Check our Terms and Privacy Policy.

オーストリアで捕虜たちの想いを届ける展示会とコンサートを開催します!

【ネクストゴール150万円に挑戦中!!】第1次世界大戦時、兵庫県加西市青野原捕虜収容所にはオーストリア=ハンガリー帝国の兵士を含め500人の捕虜たちが収容されていました。私たちは、彼らが収容所で暮らしていた証や、彼らが遠い祖国にいる家族や友人を思い演奏した音楽を、100年の時を越え、今届けます!

現在の支援総額

1,248,000

124%

目標金額は1,000,000円

支援者数

79

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2019/10/12に募集を開始し、 79人の支援により 1,248,000円の資金を集め、 2019/11/29に募集を終了しました

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

オーストリアで捕虜たちの想いを届ける展示会とコンサートを開催します!

現在の支援総額

1,248,000

124%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数79

このプロジェクトは、2019/10/12に募集を開始し、 79人の支援により 1,248,000円の資金を集め、 2019/11/29に募集を終了しました

【ネクストゴール150万円に挑戦中!!】第1次世界大戦時、兵庫県加西市青野原捕虜収容所にはオーストリア=ハンガリー帝国の兵士を含め500人の捕虜たちが収容されていました。私たちは、彼らが収容所で暮らしていた証や、彼らが遠い祖国にいる家族や友人を思い演奏した音楽を、100年の時を越え、今届けます!

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

thumbnail

参加演奏家 東前克枝さんからのメッセージです!音楽の都ウィーン。物心ついた頃からピアノを弾いていた私ですが、私の恩師もそこで学び、ウィーンという言葉を小さい頃から聞き馴染んでいました。憧れの街ウィーンにはじめて足を踏み入れたのは、大学4年生の頃。卒業旅行と称して、音楽を共に学んだ友人達とウィーンを訪れ、貪欲に音楽にゆかりのある場所を駆け回りました。憧れていた街の空気を味わい、本物に触れ、心が満たされて行くのを感じていましたが、演奏を生業としていきたいと決意したばかりの私は、やはり物足りなさを感じていました。史跡を訪れ、音楽に触れることはできましたが、この地で演奏してみたいという思いは拭いきれませんでした。しかしそのまま無念にも帰国の時を迎え、次にこの地を訪れる時は、必ず演奏者として帰ってきたいと強く願ってウィーンを去りました。あれから、約30年近く経ち、その思いが叶う時がやってきました。そしてそれはまさに天からの贈り物のように、突然やってきました。青野原オーストリア2019プロジェクトという壮大な企画の情報を知り、是非私も参加させて欲しいと思い、すでに決まっていた演奏者の方々の仲間入りをさせていただく幸運を得ました。これも、私のウィーン行きを応援してくれた多くの仲間のおかげです。本当に感謝しかありません。そして、このプロジェクトに参加できたおかげで、日本とオーストリアの深い関係や、歴史の傷痕、多くの使命を知ることができました。その一端を私の演奏で応援できると思っただけで、感無量です。11月は奇しくも私が学生時代にウィーンを訪れた時期。嬉しくもあり、身の引き締まる思いでいっぱいです。多くの方々に支えられたこのプロジェクトと、私を応援してくれる仲間や家族のために、心を込めて演奏して来たいと思います。ピアノ奏者 東前克枝


thumbnail

参加演奏家 後藤維花さんからのメッセージです!戦時下、ましてや自身が捕虜となってる厳しい状況の中で音楽を通じて文化交流を行い、地元の人々へ西洋音楽普及の礎を築いた事に感銘を受けました。私もヴァイオリン奏者として活動させていただいてる中で、何か出来る事はないかと思い、このプロジェクトに参加させて頂きました。自分の祖父母からも戦争の話を聞いたり学んだりしましたが、青野原収容所のような文化交流があった事は知らず、また未だにご存じない方も沢山おられるかと思います。オーストリアと日本の国際親交をさらに深めるにあたり、捕虜の方々が残した功績を是非少しでも多くの人々に広めるお手伝いが出来ればと、そんな思いを胸にオーストリアで演奏に臨みます。 どうか皆様応援宜しくお願いいたします。ヴァイオリン奏者 後藤 維花


thumbnail

ヴァイオリニスト横山亜美さんからのメッセージです!ヴァイオリン奏者 横山亜美私にとって、100年前というのはそう遠い昔のことではありません。私の祖父である、横山傅一郎が生きていた時代にあたるからです。彼も私と同じ音楽家であり、彼から親子三代に渡る音楽一家となった横山家にとって、大切な存在です。現在でも、約100年前に彼が作曲や編曲をしていた楽譜が自宅に残っており、肉筆で書かれたそれらを見ると、100年という数字は決して大昔のようには感じられません。この捕虜たちが日本に生きたのは、そんな祖父の青春時代と重なるのです。日本へ西洋音楽が伝わる歴史の中で、徳島の板東俘虜収容所での出来事を始め、第一次世界大戦をきっかけとした出来事は多くあるようです。主に西洋音楽を演奏している私個人としても、大変に関心のある事柄です。私の祖父と父は、2人とも音楽をしているが故に、時代に翻弄されてきました。祖父は、第2次世界大戦時下においては「非国民」と称され、仕事を失い、本人が望まぬ軍歌の作曲を強いられていました。父は終戦後にヴァイオリンを始めたいと思っても、男性が音楽に勤しむ事に対して周囲の理解を得られず、大変に苦労をしたそうです。けれど、どんなに辛い時があっても、それでも音楽をやめなかったのは、それが生きている原動力になりえたからだと思います。私にとっても、音楽は魂の原動力であり、きっと日本に収容されていた捕虜たちにとってもそうだったのではないかと思います。この青野原オーストリア2019プロジェクトには、"音楽を通して、時を超えて心を繋げる"というコンセプトにとても惹かれました。私にとっても、身近な肉親が生きた時代の出来事は、全く他人事ではないからです。100年前に日本で、捕虜たちが演奏した音楽を、彼らの想いを届けるつもりで、全力でオーストリアの地で演奏したいと思っております。どうぞみなさま、応援をよろしくお願いいたします。