フェイスブックページより。
1年やここのとこの災害を振り返りいろいろ綴っています。よかったらみてくださいね、
やんじーの相棒のレスキューキッチンも、屋根あるとこへ。
今年もいろいろお世話になったね、レスキューキッチンさん!!
【今年もあと2日。一年を振り返る時期となりました。レスキューキッチンのクラウドファンディングも31日まで。】
朝の続き。
原発事故のテレビ映像が流れてきたときは、やんじーは、冷静に淡々としてました。どこの町、地区に入るかは、いってみないとわからない。
いくのを辞める選択肢はなかった。(アグネスは、新婚ほやほやだけど、やんじーの子を産む選択は絶たれたなと覚悟してついていくことに)淡々と、チームやんじーの体制づくりから荷造り、車の手配、資金調達。一週間で準備をし、日本海周りで、車トラックバス含め4台で、7人でむかいました。
相馬市、南相馬市に何千ケースの飲料水をもっていきました。
仙台で大きな運送会社の倉庫を借りて、すでに物資を受け入れ仕分けしてる団体に受け入れてもらい、大量に炊き出し隊として出動。仙台から石巻。石巻ではラーメン1400食。自衛隊さんの水の給水場よこで炊き出しをして、昼から夕方まで列が途切れなかった。あと、専修大学でボランティアセンターが立ち上がってましたが、たくさんのボランティアさんが殺到してました。ボランティアさんはほとんどカップ麺の生活。食べてないボランティアさんもいたでしょう。炊き出しを非公式でしました。
瓦礫をかきわけたところの自宅軒先きで井戸水のあるとこで炊き出しをしたのも思い出します。この時もラーメンでした。
その後、ありがちな報道のエアポケットになってしまった南三陸の歌津が、全く物資も届いてない。食べるのも冷蔵庫にストックしてるものや流れ着いた缶詰などでしのいでるらしい。との情報を得る。そこで、南三陸の方にむかい、まだ空いてない歌津ファミリーマート前に車中泊をし、マンホールの蓋を焚き火台にし暖をとり、炊き出しを始めた。拠点落ちつく前は、老人福祉施設でラーメン炊き出ししたことも。りんごを渡したとき、泣いてた親子が印象的でした。またお墓の前でしたことも。目の前は、屋根が崩れ落ちたお寺やまだ火の気がくすぶる宅地も、、大きな余震が何度もあり、お墓に立ってた仏像の飾りがシャリシャリと音を立てて揺れてるのは未だに忘れられません。
水はないのでタンク20個ほど汲み、泥つきのニンジンやジャガイモを最小の水で洗いました。鍋をもって、夜暗くなっても、カレーを取りにこられる被災者さんが沢山いました。
かれこれ、車中泊やテント泊で、最初半年は、ずっと滞在3年いったりきたりを繰り返し、冷蔵車かけっぱなしで食材保管、札幌の中央市場で買い付けた食材やチームやんじー中継局で集まった野菜を中心に、43000食の炊き出しを提供しました。
災害ボランティア歴42年のやんじー。東日本大震災の際は4ヶ月間で43,000食、広島ではとうきび、ジャガイモ5000個、熊本地震では5,000食、拠点清水町の浸水北海道台風10号、西日本豪雨、今年9月6日に発生した北海道胆振東部地震では3ヶ月で28,000食の温かいご飯を被災地の方に届けました。きっと今までの活動を合わせたら軽く100,000食を超えるでしょう。
そんなやんじーも70歳を超え、愛用してきたレスキューキッチンも30年を超え老朽化し、活動に支障をきたすようになりました。もうボランティア活動を辞めてもおかしくない現状の中、やんじーの想いは、2度の手術入院をも乗り越え、今も衰えることなく前に向かっています。
クラウドファンディングの募集締め切りは残り2日。達成率は40%。まだ間に合う。200万ならレスキューキッチン二台内釜も入れて購入できます。
災害で困ってる人のために見返りを求めずに42年もボランティア活動をやって来た彼だからこそ、このプロジェクトは達成されて欲しい。きっと彼を元氣づけれるから。
ご協力よろしくお願いします!https://camp-fire.jp/projects/view/102212
クラウドファンディングのページには、支援と共に続々と応援メッセージが届いてます。心温まるメッセージ、ありがとうございます。
残り2日!これからの災害が多い時代に向けて、やんじーの応援支援を何卒よろしくお願いします。
シェア拡散応援メッセージうれしく思います。
年の瀬迫るお忙しい時期ですが、みなさまのご健康と無事にお互い年越しできる喜びをかみしめて、2019年がみなさまにとっても良い年になりますように。
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