Check our Terms and Privacy Policy.

失われ行く商店街をアートの力で残したい!思い絵プロジェクトin石巻

現在の支援総額

253,500

153%

目標金額は165,000円

支援者数

68

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2011/10/26に募集を開始し、 68人の支援により 253,500円の資金を集め、 2011/11/27に募集を終了しました

エンタメ領域特化型クラファン

手数料0円から実施可能。 企画からリターン配送まで、すべてお任せのプランもあります!

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

失われ行く商店街をアートの力で残したい!思い絵プロジェクトin石巻

現在の支援総額

253,500

153%達成

終了

目標金額165,000

支援者数68

このプロジェクトは、2011/10/26に募集を開始し、 68人の支援により 253,500円の資金を集め、 2011/11/27に募集を終了しました

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています



thumbnail

みなさんご支援ありがとうございます。石巻の復興バーの壁にライブペインティングします!と前にポストしましたが、メンバーと、マスターと話し合い、壁にはマスターの思い絵を描く事になりました。毎日多くの人があつまる復興バー。石巻の人も、外からやってきた人も、ここでお酒を片手に談笑しています。今日は金曜日なのできっと、ラーメン屋が外に来ていて、寒い中外であったかくておいしいラーメンをみんなで食べていると思います。そんな復興バーに、たくさんの人があつまるのは誰でもない、マスターである松村さんの人柄だと思います。物腰が柔らかく、どんな話にも耳を傾けてくれて、とても優しい方です。そんな彼には、バーテンダーとしてお世話になった師匠の様な方がいるそうです。それは、復興バーから歩いて5分ほどのところにある、あるバーのマスター。「そこのバーはちょっと古くて、そんなにお洒落ではないんです(笑)でも、すごくあたたかくて、いつもたくさんの人でにぎわっていたんですよ。」松村さんは笑いながら話してくださいました。しかし、そこのマスターも、マスターの奥さんも、残念ながら亡くなってしまったそうです。松村さんだけでなく、石巻にすんでいる多くの人はそのバーを、そこのマスターを今でも愛していると思います。お店は復活することはできなくても、復興バーに、絵として、そこのバーを再オープンさせたい。そして、そこのお店が、そのマスターが多くの人の記憶の中で生き続けてくだされば、という願いを込めて、私たちは絵を描こうと思います。


thumbnail

前回のポストに引き続き、今回も思い絵を紹介したいと思います。これはプロジェクトメンバー山崎が描いた思い絵です。8月12日。大地震が起こってから5ヶ月というところで、宮城県亘理町のボランティアセンターはその役目を終えていようとしていました。その日、亘理町のボランティアセンターを訪れた私は、一人の女性にお話しを伺いました。その方は亘理町に住んでいらっしゃる方で、自宅も被災したにもかかわらず、ボランティアセンターにほぼ毎日のように訪れ、お仕事されている方でした。「自分も被災をしたけれど、わざわざ遠い土地からやってきて、ボランティアしてくれる人たちをみていると、自分もなにかしなきゃ!という気持ちになる」ボランティアセンター内は日本各地からの応援メッセージでいっぱい。表にはひまわりの絵と「ありがとうございました」の文字。この5ヶ月間の多くの人の亘理町への思いがぎゅっと凝縮されているような空間でした。ボランティアセンターがなくなるということは、需要が少なくなってきた、ということです。つまりは復旧が進んでいるということ。当然喜ばしいことなのですが、すこし寂しくも思えました。その日の夕方、最後のバーベキュー大会にまぜていただいても感じた、亘理町とボランティアの方々のあたたかさ、この土地への愛着。「このボランティアセンターを描いてほしい」といってくださった方の思いと、私が感じたことをこめて、描いたのがこの思い絵です。これはその場所にいかなくては、人と触れ合わなければ、描くことのできなかった絵。まさに『思い絵』だと思っています。


thumbnail

今までは主に石巻でのお話をPOSTしてきましたが、今回はプロジェクトページでも紹介している、”山元町の希望の木”の思い絵を紹介したいと思います。これは、思い絵の作者である安達さんが書いてくださった文章です。---お盆は、祖母の住む宮城県亘理町に行ってきました。そこで、現地復興コーディネーターとして活動している、ある若い男性と出会いました。彼が連れて行ってくれた、山元町沿岸部にある、とある場所。まわりの建物は、全て流され、1つ小学校だけがそこにあり、がれきの撤去も落ち着いた今、家の基礎がかろうじて見えることで,ここに家がたくさんならんでいたのだ、ということがわかりました。そこに、一つ、目に飛び込んでくるものがありました。それは、津波に堪えた一本の木。 「ここの風景を、のこしてほしい」 彼は、そうぽろりとこぼしました。目の前には海が広がっていますが、人は一人もいません。ただ風と波の音だけが聞こえます。家の基盤が並び、所々草が生えており、茶色い土があらわになっています。残された防風林は寂しそうに枝を揺らしていました。遠くに見えるショベルカーがなんともたよりなさそうに放置され、後ろをふりかえると、そこには、瓦礫が片付いていない学校と、廃車が山積みにされていました。瓦礫の山には草が生い茂っており、なんとも不思議な光景が広がっているのです。「あの木が、今にも枯れてしまいそうなのが、わかる?下の根元が白くなってきていて...多分塩のせいなんだけど...家の基盤の数をみて、ここにどれだけ多くの家があったかわかるよね。そんな家がすべて流されたのに、あの木は、まだここに残ってるんだ。生き抜いたんだ。だから、この木をどうにかして残してほしいんだ。」ちょうどその日は8月11日だったので、彼と一緒に、そこで黙祷を捧げました。亘理町に戻る車の中で、復興の希望の種は、もしかしたら、外から入ってくるものでもなく、新しく生み出されたものでもなく、そこにのこったもの、なのかもしれないと感じました。東京に帰ってきてから、彼をはじめとする、亘理町で出会ったたくさんの人の復興への希望を、この絵で表現し、彼にプレゼントしようと決めました。人々の様々な思い、そして復興へむかっていく力と、ガラスや水が光を受けて反射し、様々な色を作り出す様や、繊細だけど力強い様を重ね合わせてこの絵を描きました。あの木には、ずっとそこで復興のシンボルとして強く根を張っていて欲しいと思います。ーーー後日談ですが、本人にこの思い絵を渡しにいきました。彼だけでなく、この景色を見たことのある方々は、この絵をみただけでどの木を描いたのかがわかったみたいです。とっても喜んでくださって、なんと彼の活動の1つのブログにもupしていただきました。 facebookにもコメントが寄せられ、本当に嬉しい限りです。彼:これ本当に素晴らしいです。最近、合う人合う人にこのYOUTUBE (※プロジェクトページに載せているものと同じです)を見せてるのですが、みんなすごい驚きます! Mさん:この絵はすっごくキレイでしたねえ。透明な哀しい光の中で明日に向かう希望の胎動が地中から根本にどんどん集まってきているようでココロに刺さる一枚でした。 Kさん:すっごい、素敵!! そうだね。あの樹の生命力が沸き立つような美しさは、まさに「希望」。 などなど。一枚の絵が、こんなにも多くの人の気持ちに届くなんて思ってもいませんでした。思い絵プロジェクトを今後もっとたくさんの人に届けることで、たくさんの人のエネルギーになれば、と思います。