丹生山田の里はまず原野(はらの)から開かれたといわれています。今回は、原野に伝わる白滝姫の伝説を紹介します。
丹生山田の住人、矢田部郡の郡司(律令制の地方官)である山田左衛門尉真勝(やまださえもんのじょうさねかつ)は、奈良で宮仕えをしているとき右大臣藤原豊成の二女、白滝姫に恋をしました。身分違いの困難な恋でしたが、淳仁天皇(じゅんにん、758-764年)自らの斡旋により二人は夫婦となり、真勝は白滝姫を丹生山田の里に連れ帰りました。
しかし、結婚3年にして子どもひとりを残し姫は亡くなってしまいます。
真勝は邸内に白滝姫を祀る弁財天の堂を建てました。それからのち姫が亡くなった5月、「栗の花が落ちる」梅雨のころになると堂の前の泉から清水が湧き、旱天の日も絶えることはありませんでした。それより真勝は姓を「栗花落(つゆ)」と改め、池を「栗花落の井」と呼んでいます。
丹生山田の里の白滝姫は、当地に来られた経路が南北二通り考えられており、神戸市兵庫区都由乃町(つゆのちょう)で白滝姫が泉を見つけた「栗花落の森」や、西宮市山口町で白滝姫が山深くなる景色に涙した「白水川」など、それぞれに痕跡を残しています。
白滝姫と山田左衛門の恋物語は全国的な広がりをもつ伝説です。柳田国男は岡山県、岩手県、千葉県など各地に伝わる、高貴な姫君を獲得した山田男の話を紹介しています。どのような背景でこの物語が広がったのか不思議ですね。