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高知初のスタートアップ支援施設”Kochi Startup BASE”を設立!

2018年12月3日、高知市内にスタートアップ支援を目的とした”Kochi Startup BASE”がオープン。新規事業創造セミナーや起業家育成プログラムのほか、多種多様なセミナーやワークショップの開催、コワーキングスペースやイベントスペースの提供を通じて高知県の活性化を目指します。

現在の支援総額

225,500

28%

目標金額は800,000円

支援者数

17

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2018/12/11に募集を開始し、 17人の支援により 225,500円の資金を集め、 2019/01/31に募集を終了しました

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高知初のスタートアップ支援施設”Kochi Startup BASE”を設立!

現在の支援総額

225,500

28%達成

終了

目標金額800,000

支援者数17

このプロジェクトは、2018/12/11に募集を開始し、 17人の支援により 225,500円の資金を集め、 2019/01/31に募集を終了しました

2018年12月3日、高知市内にスタートアップ支援を目的とした”Kochi Startup BASE”がオープン。新規事業創造セミナーや起業家育成プログラムのほか、多種多様なセミナーやワークショップの開催、コワーキングスペースやイベントスペースの提供を通じて高知県の活性化を目指します。

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「こうち女性起業家応援プロジェクト」は、起業や育児休業後の職場復帰や再就職、移住後のキャリアチェンジ、そして、キャリアアップを目指す女性を幅広く支援したいという想いから、各分野で活躍する女性起業家をゲストに迎えたセミナーや、生活目線から考える事業アイデアの創造に向けた学びの機会を提供し、高知の女性が自分事として取り組むことのできる新たなチャレンジを後押しすることを目指し、開催しています。第6回目中村優さん(台所研究家)。『全ては仕事ではなく、生き方-世界を旅する台所研究家の流儀』と題して、新しい働き方、生き方を自ら実践する中村さんがなぜ料理に出会い、なぜ世界を旅することになったのか、そして、今、どんな問題意識を感じているのか、語っていただきました。中村 優 氏(台所研究家)TEDxTokyo yz 2014スピーカー、2015年から世界各国の次世代リーダーのコミュニティGlobal Shapersに選出され、現在Bangkok HUB在籍。2017年にはWorld economic forumに出席。 これまで37カ国の台所に立ち、英語とスペイン語と少しのタイ語を話す。編集事務所とレストランで編集と料理を学んだ後、2012年フリーランスに。紙・web媒体での執筆活動に加え、レシピ開発やケータリング、食品関連企業の広報・企画コンサルティングに従事。2013年より「とびきり美味しい」をおすそ分けするサービス『YOU BOX』、世界中のばあちゃんのレシピ収集開始。2015年、『40creations』を立ち上げる。2017年『ばあちゃんの幸せレシピ』(木楽舎)出版。同時に作成した映像はyoutubeで150万回再生。2018年タイ人の仲間たちと自然派ワインやクラフト酒を輸入する『TASTE HUNTERS』を起業。タイの農家と共同でorganic coconut sugarの輸出事業『COCONUTS NAKAMURA』もスタート。編集と料理 優さんが大学を出てまずしたことは、女性として楽しく生きる編集者と恵比寿の料理人の2人の元に弟子入りするという、いわばダブル弟子入りをします。2人の元で弟子として編集と料理を行っていた優さんは、ある日、同棲していた彼氏と別れ、ホームレスになってしまいます。キャリーバッグ一つで知り合いの家を泊まり歩くこと2年、海外にもよく行っていた優さんは、せっかくだし美味しいもの、面白いものを集めようと思い立ちます。そこで作ったのが、「YOU BOX」という、世界各地で優さんが出会った美味しいものと、生産者のストーリーをまとめた冊子を詰め合わせにして、送るサービス。"自分たちは菌が心地よい環境を作っただけだ"と話す醸造家が丹精込めてつくりあげた、南仏のビネガー、植生も守るため山を買って育てられたスペインのチーズ、といったように、「作り手自身も事業として始めたわけではなく、生き方として考え始めて始めたこと」に、優さんはとても共感しました。働くことではなく、生きることとして続けられている営みに魅了されていきました。日常のステキなシーンの共有 次に話してくださったのは、現在住むタイでの生活について。移住のきっかけは特になく、付き合って1ヶ月で結婚し、半年たったころタイに移住したといいます。タイでまず始めたのは、「TASTE HUNTERS」という事業。優さんがタイに来て感じた、飲みたいお酒がない!という思いから、オーストリアなどの女性ワイナリーのワインなどのお酒を輸入し、タイの飲食店や酒屋にプレゼンをしながら販売を行っています。「もともとキャリーバッグ一つで生きてきたのに、管理も大変で大きなコンテナいっぱいのお酒を持つことになるなんて」と優さんは笑いながら話します。また、賃金の差が激しいタイで、村人全員を雇ってココナッツシュガーを作ろうと意気込む30代の女性の農家に出会います。働く人全員が70代以上、作業は地味でカッコよくない、売れば売るほど赤字になる価格設定、そんな中私たちに何ができるか。そう考え始まったプロジェクトが「ココナッツナカムラ」ココナッツをオーガニックに育てるため、ゴマ粒くらいの小さな虫を育てることから、取り組み、品質を安定させ、海外に販売していくプロジェクトを行っています。「しわ」を追い求めて世界を飛び回り、泊まる場所すらその日に決めていた優さんには、顔を見てしまう癖があるといいます。日本人でも、外国人でも、いい笑顔をしてきた人は顔に現れるそうで、顔は信用できると優さんは話します。なかでも優さんが好きなのは「しわ」。世界各地の都市を見ていく中で、旅の途中のある日、突然世界が一緒に見えた優さん。なんてつまらない世界になってしまったんだ!そう思った時、出会ったのは、99歳のおばあちゃん。人間ではないような神々しいたたずまいや、しっかりと刻まれたしわに魅せられた優さんは、「ババハント」と題して、世界中のおばあちゃんとおばあちゃんの作る独創的な料理に会いに行くことにしました。スリランカでは、毎朝飲まれているという「緑のおかゆ」を探し歩きます。そこで出会ったメッタさんというおばあちゃんは、作ってあげる!とマーケットにある緑屋さん(新鮮な薬草や野草、野菜など「緑」を売っている露店)に出かけます。一つ一つ効能がある草を、その日の体調に合わせてブレンドし、ココナッツミルクと合わせて作るおかゆ。体を冷やすので朝しか食べないそうで、そのオリジナリティに優さんは感銘を受けました。見えないものを信じること 岐阜県では、お正月に向けてみがきニシンを使ったニシン寿司に出会います。雪深い地域では、おばあちゃんと神との距離が近いと語る優さん。カッパをまるで人間界に居るかのように語る様子を見て、その見えないものを受け入れることで、雪深い過酷な状況下での生活を生き抜いているのだと感じ、世界がつまらなく感じるのは見えるものだけの世界で生きていたからだと気づいたといいます。また、ポルトガルでカボチャのジャム作りを教わったおばあちゃんは、作り方のコツは右回しで回すことだと、話します。科学的根拠はまるでないのに、なぜか説得力があるのも、おばあちゃんがずっと作り続けてきたからこそ。「平凡」の美しさ 長野で出会った99歳のおばあちゃんは、優さんにとってもとても印象的なおばあちゃんの一人でした。集中すると舌が出てしまったり、イケメン連れていくとテンションが上がってしまったりと、とてもおちゃめなおばあちゃんですが、「人生の中で一番楽しかったことは?」と聞くと、「いーっこもないわい」と一言。また、悩みを相談した時には「人生の中で咲かない花もあるんじゃない?」と話してくれます。その言葉から、おばあちゃんたちはとてもクリエイティブだけど、苦労も制約も多かった時代を生きてきて、見えないもの以外のこともあることを知っている。だからこそ、人生という短い単位で何かやろうと思うのではなく、長い単位でみて、次の世代に続けていくことが大切だと優さんは語ってくれました。ライフヒストリーや気づきのシェア 次に参加者同士でグループをつくり、自身のライフヒストリーや、優さんのお話を通して得られた気づきを共有する対話ワークを行いました。 参加者それぞれが今までの人生をグラフに書き起こし、自分がどんな人生を歩んできて、そこで得た気づきや教訓を紹介し合いました。普段は3人1組で行うことの多いワークですが、今回は2人1組でじっくりとお互いの話を深めていきました。チェックアウト 最後は、チェックアウトとして、一人ひとり今日の感想を話しました。 参加者の皆さんからは、優さんの行動力におどろいた、自分の感じていたモヤモヤが少し晴れたような気がする、といった感想が挙がりました。最後には優さんの著した本とココナッツシュガーの販売もあり、見事に全部売り切れました。総括 ババハントを通して、おばあちゃんたちの持つ強さや不思議な力に魅せられてきた優さん。自分自身が動いているからこそ、ひとつの場所で何かをしている人に惹かれるし、あこがれもする。ひとつのところにいることは決して世界を狭めることではない、と力強く話します。そんな優さんを講師にお呼びした今回のイベントは、自分らしく、自由に生きることの面白さや、新しい価値観が共有される機会になったのではないかと思います。(レポート:檜山諒 )主催:Kochi Startup BASE事務局:エイチタス株式会社 高知ブランチ住所:〒780-0822 高知県高知市はりまや町3丁目3-3 ガイアビル4FMail: ksb@htus.jpWebサイト:http://startup-base.jp/女性起業家応援プロジェクトHP:https://select-type.com/s/?s=OauI37IZylo


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「こうち女性起業家応援プロジェクト」は、起業や育児休業後の職場復帰や再就職、移住後のキャリアチェンジ、そして、キャリアアップを目指す女性を幅広く支援するという想いから、各分野で活躍する起業家をゲストに迎えたセミナーや、生活目線から考える事業アイデアの創造に向けた学びの機会を提供し、高知の女性が自分事として取り組むことのできる新たなチャレンジを後押しすることを目指し、開催しております。第5回目は秋本可愛さん(株式会社Join for Kaigo代表取締役)。『私が就職じゃなく起業を選んだ理由-介護の未来を変えるリーダーの育成』と題して、起業するまでの経緯や、現在のチャレンジ、そして、目指す未来についてお話いただきました。秋本 可愛 氏(株式会社Join for Kaigo代表取締役)<プロフィール> 平成2年生まれ。山口県光市出身。在学中に、認知症予防のためのフリーペーパー「孫心 ( まごころ )」を発行。全国学生フリーペーパーコンテストにて、準グランプリ受賞。 2013年、大学卒業後、株式会社Join for Kaigo設立。「介護から人の可能性に挑む。」をミッションに掲げ、若者が介護に関心を持つきっかけや、若者が活躍できる環境づくりに注力。現在、都内を中心に介護に志を持つ若者のコミュニティ「KAIGO LEADERS」を運営。 2015年4月からは、一人ひとりの想いからアクションを生み出す教育プログラムを開始。取り組みが注目され、厚生労働省の介護人材確保地域戦略会議に有識者として参加。第11回ロハスデザイン大賞2016ヒト部門準大賞受賞。介護なんて、興味なかった。 今でこそ介護の未来を変えようと尽力されている秋本さんですが、実は大学2年生の時まで介護には興味がなかったそう。東京の大学で商学部に在籍し、パーティーやスノーボードなど楽しい遊びをするサークルで活動して、大学生活をエンジョイしていました。 けれど、遊んでいるだけでは、あっという間に大学生活が終わってしまう…。そう感じた秋本さんは、2年生の時に起業サークルに入ります。そこで熱意のある仲間が持ち出したテーマが「介護」でした。仲間とともに、認知症予防のためのフリーペーパー「孫心 ( まごころ )」を発行する中で、秋本さん自身も介護に強い関心を持つようになりました。介護の魅力と現実―自分に何ができるのだろう 3年生になった秋本さんは、デイサービスで認知症のおばあちゃんたちを介護するアルバイトを始めます。おばあちゃん達と接するのが楽しくて仕方なく、介護の世界の尊さや魅力を感じる一方で、様々な現実にも直面するようになりました。 例えば、とある明るいおばあちゃん。夜になるとベッドに腰かけ、こう祈っていました。「早く迎えに来てください」。周りに迷惑をかけたくない、早くこの世からいなくなりたい、と。 しかし苦しんでいるのはおばあちゃんだけではありません。周りの人たちもまた、苦しい状況に置かれていたのです。家族は仕事と介護の両立を強いられ、介護疲れから心身の健康を崩してしまう人もいました。介護という仕事の大変さゆえに職員の入れ替わりも激しく、秋本さんは学生ながら職場では古株だったそうです。 -人生の終わりは、必ずしも幸せではない。 -介護される側も、介護する側も、苦しんでいる。 それに対して何もできない無力感を感じた秋本さん。どうすればこれらの問題を全部解決できるんだろう?と考えるようになりました。 そんな時に起きた、東日本大震災。今まで遊んでいた学生の仲間たちがボランティア活動などソーシャルな動きを始めたのを見て、社会に対する若者の関心を介護領域に向けられないだろうかと思い始めました。 また、20歳のいとこの死も重なり、人生の有限性や何のために生きるかについて深く考えるようになったという秋本さん。「今、自分が何をするのか」-考えた末、出した答えは、「介護から人の可能性に挑む」 秋本さんの挑戦が始まりました。動き始めた1年目、闇の2年目 自分の進む道を見つけた秋本さんは、まず「やる気のある若者をもっと集めよう!」と考え、介護分野に関心のある学生を集めて『介護系アクティブ学生交流会』という飲み会の場を設けました。その後規模が拡大していき、今の事業にもつながる『HEISEI KAIGO LEADERS』(介護領域に志を持つ若者のコミュニティ)を軌道に乗せます。 しかし順調な事業とは裏腹に、「このやり方でいいのだろうか…」そんな不安が秋本さんにのしかかるようになりました。秋本さんが闇の2年目と表現する時期です。 次の手立てを求め、中間支援機関の須藤順氏(現、高知大学地域協働学部講師)のもとを訪ねると、課されたのはひたすら今までの自分を振り返り、掘り起こすこと。これは「マイプロジェクト」という手法で、組織開発や起業家支援などでも使われているものでした。最初は戸惑った秋本さんでしたが、自分に向き合う時間をしっかりと持ったことで、自身の原体験、方法論ではなく「なぜ」介護業界で事業がしたいのか、明確になっていきました。 そして、いったん今までの事業をリセットし、人材採用・育成支援事業やコミュニティ運営事業を展開する現在の形に落ち着きました。再び動き出す。明るい介護の未来へ。 現在、自身の会社Join for Kaigoで、様々なチャレンジを繰り広げる秋本さん。 次世代の介護を学び話し合うコミュニティ『KAIGO LEADERS』では、「2025年、介護のリーダーは日本のリーダーになる」をビジョンに掲げ、いろいろな分野の人たちとつながりを持ちつつ、介護の未来について考える場を創出しています。テクノロジーの活用やコンセプトのある介護食、地域をデザインする役割としての介護など、業界の最先端に触れ、仲間たちと対話をする中で、自分たちはどんな未来を迎えたいか、そのために自分たちがどうしたらよいのか、気づきを得てもらいたいと秋本さんは考えています。 また、思いはあっても、学んでも、行動しなければ変わりません。そこで秋本さんは、かつて「闇の2年目」を抜け出すために実行した「マイプロジェクト(マイプロ)」という手法を介護分野にも用いようと、『KAIGO MY PROJECT』という連続ワークショップを行っています。参加者は6年間で2100人にのぼり、130人もの熱意ある人たちが自分の想いを行動に変えていっています。たくさんの小さな一歩が介護の未来を変え始めています。 さらに、人材不足などの問題から、そもそも業界が疲弊感や諦めの空気を醸し出している、と考える秋本さん。「現場が変わらなければ!」との想いから、人事担当者を対象にした育成事業『KAIGO HR』の運営にも取り組んでいます。 そのほか、さらに多くの人に介護への入り口を開くため行政とコラボしたり、KAIGO LEADERSの拠点を全国に展開しようとクラウドファンディングで資金を集めたりと、秋本さんは信念をもって突き進んでいます。 -「できるかできないかではなく、やりたいかやりたくないかで選ぶ」 -「とにかく動いて、そこから学んで…。その繰り返し」 楽しそうな笑顔で、しかし力強く、そう語った秋本さん。 明るい介護の未来をつくるため、秋本さんと仲間たちの挑戦は続きます。ライフヒストリーや気づきのシェア次に参加者3人1組のグループをつくり、自身のライフヒストリーや、秋本さんのお話を通して得られた気づきを共有する対話ワークを行いました。 参加者それぞれが今までの人生をグラフに書き起こし、自分のライフヒストリーや、そこで得た気づき・教訓を紹介し合いました。今回は介護関係の仕事に携わっている参加者も何人かいた中で、お互いの想いに対する共感があったり、一方で自分とまったく違う人生の歩み方を知ることで新たな気づきがあったりして、対話が弾んでいました。チェックアウト最後は、チェックアウトと題して、一人ひとり今日の感想を話しました。参加者からは、秋本さんの話を通して得られた気づき・共感や、自分のプロジェクトを自信をもって進めていきたいという意気込みが語られました。総括 「介護から人の可能性に挑む」。そんな風に語る秋本さんの言葉の端々に、介護の、そして日本の未来を明るいものにしたいという想いが込められていることをひしひしと感じました。参加者の方々も秋本さんの想いに対し、きっと多くの共感できる部分があり、明るい未来は創ることができる、と勇気づけられたのではないかと思います。 今回が第5回を迎えた本セミナーでしたが、参加者に生まれた想いや気づきが、確かに何かの形になっていきそうな予感を感じさせる結びとなりました。今後もこの場がさらに多くの人たちに、気づきや勇気をもたらすきっかけとなればいいなと思いました。(レポート:陶山智美 )主催:Kochi Startup BASE設立準備室 事務局:エイチタス株式会社 高知ブランチ住所:〒780-0822 高知県高知市はりまや町3丁目3-3 ガイアビル4FMail: ksb@htus.jpWebサイト:http://startup-base.jp/女性起業家応援プロジェクトHP:https://select-type.com/s/?s=OauI37IZylo


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【こうちマイプロジェクト道場―今日からわたしを歩んでみよう】こうちマイプロジェクト道場は、一人ひとりの本当にやりたいことを対話とアクションを重ねながら進める学び合いの場です。今回は、自分らしい生き方で、全国各地で挑戦を続けているゲストを迎え、彼らのストーリーを共有しながら、参加者一人ひとりの想いを掘り起こしていきます。第1期第5回目のゲスト講師は丑田俊輔さん(ハバタク株式会社 代表取締役)。丑田 俊輔 氏(ハバタク株式会社 代表取締役)学生時代、千代田区の公共施設をまちづくり拠点として再生するプラットフォームサービス株式会社の創業期に参画。その後、日本IBMの戦略コンサルティング部門にてグローバル戦略を担当。2010年にハバタク株式会社を設立。「新しい学びのクリエイティブ集団」として、全国の高校・大学を中心に、海外渡航型研修やアントレプレナーシップ教育、ICTを活用した英語学習プログラムを展開。2014年に秋田県五城目町に移住。地域に根ざした起業家育成「ドチャベン」、古民家を舞台に都会と田舎をつなぐ「シェアビレッジ」、まちの遊休施設を遊び場化する「ただのあそび場」、地域の次世代が育つ教育環境づくり等に挑戦中。2018年、人と事業と文化がそだつビル「錦町ブンカイサン」を神田錦町に開設。「おっちゃんずラブ」丑田さんのいままでを振り返ってみると、愛すべき「変なおっちゃん」との出会いが、人生を変える大きなきっかけになってきていました。丑田さんにとっての、「変なおっちゃん」との初めての出会いは、19歳のとき。オフィス家具会社の社長に誘惑(!?)され、インターンに行ったのち、丑田さんは巻き込まれるようにして起業しました。公共遊休不動産の活用として、ちよだプラットフォームスクエアを作ったところ、千代田区神田に面白い企業や、起業家があふれ、ビジネスが広がりました。同時に、神田にどっぷりと浸っていた丑田さんは、一度海外に行って、グローバルを知りたいと考えるようになります。そこで、就職活動ではグルーバルな仕事ができそうな企業を受け、入社することになったのがIBM。経営資源の地球規模での最適配置を考える仕事をしながら、考えていたのは、「これから先、僕らはどんな働き方をしていくのだろう」ということでした。見据えた将来と教育その後、秋田で結婚し、子どもが生まれてから、丑田さんは、3年後ではなく100年後といったように、今まで以上に先を見据えるように変化していきました。―「“学び”をもっと多様性、創造性にあふれた環境にしたい」そう考え始めた25歳の頃、2人目の「変なおっちゃん」こと、住谷さんに出会います。デンマークで子育てをし、日本に良い学校がない、と自分の手で出る杭を伸ばす学校を作った住谷さんの姿に、教育って手を出しにくそうだけど、意外とできるんだ……と気づいた丑田さんは、2010年に新しい学びのクリエイティブ集団「ハバタク」を創業しました。はばたく学び目で、五感で、体験して考えたいと、デンマークの学校、アメリカのインターナショナルスクール、インドの農村の学校まで、世界中を見て回ります。そして日本に帰り、様々な分野、対象がある教育の中で、自分はどれをやっていくのかと考えます。その結果が―「多様性×創造性=共創的な学び」という考えでした。アメリカ、ベトナム、イギリスに拠点を作り、世界中を学びの場にすることをスローガンに、日本人が、自信をもって外国で学べるプログラムを学校向けに行っていきました。(常識)の世界旅行そして、丑田さんは、世界最貧国といわれているバングラデシュに2か月滞在しました。そこは、貨幣経済の外側。東京とは社会の構造が全く異なるその場所で、一日1ドル以下の収入でも楽しそうに暮らす人々の姿を知り、丑田さんの中で生き方のものさしが変わる経験でした。五城目町との出会い29歳の時、3人目の「変なおっちゃん」に連れられ、秋田県五城目町に遊びに行きます。まちの人が集まる朝市や、ちびちびと長く飲む秋田の飲み会、そして何よりみんないい人!こんな場所で仕事をするのもいいかもな……そう思った丑田さんはすぐに秋田への移住を決断。「住んでみなければ何をやるか分からない」、と五城目町で暮らしながら、田んぼを始めました。そして、暮らしながら、地元の人と出会い、交流が進む中で、新たな「変なおっちゃん」が丑田さんの前に現れます。築100年を超える茅葺き屋根の古民家を「もう潰すしかない」とあきらめかけていたおっちゃんの、古民家を大切に思う気持ちや古民家が育んできた価値に共感した丑田さんは、―日本の原風景を未来に残したい―都会と田舎でもっと学びあえるはずと、考えました。そこで、自分の問題意識と芽生えた課題を掛け合わせて、「シェアビレッジ町村」を作りました。シェアビレッジは、年貢(会費)を納めることによって、村民(会員)だけが泊まれる施設。一揆と呼ばれる音楽フェスや、助太刀として、地域の仕事に参加するイベントなども行い、古民家の維持や、地域課題の解決を、エンターテインメント感覚をもって行っています。そんな取り組みを進める丑田さんたちのことを、あるおっちゃんは「君たちはベンチャーだけど、絶対都会にはいないよね」と話し、こう名付けてくれました。―ドチャベン=土着ベンチャーちょっと言いにくいこの呼び名が、言っているうちに気に入ったと、丑田さんは笑います。人類最後のエンターテイメント丑田さんが五城目に移住してきたころは、3社だった会社が、気付けば15社に増えていました。みんなが半歩チャレンジできるようにと、いつもの朝市を「五城目朝市plus」として呼びかけを行うと、小商いの生まれる場になっていきました。地域の内側から面白いものがポコポコと出てくるようになってきたのです。事業を進める中で、丑田さんが大切にしているのが「遊び」です。―大人4人にカレーを作ってもらいバトルをする「ゴジョーメカレーバトル」―遊具などない遊び場を子供たちのためにみんなで作る「ただの遊び場」本気で遊ぶことで、大人も子どももみんな活き活きとした表情になっていきます。「世界の色々な地域の風土や文化を楽しむ、それは人類最後のエンターテインメント」と丑田さんは言います。―ご縁とあそびという自然発生的―変わり続けるという動的平衡「子どもの学びは、大人の背中+遊びから生まれる」と丑田さん、子供も大人も遊び、学び続ける社会にしたいと語ってくださいました。マイプロジェクトのシェアいよいよ一期も最終回ということで、「私の変化編」と「アクション編」の二つを中心に、参加者が第一回から今回までの中で、どんな変化が起こったか、どんなアクションをしたのかを一人ずつ話し、疑問や感想を共有しました。皆さんそれぞれが、自分の中の変化や気付きを得ただけでなく、行動に移すということを全員が実践していらっしゃいました。そして私が一番感動したのは、皆さんが次のステップに進むために前向きだったことです。苦しい、悩んでいる、と話す人も、次のアクションをしっかり考えていて、これからもっと面白いことが起こりそうだと感じました。チェックアウト最後は、チェックアウトと題して、一人ひとり今日の感想を話しました。参加者のみなさんからは「やりたい気持ちがあふれている。みんなのことも応援したい」「新鮮な場に参加できて良かった」といった感想や、「自分がやりたいことに向けて、頑張れている」と気づきを話してくださる方もいました。総括最終回となる、マイプロジェクト道場第5回、丑田さんのお話や、参加者の発表を聞く中で、「人との出会い」は一つのキーワードになったのではないかと思います。アッと驚くようなパワフルな人、今まで話したこともなかった異業種の人、年齢も考え方も違う人、そんな人との出会いが、自分自身が一歩進むための大きなきっかけになることを、私自身も学びました。またみんなで会って近況報告がしたい、そう話す皆さんの横顔は、きりりとして、この連続講座が、皆さんの「マイプロジェクト」を実現するための素敵な一歩になったように思います。(レポート:檜山諒 )主催:Kochi Startup BASE設立準備室 事務局:エイチタス株式会社 高知ブランチ住所:〒780-0822 高知県高知市はりまや町3丁目3-3 ガイアビル4FMail: ksb@htus.jpWebサイト:http://startup-base.jp/こうちマイプロジェクト道場HP:https://peraichi.com/landing_pages/view/mypro


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「こうち女性起業家応援プロジェクト」は、起業や育児休業後の職場復帰や再就職、移住後のキャリアチェンジ、そして、キャリアアップを目指す女性を幅広く支援したいという想いから、各分野で活躍する起業家をゲストに迎えたセミナーや、生活目線から考える事業アイデアの創造に向けた学びの機会を提供し、高知の女性が自分事として取り組むことのできる新たなチャレンジを後押しすることを目指し、開催しております。第四回目は井川愛さん(合同会社Yaika factory 代表)。『「好き」を仕事にする秘訣-移住女子の起業ストーリー』と題して、高知に移住する経緯や、移住後の暮らし、チャレンジ、そして、今、についてお話いただきました。井川 愛 氏(合同会社 Yaika factory 代表)京都生まれ千葉育ち。大妻短期大学国文科を卒業後、就職活動を放棄し半年間カナダへ。帰国後、販売職、OL、イベント運営など様々な職を経験。2004年から司会事務所に所属し、司会業と研修講師を10年間務める。 2011年に結婚。2014年司会業から離職し、主婦業に専念。その後、大好きな猫のために「港のネコとおばあちゃんプロジェクトを立ち上げ、2016年10月、猫のおやつ作りで事業化を目指し、単身高知に移住。 「第2回高知を盛り上げるビジネスプランコンテスト」で最優秀賞受賞。地域おこし協力隊として1年半活動し、2018年2月に合同会社Yaika factory設立。現在、猫のおやつの製造販売を行っている。暗黒時代の始まり  自らの学生時代を暗黒時代と語る井川さん。その始まりは5歳の時、父親が借金を肩代わりし、その借金取りから逃げるために夜逃げをしたところから始まります。夜逃げをしてから数年は引っ越しを繰り返し、友達もできず、話し相手は、動物のぬいぐるみや飼っていた犬だったそう。幼いころは当たり前だと感じていた生活も、小学校高学年くらいになって物心がついてくると、自分が貧乏で不幸な生活をしていると思うことが多くなりました。子どもながらにやりたいことがあっても、「貧乏」を言い訳に、やりたいことを素直に言えない、ひねくれた子になってしまったといいます。 年を重ねるごとにマイナス思考に陥り、自分自身を表現することが苦手になってしまった井川さん。やりたいこともなく迎えた就職活動では、机に向かってひたすらに作業する事務の仕事は自分にはできない、と2社目で諦めてしまいました。そして、選んだのは海外へ行くこと。CAになりたいと理由をつけ、半年の間カナダで過ごしました。しかし、お金も無くなり、日本に帰ってくると、就職氷河期真っ只中。仕事が見つからず、飲食系からお見合いパーティーの司会まで、本当に様々なアルバイトをしたといいます。長く続く仕事がなく思い悩んだ末、今までにやってきた中で、楽しく、カッコいいと感じた、結婚式の司会をしよう!と井川さんは決めました。いつもの不幸を乗り越える 司会の勉強したい!と、アナウンサー事務所に就職しようと活動しますが、すべて落ちてしまいました。-「やっぱり私は不幸な子だからうまくいかないんだ」 普段ならそう考えて諦めていた井川さんですが、この時は違いました。求人をしていない会社に電話をして、社長に直談判をした結果、司会者として育ててもらえることになりました。 まさか、採用してもらえると思っていなくて、「ほんのちょっと勇気を出すだけで、望みが叶うんだ!」と衝撃を感じたそう。働きだしてからも、毎日家に帰ると、その日の仕事を振り返って涙を流すほど、この仕事ができることが嬉しく、いつも熱心に働いていため、あっという間に責任のある職を任せてもらえるようになりました。人生の転機しかし、10年間務めた大好きな会社を38歳で辞めることを決意。家庭を持ったこと、完璧を求めて仕事をし続けてきたストレスから体調を崩したことなどが原因でした。辞めてから、立て続けに、一年に3人もの大切な人を亡くすというショッキングな出来事が起こりました。 そして39歳になったとき、大切な会社との別れや大切な人たちの死を受けて、「これからの人生、私はどうやって生きる?」そんな根源的な問いが井川さんの中に生まれたといいます。「それは自分自身が選ばなければいけないな」、そう思った井川さんは今までにやったことの無いことをしようと思い立ちます。 それからというもの、365日散歩をして、そこで見えたものを投稿したり、100人行脚と題して、昔の友人から話題の人まで、気になった人にとにかく会いに行ったりと、積極的に行動します。その結果、もやもやとたくさんあった「自分のやりたいこと」が、「海のそばに住みたい」、「猫が好き」、「年をとっても活躍できる自分の居場所を作りたい」という3つに絞ることができました。やいかとの出会い3つのうちの1つ、海のそばに住みたい、それを叶えるために井川さんは、東京で行われていた移住フェアに足を運びます。そこで訪れた高知県のブースで、高知の人の明るくてちょっとゆるい人柄に触れ、中土佐町矢井賀(やいか)の存在を知り、試しに旅行に行ってみることにしました。そして実際に矢井賀の海を訪れ、井川さんはその美しさに衝撃を受けます。「私、多分ここに住むな、ここで事業をするな」、そう直感し、その日のうちに役場の人に家を探しておいてほしいと頼みました。中土佐町での生活 移住することを決めた井川さんですが、はじめは旦那さんに反対されたといいます。何度も何度も自分のやりたいことを説明し、話し合いを重ね、移住の2ヶ月前にようやく理解を得られました。そして、役場の方に紹介されたビジネスコンテストに「港のネコとおばあちゃんプロジェクト」で応募し、移住2日目にして見事優勝。地域おこし協力隊として働きながらいよいよ高知での生活が始まりました。 しかし、地域おこし協力隊着任初日から区長さんやおばあちゃんたちからは「このまちをネコだらけにする気か!」と怒られてしまいます。井川さんは地域の人の誤解を解くため、お手紙を書いては回覧板で回します。他にも製造場所がなくプレハブをトラックで運んできたり、作ってもなかなか売れなかったり、と困難は数えきれないほど起こります。 それでも井川さんは「本当にやりたいことをやっているから面白い」、と語ります。 誤解から始まった地域の方との関係も今では井川さんを支える大切な仲間。以前は完璧主義で人を頼れなかった井川さんも、地域のおばあちゃんたちや漁師さんたちと協力し、できないことをオープンにしたことで、教えてくれたり、仲間意識が生まれたりすることに気づきました。 失敗した時も、ネタとしてコラムに書こうと前向きに捉え、支えてくれる「人」がいるから事業を続けることができている、と井川さんは笑顔で話してくれました。これまでの人生で学んだこと そして最後に、井川さんが「好き」を仕事にできたプロセスを語ります。 まず一つ目は「好き」をみつけること。「好き」を仕事にするには「思い」だけではなくコストや時間、労力をどれだけかけたかという「思い入れ」が必要で、井川さんの場合は、愛猫のオルカ君が当てはまったといいます。 2つ目は「好き」にプラスすること。 井川さんは、「好き」という気持ちのほかに、どうして猫の殺処分が無くならないのか、どうして歳をとるのが幸せなことになる社会じゃないのか、といった自身のモヤモヤした気持ち、そして、ネコ好き以外の人も幸せにできる事業がしたい!という思いを足していきました。 そして3つ目は「好き」への階段を作ること。 自分の理想の状態を絵にかき、そこから逆算する方法で、絵などの言語以外で形にすることにより、今の自分がするべきことを見つけ出します。今日のイベントのために、4年ほど前に自分が作ったものを久しぶりに見たそうですが、叶っていることが多く、井川さん自身にも鳥肌が立つような発見があったようです。 そして、最後に井川さんは、-「今日の積み重ねが未来を作る」-「だから、今日一日を笑顔で終われる選択をする」-「そうすれば、好きなことでいっぱいになる生活ができるのではないか」と話してくださいました。ライフヒストリーや気づきのシェア 次に参加者3人1組のグループをつくり、自身のライフヒストリーや、井川さんのお話を通して得られた気づきを共有する対話ワークを行いました。 参加者それぞれが今までの人生をグラフに書き起こし、自分がどんな人生を歩んできて、そこで得た気づきや教訓を紹介し合いました。今回は井川さんのお話を通じて自分の「思い入れ」のあるものは何か、を考えながら話をしている方も多くいました。チェックアウト 最後は、チェックアウトとして、一人ひとり今日の感想を話しました。 参加者からは、笑顔が本当に素敵だった。井川さんの話を聞いて、自分が出来ないと思っていたことに対して前向きに捉えられるようになった。といった感想や、好きなことをやっているはずなのにモチベーションが下がってしまうときにどうしたらよいか、という質問も挙がりました。井川さんは、丁寧に感想に応ええくださったり、「嫌になることも多いが、地域の漁師さんやおばあちゃんなどの仲間が背中をおしてくれる」、とアドバイスをしてくださったり、しました。総括 「これまでのことは全部経験になっていたなと思った」 そうおっしゃる井川さんのお話一つ一つに、参加者の方は共感したり、発見したり、考えたりしていたように思います。女性ならではの悩みや強み、そういった部分も共有できた回になりました。 井川さんと参加者自身の人生を振り返りながら、自分の「好き」を仕事にするためのヒントを見つける。そんな素敵で前向きな気持ちになれるイベントになったと思います。(レポート:檜山諒 )主催:Kochi Startup BASE設立準備室 事務局:エイチタス株式会社 高知ブランチ住所:〒780-0822 高知県高知市はりまや町3丁目3-3 ガイアビル4FMail: ksb@htus.jpWebサイト:http://startup-base.jp/女性起業家応援プロジェクトHP:https://select-type.com/s/?s=OauI37IZylo


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【こうちマイプロジェクト道場ー今日からわたしを歩んでみよう】こうちマイプロジェクト道場は、一人ひとりの本当にやりたいことを対話とアクションを重ねながら進める学び合いの場です。今回は、自分らしい生き方で全国各地で挑戦を続けているゲストを迎え、彼らのストーリーを共有しながら、参加者一人ひとりの想いを掘り起こしていきます。第四回目のゲスト講師は菅本香菜さん(株式会社CAMPFIRE/旅するおむすび屋)。菅本さんが、なぜ大手クラウドファンディング運営会社で勤めながら、旅するおむすび屋としての事業も行っているのか、どのような原体験を経て、今どんなことを考えて、どんなビジョンを描いているかといったことをお話しいただきました。菅本 香菜 氏(株式会社CAMPFIRE/旅するおむすび屋) 株式会社CAMPFIRE LOCAL・FOOD担当 / 旅するおむすび屋1991年生まれ、福岡県北九州市出身。熊本大学卒業後、不動産会社での営業を経て、食べものつき情報誌『くまもと食べる通信』の副編集長として活動。熊本震災後に上京し株式会社CAMPFIREに転職、LOCAL・FOOD担当として全国各地のクラウドファンディングプロジェクトをサポートしながら日本の魅力発信に努める。本業の傍ら2017年5月に、旅するおむすび屋『むすんでひらいて』プロジェクトを立ち上げた。メディア出演 : NHK「人生デザインU-29」など拒食症だった私 福岡県北九州市で生まれ北九州で育った菅本さんは、4人兄弟の長女として生まれました。 子どものころは自分に全く自信を持てなかったという菅本さん。痩せ型でまわりに比べて背丈もあったので、スタイルがよいことをささやかな自信としていました。 あるとき、お父さんから「ちょっと足太くなった?」と言われたことをきっかけに、ささやかな自信がなくなってしまいます。その言葉をきっかけに、菅本さんは簡単なダイエットを始めました。それは、17時以降は食事をとらない、というもの。実際に試してみると、数字は裏切りません。体重はどんどん減って、体重が減ることが新しい自信になっていきました。 お父さんの些細な一言から始めたダイエット。裏切らない数字にどんどん自信がついてしまい、何かを食べて体重が増えてしまうことが怖くなってしまっていました。家族で食卓を囲んでご飯を食べても、体重が増えてしまうかもしれないのに食べてしまったという罪悪感。家族みんなで食べるために用意してくれたご飯を食べることができなくても罪悪感。当時のがりがりに痩せた写真を見せながら、菅本さんは淡々と語ってくれました。 中学時代は、半年ほど入院しましたが義務教育で院内学級に通えたため留年せずに済んでいました。しかし、高校は義務教育ではないので1年生のときにドクターストップがかかり、登校できない状態にまで陥ってしまっていました。 当時のことを振り返って、友だちの家に行くのがいやだったと語る菅本さん。ご飯を出してもらった時に食べられないことがつらいから。でも、2回目の高校2年生の時の友だちとの出会いが、菅本さんを変えました。そのお友だちは、菅本さんが食べられなくても、全く気にせずに、一緒に食卓を囲むことを楽しんでくれたのです。  -一緒に食べられない私との食卓を、彼女は楽しんでくれた-彼女と囲んだ食卓を、食べられない私も楽しめた-食べられないより食べる食卓の方が、私も彼女ももっと楽しめるかも この経験から、菅本さんはだんだんと食べられるようになっていきました。高校を卒業して、大学生になって2か月後、菅本さんは6年間全く治らなかった拒食症を克服しました。“どうせ無理”をなくすためのチャレンジ大学生の時、菅本さんは、2011年の東日本大震災を経験、衝撃を受け、震災復興支援のインターンに参加しました。インターンを通して何でも話せる仲間ができた、と語る菅本さん。自分からは進んで言いにくい、自分の拒食症のことも話せました。 「拒食症だった経験があるからこそできることがあるんじゃない?」 インターンの仲間の言葉から、自分自身の拒食症と向き合ってみて、菅本さんは自身が大切にしたい3つのことに気が付きました。-どうせ無理、が世界を狭めてしまうこと-同じご飯を食べながら囲む食卓が幸せであること-食べるものが体を作っているということ このような気づきがあったころ、菅本さんのまわりでは就職活動が始まり、「どうせ無理」が蔓延し始めました。そんな現状を打破したくて、菅本さんは考えます。子どものころ、誰しもが一度は夢見たことがあるような、そんな何かを実現できたら、「どうせ無理」なんてないことを証明できるのではないか・・・。仲間と相談して、たどり着いたのが、「風船で空を飛ぶこと」でした。 この突拍子もないようなことが、学生100人、参加費1人1万円の学生キャンプの出し物として、実現します。参加したみんなで号泣してしまうくらい、感動の出来事でした。 もちろん、菅本さんだけの力ではありません。理系の学生が人が空を飛ぶために必要となる浮力を生み出すために必要なヘリウムガスの量を算出、風船がいくつあれば人1人が空を飛ぶことができるのかを、理論値を計算してくれました。それらの資材を用意するために必要な見積もりを取ってみると、それだけで80万円かかることが分かりました。イベントの予算は100人×1万円の総額100万円。キャンプのための資材や食料なども必要となる中で、予算が圧倒的に足りません。 -「どうせ無理」をなくすために考えたのに、ここで諦めるわけにはいかない 菅本さんたちは、企画書を作成して、熊本の大人たちに自分たちの想いを語ってお金を出してくれるようにお願いしてまわりました。共感してお金を出してくれる企業もあれば、「お金では出せないけど、、、」といって養豚屋さんが豚を半頭提供してくれたり、養鶏屋さんが卵100個提供してくれたり、共感の輪が広がっていき、それぞれの方法で協力してくださる方々もでてきました。 この経験が、いまでも生きていると語る菅本さん。「それってクラウドファンディングだよね」と株式会社CAMPFIRE代表の家入さんが教えてくれました。この時初めて、クラウドファンディングという言葉を知った菅本さんは、自分の経験を活かせると思い、入社することになりました。大好きなおむすびから自分でもチャレンジ!  株式会社CAMPFIREで働き始めた菅本さんは、FOOD/LOCAL担当として、全国を飛び回って仕事をしていました。他人のプロジェクトとチャレンジを応援していく中で、自分でもプロジェクトにチャレンジしたいという気持ちがだんだんと強くなっていきました。 そんな時、新潟でさくらちゃんと出会います。ご飯が好きな二人はすぐに意気投合。旅するおむすび屋さんを始めることになりました。「おにぎり」ではなく「おむすび」という言葉にこだわりがある菅本さん。おむすびを通してご縁を結んでいきたいと考えています。このプロジェクトで、クラウドファンディングに調整し、目標金額50万円のところ、倍となる100万円のお金が集まりました。 ちょっとした出会いから、やりたいことを見つけることができました。やり始めてみたら、小さなナリワイになりました。ナリワイを続けていったら、だんだんと引き合いをもらうようになって、副業になりました。副業を展開していくことで、メディアにも掲載されるようになり、講演の依頼をもらうようになり、プロジェクトでの協業を持ち掛けていただくようになり、人を紹介してもらうようになり、、、思いもよらなかった展開が次から次への起こり始めました。 おむすびを真ん中に、いろんな人のいろんな想いに触れて、様々な企画との掛け算があちこちで生まれています。 CAMPFIREの仕事も旅するおむすび屋の仕事も、どちらも共通しているのは、「誰かの世界を少し広げられたら」という想いがあること。-いま、自分の目の前にいるお客さんの1人は苦しんでいたころの自分自身かもしれない-かつての自分に対して「生きていてくれてありがとう」って伝えたい-自分自身のつらかった過去があるからこそ今の自分がある-人生で何一つ無駄なことはない-その経験があったから「だからできる」を探してみて菅本さんの経験からくる、芯の強さを感じさせるメッセージとなりました。感想・気づき・質問のシェア キーノート終了後、参加者から「まわりからの協力を得る秘訣は?」「やりたいことを実現するための壁にあたったときは?」といった質問がなされました。「笑顔でいること」「ノリでやってしまう、1回できる経験をするとあとは不安はなくなる、何を言われてもそれでもやってみることが大切」と菅本さんは回答してくださりました。マイプロジェクト共有ワーク 休憩を挟み、難波 佳希氏(難波ファシリテーション事務所)によるファシリテーションで、参加者同士のマイプロジェクト共有ワークです。 今日得て帰りたいゴールを各参加者が設定しての、プロアクションカフェという方式でマイプロジェクトのプロジェクト編の共有を行いました。 3つのテーブルに分かれ、各参加者がテーブルのホストにつき、そこに他のメンバーが参加してホストのプロジェクトをブラッシュアップするためのフィードバックや対話を重ねました。チェックアウト マイプロジェクト共有ワークが終了した後、参加者一人ひとりが今日の感想や気づきをシェアし合うチェックアウトを行いました。 菅本さんんの話から得られた教訓や学び、マイプロジェクトシェアにより得られた気づきや自分に対する問いなど、様々なコメントがあげられました。まとめ 菅本さんは、学生だった時に「どうせ無理」をなくしたい、という想いのもと、プロジェクトを立ち上げて、成功させたり、同じご飯を食べながら食卓を囲む幸せを共有したいという想いから、事業を起こされたり、まさに、マイプロジェクト的な発想で自身と向き合うことでプロジェクトを形にしてきている、フロントランナーでした。菅本さんの想いと実践の一つ一つが、参加者にとって学びとなって、自分の想い、そしてプロジェクトを形にしていくための糧となったようでした。そのうえで、プロジェクトについて、語り合うことで、想いとプロジェクトの関係を整理していく機会にもなりました。(レポート:石原 光訓)※マイプロジェクトとはマイプロジェクト(マイプロ)とは、「一人ひとりが自分とつながり、仕事とつながり、地域や世の中とつながり、一歩踏み出す背中を押す手法」です。私たちは日々暮らす中で、 「漠然といつかはこういうことをしたい」といった想いや、身の回りで起こった出来事やニュースを見て不満を抱いたり、「もっとこうしたら良いのに」、「どうして変わらないのだろう」といった違和感や想いを持ったりします。 “マイプロ”は、そんな「わたし」が感じている些細な問題意識や違和感、疑問に素直に耳を傾け、その「何か」を「プロジェクト(Project)」の形にして、「やってみる」ことから始まる、自分と仲間、世の中の変化を仲間同士で面白がり支え合う取り組みです。「本当のわたし」がずっと思い続けていた夢や好きだったけどいろんな理由で諦めてしまったこと、ずっと心の中に引っかかってたけど見てみぬふりをしたり、やり過ごしてきてしまったこと。社会や周りの期待や求めていること、自分が持っている知識やスキルはもちろん大事だけど、子どもの頃のように、周りの目や評価を気にしないで、「自分の好き・やりたい」っていう想いに正直に向き合い、一歩踏み出すことを仲間と共に目指すことがこの講座の目的となります。慶応大学SFCの井上英之研究室からスタートしたマイプロジェクト手法は、現在、全国の大学教育、高校におけるキャリア教育のほか、起業家育成や企業の人材育成など、様々な場面で活用され、注目を集めています。主催:Kochi Startup BASE設立準備室 事務局:エイチタス株式会社 高知ブランチ住所:〒780-0822 高知県高知市はりまや町3丁目3-3 ガイアビル4FMail: ksb@htus.jpWebサイト:http://startup-base.jp/女性起業家応援プロジェクトHP:https://select-type.com/s/?s=OauI37IZylo