っぽでした。
そうするとそこには、いろんな出会いや新しい食材が、新しい町や風景が飛びこんできました。そうしてできたスパイスプレートは、わたしの暮らしのプレートであり、つながりのプレートでした。

からっぽの箱にはどんなものでも、誰でも入ってくることができます。
ここにはたくさんスペースが用意してあります。
やって来てくださったみなさんで自由に作っていく、そんな明日にある箱が「あしたの箱」なんだと思います。
どんな箱になるのか、何が入ってくるのか。
どんなスパイスプレートができるのか。
わたしはそれをそこで見ている人なんだと思います。わたしにとって、それがカレーを作るということです。

もし、そんな箱を覗いてみたいと思ってくださったなら、そんなカレーを食べてみたいと思ってくださったなら、
ぜひご支援いただけたらと思います!

あしたの箱でみなさまをお待ちしています。



あしたの箱OPENまでのスケジュール

2023年07月 物件の契約完了
2023年12月 クラウドファンディングスタート
       1月 クラウドファンディング終了
2024年01月 基礎工事・内装スタート
         3月 オープン!


応援していただく方々へのリターン

3,000円 【シンプル応援コース】

3,000円 【チャイ回数券2回分】

5,000円 【ただただ応援コース】

5,000円 【チャイ回数券2回分】

5,000円 【カレーチケット2枚】

5,000円 【あしたの箱オリジナルエコバッグ】

7,000円 【あしたの箱オリジナルエコバッグとカレーチケット1枚】

10,000円 【ひたすら応援コース】

10,000円 【あしたの箱クラウドファンディング限定Tシャツ】

10,000円 【カレーチケット5枚】

10,000円 【干物とレシピ&スパイスのセット】

20,000円 【あしたの箱クラウドファンディング限定Tシャツとカレーチケット5枚】

20,000円 【あしたの箱でランチ&お話会】

30,000円 【野焼きでチャイカップを焼く!ワークショップに1名様ご招待】

35,000円 【Farm & Spice 四季のレシピ&スパイス 野菜宅急便】

40,000円 【真鶴食材まち歩き レシピから組み立てるスパイス料理教室】

100,000円 【魔法のスプーン】

100,000円 【マンツーマンでじっくり伝授するスパイス料理教室 全3回】




クラウドファンディング資金の使い道

みなさまからいただいた資金は、新店舗の工事にかかる費用(以下)として大切に使用させていただきます。
(概算での金額表示となります)

【300万円集まった場合の内訳】
①リターンに発生する費用 (約40万円)
②CAMP-FIRE手数料17% (51万円)

300万円ー(①+②)=209万円

→残額の209万円を基礎工事の250万円にすべて当てさせていただきます。


最後に(ちょっと本音を)


こんなに最後の最後まで読んでくださった方に、心から感謝をお伝えしたい気持ちでいっぱいです。もうほんとにありがとう!( HUG!! )
最後にちょっと本音を語ります。何を隠そう、わたしはクラウドファンディングってのが大の苦手でした。もろ長女タイプの私。人に頼むのが苦手で、ちょっとくらい大変でも自分でやってしまった方が楽だという人生を歩んできました。そのせいでいろいろ背負いすぎてしんどくなってしまうことも多々ありました。だから、クラウドファンディングができる人って、なんてオープンハートで清々しいんだろうって眩しく思っていました。わたしにはとても無理だと。日本人は真面目で勤勉な国民なので、「結局人に甘えてる」とか、「自分でなんとかがんばったらいいのに」と思う人も多いと思いますが、わたしは、クラウドファンディングを立ち上げるということは、その人が、傷ついたり、恥をかいたりすることを恐れず、心をオープンにして世界に開いてみているってことだと思っています。この世界を信用してみるってこと。それはとても勇気がいることです。そしてそれにどう答えるかは、「あなたはどんな世界で生きていきたい?」という問いのへの答えでもあると思います。
みんな苦手なことはあるし、どんなに頑張ってもできない事ってたくさんあるけど、そのちょっと足りないかけらはこの世界にいくらでも溢れていて、いつでもそれをわけてもらう事ができたら、みんな結局はパーフェクトだってことですよね。
クラウドファンディングってそんな仕組みかなと思います。単位はお金だけど、お金だけではない目に見えないサポートも含まれているはずです。だって、もし達成できたら、どれだけたくさんのパワーがその人の背中を押してくれることか。自分一人で足りない部分を補うのはものすごく大変で時間がかかって、エネルギーも必要だけど、もし目の前に、自分の家の中に、町の中に、ネットの海の中にそのかけらがあって、誰かがわたしに気がついて、はいって渡してくれたら、あなたもわたしもパーフェクトになれる。そんな世界で暮らしていきたいなぁと思っています。あしたの箱がそんな箱になりますように。

Thank  you for your presence✨

2023.11.12 (湯河原のデニーズにて) 
あしたの箱 松平映子




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本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

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