6日目見聞録。18台目 横川駅まで小谷SAのベンチから、いつものように朝は始まる。スケッチブックを掲げていると、声をかけてもらった。Nさんとは、ヒッチハイクをするなら声を積極的にかけたほうがいいだったり、より良い方法をアドバイスしてもらった。27の息子さんもヒッチハイクをしているそうで、抵抗がなかったのだという。22の息子さんは、自転車で県庁所在地を巡ったそうだ。お別れをして、横川駅近くの川辺で花火をしに行って、綺麗だと思った川辺の景色を撮影することを考えた時に気づいた。カメラがない。カメラを忘れてしまった。警察に電話をして、落し物として届けてくれることを祈った。戻ってくるかは五分五分だと思った。広島中央図書館で涼んでいると、携帯が震えた。Nさんが、西警察署に届けてくださったという朗報だった。忘れ物は気をつけるべきだと、心に刻んだ。19台目 津山駅まで西警察署までいって、その後、近くのICでいい路肩をしている道があったのでヒッチハイク。一台の車が、僕の前に止まった。車の窓からズンズカズンズカ音がダダ漏れだ。岡山?乗ってく?拾ってもらえた。僕は車について詳しくないが、FFという車種らしい。軽自動車で、カーナビはねぇ、クーラーもねぇ、終いに音楽も付かなくなってぇ、って具合で、車が持つ無駄な要素を全て削ぎ落とした車だった。なんの帰りだったのか聞くと、修理に出していた車を引き取りに行ったところだったそうだ。大学時代に20万で買ったものを、126万の札束を出して直したそうだ。約100万を出して、直したのはエンジンくらいのものだそうで、カーナビはつかないし、クーラーも治っていなくて、音楽も消失した。スズキの本社に勤めているらしくて、何かと下請けの方に嫌味を言われるらしい。Twitterやyoutubeの検索履歴は、専ら車関係のものらしく、車をいじるより運転することが楽しいそうだ。えびめしやというお店のえびめしチキンカツプレートをいただいた。車好きのDFさんが、同僚のKAさんにとりついで、僕をKAさんの家に泊めてくれることになった。DFさんとKAさんは、山を2人でよく運転するそうで、お互いが速さを追求して、切磋琢磨しているようだ。DFさん曰く、Kが所謂強い車を抜き去る時が気持ちいいらしい。KAさんには、ホルモンうどん、朝マックをいただいた。本当に感謝だ。
5日目見聞録。16台目 今治北IC石鎚山SAから朝焼けを仰ぐ。またも、SAの外に常設してあるベンチで目覚める。髭剃ったり、歯磨いたり、200円のサンドウィッチ頬張って、いつものようにモーニングヒッチハイクを始める。眼前の駐車場から、乗ってくかいの声が轟いた。4名が乗車していた。ドライバーさんのMは、娘さんの柔道部の遠征に関東までついていったという。後部座席に座るHさんは、その柔道部の顧問の奥さんで、その幼い娘さん、生まれて1年経たない息子さんが乗車していた。遠征も、残るは朝ごはんを食べて帰るのみだそうだが、先に4人は帰ることにしたとのこと。僕は、昨日雨でずぶ濡れになったり、汗でびちゃびちゃになったり、とにかく汚物のような状態だと伝えて詫びた。車の中は、後部座席にブランケットを敷いて、寝ることができるようにしていた。僕も幼い頃、家族みんなで車を使った遠出をするとき、決まって敷いていた。懐かしい郷愁の香りがした。時間の尊さに少し涙ぐむ。話はMさんのヒッチハイク経験の話になり、3歳で近所のおばあちゃん宅に向かうところ、知らない人が心配して連れて行ってくれたり、連れて行ってもらうように頼んだそうだ。今のご時世、世のお母さん方はヒステリックに発狂ものだろう。今治から隣の松山まで、高校生ヒッチハイカーを乗せた話もした。バリィさんというマスコットの話も盛り上がった。艦隊の様相をしたがま口財布を、腹巻きと化した今治タオルに突っ込んで、橋を頭に乗せたひよこだそうだ。話はたけなわだったが、後部座席の3人のご自宅へ到着。その駐車場で、ドライバーのMさんの車に乗り換えて、今治北ICまで乗せて行ってもらえるそうだ。滅茶苦茶有り難い。今治北ICまでは、下道で行く必要があるので、感謝でいっぱいだ。そして、Hさんたちの荷物を降ろしたりしていると、シャワーを浴びて行くかと聞かれた。いいのか驚いた僕に、かわいそうだから浴びて行きなさい、と言ってもらった。ありがたく浴びた。とても、助かった。浴室から出ると、旅の疲れをとってくださいと、酵素をいただいた。暑いからとアイスをもらった。これで、文句なしの天国なのだが、Hさんは帰ってきたばかりで何もなくてごめんね、と言っていた。めっちゃありますよ。それから、僕はハイハイをする人類を初めて目の当たりにした。かわいい。お礼を精一杯言って、Mさんと今治北ICに向かう。酵素、アイス、シャワー、メンズ用使い捨てシャンプー享受した。Mさんが、僕のことを乗せたいと寝ていたHさんに言って乗せてくださったそう。本当にありがたい。Hさんのお子さんがいい子で、いいご両親なんだろうな、と感じた。お幸せに暮らしてほしい。時は流れ、今治北ICにたどり着いた。側の公園の駐車場で、Mさんと少し話をした。Hさんは、Mさんの次女さんが活動している部活の顧問の先生の奥さんなのだが、兼、コーチだそう。Hさんは、とある柔道のアジア4位で、ご主人は日本1位になったことがあるほどだそう。すごすぎる。自分の経歴をひけらかさずに、ひたすらに優しく接してくださったHさん格好良すぎる。Hさんと顧問であるHさんのご主人は、愛媛の子供に教えることがとても、とても楽しいそうで、家族同然で接しているようだ。Mさんの娘さんは、2人の名前が独特だったり、長女さんはお笑い芸人になるそうだ。実際に、いくらかお笑い芸人の方と会ったりしているそうで、ローカルとはいえ、大学1年生でFMのラジオパーソナリティもこなしているそう。地元の公民館だったりで、子供達に理科の楽しさを伝えることもしているそうで、これからモンゴルに行って、現地の子供達に理科の楽しさを伝えに行くそうだ。すげぇ。とても良くしてくださった方々だった。ありがとう。17台目 小谷SAしまなみ海道を超えるべく、今治北ICでいつものをする。全然拾ってもらえなくて、Mさんと話していた駐車場のある公園に市民の森という売店があった。そこで、かき氷だったり、アイスクリンを食べた。暑いから50円まけてもらったり、お菓子をくれたりした。最高のお店だった。そんなこんなで、再開。乗せてもらった。道が同じだから乗せてもらえた。男性2人、女性1人が乗車していた。来島海峡SAにお土産を買いに、お腹も満たすために入ることになった。助手席に座っていたMNさんに奢ってもらえることになった。MNさんと同じ海賊風焼きカレーをいただく。話を聞いていると、3人は海上自衛官の方だそうで、最初はいい渋っていた。理由を聞くと、自分から身分をいうのは恥ずかしいという、かっけぇ。どうして海自になったのか経緯を聞いた。ドライバーのHNさんは、ずっと岡山に住んでいて山育ちだったから、海への憧れがあったと言った。MNさんは、大学に行って遊びたかったが、行くお金がなくて、国立しか行ったらダメだとなったが、国立も行けなくなって、防衛大学校に入ったそうだ。THさんは、第1希望は新聞記者になりたかったそうで、滑り止めが海上自衛官だったという。それでも、やりがいはみんな感じているようで、いつも違う仕事をするし、色んな場所に行けるから楽しい、とHNさんは言っていた。SAでお土産をMNさんが選んでいると、HNさんがいなくなった。探してもいない。しばらく、みんなでしまなみ海峡を眺めていると、戻ってきて、ポケモンGOをしていたという。海上自衛官もポケモンGOするんや。MNさんは、24時間かけて、鹿児島から北海道までバスで行くことがあったらしい。上としては、バスを一台貸し切って、詰め込む方が手間がないそうだ。すげぇ、と僕が馬鹿みたいに唸っていると、その間、ずっとアニメ見ていたそうだ。MNさんは、無類のアニメ好きらしい。海上自衛官もアニメ好きなんや。しまなみ海道を見て、何か紙の資料を見ながら、これがこうで、こうこうこうで、潮はこの流れか。と言っていた。車中で飛び交うワードも、みんな知っているけど、使う機会がない言葉ばかりだ。海図を引くと言ったり、魚雷を装備して、レーダーを見て、甲板が、艦長がって、自然と専門用語を使うことが面白い。途中、道を間違えて高速を降りてしまったそうで、改めて高速に上がってくださった。その道中、対向車線の車がコンビニに入るべく、ふいに曲がって目の前を横切った。途端、僕は走馬灯のようなものが見えた。人生で最も死を感じた瞬間だった。ドライバーのHNさんは、ハリウッドさながらのかわし方をして、いい思い出ができたね!なんてアメリカンなことを言っていた。HNさんのいでだちは阿部寛、自称自由人でファンキーな方だった。直前までシートベルトをしていなかった隣のTHさんに、シートベルトしてなかったら危なかったですね!なんて僕がいうと、大丈夫、大丈夫、といっていた。海自の方、逞しすぎる。本当に優しくて、優しくて、強い方たちなんだろうも感じた。この日は2組だったが、滅茶苦茶濃い日だった。
4日目見聞録13台目 南国IC豊浜SAでMHさん下ろしていただいて、建物の中にあるソファで座って寝ていたら、冷房の効きすぎで寒かったので、外のベンチにバックパックを枕に夜を明かした。明朝、Nさんが乗せてくださった。僕は人生で初めて転売ヤーは実在するのだと知った。転売を本職としている人に初めて会った。どうして、その仕事をしているのか。前は、昼のお仕事をしたうえで、お金が欲しくて仕事を終えて帰ってから副業として始めたそう。それが、結構儲かったそうで、昼の仕事よりも収入が上回った。だから、転売一本で食っている。転売ヤーと言っても一口に言えないようで、ネットで活動する人もいれば、実際に店舗に行く人もいる。活動内容も、コンサートのチケットなど、権利問題があるものは手を出さなかったり、ルールを決めている部分もあるそうだ。転売自体がグレーだから、なるべく意識しているそう。転売はしてるけど、悪い人ではないように感じた。14台目 上分PA南国で降りて、近くの川辺で花火を楽しみ、それだけで高知を出るべく、南国のIC前の路肩でヒッチハイクを始めた。もはや、高知でなくてもいいのではないか、と思えてくる。でも、やる。そして、乗せてもらえた。上司のYさんと新卒のAYさん。高知の営業帰りだそうで、AYさんは僕に気づかなかったそうだけど、運転しているYさんが、僕に気づいてくださったおかげで乗せてもらった。Yさんは結構寡黙、ダンディーな東京の方。AYさんは、気さくな松山の方。似顔絵描いた。吉野さんは、前にもアイルランド人だったり、アメリカ人のヒッチハイカーを乗せたそう。この旅で、初めての似顔絵を描かせてもらった人がAYさんだった。漫画の話だったり、ヒッチハイクの話をした。上分PA到着。なかなか拾ってもらえなかった時、乗せてあげられないけど、といってお茶をくれたお兄さん。その気持ちを渡す感覚が、受け取る側は次に繋げる原動力となるのです。愛媛の字を愛姫と書いていると指摘してもらった。石鎚山SAにまず行くべきだと、助言してくれたおじさん。15台目 石鎚山SAまでMTさん50ほどのおじさん。美容室や理容室のシャンプーやリンスのおろしをしているそう。四国について、お遍路だったり、166億を擦った男の話だったり、父母ヶ浜のことを思い出させてくれたり、いろんな話をした。最後には自社サンプルのシャンプーと、リポビタンDと梅塩飴をくれた。4日目も乗せてもらえない時間が膨大だった。乗せてくださる方は、独特な経験を経た人か、圧倒的善人のどちらかだと思った。人の暖かさを知るということは、人の冷たさも知るということだ
画像は、8月6日に香川の庵治町で撮ったものです。47都道府県各地で手持ち花火をするヒッチハイク旅3日目見聞録この日は、ヒッチハイク、そしてこの旅の洗礼を少し受けたかもしれない。10台目 庵治町まで5日の晩、最後に乗せていただいたKさんのおかげで、手持ち花火を売っている塩谷町まで来ることができた。セットの花火を朝に購入して、目的地の国道36号線の傍にある海岸へ向かうべく、スケッチブックにペンを走らせる。この日は、あいにくの土砂降りが続いた。ビッチャビチャになった自分と、荷物と、スケッチブックが酷く哀れで滑稽なものに思えて笑った。国道11号線に出て、ひたすらに拾ってもらえるのを待っては場所を変えた。そしたら、乗せてくださった。Mさんという方で、目的地が庵治町という点が一緒なことと、ずぶ濡れだったから乗せたそう。庵治町へ着いて、降りる際に折りたたみ傘をくださった。目的地を過ぎて、庵治町まで載せてくださった。若い頃、バイクで日本一周をしたそうで、その時に人に良くしてもらったそうだ。その経験は無駄にはなっていないのではないかと言っていた。僕もそう思う。11台目 八栗駅KMさん雨でずぶ濡れの僕を乗せてもらった。きっと、車は汚れてしまったと思う。車種はわからないけど、とても綺麗な車だった。ご家族の方が、僕の前を通り過ぎた後に、一馬さんへ電話してくださったそうだ。この時から、なるべく濡れないようにヒッチハイクをしようと心に決めた。12台目豊浜SAMHさんどうしようもなくなった高松西ICで乗せてもらえた。いくつもの職を経験した隙のない女性。アパレル、夜職を経験して、人を見る目はいいそうだ。人の仕草や服装、目線や表情で機微を感じ取れるそうだ。すげぇ。26歳、めっちゃ甘党。カフェオレにガムシロップ五個をぶちこむ。音楽好き。ボカロも聴いていて、初期からの世代らしい。めっちゃいい人。ちょっとふくよか。ご飯をご馳走になった。傘をくださったり、ずぶ濡れのどこぞの男を乗せてくださったり、0時を回って乗せてくださったり、ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
画像は、8月5日に徳島で撮ったものです。2日目見聞録。4日の夜中に徳島の鳴門に入った後、人と車がいそうな市内へ足を向けた。道中、ヒッチハイクを試みるも拾ってもらえず。黙々と歩き続けた。5日の午前2時ごろ、バス停で仮眠をとった。せいぜい2人が座れるボロボロの長椅子はあるが、屋根もない。見上げれば星が散っていた。目覚めて車が来たらヒッチハイク、寝て目覚めてはヒッチハイクを繰り返した。そこで、4台目の方が拾ってくださった。徳島県民の方だった。その方とは、徳島について教えてもらった。盆あたりで行われる阿波踊りを見に行くように勧めてもらったが、花火を47箇所して回ることになっているので断念。たくさんお話しした。朝5時に徳島駅前で降ろしてもらって、かわいい猫を撮影してから構内のベンチで座って寝た。近くの徳島大学なら、同世代の子もいるし面白いのではないかと勧められたので行ってみた。学食に入って、1年生の男の子が1人いたので、話しかけることに。彼は、自称友達が少ない。大卒の肩書きがほしくて入ったが、面白くないそうだ。立派な好青年だった。徳島がどんな町か聞くと、川、と答えていた。その後、小松海岸へ向けて歩き出して、ヒッチハイクが成功した。5台目、おばあさんだった。病院の帰りで道が違うけど、重たそうなカバンを背負っていてかわいそうだから乗せたのだそう。徳島がどんな町か聞くと、川が立派、と言っていた。3時に小松海岸へ着いて、花火を準備して打ち上げた。足場がテトラポットのような岩場の上で行ったので、下を見ながら火をつけていた。付け終えて見上げると、ただただ灰色の硝煙だけがくゆって目を覆った。線香のような匂いが、海岸で1人の男と岩場に鎮座する無数のフナムシを包んだ。海岸を出て、再びヒッチハイク。成功。徳島のICまでサーファーのおじさんが乗せてくれた。とは言っても、その日は小さいワンちゃんの散歩に浜辺を歩いていたそう。その帰りだ。おじさんは、生まれも育ちも徳島で、大学の頃に大阪で過ごしたそうだ。徳島はサーフィンと釣りしかやることがないのだそう。ワンちゃんが大層可愛かった。どんな町か聞くと、川が多い、と言っていた。徳島IC前のローソンで降ろしてもらい、ヒッチハイク。7台目、気のいいおじさんに乗せてもらえた。22.3のころに先輩と、大阪の仕事寮から関東へボロ車を借りて行った。行き当たりばったり旅。何も決めずに行くけど、それはそれで楽しいものだ。同感。鳴門IC前のイエローハットで降ろしてもらい、ヒッチハイク。8台目。柔らかい物腰の若い男性が、車から降りて声をかけてくださった。乗車すると、同じく若い女性のドライバーが1人いた。男性は鳥取出身、女性は香川出身。2人は教育学部の方だそうで、 実習などが忙しくなりそうだという。通っている大学への言い草は散々なものだった。水族館の話と好きな音楽の話をした。僕の声のことを褒めてくださった。初めて言われたから滅茶苦茶恥ずかしかった。ありがとう。琴林公園で降ろしてもらい、再びスケッチブックを持って、止まってもらえそうな路肩を探しに歩く。見つけて掲げてみると、2台目で拾ってもらえた。9台目。気さくなトラックドライバー。うどん愛が溢れ続けたお話を聞いた。しかし、今一番好きな食べ物はお茶漬けだという。香川はお遍路の格好をしたら、ただでうどんを食べさせてくれるお店があると言う。小豆島ではお寺でうどんを出してもらえるそうだ。調べてやってみるのも楽しそうだ。その方が言う、岡じまといううどんやさんに翌日足を運ぶことになる。この日は、なんだか本当に1日がいい意味で長かった。めっちゃ濃い。素晴らしい日だった。感謝。