12日目見聞録基山SAにて、まるで拾ってもらえなくて愕然としていた。眠気が来ては、フードコートの椅子に座って机に突っ伏して寝る、目覚めてはヒッチハイク再開を繰り返していたが、とうとう朝を迎えた。30台目 山田SAまで朝方、懲りずに無力な僕はヒッチハイクをする。僕はスケッチブックを持って立っていた、トイレの前で。ただの出待ちである。僕は出てきた1人のおっちゃんに声をかけた。かくかくしかじかで、どちらに行かれるか聞いた。特に決めてない、という。長崎方面に連れてって!と紙面で雄弁に謳っていた僕に、長崎の途中までなら載せると行ってもらえた。吉報だ。ただ、車中泊をしていて、寝ている奥さんに伝えるから少し待って欲しいと言われた。奥さんと共に戻ってきたMAさんは、ご飯を食べようと口にした。奥さんは賛成。僕は言わずもがな、持ち前のイエスマンを溌剌と発揮した。建物の中はまだ開けたばかりだからか、席は空いていた。うどん、ラーメン、そばの選択肢から選ぶことに。僕は基山SAに来てからは、いただいていた食料である塩分チャージとタブレットのみを腹に詰めていたので、がっつりとラーメンをいただくことにした。朝からよくラーメン食べられるね、と言われた。状況が状況なので、と言う言葉は飲み込んだ。MAさん、Yさんにラーメンをいただいた。食事中に、僕と同い年の一人息子さんについて伺った。家族みんなクリスチャンで、息子さんはプログラミングがしたいそうだ。引っ込み思案な方だそうで、高校卒業して2年はパソコンをいじっていた。それから、2019年の春から二年間、クリスチャンの宣教師として活動して、卒業してからはプログラミングを学びにいくそうだ。年が同じということもあり、親近感が湧いた。手を合わせて、ご馳走さまを言った後に乗車。車内は車中泊ができるように、ベッドに変えることができるそう。結構手間だからキャンピングカーが欲しいそうだが、なにぶんお金がかかるそうだ。クリスチャンの友達とキャンプに行ったり、遠出をよくするために乗っているのだそう。MAさんはデザイナーになりたかった。デザイナーの専門学校に通って、昔馴染みの画材屋に足を運ぶと、今も絵は描いているのか聞かれるという。MAさん曰く、素敵な経験は絵や物語に現れるから、しっかり積んでいきなさい。当初の予定では、長崎の途中までだったが、結構近いね、なんて言いながら、長崎白浜海水浴場まで連れて行ってもらった。有り難すぎる。生憎の土砂降りだったから、海水浴場まで降りるのは大変だという旨を僕は2人に伝えた。朝方の曇天、絶賛雨ざらしの中、海水浴場の駐車場で、傘をさして手持ち花火をした。ちなみに、僕が花火をしている際は、僕の上に傘をさしてくださった。なかなかの奇行に付き合ってくださったMAさん、Yさんは、紛う事なき優しさの権化であった。その後、観光らしい観光をしない僕を連れて、MAさん、Yさんは長崎を出た。金立SAに到着。佐賀でも花火をする流れになったが、高速を降りて、川まで連れていくのは難しいという話になった。既にありがたすぎるので、文句の一つもあるはずがない。そこで、SAの奥にあるもう一つの駐車場が、車は一台もなく、滅茶苦茶広い、そして雨だ。ここで、さっとさせてもらいます、と僕が提案した。さっとした。その後、お二人は豊田のメーカーに用事があって、山田SAでお別れとなる。本当に感謝せざるを得ないお二人だった。後日、Yさんが近況の心配をしてくださる。ご縁って不思議だ。31台目 広川SAまでスケッチブックを持って、いつも通りトイレ前でヒッチハイクをする。三隈川公園と書いた。かなり意外すぎる場所を書いたせいか、トイレから出てきたご夫婦が、三隈川なら乗せていくと行ってくださった。なんで三隈川なのか聞かれたので、花火をしたいと行った。車窓には、容赦ない雨粒が窓を叩いている。このお二方は最後まで、名前がわからなかった。連絡先も交換出来なかった。ご主人の方のお仕事もわからなかった。お給料ではなく、報酬をもらうそう。大阪にも一度きて、南と新地に行ったそう。お酒は飲めないけど、仲間が行くからついて行っただ。ご主人は寡黙な方で、奥さんが少し話しかけてくださる。この方たちに対して、なんの力が働いたのか、滅茶苦茶ハキハキとした関西弁の猛打を浴びせてしまった。めっちゃ口が回った。今となっては彼らがどう思っていたかはわからないが、僕はとても楽しかった。徳島で乗せていただいたMさんの折りたたみ傘をさして、外へ出る。チャッカマンがつかない時のために、念のためライターも借りた。結果、チャッカマンもライターも、火のつき加減が雀の涙で、花火を点火するのに時間がかかった。土砂降りの中、連発花火の飛翔を打ち上げた人類は、きっと地球上で僕だけだろう。車へ戻ると、奥さんがタオルを渡してくださった。髪を拭いて、僕で汚れたそれをお返しすると、これは上げると言われた。その後、当たり前のようにご主人が、兄ちゃん焼肉食うか、と聞かれた。僕は、滅茶苦茶食います、と元気一杯に答えた。1度、焼肉ホルモンで順番待ちをしていた。奥さんが、お店にいて様子を見てくださった。その間、僕とご主人がいたが、ご主人はめっちゃ麻雀してた。ちょこちょこ僕に話を振ってくれたが、主に雨音とネット麻雀の和調BGMが車内を賑わせた。食べ放題で2時間待ちだったそう。1時間後には予約していた人たちも食べに来るのだそう。場所を変えることになった。札幌ビールの工場で焼肉をご馳走になった。ご夫婦が言うところ、焼肉ホルモンの方が断然うまいそう。焼肉いつぶりな僕の舌には、天使の施しとしか思えない上質な肉に思えた。この旅初めて飲むビールもいただいた。札幌ビール工場のビールは、馬鹿おいしゅうございました。食事中、ご主人が席を外した際に、奥さんが言っていた一言が印象的だった。あの人が、他人をここまで気にかけるのはなかなか見ない。相当気に入ってもらったようね。食後、僕は車中で爆睡してしまった。こんなカスみたいなヒッチハイカーを、広川SAまで連れて行ってくださった。広川SAは、熊本に行く人しかいない。めっちゃ優しいの5乗。寡黙だが、お茶目なご主人だった。そんなご主人を笑顔で支える奥さんも、とても素敵だった。オススメしてもらった久留米市の焼き鳥を食べに行こうと思う。きっと僕は、肉を頬張るたびに、彼らを思い出すだろう。32台目 熊本駅までトイレ前で紙持って張る。大きな熊さんのような男性が僕を見つめる。熊本までなら乗る?Iさんに拾ってもらった。28歳、バレーを23年やっていて、現在はダンボール工場で働いているそうだ。3人兄弟、大学四年の7個下の弟と、32歳の4個上の兄がいるそうだ。3人ともバレーボールをしているそう。僕の一つ上である弟さんは、バレーの特待で大学に行ったそうだ。32歳のお兄さんは、大学を中退して、その余波が次男であるIさんに及んで、お金がもったいないから大学に行かせてもらえなかったという。三男である弟さんは、特待で学費が免除されて、時も経ったから大学に行けたのではという話だ。Iさんは、学外コーチとして、地元の学校でバレーボールを指導したりしているそうだ。その際、兄弟3人で教えたり、とても仲睦まじいのだと感じた。Iさんと漫画の話を広げた。好きな漫画、好きだった漫画、ジャンプを今年の始めまで買って読んでいたこと。だけど、ワンピース以外はほとんど読むことがなかったこと。どうすれば、戻るのか聞くと、昔の好きだった作家さんが新連載を始めたら買うかもしれないという。僕が連載を掴んだら読んでくれるだろうか。この日は、1日で3箇所も花火をして、自己最速だった。そう言っても、僕は何もしていない。ただ、あまりにも親切にしてくださる方の潮流に身を任せたに過ぎない。人の親切があって、僕は生きてる。人の同情を食って歩く化け物とは僕だ。そのエネルギーは、いつ、どのように、弾けるだろうか。





