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高知初のスタートアップ支援施設”Kochi Startup BASE”を設立!

2018年12月3日、高知市内にスタートアップ支援を目的とした”Kochi Startup BASE”がオープン。新規事業創造セミナーや起業家育成プログラムのほか、多種多様なセミナーやワークショップの開催、コワーキングスペースやイベントスペースの提供を通じて高知県の活性化を目指します。

現在の支援総額

225,500円

28%

目標金額は800,000円

支援者数

17äşş

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2018/12/11に募集を開始し、 17人の支援により 225,500円の資金を集め、 2019/01/31に募集を終了しました

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高知初のスタートアップ支援施設”Kochi Startup BASE”を設立!

現在の支援総額

225,500円

28%達成

終了

目標金額800,000円

支援者数17人

このプロジェクトは、2018/12/11に募集を開始し、 17人の支援により 225,500円の資金を集め、 2019/01/31に募集を終了しました

2018年12月3日、高知市内にスタートアップ支援を目的とした”Kochi Startup BASE”がオープン。新規事業創造セミナーや起業家育成プログラムのほか、多種多様なセミナーやワークショップの開催、コワーキングスペースやイベントスペースの提供を通じて高知県の活性化を目指します。

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「こうち女性起業家応援プロジェクト」は、起業や育児休業後の職場復帰や再就職、移住後のキャリアチェンジ、そして、キャリアアップを目指す女性を幅広く支援するという想いから、各分野で活躍する起業家をゲストに迎えたセミナーや、生活目線から考える事業アイデアの創造に向けた学びの機会を提供し、高知の女性が自分事として取り組むことのできる新たなチャレンジを後押しすることを目指し、開催しております。第9回目は町田美紀さん(株式会社and.デザイナー)。『―直感を大切に生きる―“絶対に帰ってきたくなかった高知”に帰ってきた理由』と題して、上京からUターンまでの経緯や、現在のチャレンジ、そして、目指す未来についてお話いただきました。町田 美紀 氏(株式会社and.デザイナー)<プロフィール> 1975年、高知市生まれ。制作会社数社を経て2001年、フリーランスデザイナーとして活動開始。2007年、一級建築士事務所 株式会社and.として法人化。デザインを軸に、広告、飲食、様々な業界で企画立案や商品開発などに携わっている。デザインに携わるモットーは“現場に足を運ぶ”こと。2011年、高知にUターン。翌年、ひろめ市場にワインバル『BAR VALERIAN』をオープン。3年間運営したのち、自然派ワインに特化し移転リニューアル。2013年、人と土地の力を掛け合わすことをコンセプトにした『SoulSoils』を立ち上げる。“つくる人”のアタッシェ・ドゥ・プレスの役割を持つ展示会ブランドへと成長させ、数年以内に海外進出を視野に入れている。「絶対東京に出たい!」 町田さんは高知市上町の生まれ。自然豊かな高知県とはいえ周囲はアスファルトや建物ばかりで、アウトドアも好まなかったため、土や水に触れることなく育ちました。 小学校時代はクラスのお笑い担当だった町田さん。卒業アルバムに「いつまでもひょうきんで」というメッセージが書かれるほど、面白いと言われることに命を懸けていたそうです。 しかし家に帰ると思い込みが激しく神経質な一面も。そのセンシティブな部分が出てきたのか、中学・高校では友達と群れるのがとにかく嫌いで、しんどくなるとバスで桂浜に行っては砂浜に寝転んでいたとか。親戚同士の仲も非常に悪く、窮屈で仕方のない人間関係にうんざりした町田さんは、中学1年の時から「東京に絶対出たい!」と心を固めていました。 その頃、建築に興味を持ち始めた町田さん。高知の大学に建築学科がないこともあり、自己推薦で東京の大学へと進学することに。東京に行くことは決めていましたが、「なぜ高知には建築を学べるところがないのだろう」という純粋な疑問から、高知県知事に直接聞きに行くという大胆な行動に出ます。もちろん事はそうすんなりとは行きませんでしたが、数回のやりとりの後、ついに知事と1時間話すことができたそうです。しかも知事は、町田さんのことをこっそり大学に推薦してくれていました。このことで、「いつかは高知に恩返ししなければ」という責任感も芽生えつつ、町田さんは上京し、建築について学んでいきました。23歳。夢を失い、暗黒時代へ 大学卒業後、洞爺湖のほとりにある有名な建築アトリエで修業した町田さん。そこで彼女は気づきます。自分のやりたいことと、仕事として求められることは、必ずしも一致していないのだと―。23歳にしてついに、設計の仕事が自分には合わないことを悟ってしまった町田さん。「今更帰れない…」と東京に残ったものの、そこからは暗黒時代だったといいます。 早朝にスタバ、昼はおもちゃ屋、夜はゲームのデバック作業。楽しくもない数十種類のアルバイトを経験し、その日その日を何とか食いつないでいく毎日。さすがに見かねた親からの忠告を受け、就活して会社に入ったのち、26歳でWebデザイナーとして独立しました。しかし独立後も苦しい生活は続き、事務所で寝泊まりして必死に仕事をするような、不健康な日々を送っていました。「高知に帰ろう」 転機となったのは、33歳での結婚・出産。子供を産むことになり数年ぶりの健康診断に行った際、子宮頸がんであることが判明し、慌てて子供を産む準備をすることになったのですが、妊娠中に体が食品添加物を受け付けなくなり、それをきっかけに食生活を見直すことに。オーガニックに関する知識を集める中で、セミナーなどの集まりにも積極的に参加していた町田さんは、あれだけ嫌だった人とのつながり・コミュニティが素敵なものに感じるようになりました。 そんな折、父が倒れたとの知らせを受け、実家に帰ることに。今後のことを考え、父の仕事であるマンション経営の実情について改めて調べてみると、部屋の管理が行き届いていなかったり、有効活用されていなかったりという現状を目の当たりにします。「何とかできないか」という思いから、高知で開催されていた人材育成塾に通う中で、高知に面白い人がたくさんいることに気付き、嫌いだった地元に対しても魅力を感じ始めました。 そんな時に起こった、東日本大震災。住んでいた家は半壊し、引っ越しを余儀なくされました。その引越し準備中、段ボールを詰めていた町田さんはふと、思い立ちます。 ―高知に帰ろう 旦那さんと、何度も何度も話し合いを重ね、最終的には、「子どものためにどちらがいいか」という観点で合意を引き出し、高知へと戻ることになりました。人の願いに、デザインで応える すべてをリセットして帰ってきた高知。環境の違いに戸惑いながらも、得意なデザインと人との縁が掛け合ったことで、いろいろな事業がスタートしていきました。 例えば、オーガニックのショウガ農家さんとの出会い。仕事に遊びに一生懸命な彼の力強い生き方に惹かれた町田さんは、彼の「人生まるごと」を詰め込んだような商品を東京や世界へと売り出していきたいと考え、若い女性に受けるショウガパウダーやジンジャーティーの商品開発を行ってきました。「人」と「土地」のエネルギーを掛け合わせるという意味を込め、ブランド名を“SoulSoils”と名付け、想いのこもった様々な商品を展開しています。さらに現在は、農家さんの想いを伝える記事を掲載する“and.message”というwebページも公開しており、言葉の壁があっても伝えられる動画を全世界へと発信する準備をしています。高知、東京のほかにもう一か所、海外にも故郷を増やしたいという町田さんの想いから、広い世界を意識した事業を展開しつつあります。 また、Uターン当初は高知の人とのつながりをあまり作っていなかったため、自分たちをもっと知ってもらいたいという想いも込め、高知市内の屋台村風商店街「ひろめ市場」の一角でワインバーをオープン(現在は移転)。妊娠期間中に培ったオーガニックに関する知識を生かしながら、おいしい高知の食材と東京で磨いたセンスを存分に楽しんでもらえる場を提供しています。高知に不足しているデザイン思考でのビジネスモデルコンサルティングも、いろいろな場面で重視して取り入れています。 これらの他にも、デザインの力で人と人との間を取り持ち、多くの事業創造のお手伝いをされている町田さん。人を笑わせることに心血を注いでいた子ども時代のように、必要とされていることを自分の得意分野で応え、喜んだり驚いたりしてもらうことがいまでも大好きだと笑いながらお話してくださりました。 今までのすべての経験を糧に、デザインの力で人々をサポートし、自分自身もまた大きく羽ばたいていこうと前を見据える町田さんの姿に、参加者も勇気づけられたキーノートスピーチでした。ライフヒストリーや気づきのシェア次に参加者2人1組のグループをつくり、自身のライフヒストリーや、町田さんのお話を通して得られた気づきを共有する対話のワークを行いました。 参加者それぞれが今までの人生をグラフに書き起こし、自分のライフヒストリーや、そこで得た気づき・教訓を紹介し合いました。今回は初めてこのようなセミナーに参加するという方も多いようでしたが、参加者同士が和気あいあいと対話をしている様子が印象的でした。チェックアウト最後は、チェックアウトとして、一人ひとり今日の感想を話しました。参加者からは、「デザインをもとに様々な挑戦をする町田さんから多くのことを学んだ」、「町田さんのお仕事=デザインディレクターの役割がよくわかった」といった感想が出ていました。総括 東京で培った経験や感性と、高知で生まれた人とのつながりの両方を大切に、自身の得意分野であるデザインで多くの人を応援している町田さんの生き方・考え方には学ぶ部分が多く、参加者からも感嘆の声が上がっていました。 本セミナーで得られた気づきをもとに、今後、少しでも一歩が踏み出せる高知の女性が増えればいいなと感じます。ついにオープンしたKochi Startup BASEが、そんな何かを始めてみたい方たちの拠点となるよう、スタッフも努力していきます。(レポート:陶山智美 )主催:Kochi Startup BASE設立準備室 äş‹ĺ‹™ĺą€ďźšă‚¨ă‚¤ăƒă‚żă‚šć Şĺźäźšç¤žă€€éŤ˜çŸĽăƒ–ăƒŠăƒłăƒä˝ć‰€ďźšă€’780-0822 高知県高知市はりまや町3丁目3-3 ガイアビル4FMail: ksb@htus.jpWebサイト:http://startup-base.jp/女性起業家応援プロジェクトHP:https://select-type.com/s/?s=OauI37IZylo


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 こうちマイプロジェクト道場は、一人ひとりの本当にやりたいことを対話とアクションを重ねながら進める学び合いの場です。 マイプロジェクト(マイプロ)とは、「わたし」が感じている些細な問題意識や違和感、疑問に素直に耳を傾け、その「何か」を「プロジェクト(Project)」の形にして、「やってみる」ことから始まる、自分と仲間、世の中の変化を仲間同士で面白がり支え合う取り組みです。周りの目や評価を気にしないで、「自分の好き・やりたい」という想いに正直に向き合い、一歩踏み出すことを仲間と共に目指すことがこの講座の目的となります。 第2期では、自分らしい生き方で全国各地で挑戦を続けているゲストを迎え、彼らのストーリーを共有しながら、参加者一人ひとりの想いを掘り起こしていきます。第3回目は新田理恵さん(TABEL株式会社 代表取締役)。『一歩踏み出し、仲間と支え合う』と題して、事業を始めるまでの経緯や、現在のチャレンジ、そして、志についてお話いただきました。新田 理恵 氏(TABEL株式会社 代表取締役)<プロフィール> 食卓研究家、管理栄養士であり国際薬膳調理師。食を古今東西の多角的視点からとらえ、料理とその周りにある関係や文化も一緒に提案し、地域の商品開発やレクチャーを行っている。 日本の在来植物・薬草を暮らしに取り入れるためのリサーチをはじめ、日本各地をつなげながら伝統茶ブランド{tabel}を2014年に立ち上げ、2016ĺš´8月にTABEL株式会社へと法人化。2018年より薬草大学NORMも開始、多角的に活動中。人生のテーマは「食」と「健康」 日本古来のスーパーフード、薬草。350種類以上の在来種のバリエーションがあり、天然で無農薬・無化学肥料、そしてノンカフェイン。薬草文化は日本各地に根付き、脈々と地域の人たちに受け継がれてきました。 そんな薬草文化をリサーチし、薬草を取り入れた健やかな食卓を提案している新田さん。とりわけ、気軽に導入しやすいお茶をツールに、「食生活のアップデート」を目指して日々活動しておられます。 「食と健康は人生の一大テーマ」と語る新田さん。その背景には、食が私たちにもたらす影響を、いい面からも悪い面からも見てきた原体験がありました。 新田さん自身は、子供のころから食べるのが大好き。しかし、周りを見渡すと、必ずしも皆が食による幸せを享受できているわけではありませんでした。新田さんの父親は糖尿病を患い、親友は拒食症と過食症を繰り返して苦しんでいたのです。 「食は凶器にもなる」。そう感じた新田さん。大切な人たちに何もしてあげられないもどかしさから、食と健康に強い関心を持ち、栄養士や薬膳の勉強を進めていきました。出会ってしまった、最上級の薬草 薬膳について学ぶうち、在来植物や国産の薬草に関心を抱いた新田さんは、日本各地の薬草を訪ねて、薬草の産地や薬草茶工場のある町などに足を運びます。 その中で、熊本県八代市に運命の出会いがありました。農業を通じて環境問題に取り組む、とあるハス(レンコン)農家さん。在来種を、農薬を使わず自然由来の肥料で栽培してきたという彼のハスの葉で作ったお茶は、キンモクセイのような甘い香りが広がり、それは美味しかったのです。「最上級の薬草に出会ってしまった…!」新田さんは、地域にひっそりと眠る薬草のポテンシャルに驚きます。 さらに、地域の人たちの八代に対する愛情や絆に気付いた新田さんは、「まちとまち、人と人とをつなぐ橋渡し役になりたい」と思うようになりました。国産の薬草茶を、みんなの元へ― 始まった挑戦 日本の薬草産業は、実は40年ほど前は海外への輸出も多く行っていた、活発な産業だったそうです。しかし現在は作り手・使い手双方の高齢化により、ブランディングや営業が苦手で、かつコミュニケーションを取る余裕のない作り手側から、薬草について知る機会のない使い手側へ、商品の魅力やメッセージが伝わっていないという現状があります。 新田さんはこの課題に対し、作り手や地域とつながり、薬草や人々の魅力・ストーリーを発掘した上で、商品を一緒に作り使い手へと届ける「橋渡し役」なら自分にもできるのではないかと考えます。そして薬草茶の商品化の構想が生まれた時、いくつかの偶然が重なり、第一弾となる‘霧島のカキドオシ茶’はなんと3か月で商品化を果たします。 ところが、商品の知名度が低く、知ってもらう機会がないため全く売れません。困った新田さんが出会ったのは、『ててて見本市』という展示商談会。「作り手、使い手、伝え手の関係性を大事に、ストーリーや背景を重視する商品のみ扱う」というコンセプトのある商談会で、まさに新田さんの想いに共鳴するような場でした。これをきっかけに、薬草茶を取り扱ってくれる店舗との縁が生まれ、雑誌等の取材も受けることで徐々に知名度が上がってきたのです。Social medicineで、からだも、社会も、健康に。 現在、薬草を軸に様々な活動を展開されている新田さん。 全国各地で見つけた薬草を適正価格で販売し、埋もれていた資源を町の特産品にするプロジェクトを展開しています。パッケージングも各地域でできるような仕組みを作り、地域にお金が落ちるように意識しています。 また、今後はお茶以外の食品を作って、薬草を多くの人々の食卓へと広げていくことも新田さんの目標です。例えば、日本人になじみの深い食品であるカレーを、国産薬草と発酵ウコン味噌で作るというチャレンジを始めています。「健康そうだから」ではなく「食べたいから」選ぶという風に、おいしく食べていつの間にか健康になっている状態を当たり前にしていきたいと、新田さんは語ります。 さらに、薬草について学ぶ場が必要だと考え、『薬草大学Norm』という連続講座イベントを企画。地域おこしとして薬草利用を促進するだけでなく、ゆくゆくは資格認定をして、日本にいる医者や看護師と同数である30万人の薬草使いが生まれ、日本の医療分野に貢献していくために、普及活動にも力を入れています。 他にも、香港でポピュラーな薬膳コンビニを日本にも作ろうという動き、薬草の研究会の開催、本の出版や無印良品とのコラボなど、多くの人たちと協力しながら目指す未来へと着実に進んでいます。新田さん自身にとって大好きで大切な「食」を通じてたくさんの幸せを生み出すことが、新田さんの願いです。 薬草のことを“Social medicine”とも表現する新田さん。お茶が変われば、からだも社会も変わっていく。そう信じて、動き続けています。 アートによる想いの「見える化」ワーク 次に参加者全員で、紙ねんどや毛糸、色紙、モール、自然物などを素材にして「いまの自分」と「将来の自分」を作り、作った作品を通して対話を深めるワークを実施しました。制作中の様子。思い思いの材料を手に取り、「今のわたし」を表現していきます。 制作後、参加者同士で共有しました。本人による作品解説の前に、何を表現しているかをほかの参加者が考える時間が設けられ、思いもよらない解釈に本人自身がハッと気づかされることもありました。それぞれに個性のある作品が出来上がり、解釈も様々で盛り上がります。 シェアの時間を踏まえて、「今のわたし」から「マイプロ道場後になっていたいわたし」へと作品を作り変え、再び共有しました。 参加者それぞれの個性と想いのあふれる作品が出来上がり、具現化していなかったものを実際に形にすることで自分自身の潜在的な思いを見つめなおすことができました。対話も盛り上がった今回のワークを通し、参加者同士の関係がさらに深まったように感じられました。チェックアウト 最後は、チェックアウトとして、一人ひとり今日の感想を話しました。 参加者からは、「新田さんの戦略や行動力に驚き、良い刺激になった」「アートのワークを通して自分自身を振り返ることができた」といった感想が出ていました。 最後には、高知大学 須藤先生によるゴールデン・サークルの解説もあり、具現化していない感情やイメージの重要性について理解を深めました。総括 自分の想いを実現するためにたくさんの実践と発信を繰り返し、世の中に共感の輪を広げている新田さんのお話を通して、まさに今回のテーマである「一歩踏み出すこと」「仲間と支え合うこと」の大切さを感じることができました。 参加者も後半のワークで、アートを用いて自分の言語化できない部分を仲間に共有していったことで、お互い支え合えるような関係性を築けたのではないかと思います。 3回目の講座が終わり、多くの刺激や気づきを経て、参加者のマイプロにも少しずつ変化や進展が生まれていると感じました。(レポート:陶山智美 )主催:Kochi Startup BASE設立準備室 äş‹ĺ‹™ĺą€ďźšă‚¨ă‚¤ăƒă‚żă‚šć Şĺźäźšç¤žă€€éŤ˜çŸĽăƒ–ăƒŠăƒłăƒä˝ć‰€ďźšă€’780-0822 高知県高知市はりまや町3丁目3-3 ガイアビル4FMail: ksb@htus.jpWebサイト:http://startup-base.jp/こうちマイプロジェクト道場第2期HP: https://select-type.com/ev/?ev=pcYnInrcQz0


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 こうちマイプロジェクト道場は、一人ひとりの本当にやりたいことを対話とアクションを重ねながら進める学び合いの場です。 マイプロジェクト(マイプロ)とは、「わたし」が感じている些細な問題意識や違和感、疑問に素直に耳を傾け、その「何か」を「プロジェクト(Project)」の形にして「やってみる」ことから始まる、自分と世の中の変化を仲間同士で面白がり支え合う取り組みです。周りの目や評価を気にしないで、「自分の好き・やりたい」という想いに正直に向き合い、一歩踏み出すことを仲間と共に目指すことがこの講座の目的となります。 第2期では、自分らしい生き方で全国各地で挑戦を続けているゲストを迎え、彼らのストーリーを共有しながら、参加者一人ひとりの想いを掘り起こしていきます。 第2回目は吉冨慎作さん(NPO法人土佐山アカデミー 事務局長)。『自分の想いを見つめ、マイプロジェクトを描く』と題して、高知に移住するまでの経緯や現在のチャレンジ、そして志についてお話いただきました。吉冨 慎作 氏(NPO法人土佐山アカデミー 事務局長)<プロフィール> スペースシャトルのロボットアームに魅せられ、宇部高専入学。ロボットコンテスト等で活躍するも、デザイナーに転向。その後外資系広告代理店へ移籍し、企業ブランディング・Webキャンペーン・商品開発・TVCM・ポスター制作等に関わるなかで坂本龍馬のポータルサイト「龍馬街道」を立上げ高知と深く関わっていく。2013ĺš´2月、NPO法人土佐山アカデミー(以下、土佐山アカデミー)の想いに共感し移住を決意。 様々なフェーズを経て、現在は「中山間地域の課題を教材に変え、学びの場を作り出すこと」を目指して活動中。レゴ®シリアス・プレイ®を使った研修などにも力を入れている。面白き高知をもっと面白く。土佐の山間より、チャレンジします。NASAに入るはずが…TOSA!? 「実は、入院していました(笑)」とばつが悪そうに切り出した吉冨さん。自分の体調悪化にも気付かないくらい夢中になって、自身が事務局長を務める『土佐山アカデミー』の仕事に打ち込んでおられるようです。 土佐山アカデミーは、高知市の土佐山という中山間地域を舞台に、地域の課題を教材にして地域を学びの場にしよう、そしてそこから生まれた新たな出会いやアイデアを育んでいこう、というビジョンを描くNPO法人です。吉冨さんは現在まで6年間、ユニークなアイデアを次々と形にして、高知の小さな中山間地域から世の中にインパクトを与えてきました。 そんな吉冨さんですが、実は高知で生まれ育ったわけでも、地域で何か活動しようとしていたわけでもありません。 出身は山口県。スペースシャトルのロボットアームを作ることを夢見て、地元の高専に進学しました。-もともとはNASAに入りたかったんですけど、土佐に来てますね(笑)と、今でこそジョークに変える吉冨さんですが、当時は理数が得意な周りの生徒たちについていけず、成績は落第ギリギリ。自身の興味は、得意分野である創作や企画へとシフトしていきました。就職―疑問の付きまとう日々 遅ればせながら卒業後に、スーツを着てネクタイをしめてする仕事に対して、「何か違うよなあ」と感じ、自分はどうしたいのか実家で4か月間考えていたといいます。 結局、自分のできること、やりたいことで世の中に価値を生み出そうと考え、地元のデザイン事務所に就職した吉冨さん。世はインターネット普及のはしりの時期。ホームページを作れる人材が引っ張りだこの中で、高専で学んだパソコンの知識がある吉冨さんはホームページ制作の仕事を任されます。 在籍した8年半でたくさんのことを学びました。特にWebの事業を担当してからは、チームが1人から10人以上に増えており、当時20代後半だったマネジメント能力ではなかなかまとめるのも大変でしたが、その時のマネジメント経験は貴重なものになったそう。その後、インターネットや紙媒体だけではなく、より総合的なブランディングや情報発信を扱う場を求め、外資系広告代理店に転職。「広告は、イタズラだ」という信念の元、広告キャンペーン、ブランディング等を手がけていきました。好きなものの中に、ヒントがあった そんな折、吉冨さんは上司から「仕事以外に面白いことやれよ」と助言を受けます。吉冨さんは「人と人とをつなげたい」という想いを胸に、学生時代から大好きだったという「坂本龍馬」と特技の「Webデザイン」を使って、龍馬ファンが集うWeb情報ポータルサイト『龍馬街道』を制作し、高知との縁を深めていきました。 一方で、吉冨さんの生き方を大きく揺さぶった出来事がありました。東日本大震災です。-当時、広告含めお祝いごとはすべて自粛ムード。日本って、広告ってなんか脆い。  広告代理店での仕事に魅力を感じつつも、よりリアルな現場でプレイヤーとして動いてみたいという思いを抱くようになった吉冨さん。「デジタルだけでは何も解決できない。地に足をつけ自分のリスクで自分の面白いと思うのを広告してみたい」。そんな思いが強くなりました。 そして出会ったのが、当時設立されたばかりの『土佐山アカデミー』。理念や想いに深く共感した吉冨さんは、人材募集を見るなりすぐに応募し、ついには高知に移住、現在の役職に至ります。課題解決をナリワイにする―次の100年のために 土佐山アカデミーでは、地域課題を教材に、地域の人を先生にして、次の100年を生きていくための学びの場を提供しています。「100年先を考える」という思想は、世の中の「効率・経済を優先の社会」とは相反するものがありますが、世の中が震災などの経験を通して「今のままではまずい」と感じ始めたときこそ、田舎の人が自然と体得している「自然のルール」を大切にしようという考えから掲げられました。-あるものは、大切にする-ないものは、作る-生えてくる以上のものは、切らない-そこにずっと住むから、関係を大切にする 人が自然の一部として、この先も長く文化を紡いでいくことを重要視する、持続可能性に基づいたルールです。 吉冨さんは地域の人たちから習ったことを自分なりに解釈し、それをもとに様々なアイデアを形にしていくことでルールを受け継いでいく次世代を育てています。 吉冨さんのナリワイ、それは地域の課題を解決すること。それもあくまで「面白がって」。課題を、どうやって面白く、互いに利益が出るように変換していくのか。例えば、世界最速のそうめん流し。吉冨さんは土佐山の急傾斜を利用して、そうめん流しのイベントを開催しました。土佐山の地域課題として、管理しきれない竹林の拡大があります。その竹を切って、削って、組み合わせて、そうめんを流すレールをイベントの参加者の方々と地域の方とで作ることで、竹林の拡大という課題を知ってもらい、課題の解決の糸口に微力ながら貢献。その際に、土佐山の急傾斜を活かして「世界最速」を目指そうというのが、面白がるためのアイデアです。実際にそうめんを流すときには、とことん最速にこだわります。そのようなイベントを展開していると、大企業が面白がって「流体力学」の分野で協力してくれることになったりと、様々なつながりが生まれています。大企業が流体力学をそうめん流しに活かすという「才能の無駄遣い」に本気で取り組んでいくいたずら心、そして、遊ぶことと学ぶことを探求する姿勢がはっきりと伝わってきました。課題があるところを如何にチャンスに変えて、今まで学んできたことを活かし課題に取り組んでいけるか-土佐山を拠点に、吉冨さんの挑戦は続きます。ライフヒストリーや気づきのシェア 次に参加者全員で、自身のライフヒストリーやプロジェクト、吉冨さんのお話を通して得られた気づきを共有する対話ワークを行いました。 参加者それぞれが今までの人生をグラフに書き起こし、自分がどんな人生を歩んできて、そこでどんな気づきや教訓を得たのか紹介し合いました。また、やってみたいプロジェクトについても紹介し、フィードバックを交換し合いました。吉冨さんからもたくさんのコメントやアドバイスをいただき、新たな気づきがあった参加者もいました。チェックアウト 最後は、チェックアウトと題して一人ひとりが今日の感想を話しました。 参加者からは、「吉冨さんの地域や生き方に対する考え方が参考になった」「自分のプロジェクトについてもう一度考え直してみたい」といった感想が出ました。総括 中山間地域という課題が山積しているところで、あえてそれを宝の山、学びの場と捉え、思い切り楽しく活用してしまう吉冨さんのやり方には、本当に社会をワクワクさせる力があるように感じました。参加者の方々も、吉冨さんの生き方から新たな発見やアイデアが生まれたのではないかと思います。 マイプロ1期や女性起業家応援セミナーなどで顔なじみのメンバーも多く、少人数のアットホームな雰囲気の中でダイアログが進んだため、お互いに対する信頼や応援の気持ちが確実に大きくなっているように感じる回となりました。(レポート:陶山智美 )主催:Kochi Startup BASE設立準備室 äş‹ĺ‹™ĺą€ďźšă‚¨ă‚¤ăƒă‚żă‚šć Şĺźäźšç¤žă€€éŤ˜çŸĽăƒ–ăƒŠăƒłăƒä˝ć‰€ďźšă€’780-0822 高知県高知市はりまや町3丁目3-3 ガイアビル4FMail: ksb@htus.jpWebサイト:http://startup-base.jp/こうちマイプロジェクト道場第2期HP: https://select-type.com/ev/?ev=pcYnInrcQz0


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 こうちマイプロジェクト道場は、一人ひとりの本当にやりたいことを対話とアクションを重ねながら進める学び合いの場です。 マイプロジェクト(マイプロ)とは、「わたし」が感じている些細な問題意識や違和感、疑問に素直に耳を傾け、その「何か」を「プロジェクト(Project)」の形にして、「やってみる」ことから始まる、自分と仲間、世の中の変化を仲間同士で面白がり支え合う取り組みです。周りの目や評価を気にしないで、「自分の好き・やりたい」という想いに正直に向き合い、一歩踏み出すことを仲間と共に目指すことがこの講座の目的となります。 第2期では、自分らしい生き方で全国各地で挑戦を続けているゲストを迎え、彼らのストーリーを共有しながら、参加者一人ひとりの想いを掘り起こしていきます。第1回目は篠田善典さん(TOMARIGI HOSTEL代表)。『自分の想いを見つめ、マイプロジェクトを描く』と題して、起業するまでの経緯や、現在のチャレンジ、そして、志についてお話いただきました。篠田 善典 氏(TOMARIGI HOSTEL代表)<プロフィール> 1987年高知県生まれ。関西大学 文学部 地理・地域環境学科卒業。大学時代に47都道府県を旅で訪れる。製薬会社に勤務後、東南アジアを中心にバックパッカーを経験。帰国後、栃木県那須町で支配人としてペンション運営に携わる。その後、楽天株式会社にて宿泊施設様へのコンサル業務、ゲストハウスの開業支援等を経て、2018ĺš´3月に高知の菜園場商店街でTOMARIGI HOSTELを開業。県外のみならず海外からのお客様を受け入れる傍、イベントを半年間で約70回開催。「“発見”を生み“変化”を楽しめる」ような新しい形態の「宿」「場」「空間」づくりに取り組んでいる。高校時代―初めての彼女が自分を変えた 大学卒業後、製薬会社→旅人→ペンション支配人→楽天と、様々な経歴を経てこられた篠田さん。一体、どんな場面で何を感じて、高知でのゲストハウス開業まで至ったのでしょうか。 篠田さんは、自分に大きな影響を与えたものが人生で大きく3つあるといいます。 一つ目は、高校生の時に初めてできた『彼女』の存在。中学時代は学年で下から5番目の、いわゆる「落第組」だったという篠田さんに対して、彼女は学年2位の秀才でした。彼女の勉強に対するストイックさは物凄く、テストの2週間前から連絡を取ることを禁止されるほど。しかし負けず嫌いの篠田さんは、そんな彼女に何か1教科でも勝ってやろうと猛勉強。結局彼女に勝てたことはありませんでしたが、気づけば学年順位は300位から50位まで跳ね上がっていました。 「人によって、自分も変わる」。そんな実感を与えてくれた出来事でした。大学時代―甲子園バイトとひとり旅 その後、篠田さんは「面白くない」高知を抜け出して関西大学に進学し、初めての都会での生活を謳歌します。サークル活動やスノーボード、ボウリングなどを楽しみつつ、アルバイトにものめり込んでいきました。 中でも篠田さんが熱中していたのが『甲子園でのアルバイト』。これは、人生に大きな影響を与えた、二つ目でした。150人という人数規模の大きな職場の中で、実力があればどんどん昇進していけるスピード感。大手企業よりもベンチャーに近いその感覚が楽しくて仕方なかったそうです。 また、時を同じくしてのめり込んだのが、『旅』でした。大学2年時、壱岐島での1週間の実習の後、そのまま九州一周のひとり旅に出る中で、旅や観光、そして今のゲストハウスにもつながる、宿についての関心を深めていきました。 そうこうしているうちに、就活の時期となった大学3年生。当初目標としていた教師という道や、社員レベルまで実力をつけた甲子園での就職という道がありつつも、安定を求めて外資系の製薬会社に就職することを決めます。 大学4年、社会人になる前の最後のタイミングで、篠田さんは鹿児島から沖縄へ、離島を巡っていく旅に出ます。これが後から振り返ると「運命のひとり旅」となりました。道中では、先生から浮浪者まで様々な人と出会い、それらの出会いをもたらしてくれた宿との出会いは、篠田さんの人生に大きな影響を与えました。 いろいろな生き方に触れる中で、「自分は違う道を選んだのだろうか…?」という、かすかな違和感を覚えつつも、旅を終えた篠田さんはサラリーマンとしての生活へと進んでいきました。サラリーマンとしての日々 人生の選択にわずかな気持ちの揺らぎはあったものの、製薬会社での営業の仕事は楽しく、新卒の中でも特に優秀な営業成績を叩き出した篠田さん。仕事のできる上司たちに鍛えられ、社会人としてのマナーも学んでいきました。 しかし、しばらくやっていくうちに、やはりまた違和感を覚え始めた篠田さん。仕事の後は接待や付き合いの兼ね合いも多く、毎日飲みに行く時期もありました。また、甲子園でのアルバイトの時と違い、すぐ出世できるわけではないスピード感の鈍さも肌に合わず、薬を売っている理由も分からなくなってきました。「これは自分のやりたいことじゃない」。そう気づいた篠田さんは、退職を決意。 次なる道として選んだのは、再び旅人になることでした。旅、宿、高知。そして“とまり木”へ 半年間、海外を旅することにした篠田さん。ごく普通に銃声のするような地域に行くこともあり、カルチャーの違いとともに生きている喜びをひしひしと感じたといいます。 旅や宿にますます魅力を感じた篠田さんは帰国後、栃木県那須で、ペンションの雇われオーナーとして働き始めます。たくさんの人と出会い交流することが楽しく、やりたいことをやれる喜びがある一方で、50連勤という激務を経験し、宿の経営というもののいい面と悪い面とを見ることになりました。 やりたかった宿の運営はできた、でも那須という場所にはどうしても一歩踏み込めない…。そう感じた時、「高知に帰ろう」と決意。楽天トラベルで仕事をしつつ、高知の人との関係性を築いていきました。動けば動くほど、いろいろな特技を持った知り合いができていったという篠田さん。その集大成としてオープンしたのが、「とまり木」でした。“発見”を生み“変化”を楽しむ宿 とまり木をオープンしてから、「やりたいことはやる!」とひたすらチャレンジを続けている篠田さん。今までに60~70ものイベントを開催し、やりたいことを実現できる場を提供したり、とまり木の立地する菜園場商店街を「面白がる」ために、菜園場で手に入れた食材でホットサンドを作ったり…。今も2号店の出店や新しいビジネスの構想があるとのこと。多忙すぎて体調を崩した時期もあったそうですが、とまり木を始めてから本当にいろいろな人に出会い、とても楽しいといいます。 高校時代、「高知には面白いものが何もない」と出ていった篠田さんですが、今では逆に「高知だからこそ、面白い人にすぐ繋がれる。高知は面白い!」と感じているそう。そんな場所で、たくさんの人がつながって、発見を生んだり変化を楽しんだり―。 とまり木をベースに、篠田さんの楽しい挑戦は続いていきます。ライフヒストリーや気づきのシェア 次に参加者全員で、自身のライフヒストリーや、篠田さんのお話を通して得られた気づきを共有する対話ワークを行いました。 参加者それぞれが今までの人生をグラフに書き起こし、自分がどんな人生を歩んできて、そこでどんな気づきや教訓を得たのか、紹介し合いました。今回は、8人全員でライフヒストリーを共有したため、参加者同士の発表者に対する驚きや共感の声が活発に行き交い、にぎやかなシェアの時間となりました。チェックアウト 最後は、チェックアウトと題して、一人ひとり今日の感想を話しました。 参加者からは、篠田さんの生き生きとした姿を見習ってマイプロジェクトを頑張っていきたいという声や、ほかの参加者のライフヒストリーが非常に面白くワクワクしたという声が上がっていました。総括 人生のいろいろな出来事やそこで感じたことを振り返り、そこから次に進むべき方向を見つけて、やりたいこと、面白いことの実現に向けた挑戦を続ける篠田さん。誰よりも楽しげなプロジェクトの実践者で、こうちマイプロジェクト道場第2期の最初を飾るのにふさわしい方だったように感じます。 本講座もいよいよ第2期に突入し、参加者も心機一転、これから頑張っていこうと意気込んでいる印象でした。今後の一人一人の成長が非常に楽しみな今回の講座でした。(レポート:陶山智美 )主催:Kochi Startup BASE設立準備室 äş‹ĺ‹™ĺą€ďźšă‚¨ă‚¤ăƒă‚żă‚šć Şĺźäźšç¤žă€€éŤ˜çŸĽăƒ–ăƒŠăƒłăƒä˝ć‰€ďźšă€’780-0822 高知県高知市はりまや町3丁目3-3 ガイアビル4FMail: ksb@htus.jpWebサイト:http://startup-base.jp/女性起業家応援プロジェクトHP:https://select-type.com/s/?s=OauI37IZylo


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「こうち女性起業家応援プロジェクト」は、起業や育児休業後の職場復帰や再就職、移住後のキャリアチェンジ、そして、キャリアアップを目指す女性を幅広く支援したいという想いから、各分野で活躍する起業家をゲストに迎えたセミナーや、生活目線から考える事業アイデアの創造に向けた学びの機会を提供し、高知の女性が自分事として取り組むことのできる新たなチャレンジを後押しすることを目指し、開催しております。第7回目は篠原幸子さん(NPO法人場とつながりラボhome’s viファシリテーター)。今回のセミナーでは、「組織でも地域でも家庭でも、一人ひとりが自らの想いやありたい姿を発見し、それぞれの持ち場でリーダーシップを発揮することが大切」、と語る篠原さんに、「対話から始まる"私"のストーリー~場づくりのお仕事論~」と題して、篠原さんの今までの人生を振り返っていただきながら、自分の想いを大切にして生きる方法や自分なりのリーダーシップについてなど、篠原さん自身の想いを参加者とともに共有していきました。篠原 幸子 氏(NPO法人場とつながりラボhome’s viファシリテーター)佐賀県生まれ、福岡県そだち。市臨時職員、フラワーショップ店員、会計ソフトメーカー事務・営業、雑貨店店長などさまざまな職業に従事。育児にどっぷりの時期に市民しんぶんで見つけた「京都未来まちづくり100人委員会(以下100人委員会)」に応募、3年間子連れで委員を務める。100人委員会の運営・企画を担っていた場とつながりラボhome’s vi(以下、home’s vi)の会計で関わりつつ、「誰もが持っている願いや希望から行動すること」を大切にするhomes’ vi流ファシリテーションの魅力にひかれ、現場で場づくりをする側になる。釜石〇〇(まるまる)会議、大阪LGBT100人会議、山科子ども・若者未来トーク、京都ちーびずマルシェなど、まちづくり会議やコミュニケーション・会議力UP講座、リーダーシップ研修などをワークショップ形式で実施している。NPO法人 京都子どもセンター副理事長「議論」ではなく「対話」 篠原さんはイベントを始める前に必ず確認をするという、OARR(オール)について丁寧に話してくださいました。OARR(オール)とは、Outcome(目標・ゴール)、Agenda(検討項目・進行スケジュール)、Role(役割分担)、Rule(規則・大切にしたいこと)の頭文字をとった言葉で、会議を進行するために必要な要素と言われています。場づくりのファシリテーションにおいて、特に最後のRである、Rule(規則・大切にしたいこと)は「自分も他の人も尊重すること」だと教えてくださりました。日本人は他の人のことを大切に考える一方、自分自身を出さないことが多いそうです。自分自身を出さない一例として、「訊く」ということが挙がりました。例えば話の中で自分の知らない地名が出てきたとき、日本人はわかったふりをして、訊かずに会話が進行することがほとんどです。けれども、わからないときには、訊いてみることで、会話に参加できなくなってしまうのを防ぐことができます。 次に行ったのはチェックイン。そこに登場したのは、木でできた手のひらサイズの卵。我こそはという人から、この卵を手に取り、隣の席の人にタイムキーパーをしてもらい、1分で軽い自己紹介と今の気分などを話します。卵を持ってもらうのは、話す人と聞く人を分かりやすくするため。他にもアクションを行う際には、例を挙げて説明すること、威圧感の軽減や来たかったけど来れなかった人のために、エンプティチェアを作ることなど、ファシリテーションをするうえで気を付けていることや気遣いなども話してくださいました。ファシリテーターになるまで 次に篠原さんは、自身がどういう経緯でファシリテーターになったのかについて話してくださいました。 篠原さんは若くして母親を亡くし、就職も決まっていましたが、当時小学生の妹がいたため、家に残って家事に専念していました。そのころを振り返り、「いい子ちゃん時代」と呼ぶ篠原さん、人に頼まれていくつか仕事をしていたといいます。花屋さん、市の臨時職員、事務から雑貨屋さんの店長まで実に様々な仕事をしていました。その時得た知識や人との出会いは今にとても役に立っているそうで、「とりあえずやった仕事は全部楽しかった」と話してくださいました。 そして、きずなサミットに参加し、home’s biに出会い、子どもが1歳を迎えるころ、京都市の100人委員会に参加することを決意します。その時篠原さんが、参加を決意したのには3つの理由がありました。1つ目は話を遮るクセがあったから。子どもが自分のようになってほしくないという思いから、自身のクセを治すきっかけになるのでは、と考えました。2つ目は、「みんな違って大変だけれど、双方の落としどころを探していく」というファシリテーションのやり方にとても共感し、「この考えが当たり前になったら戦争はなくなるかもしれない」と思えるほど、強い衝撃を受けていました。その手法をもって知りたいと考えました。そして3つ目は、今まで、父親によってやりたいことが制限されてきたけど、自分の想いに素直に動きたいと思ったから。そういった気持ちに背中を押され、ファシリテーターへの道を歩きはじめます。ファシリテーターとは ファシリテーターとは、中間支援をする人。例えば、住民の声からビジョンを作るお手伝いはファシリテーターの役割ですが、具体的な絵を描いたり、デザインをすることはデザイナーの役割。何でもかんでもファシリテーターができるわけではありません。「自分はコミュニケーションに難があるからこそファシリテーションをする」そう話す篠原さんは、「『みんな違って大変!』だからこそ、小さな意見や願い、声なき声も大切にしながら、合意形成を図りつつ未来を作っていく人や場を当たり前に」を実現したいこととして掲げています。 その思いは実際のファシリテーションにも表れていて、篠原さんは安心・安全な場を作ることを大切にしています。誰もが落ち着く場になるように、運営含めて全員がチェックインを行うことや、円の真ん中に卵を置くことで、視線が落ち着くようにするなど、篠原さんの工夫は小さなところまで及んでいます。エンパシーサークルの実践 次に実践として行ったのが、エンパシーサークルと呼ばれるNVC(非暴力コミュニケーション)の基本ワーク。観察、感情、ニーズ、リクエストというNVC4つのステップのうち、最初の3つのステップを行います。 やり方は、まずグループの中で一人、話し手を決めます。話し手は最近あった、イラっとしたり、ショックだったりしたエピソードを聞き手に話します。それを受けて聞き手の2人が、人間の生まれながらにして持っているニーズが書かれたカードの中から、エピソードの中での、話し手の感情に近いと感じたもの、大切にしているのではないかと思うものなど、10枚ほど選び、手渡します。次に話し手はもらったカードをじっくりと味わい、その中で気になるものを1~3枚選びます。最後に話せるようであれば、カードを選んでみての感想や気づいたことを伝え、話し手と聞き手を交換していきます。今回は、はじめに篠原さんにやり方を説明して頂き、4つのグループに分かれて行いました。 NVCでは「共感」することが大切にされています。「共感」とは同意ではなく、理解です。人は無意識のうちに、自分の都合のいいようにものを見て、聞いています。だから、私や私たちの当たり前は誰かの当たり前ではない、ということを頭においておくのが大切だと教えてくださりました。エンパシーサークルは慣れると一人でもできるようになり、エンパシーサークルを用いた自己共感が出来てくると、自分で自分を満足した気持ちにすることができるそうです。自分をモニタリングする NVCでは、自分をモニタリングすることが重要です。モニタリングとは、以下のような手順で行います。‐自分の行動を、解釈や判断を入れず、事実をもとに認識する。‐そこで自分がどう考えたかではなく、どのような感情を持ったかを確認する。‐自分が持った感情を大切にして、その根源を探しだす‐自分の持った感情に対して、そのまま「共感」する。これらのステップを踏むことで、ネガティブな感情や自分のクセにも向き合うことができ、場づくりでの合意形成がより円滑になります。さらに、ニーズを満たすための行動である、リクエストと呼ばれるステップがNVCにはあります。リクエストは強要するものではないということが大切で、今回は深くは扱いませんでした。  「場づくりを仕事にしていると365日キリがない!」と篠原さんは、話してくれました。仕事でファシリテーターとして説いていることが、家庭では実践できていないことに苦しむ時期もあったそうです。しかし、出来ている、出来ていないの二元論ではない、ということを知ったことで、自身の理想とする場を作り続けることを諦めてはいけない、と思いました。そんな篠原さんの目は力強く、真っ直ぐとした思いが感じられました。チェックアウト 最後は、チェックアウトとして、一人ひとり今日の感想を話しました。 参加者の皆さんからは、「エンパシーサークルを友達ともやってみたい」、「言うのと聞くので感じ方が違う」といった感想が挙がり、「自分の表面的な部分ではない、深層的な部分が知れた」という方もいらっしゃいました。総括 今回は、女性だけでなく男性の方も多く参加してくださいました。また、参加者の中には、将来場づくりをしたいと考える学生も多く、今回の篠原さんのお話やワークはとても貴重なものになったのではないでしょうか。私も、篠原さんのワークを通して、自分自身に「共感」するということの大切さを知りました。納得のいく合意形成のために、相手だけでなく自分のことも尊重していけたらなと思います。今回のイベントが、皆さんにとって、自分自身に少しでも「共感」できるきっかけになれていたらと思います。(レポート:檜山諒 )主催:Kochi Startup BASE事務局:エイチタス株式会社 高知ブランチ住所:〒780-0822 高知県高知市はりまや町3丁目3-3 ガイアビル4FMail: ksb@htus.jpWebサイト:http://startup-base.jp/女性起業家応援プロジェクトHP:https://select-type.com/s/?s=OauI37IZylo