みなさん応援ありがとうございます!おかげさまで、パトロンさまも85人となりました。たくさんの励ましを頂いております。
ツイッターで知り合った連詩の仲間も応援いただき、感謝です。今回は、春に開催した「ポエトリー花電車」という朗読会のことなど書いてみますね。
わたしの郷里の土佐の高知も、市内は路面電車が走っておりました。(わたしの生まれたのはもっと田舎ですが…)いちばん、印象に残っているのはその路面電車が「はりまや橋」付近の交差点で、正面の行き先表示に「ごめん」と書いたのと「いの」と書いた電車が行き違うのです。どちらも、町の名前ですが。御免町と伊野町です。
「ごめん」とあやまる電車と「いーの」とゆるす電車のようで、いつも微笑ましかったです。郷里を出て住んだ京都にも路面電車が走っていました。あの「チーーン」と鳴る音「ゴトゴト」と車体の立てる音。のどかな感じが好きでした。バスよりは揺れが少ないしお年寄りにもやさしかったように思います。
そんな電車で朗読会をしてみたいと企画して、連詩組のみなさんにお声かけをし、ゲストの方もお呼びして「ポエトリー花電車」と名付けてこの春、連詩組企画のポエトリー電車を走らせました。
お呼びしたゲストは村田活彦さん・文月悠光さん・吉原純さん。それと連詩組の仲間・日曜詩人学校の仲間とオープンマイクで募集したみなさん。テキスト系・ラップ系・スポークンワード系の詩人たちが入り乱れてのたのしいリーディングとなりました。
自家製エンブレムも胸のリボンも乗車切符もおやつのクッキーも連詩組の仲間が作ってくださいました。ありがとうございました。
そして、わたしがラメール賞をいただくきっかけになったのが、というか。強く推してくださったのが、今は亡き選者の吉原幸子さんでした。たぶん彼女が居なければ、どこにも「収まりの悪い」詩を書く、わたしがこうしてみなさんの前に顔を出させてもらうこともなかったと思います。
(きっと、それでも人知れずこつこつと好きな詩を書いていたことでしょうが。。)その吉原幸子さんの息子さんの吉原純さんをゲストにお呼びしました。そして、最高のプレゼントを頂いたのでした!そんなこんなの詳細をこちら(ブログ)に載せておりますので。ご笑覧くださいませ。→★ポエトリー花電車、ポエトリーがとまらない
そして、この時。すでに、胸に秘めていたのがこの「明日の詩集 出版プロジェクト」です。「恥ずかしさを、いくつ超えましたか?」が「詩をいくつ、書きましたか?」と詩人キャリアを問うのには有効――が持論ですが(笑)。
わたしは、いくつも超えました。そして、このときも止せばいいのに止さないで。下手な歌を、みなさんに披露したのです。(演らなくてすむことをどこかで祈りつつ――ほんとですか?はい。ほぼ。)用意した「詩人ブルース」を。
まさかの、動画を。まさかの、吉原幸子さんのサイトに(*吉原幸子ファンのみなさん!いつかは死んでお詫びしますので。寿命まで待っちょってください。)純さんが載せてくださっております。すみません。
そして。最終連(というのかな?)は、このクラファンのことを遠く思いつつ歌っている、わたしを想像しつつ。笑って、聞いてやってくださいませ。 かしこ