2019/10/20 20:13
1770年ごろ、徳川10代将軍家治の時代の話です。村の田畑は日照りの害が多いのにもかかわらず租税が高く、かねてから代官に訴え続けてきたのに聞き入れられなかったそうです。
このあたりの領主だった下総古河藩主土井大炊頭が、領内見回りのついでに福地に立ち寄った時のこと。当時の庄屋の子、村上新兵衛がこの石の陰から突然飛び出し、年貢の軽減を訴えました。
当時直訴は大罪です。新兵衛は直ちに捕らえられますが、15歳の少年が述べる筋が通った言い分を聞いた大炊頭は大いに感心し、少年の勇気を称して、罪を問うことなく許したうえ、年貢の軽減も聞きとげたといいます。
村人の喜びの記念として残された「新兵衛石」は、神戸市バス111系統福地バス停から無動寺へ行く途中にあります。