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47都道府県をヒッチハイクで巡ります!

47都道府県各地をヒッチハイクで巡ります。沖縄や北海道に渡る際は、別の交通手段を使わせていただきます。

現在の支援総額

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目標金額は150,000円

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終了

このプロジェクトは、2019/09/01に募集を開始し、 2019/09/19に募集を終了しました

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12日目見聞録基山SAにて、まるで拾ってもらえなくて愕然としていた。眠気が来ては、フードコートの椅子に座って机に突っ伏して寝る、目覚めてはヒッチハイク再開を繰り返していたが、とうとう朝を迎えた。30台目 山田SAまで朝方、懲りずに無力な僕はヒッチハイクをする。僕はスケッチブックを持って立っていた、トイレの前で。ただの出待ちである。僕は出てきた1人のおっちゃんに声をかけた。かくかくしかじかで、どちらに行かれるか聞いた。特に決めてない、という。長崎方面に連れてって!と紙面で雄弁に謳っていた僕に、長崎の途中までなら載せると行ってもらえた。吉報だ。ただ、車中泊をしていて、寝ている奥さんに伝えるから少し待って欲しいと言われた。奥さんと共に戻ってきたMAさんは、ご飯を食べようと口にした。奥さんは賛成。僕は言わずもがな、持ち前のイエスマンを溌剌と発揮した。建物の中はまだ開けたばかりだからか、席は空いていた。うどん、ラーメン、そばの選択肢から選ぶことに。僕は基山SAに来てからは、いただいていた食料である塩分チャージとタブレットのみを腹に詰めていたので、がっつりとラーメンをいただくことにした。朝からよくラーメン食べられるね、と言われた。状況が状況なので、と言う言葉は飲み込んだ。MAさん、Yさんにラーメンをいただいた。食事中に、僕と同い年の一人息子さんについて伺った。家族みんなクリスチャンで、息子さんはプログラミングがしたいそうだ。引っ込み思案な方だそうで、高校卒業して2年はパソコンをいじっていた。それから、2019年の春から二年間、クリスチャンの宣教師として活動して、卒業してからはプログラミングを学びにいくそうだ。年が同じということもあり、親近感が湧いた。手を合わせて、ご馳走さまを言った後に乗車。車内は車中泊ができるように、ベッドに変えることができるそう。結構手間だからキャンピングカーが欲しいそうだが、なにぶんお金がかかるそうだ。クリスチャンの友達とキャンプに行ったり、遠出をよくするために乗っているのだそう。MAさんはデザイナーになりたかった。デザイナーの専門学校に通って、昔馴染みの画材屋に足を運ぶと、今も絵は描いているのか聞かれるという。MAさん曰く、素敵な経験は絵や物語に現れるから、しっかり積んでいきなさい。当初の予定では、長崎の途中までだったが、結構近いね、なんて言いながら、長崎白浜海水浴場まで連れて行ってもらった。有り難すぎる。生憎の土砂降りだったから、海水浴場まで降りるのは大変だという旨を僕は2人に伝えた。朝方の曇天、絶賛雨ざらしの中、海水浴場の駐車場で、傘をさして手持ち花火をした。ちなみに、僕が花火をしている際は、僕の上に傘をさしてくださった。なかなかの奇行に付き合ってくださったMAさん、Yさんは、紛う事なき優しさの権化であった。その後、観光らしい観光をしない僕を連れて、MAさん、Yさんは長崎を出た。金立SAに到着。佐賀でも花火をする流れになったが、高速を降りて、川まで連れていくのは難しいという話になった。既にありがたすぎるので、文句の一つもあるはずがない。そこで、SAの奥にあるもう一つの駐車場が、車は一台もなく、滅茶苦茶広い、そして雨だ。ここで、さっとさせてもらいます、と僕が提案した。さっとした。その後、お二人は豊田のメーカーに用事があって、山田SAでお別れとなる。本当に感謝せざるを得ないお二人だった。後日、Yさんが近況の心配をしてくださる。ご縁って不思議だ。31台目 広川SAまでスケッチブックを持って、いつも通りトイレ前でヒッチハイクをする。三隈川公園と書いた。かなり意外すぎる場所を書いたせいか、トイレから出てきたご夫婦が、三隈川なら乗せていくと行ってくださった。なんで三隈川なのか聞かれたので、花火をしたいと行った。車窓には、容赦ない雨粒が窓を叩いている。このお二方は最後まで、名前がわからなかった。連絡先も交換出来なかった。ご主人の方のお仕事もわからなかった。お給料ではなく、報酬をもらうそう。大阪にも一度きて、南と新地に行ったそう。お酒は飲めないけど、仲間が行くからついて行っただ。ご主人は寡黙な方で、奥さんが少し話しかけてくださる。この方たちに対して、なんの力が働いたのか、滅茶苦茶ハキハキとした関西弁の猛打を浴びせてしまった。めっちゃ口が回った。今となっては彼らがどう思っていたかはわからないが、僕はとても楽しかった。徳島で乗せていただいたMさんの折りたたみ傘をさして、外へ出る。チャッカマンがつかない時のために、念のためライターも借りた。結果、チャッカマンもライターも、火のつき加減が雀の涙で、花火を点火するのに時間がかかった。土砂降りの中、連発花火の飛翔を打ち上げた人類は、きっと地球上で僕だけだろう。車へ戻ると、奥さんがタオルを渡してくださった。髪を拭いて、僕で汚れたそれをお返しすると、これは上げると言われた。その後、当たり前のようにご主人が、兄ちゃん焼肉食うか、と聞かれた。僕は、滅茶苦茶食います、と元気一杯に答えた。1度、焼肉ホルモンで順番待ちをしていた。奥さんが、お店にいて様子を見てくださった。その間、僕とご主人がいたが、ご主人はめっちゃ麻雀してた。ちょこちょこ僕に話を振ってくれたが、主に雨音とネット麻雀の和調BGMが車内を賑わせた。食べ放題で2時間待ちだったそう。1時間後には予約していた人たちも食べに来るのだそう。場所を変えることになった。札幌ビールの工場で焼肉をご馳走になった。ご夫婦が言うところ、焼肉ホルモンの方が断然うまいそう。焼肉いつぶりな僕の舌には、天使の施しとしか思えない上質な肉に思えた。この旅初めて飲むビールもいただいた。札幌ビール工場のビールは、馬鹿おいしゅうございました。食事中、ご主人が席を外した際に、奥さんが言っていた一言が印象的だった。あの人が、他人をここまで気にかけるのはなかなか見ない。相当気に入ってもらったようね。食後、僕は車中で爆睡してしまった。こんなカスみたいなヒッチハイカーを、広川SAまで連れて行ってくださった。広川SAは、熊本に行く人しかいない。めっちゃ優しいの5乗。寡黙だが、お茶目なご主人だった。そんなご主人を笑顔で支える奥さんも、とても素敵だった。オススメしてもらった久留米市の焼き鳥を食べに行こうと思う。きっと僕は、肉を頬張るたびに、彼らを思い出すだろう。32台目 熊本駅までトイレ前で紙持って張る。大きな熊さんのような男性が僕を見つめる。熊本までなら乗る?Iさんに拾ってもらった。28歳、バレーを23年やっていて、現在はダンボール工場で働いているそうだ。3人兄弟、大学四年の7個下の弟と、32歳の4個上の兄がいるそうだ。3人ともバレーボールをしているそう。僕の一つ上である弟さんは、バレーの特待で大学に行ったそうだ。32歳のお兄さんは、大学を中退して、その余波が次男であるIさんに及んで、お金がもったいないから大学に行かせてもらえなかったという。三男である弟さんは、特待で学費が免除されて、時も経ったから大学に行けたのではという話だ。Iさんは、学外コーチとして、地元の学校でバレーボールを指導したりしているそうだ。その際、兄弟3人で教えたり、とても仲睦まじいのだと感じた。Iさんと漫画の話を広げた。好きな漫画、好きだった漫画、ジャンプを今年の始めまで買って読んでいたこと。だけど、ワンピース以外はほとんど読むことがなかったこと。どうすれば、戻るのか聞くと、昔の好きだった作家さんが新連載を始めたら買うかもしれないという。僕が連載を掴んだら読んでくれるだろうか。この日は、1日で3箇所も花火をして、自己最速だった。そう言っても、僕は何もしていない。ただ、あまりにも親切にしてくださる方の潮流に身を任せたに過ぎない。人の親切があって、僕は生きてる。人の同情を食って歩く化け物とは僕だ。そのエネルギーは、いつ、どのように、弾けるだろうか。


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11日目見聞録。花火から帰ってきて、履いていた靴を洗濯機に入れず、洗わずに乾燥機にぶち込んで、夜中にガタンッゴトンッゴスッ、といった騒々しい音色と、虚しく散った100円が、共用脱衣場を沸かした。朝方、回収しに行くと靴を乾燥機に入れないでください、と最もなことを書いた紙を貼られていた。その靴を履いて、表へ出ることに。ヒッチハイクを共にした彼と、世話になったゲストハウスを後にした。彼と夢や理想や現実を語った。彼は面白い人だと思う。お互い成し遂げるべき道に向かって、進むことを競争じゃないしな、と口癖のように言うのだ。蹴落とし合いでは決してない。共に刺激し合い、別のフィールドで闘って、結果を残して、それぞれがブランドを確立して、再び影響力を持って交わろう。そう誓い合って、別れることに。また、旅しような。その後、せっかくなので、花火をした人たちの内、2日目の福岡公演も観に行く人たちと、昼ご飯を食べることにした。ハンバーガーをご馳走になった。餞別だと言っていた。100円だけど、なんて言ってたけど、値段ではなく、こういうのは気持ちが嬉しいと本気で伝えた。お茶ももらった。そばを一緒に食べて、みんなと別れる。近くのICに行って、ヒッチハイクを始める。拾ってもらった。29台目 基山PAまでYIさんは、所謂ゲラである。僕が何気なく話したことを、ケラケラと屈託無く笑ってくれる。実家に帰省中だそうで、基山PAは通るから乗せて行ってくれたそうだ。お盆は、友達とショッピングに行ったり、遊びに行く日々を過ごしているそうだ。お仕事は何をしているのかと聞いてみた。最初はお国を守る仕事と言ってから、少し迷いながら自衛官といった。自衛官は、身分を言い渋るものなのかと伝えると、自衛隊のことをよく思わない人が、少なからずいるから、聞かれたら答えるが、自分から言うことはないそうだ。空自に属しているが、飛行機は操縦できないそうで、敬礼や基礎訓練の教官をしているようだ。どうして入ったのか聞くと、もともとスポーツトレーナーのお仕事がしたかったようだが、一人暮らしすらままならなさそうだったようで、実家は出ないと家族に迷惑をかけてしまうと考えていた。そんな折に、家族から自衛官の試験を受けてみないかと提案される。お金はかからないし、やってもいいか、そういう気持ちで受けたら通ったのだという。特別、国や飛行機に思い入れがあったわけでもなかった。ただ、空自は一般的な会社勤めの人に、最も自衛隊の中では近い生活が送れるという話を耳に挟んだから決めたそうだ。やはり、やりがいはあるそうで、以前乗せてもらった海自の人が、やることが毎日違うから楽しいと言っていた。そのことを伝えると、納得して、共感していた。とても立派な人は、たくさんいるのだと、身にしみて感じる旅だと、つくづく思う。この日は、なんだか疲れていて、基山に着いてからも度々寝落ちしたり、ずっと寝ていて、1組のみの乗車となった。そもそも、全く拾ってもらえなかった。長崎到着は、翌日に持ち越すことになった。


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9日目見聞録。25台目 セブンイレブン新橋店まで前日の親切に連れられて、常設のベンチに雑魚寝した。背中はやはり痛い。この旅で学んだことは、野宿するなら寒くなくても寝袋は必要、雨が降っていなくても念のためにテントも必要ということだ。お陰で眠りが浅い。なんとかせねば。朝日が山からおはようのコールとして、鋭い日差しを向けてきたので動き出す。駐車場をスケッチブック出して、行き先を聞いて回った。トイレで手を洗っていると、声がかかった。ドレッドヘアーで色黒の筋肉質、僕より1.5倍はあろうかという体躯をしている男性が、兄ちゃんどこ行くの?と言っている。諸々、行き先などを伝えた。友達が山口にいて、昼過ぎに会うつもりだと無茶なことを口走ると、予定を擦り合わせてくれる優しさをくれた。その日は、元々行くつもりは無かったという山口の鍾乳洞にせっかくだし行くことにして、その道程で降ろしてもらうことになった。奥さんに聞いてくる、と言って動き出した背中を見て、ご家族はどう思うのだろう、と見当もつかなかった。声をかけてくださったEKさん、その奥さんのAさん、息子のJo、Oの4人家族。EKさんは、看板屋をしているそう。大工を考えていたけど、就職先にあった大工に近い職業として、看板の取り付けや施工を請け負い始めたそう。どうして、大工や看板屋なのかというと、バーをしたいと茫漠と思っていたそうで、それらを仕事にしていれば、自分で出来ると思ったからだそうだ。実際、看板を作ろうと思うと、一般的に70~80万のところを5万に抑えられるそうだ。現在、昼は看板屋、夜はバーの店主という顔を持つ。奥さんのAさんは、保育士だそうで、子供が生まれるまでは、正社員、正規の保育士だったそうだ。現在は、派遣として保育士をしている。正規だと、家に仕事を持ち込むことも少なくなくて、子供が生まれてからは、うちの子の世話する!といった考えになって、派遣の保育士さんになったという。さすが、保育士さんとあって、お子さんとの接し方がうまいなぁ、と感嘆の息を漏らしたものだ。Jo、Oもすごく懐いていて、良い子だった。めっちゃ可愛くて、いつか、また会いたいと思った。その時は、飯をご馳走してあげられる男になろうと思った。僕は、島根から広島に降りて、そこから山口を目指すつもりだったのだが、どういう訳か、出雲大社に行くことになったのだった。K家のプランに、朝に出雲大社が組み込まれていて、僕も同行させてもらうことになった。乗せてもらう際、そば食える?と言っていた。寛容すぎないか。もちろん、めっちゃ食えます、なんてことを言った。小学1年のJoの宿題である朝顔の観察日記を書くために、車に青いプラスチックの鉢に植えられた朝顔を積んでいた。家に置いておくと、全滅するかもしれないからだそうだ。乗用車に積まれている朝顔を、僕は人生で初めて目の当たりにした。それを車の上に置いて、お日様の光に当ててから出雲大社を巡ることに。まさに観光をして、朝だからお店ほとんどやってなくて、ようやく10時ごろにお蕎麦食べて、その時に、JoとOの似顔絵を描かせてもらった。車中で、ジャンプの作家になる宣言をしてから、どこかでJoとOの似顔絵を描いて欲しいと言われたからだ。子供達だけというところも、とても大事にしているのだろう、という親の愛情を夢想する。お子さんは本当に愛らしい奴らだった。僕が同乗した際も、特に何も言わずに、驚きもせず、泣きもせず、喚き散らすでもなく、嫌だと一言も言わずに、にゃんこ大戦争を2人揃って興じていた。そんな2人の似顔絵を描いている時に、宝石のように済んだ瞳を輝かせて、何描いているの、と落ち着きなく満面の笑みで聞いてきたり、一時的な興味かと思っていたが、終始気になったようだ。山口の道中にある宮島SAにて、EKさんがコーヒーを買っている間、僕らは先に乗車していた。その時の親子の会話が印象的だった。将来、JoかOのどちらかがお金持ちになるかもねー。お金持ちになったら何くれるー?世界一大きいカバン!世界一大きいうんこ世界一大きいにゃんこ!この会話から見て取れる印象的な部分は、世界一、が付いている点だと思う。最大限の愛を表現しようと、齢6歳と4歳が口にしている枕詞。それをずっっっっと笑顔で言ってんだ。2人揃って、お母さんにくっついて。ギリシャの壁画に描かれてもおかしくないような構図で、母は全てを包み、子は信じて目一杯甘える。この旅を通して感じる。親子の形は数あれど、素晴らしいと感じるご家族には、なんらかの共通点があると思わざるを得ない。僕もそんな家庭を持ちたい。ただ、今はやるべきこと、なすべきことを果たすだけだ。親子の絆を垣間見て、涙ぐみそうになるほど良い親子だった。また、会おう。MHちゃん目的地であるセブンイレブン新橋店にて降ろしてもらった。これから、予定の調整しなあかん、とEKさんは言っていた。ひたすらに感謝を覚えて、待ち人の元へ歩を進める。いた。この旅で初めて相対する18fes参加者。しかも初対面だ。MHさん、競技用自転車を脇に置いている。これから、花火をしに行くということは事前に伝えていたはずだが、服装はバッチバチのスポーツウェア。タオルを頭に乗せて佇んでいた。顔には汗がだらだら垂れていた。完全に僕のミスだが、14時に待ち合わせ場所に着くと予め連絡した。14時になると、MHさんが少し遅れると返事があった。僕は、15時に着くことになってしまった。1時間早い時間を言っていた。それについて、謝罪すると、ご飯を食べずに来たので、丁度セブンイレブンでご飯を買って、食べてポケモンGOをしていたから問題ないと言う。ポケモンGOの人気根強い。合流したことだし、川辺に向かうことにする。その前に、手持ち花火が若干不足していたから、セブンで花火を調達することになった。そこで、MHさんは躊躇なく、ここは自分が出します、と言って手持ち花火のセットを購入してくれた。僕は感謝を示した後、近くの河川敷に到着。まだまだ明るいので、花火は後にして、少しお話をした。MHさんは、高校では美術部にいた。球技や運動が苦手らしく、センスを要するものには弱いと言う。大学では、身長が高めなためか、バレー部やバスケ部、卓球部からも誘いもあったそうだが、しっくりこなくて入ることはなかったそうだ。部活を決めかねていると、サイクル部の交流会があったそう。行ってみると、これがなかなか良い人たちだったそうで、自転車競技にも興味が出てきた。やってみると、基本的に運動神経は関係なく、自転車は練習した分だけ速くなる。自分の足で漕いで、登った山の景色は何ものにも変えがたい絶景だという。1年の合宿が人生で最も輝いていた時間だという。北海道を自転車で一周して、人の優しさに触れて、好きな先輩がいて、景色を見て、走って、走って、漕いで、汗を流して、仲間と過ごす。僕は話を聞いた時、あぁ、この人は青春を知っている、と感じた。清々しい心根の持ち主で、何かで一番になってみたいという。既にトップレベルでいいやつだと思うが、強いて何かに置いて秀でたいと言うなら、彼女なら何にでもなれると信じている。そんな目をしていたし、そう思わせる力を持った人間だった。彼女が経てきた、歩んできた、走ってきた、漕いできた道のりが、そう思わせるに足る十分な威力を、僕に感じさせたのだろう。信じています。似顔絵を描いてくれと言われた。描いて渡すと、喜んでくれた。500円をくれた。当たり前のように、お金は払うつもりだったと言われた。想夫恋に行った。焼きそばが有名らしい。後日、大分まで乗せてもらった人も美味しいと言っていた。色んな話をしたし、僕のくだらない話や夢も聞いてもらった。MHさんのこれまでも聞いた。人の繋がりを知りたいと言う。大学では人文学を専攻していて、民俗学だったり、それぞれの地域の歴史を学んでいるそうだ。昔から、博物館で縄文土器を見ると興味が湧いたり、考古学者になりたかったと言う。各地域の縦の歴史や、人についてもっと知っていきたいと語る。山口に永住したいと考えているそうだが、諸々の事情で神戸の公務員試験をパスするために、講座を受けて、勉強することが山積みだと言う。他分野、他畑にいる人の頑張りを目の当たりにすると、自分を見直すきっかけとなる。週間少年ジャンプの作家になると言えば、大抵すごいね、なんて言われるが、世の中に凄くない人なんていないのではないか、と疑問を呈さずにはいられない。生きてるだけでもすげぇし、目標に向かう純粋な姿勢や努力はひたすらに美しい。負けてられない。いつか、また会いましょう。26台目 壇ノ浦PAまで HAさん MWさん近くのICで別れる。いつもの再開。なかなか拾ってもらえず、いつものごとく寝落ちする。寝ているところに声をかけてもらう機会が、思い返せばいくつもある。山口の大学に通う2年生2人。ワンピースの映画の帰りに僕を見かけて、興味本位で声をかけてくれたそうだ。ワンピースめちゃくちゃ面白かったそう。気になる。2人はヨット部で、HAさんは休部中、MWさんは活動中だそうだ。HAさんは、知り合いがいたから入ったらしく、ヨットに乗り気ではないみたい。MWさんはよく笑うしっかりものといったイメージ。現2年生はかなり少なくて、休部中のHAさんを入れて、3人だそう。1年は7人ほどだったか。もうすぐ世代交代になるから、戻ってきてほしいそうだが、HAさんは言わんともしがたいようだ。HAさんは、バイトに明け暮れ、結局お金が大事と言う。この時の僕は、かなりベラが回っていて、関西弁駆使してしゃかりきに話していた覚えがある。8台に1台はそんな時がある。初めて年下の人が運転する車に乗ったが、とても楽しく下関へと向かった。ありがとう。2人が大阪へ遊びに来ることがあれば、ぜひ会いたいし、来なくてもまたいつか。出会いというのは本当に面白い。このMWさん、18fesのチャリダーMHさんと、かつては同じバイト先の先輩後輩で、同じ大学の知り合いらしいことが後日発覚して驚いた。世間は狭い。


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8日目見聞録TYさんとJさんに、鳥取の分の花火に連れて行ってくれることになった後、宍道湖SAで降ろしていただいた。感謝を述べて、いつものを始める。今回は、すでに島根ということもあって、趣向を変えてみた。花火が出来る砂浜そう書くと拾ってもらえた。22台目 きららビーチまでIさんは実家のある島根の太田まで行くそうだ。その近くに海水浴場があって、そこで出来るのではないかということだった。毎度のごとく、ヒッチハイカーを乗せたことがあるのか聞いてみると、僕を見かけたのが初めてだという。結構初めて見かける人が多いのだと思った。Iさんは、医療補助をされているそうで、日夜仕事に精を出している。僕が47都道府県各地で花火をするヒッチハイク旅の概要を端的に話すと、暇だねぇ、というお言葉を賜った。どうして、その職に就いたのか聞くと、専門学校が医療補助に関係があったそうだ。実際は、取った資格は大して使わないし、妹の通っていた商業高校の就職先に名前が存在したという。お兄さんとは20年会っていなくて、電話で縁を切ってほしいと言われたという。なかなかハードな兄貴だと思った。23台目 宍道ICまできららビーチで降ろしてもらい、Iさんと別れた。キラッキラな男女、家族づれを尻目に、人気のないだだっ広い砂浜を使って花火を行う。猛烈に寂しい気がした。ここで、初めて1人での花火に作業感が生まれた。後日、一緒に花火をした方に、たくろーくん楽しくなさそうやったと言われたが、きっと、この孤独花火後遺症のおかげで花火をしても、淡々とこなすように火花を散らす症状が現れたのだろう。終えた後、隣接したきらら多岐という道の駅でヒッチハイクをすることに。ここは、史上1、2を争うくらい拾ってもらえなかった。おかげで、ガソリンスタンドで給油し終えた地元のお姉さんが声をかけてくれた。EFさんは、用事があるから今すぐ乗せることはできないけど、翌日は山口に帰省するから乗せて行ってあげると言ってもらった。ダメだった場合は連絡させてもらうことで電話番号を交換した。ものの数分の話しだ。帰省中のバイカーがとなりに愛車を止めた。このWSさんも広島から山口に帰省しているところで、休憩しに来たそうだ。一度中へ入り、アイスクリームを片手に戻ってきた彼は話し相手になりますよ、と言った。WSさんは、社会人でやりたいことは北海道一周だそうだ。もう1人、帰省中のバイカーが僕の隣に止まった。EKさんも、山口へ帰るところだそうだ。山口の帰省率半端ない。その方は、北海道一周をしたそうだ。まるで連想ゲームだが、彼らは全くの無縁だ。EKさんは旅好きで、旅人は応援するという。WSさんもEKさんも車なら乗せてくれたそうだ。WSさんのライダーハウスの話は興味をそそられ過ぎた。バイク旅いいなぁ。計3人と仲良くなった。日も暮れてきた頃、意を決することにした。声をかけた時に、車中泊するからダメだと言っていた人を思い出して、その方の元へ向かう。時刻は夕方6時ごろだ。交渉。乗せてもらえた。この方は、唯一と言っていいくらい、名前を聞けなかった人だ。だいたい、帰り際に名前を聞いたり、連絡先を交換したり、スケッチブックに一言と名前を添えてもらうのだが、さっさと降りるように言われた。一言書いてほしい、と僕は食い下がったがダメだった。登山好きで山口出身、その日も山登りをして、翌日も山登りをするそうだ。盆くらいしか、そういう余暇を過ごす暇がないそうだ。普段はサラリーマンをしているという。1人で山を登るのが好きだそうで、旅もしたいけど、今からは時間を取ることが難しいだろうと言っていた。交渉の段階では、出雲ICまでと言っていたが、道を間違えて出雲までは遠回りになった。そこで、元々遠くて行かないと言っていた斐川より遠くにある宍道ICまで連れて行ってもらえることになった。これが、さっさと降りることになった要因ではないかと思える。宍道ICで別れて、ヒッチハイクをするものの全く拾ってもらえない。力尽きて、いつぞやの鹿児島の喜入駅から最南端の西大山駅を目指して歩いた時のように、カバンを枕にして歩道で寝た。辺りは真っ暗で、信号の明かりとかすかな街灯だけが唯一頼れる明かりだ。車通りも人通りも絶え絶えになったころに、救いの手は伸びた。24台目 宍道湖SAまでYMさんが起こしてくれた。あまりにも突然だったので、僕は驚いて寝ぼけ眼をこすることもせず、ぼんやりとした頭で受け答えした。YMさんはとても良くしてくれた。ただひたすらに、僕の心配をしてくれて、ここで寝たら死んでしまうと言った。雨は降っていなかったが、降った時のために、雨露をしのげる場所へ連れて行ってあげると言った。宍道湖SAだ。僕が最も行きたいところへ連れて行ってくれた。道中の車でも、充電を勧めてくれたり、YMさんの沢山のこれから取るべき行動に対する考えを聞いた。情報を聞いた。旅をしている人は応援したいという。2人の幼い女の子もいたが、YMさんと僕が2人で外に出ることになった時に、下の子の面倒を見る、と上の子が言っていたのを見た時に、あぁ、この親にしてこの子ありだな、と真剣に思った。不思議といいご両親の子供はいい子だと思うことが、この旅を通して感じることがあまりにも多い。幸せだ。


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※画像は前日、9日の夕方に岡山で行った花火です。7日目見聞録20台目 勝央サービスエリアまで津山で朝マック。それは、いつもと一風変わった朝の始まりだった。眼前には、前日出会ったばかりのKAさんがいる。そして僕は、ヒッチハイクで初めて家に泊めてもらった。爽やかにご馳走してくれたKAさんに、感謝の念を送って別れることに。津山でヒッチハイクをしてる人を見たことがないという言葉を尻目に果敢に挑むことにする。全く拾ってもらえず、数時間立ち尽くしている。途中、ポイントを変えたものの、とあるお店の前ですることに落ち着いた。そのお店のおばさんが店から現れた。営業妨害なんて言われてもおかしくないであろうヒッチハイカーにアクエリとアドバイスをくれた。鳥取市に行ってから、松江に行くべきだと。それもそうだ。鳥取市を目指そう。そう考えて構えたの時、Kさんが声をかけてくれた。バンダナにメガネのおじさん、一般道から入れる勝央SAまでなら連れて行ってくれるといって乗せてくれた。車内ではラウド音楽が流れていた。Kさんは、僕が立っているのを見かけたが、一度は過ぎたあと、再び戻ってくるときに、僕がおばさんと話しているところを見かけた。その後、僕がアドバイス通りに動いたところ、一般道から入れる勝央SAでヒッチハイクをする方がいいだろうから、SAまで乗せてあげようと思ったそうだ。Kさんとは短い時間だったが、熱中症の心配をしてくださり、ソルティライチ、レモン飲料、プリン、ジャージーパンとくださった。喉パッサパサになるけどごめんねなんて、言ってたっけ。どうして、謝るのだろう。21台目 宍道湖SATYさん、Jさん勝央SAでヒッチハイク。声をかけてもらった。ご夫婦で蒜山高原にある、Jさんのおじいさんの古い別荘に行くという。後々把握することだが、別荘といっても、それなりに年季が入っていて、芝も伸びっぱなしで、ジブリ映画の舞台のようで、控えめな大きさの家屋だった。僕は当初、間にあるSAで降ろしていただくつもりだったのだ。しかし、到着して別れを告げたときに、ふとこんな言葉を聞いた。泊まっていく?泊めてもらった。そして、芝も苅った。田舎の空気はうめぇし、高原は伊達ではない涼しさ、昔行ったばあちゃん、じいちゃん家を思い出す、懐かしさすらある古ぼけた内壁。近くの温泉にも入らせてもらい、とんかつ定食もご馳走になった。寝床をいただいた。翌朝、行けずに破綻するのではないかと危惧していた鳥取での花火も、皆生温泉に行くついでということで、皆生海岸まで連れて行ってもらって終えることができた。有難い。有難い。