復興のために何ができるのだろう。このことを考えはじめて、1つ思った事が「現地の人や状況に長く意識を向け続ける事も、支援の1つなのではないか」ということです。みなさんは、2010年に起きたハイチ地震のことをまだ覚えていますか。死者31万6千人に及ぶ大きな地震。もう過去の事だと思っていませんか。海外からみると、日本の地震も同じように過去のものになっているのが現状です。原発については時々BBC NEWSでも扱われていますが、震災という点においてはほとんど報道されていません。また、1995年に起きた阪神淡路大震災で被災された方が、「震災から16年経った今でも、被災地という感覚は抜けません」「未だに震災のことがトラウマになっている人もいます」という話をされました。復興がいかに長い道のりなのかを感じた瞬間でした。しかし、「助けてください」というメッセージでは、もう届かなくなってきています。マイナスではなく、プラスなメッセージで、いろんな人を巻き込めないだろうか。プラスだからこそ、もっと長く意識の中にとどめておけるアプローチの方法は何だろうか。現地とは少し離れていますが、それでもできることがあるのではないだろうか。そんな気持ちから思い絵プロジェクトは始まりました。まだまだ若いプロジェクトですので、現地に行く度にそこのニーズに合わせて少しずつ変化しています。今はとにかく実際に足を運んで、色んな人に出会い、ストーリーを見つけることを中心に活動しています。さて、このプロジェクト、進めていくうちに、ユニークな点があることに気付きました。それは美大生、描き手側にあります。絵を描くには何時間という時間がかかります。私たち描き手は、現地の方のストーリーを元に、その人の気持ちや、その周りの風景を1つ1つ考えながら筆を進めます。数時間にわたってその人のことを『想う』のです。つまり、現地のことを、メディアが取り上げるニュースや客観的事実からとらえるのではなく、一人の人を想うことで、同時に被災地の事を思い、その地域に、描き手は心を寄せるようになるのです。これはかなり独特な現象なのではないでしょうか。また、思い絵を描いた人の中には、現地の方とその絵が「絆」となって、素晴らしい関係になった人もいます。たくさんの美大生が思い絵プロジェクトに参加して、どんどんその地のファンになってくれればと密かに想っています。
石巻では人が集まる場所があります。1つは、前にポストした「かめ七」さん。そしてもう1つは、今回紹介する「復興BAR」です。実はこの復興BAR、津波の被害を受けたビルを修復して出来たお店なのです。詳しくはこちら(http://ishinomaki2.com/category/bar/)店内は狭く、そこにいる人と自然と会話ができる広さでした。マスターも物腰が柔らかく、常に誰かが飲みにきて話をしています。今回、そこのマスターの松村豪太さんのご協力のもと、思い絵プロジェクトで、復興BARの壁に絵を描かせていただくことになりました!復興BARは、震災後にできた復興へのパワーの象徴の1つだと思います。どんな絵にするかはまだ決めていませんが、そこに集まってくる人が見て楽しくなるような、長く愛されるものにしたいです。ペインティング中も公開して、面白いイベントにできればと思います。
では前回に引き続き、石巻で出会った人のお話をポストします。石巻で、とある女の子にお会いしました。その女の子は絵を描くのが大好きで、一緒にお絵描きをしたり、学校の話をして遊んでいました。でも、周りに人が居なくなった時に小さな声で「あのね、実はね、私の誕生日は、3月11日なんだ。」と、つぶやきました。彼女は、誕生日に何が起こったのか、ぽつりぽつりと話し始めました。でも、すぐに「この話はおしまい!だって、みんな暗くなっちゃうんだもん!そんなの駄目!」と、とびっきりの笑顔で言いました。ケーキは食べられなかったけど、おいしいものは食べられたよ!と、私たちに笑って言いました。その後、しばらくはその女の子の事が頭から離れませんでした。多分、彼女はそうとう周りの大人に気を使っているのだろうなと思いました。でもそれは彼女だけでなく、被災地にいる多くの子供たちがそうなのでは無いかなと思います。何ができるかはわかりませんが、一刻も早い心の復興を願っています。
先日、安達と山崎は石巻に行ってきました。いろんな出会いがあったので、数回に分けて紹介できればと思います。また、ここで紹介するのはあくまでも、その人個人の体験や意見であって、時に偏ったものであるということをご了承ください。石巻、といっても石巻商店街のある石巻駅前あたりを重点的にまわってきました。まだまだ瓦礫の撤去がおわっていない場所もあれば、お店を再開した場所もありました。しかし、みんなどこに隠れているのかと思うくらい道には人がおらず、全体的にシャッターが閉まっているお店が目立ちました。しかし、そんな石巻にも人が集まる場所がありました。そのうちの一つが、呉服屋の「かめ七」さんです。ここのご主人はとっても物腰が柔らかく、本当に優しい方でした。武蔵野美術大学出身ということもあり、私たちにとても優しくしてくださいました。ここで1時間ばかり、奥さんとご主人と話をしていると、次から次へとお客さんがやってきます。もちろん、呉服を買いにくる方がほとんどでしたが、中には、ただ話をするために来る人もいました。普段はそんな人たちが集まって、勝手に集会所みたいにしちゃうんだ、なんてご主人は笑っていました。そんな、かめ七にあつまる皆さんはもちろん、それぞれ様々な形で被害にあった方ばかり。会うと、3月11日のことをゆっくりと思い出すように話されます。かめ七さんのお店は1階がお店になっていて、2、3階が自室になっているそうです。地震があったときは驚きましたが、まさか津波がくるとは思っていなかったそうです。激しい揺れで倒れた棚などを片付けていたときに、ふと海側をみたら、黒くて大きな波が押し寄せていたそうです。奥さんはいそいで母親の手をひいて、自室の3階ににげました。ふと外を見ると、真っ黒な波が外でうなっていたといいます。電気も通らない、ラジオもない中で、彼らが映像を見たのは、震災から1ヶ月経ったあとだそうです。最初みたときには、目の前の映像が信じられなかったそうです。震災後はボランティアの人が沢山きて、お店の泥かきや、片付けを手伝ってくれたそうです。最初はお店を再開する気は無かったそうです。でも、ボランティアさんのおかげでお店が片付き、再開することができたと語っています。「かめ七」さんには、かめの置きものや人形が沢山ありました。しかし今回の津波で流れてしまったそうです。できるだけ、見つけ出して綺麗にしたそうですがやはり多くのかめが流されてしまったそうです。それを知ったボランティアの人が、後日かめの人形を送ってくれたそうです。それを嬉しそうに語るご主人をみていたら私たちも嬉しくなってしまいました^^お店を再開した今、様々なひとが毎日かめ七にさんに集まっています。こんな場所が、もっと石巻に増えて、家にひきこもっている人も少しずつ、元気になる日がくることを願っています。