神秘的な荒神神楽!大山三宝荒神社大神楽をDVDとカレンダーで記録に残したい!

中国山地に古くから伝わる荒神神楽は一般の人はなかなか観ることができません。 その貴重な荒神神楽が2016年11月3日、霊峰伯耆大山の三宝荒神社跡で行われます。 重要無形民俗文化財の下蚊屋明神社、比婆荒神神楽社の神楽舞をプロカメラマンが撮影し特製オリジナルカレンダーと映像DVDにしてお届けします。

現在の支援総額

913,000

152%

目標金額は600,000円

支援者数

86

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2016/10/18に募集を開始し、 86人の支援により 913,000円の資金を集め、 2016/11/17に募集を終了しました

神秘的な荒神神楽!大山三宝荒神社大神楽をDVDとカレンダーで記録に残したい!

現在の支援総額

913,000

152%達成

終了

目標金額600,000

支援者数86

このプロジェクトは、2016/10/18に募集を開始し、 86人の支援により 913,000円の資金を集め、 2016/11/17に募集を終了しました

中国山地に古くから伝わる荒神神楽は一般の人はなかなか観ることができません。 その貴重な荒神神楽が2016年11月3日、霊峰伯耆大山の三宝荒神社跡で行われます。 重要無形民俗文化財の下蚊屋明神社、比婆荒神神楽社の神楽舞をプロカメラマンが撮影し特製オリジナルカレンダーと映像DVDにしてお届けします。

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みなさん、本当にありがとうございます。 第一目標金額を達成することができました。 週末は土曜の朝から大神山神社奥宮の参道清掃奉仕作業をして、夜は岡山県井原市美星町で行われた七年荒神神楽に参加させていただいたのですが、その週末のうちに達成していたようです。 この落ち葉だらけの参道が・・・ 大神山神社奥宮の参道は自然石でできたものとしては日本一の長さだということですが、6時間の清掃作業でとても綺麗になりました。 200%を目指して必死でがんばります! 今回のクラウドファンディングの目標金額は60万円ですが、これはわたしたちが自己資金を投入したうえで、さらに作業などをボランティアでお願いしてギリギリ制作できるという最低金額です。実際に動画を制作するには100万円以上が必要ですし、リターン品の制作費や広報費もあります。 また、支援金額が増えれば映像DVDのクオリティや同梱する解説本も豪華にすることができます。ですから、木曜の最終日まで全力でがんばって200%を目指したいと思います。 みなさま、応援をよろしくお願いいたします。  


みなさまのあたたかく熱いご支援と応援のおかげで、クラウドファンディングも87%になりました。 期日はあと一週間で残り13%です。 最後まで全力でがんばるための決意動画です。 左側のハッチが足を組んでいるのと、右後ろの伊達メンバーが下を向いているのは極度のコミュ症でテレ症なのに無理してがんばって出ているからなので、不快に思われた方もどうぞ広い心でお許しください。 中身は好青年なのです。よくなるようにみんなで努力していきたいと思います。 みなさん、クラウドファンディングへのご支援を、どうかよろしくお願いします!!  


八岐大蛇(やまたのおろち)を退治する神楽の代表的な演目 神能「八重垣(やえがき)」は、出雲に天降ったスサノオノミコトが、八岐大蛇を退治してアメノムラクモノツルギを得るという神話で、日本全国の神楽で舞われている代表的な演目のひとつです。 こういった神話劇のような演目のことを「神能(しんのう)」と呼び、打立(うったて)から猿田彦大神の舞までの神事舞と区別されています。 大山三宝荒神社大神楽では、鳥取県日野郡江府町の下蚊屋(さがりかや)荒神神楽保存会明神社さが、この八重垣を舞いました。 高天原より出雲の鳥髪山に天降ったスサノオノミコトは、嘆き悲しむアシナヅチ・テナヅチの老夫婦と出会います。嘆きの理由を尋ねると、八岐大蛇に雨を降らしてもらう代わりに娘を差し出す約束をしていて、八人の娘のうち七人までが喰われ、残すところは末娘のクシイナタヒメのみになってしまって泣いているのだと答えました。 スサノオノミコトは神といえども無益な殺生はできないので、クシイナタヒメを妻として娶ることで八岐大蛇を姉の仇として討とうと提案し、アシナヅチ・テナヅチは同意します。 クシイナタヒメはスサノオノミコトの詠んだ「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」の和歌の情深さに触れ、祝言を挙げます。このときクシイナタヒメは、華やかな打ち掛けを着せられます。 スサノオノミコトは毒酒八千石で八岐大蛇を酔わせて退治する謀のため、出雲から酒造りの神様、松尾明神を呼び寄せます。 神楽の常識を打ち破る荒神神楽の茶利 荒神神楽をはじめて観た人がみな驚くのが、神能の中に必ずある「茶利(ちゃり)」の部分です。古めかしく難解なイメージのある神楽ですが、この松尾明神(通称まっつあん)は、現代語でしゃべり、おもしろおかしい小咄をしたり演歌や民謡を歌って観客を沸かせるのです。 「出雲の国から色男がやってきたよーい!」 面もおもしろい顔をしていて、動きも滑稽です。出雲から電車でやってきたなどの道中話や、手拍子を求めての歌など、神楽のイメージをくつがえす瞬間が続きます。 この場面は30分から1時間もあり、神能の中でも一番長い場面となります。 てごにん(手伝い人)の木名玉明神(通称きなやん)と一緒に面白おかしく酒造りをします。 八岐大蛇との闘い 松尾明神とてごにんが酒を造ると、面をはずして戦装束になったスサノオノミコトが舞い出します。 太鼓も舞も荒神神楽の中でもっとも激しく荒々しいもので「山踏み」「幕がかり」「荒舞」などと呼ばれています。下蚊屋荒神神楽保存会の舞の特徴として、足をあまり開かないで腰もあまり落とさないで直立するというものがありますが、この舞では足をしっかりと開き、腰を落としてどっしりと舞います。 この舞は闘いの前の準備運動であり、舞終わると八岐大蛇が出てきます。 煙を吐きながら現れてひとしきり暴れ、酒を飲んで酔って寝てしまいます。そこにスサノオノミコトが現れて激しい闘いとなり、十握(とつか)の剣で首を斬り落とします。 八岐大蛇を退治する神楽では、これでスサノオノミコトが喜びの舞を舞って終わる場合が多いのですが、下蚊屋荒神神楽保存会ではなんと続きがあります。 大蛇の霊魂は荒神神楽の古い形である 八岐大蛇を退治したと思ったら、幕の後ろから恐ろしい形相の鬼が現れます。 これは大蛇の霊魂で「蛇亡魂(じゃぼうこん)」と呼ばれるもので、奪った宝剣を返せとスサノオノミコトに闘いを挑みます。 すると、スサノオノミコトと同じ格好をした「随神(ずいしん)」が二柱舞い出して、三対一の闘いになります。 さすがに多勢に無勢で蛇亡魂は鎮められて祀られ、神能「八重垣」の幕となります。 下蚊屋荒神神楽は、江戸時代に備中地方から伝わったとされますが、山奥の集落でひっそりと伝えてきたため、古い形を残しているのが特徴です。 衣裳や道具も独特で、とても見応えのある神楽となっています。    


大山三宝荒神社大神楽では、打立(うったて)、榊舞、曲舞に続いて、猿田彦大神の舞が舞われた。荒神神楽は神事舞、神能、託宣の三段構成になるのだが、その神事舞の最後に舞われるのがこの猿田彦大神の舞になる。神事舞は面をつけないで舞われるのだが、この猿田彦大神の舞は、赤くて鼻の高い天狗のような顔をした面をつけて舞われる。 導き先祓いの猿田彦大神 猿田彦大神は古事記などの日本神話で、天孫降臨に際して天孫ニニギノミコトを案内した導きの神とされている。比婆荒神神楽社の猿田彦大神の舞では、案人(あど)と呼ばれる舞手が舞い出して猿田彦大神の由来根源を語り、その後に猿田彦大神が舞い出すこととなる。 比婆荒神神楽では猿田彦大神が二柱舞い出すが、これは後年に演出として増やされたもので、もともとは一柱で舞っていたものだという。下蚊屋荒神神楽では今も一柱での舞となっている。 写真:下蚊屋荒神神楽保存会明神社 猿田彦大神の舞 比婆荒神神楽、下蚊屋荒神神楽など中国山地の北部では、猿田彦大神の衣裳は白を基調としたものになっているが、備中神楽では黒の場合が多く、演出として五色五人の猿田彦大神が舞い出すところもある。 両手に扇子を持ち、軽やかな足捌きで飛び跳ねるように舞うが、この舞い方は曲舞とともに基本となる舞であり、神楽を習う者が曲舞の次に習得する舞となっている。扇子の次に刀を抜いて、邪魔外道を斬り祓うという悪魔祓いの舞となる。 「御崎はないか?」 「御崎はなし」 猿田彦大神が問うと、太鼓がそれに応えるのだが、御崎(みさき)とはこの地方でいう亡霊のようなものである。 「死魔はないか?」 「死魔はなし」 その土地の悪霊や怨霊を斬り祓う悪魔祓いの起源は、江戸時代後期に成立した神話を劇にした神能よりも古いとされていて、密教や修験道の影響もあるという。その特別な足捌きや歩法は、山入りの儀式にも似ているとされるが、いつごろどのように始まったのかは定かではない。 比婆荒神神楽のある庄原市の栃木家文書には、江戸時代にはすでに悪魔祓いや病気療養などの目的で荒神神楽が行われていたことが記載されているが、この猿田彦大神の舞は、その悪魔祓いの舞として今も舞われ続けている。 剣の段が終わると、面を外して長刀の舞となる。身体の正面だけでなく左右、肩や腰、寝転がって足でも長刀を回すのだが、これは余興の曲芸として発展した部分のようで、素早く多く回すことで観衆は大いに湧き拍手喝采となる。 この猿田彦大神の舞は導き先祓いの神として、道路やトンネルの開通式などでも舞われている。    


場の一切を祓い清める榊の舞  打立(うったて)による楽合わせが終わると、次に榊の舞が舞われた。場の一切を祓い清める舞で、神楽でも最初のほうに舞われる場合が多い。備中神楽では一人で舞われる榊の舞だが、比婆荒神神楽では二人舞となる。常緑樹である榊は、古来より神が舞い降りる依代とされてきた。古事記神話の岩戸開きの段にも、天小屋根命(あめのこやねのみこと)が天真榊(あめのまさかき)を使ったという記述がある。  榊舞は巫舞(かんなぎまい)という巫女舞の一種で、出雲地方の神楽では「手草(たくさ)」などと呼ばれていて、比婆荒神神楽の榊の舞もそれによく似たところがある。  鈴、榊、綾笠とも呼ばれる多色の御幣、それに扇子で軽やかに舞う。観客もその流れるような動きに心を奪われている様子で、神楽を舞う舞台も、神楽社の人たちも、見ている人も、その場の空気まで含めたすべてが舞によって祓い清められたのだ。 顔見世の曲舞  次に曲舞(きょくまい)が舞われた。10分に満たない舞の中に、神楽の舞の所作のほとんどが入っているという基本の型となる舞だ。神楽を習うものは、まずはこの曲舞から練習することになる。神楽では神楽の所作の紹介、そして太夫の顔見せとして若手が舞うことも多い。左手に御幣、右手に扇子を持ち、御幣を指して扇子を回しながら太鼓と歌に合わせて舞う。御幣は神が降りる依代として基本的に立てて持ち、外回し、内回しと回しながら神を指し示す。 「神楽とは神楽しむと書くゆえに 神の心をいさみまします」  舞の合間には三曲の歌を歌うが、これは太夫によっても歌う歌が違っていたりするのでおもしろい。  霊峰伯耆大山の三宝荒神社跡に特設された神殿(こうどの)で、後ろに祭壇と大山を拝みながらの荒神神楽は、とても神聖で通りかかった登山客も驚いて足を止めていた。  


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