報告遅くなりまして申し訳ございません。 昨日、クラウドファウンティングが終了致しました。 多くの方にご支援いただくことができました。 有難うございました。 試写会などのご連絡は個別メッセージで差し上げさせていただきます。 ご不明な点などございましたらいつでもメッセージなどでお問い合わせください。 よろしくお願いします。
今日はクラウドファウンディング終了まであと一日となった。活動日記は今日で最後になる。 監督の増田から。 今日は色々と回想しながら、書いていこうと思う。 ーー 今日も雨が降っている。 ビニール傘を差しながら、家の前に突っ立っている。 ーー この「映画」の物語は二面性を持っている。 一つは単純な映画の中でのストーリー、 もう一つは2016年9月にこの映画メンバーが集まり始めてから始まった、二者関係を軸とする何か。 2016.09.30 @なしのつぶて どんな背景を持って何処から何処に向かっているか 分からない人たちが前を歩いている たまたま一つの場所で交わるかもしれないし、 そのまま通り過ぎるかもしれない。 そんな一歩一歩を感じながら、 分かっていながらも、 後ろ歩きをしたくなる。 、 (短編映画の仲間を積極募集中です。只今4人) これは映画企画を始めたばかりの頃にインスタグラムに投稿した文章。 あれから半年が経って、ほぼ全員が高校を卒業した。 ー 昨日合格発表があって、秋から大学に入学することが決まった。 秋からの生活を考えていたら、朝になってしまった。 2016.10.17 @深夜 よっちゃんのニヤニヤは嘘だし、 写真の中の自分は作られているし、 現実は文字ほど綺麗ではない。 けれども それを欲しい人がいる。 そしてそれは多分、僕であるし、僕ではない。 というパロディ 2016.11.02 「言葉の信用性の話である。「である」と書けばその心情と状況が各人の中で推測し得てしまうし、女性のオーガズムの話も口で説明されたことで分かる筈がない。と、いう「分かり得ない」という感覚を何処まで以って言葉で処理し、他者と交流していくか。又、そのスピードと言葉の文学性を重ね合わせて、現実を担保するか。 言葉の決断をしていく中で、あらゆる可能性を排除し、属人的な基準を何処まで前提を飛ばして話すことができるかという各個人に対する「決断」をしながら、言葉の端くれで現実を紡いでいく。」 メンバーと交流していく中で「言葉」が一つのテーマになる。 ロールプレイなんて言葉が流行っていたりもした。 2016.11.09 かぎかっこにほんごでかたちづくられていくのがわかる。 なにかがじかんとともにきえていく。 なじんでゆく。 もやもやは、ほんやくされずにきえていく。 共同幻想? ーーー 前回の僕の日記も、これらと同じように散文調で書いた。 一昨日の日記で太田はそれについて 増田の文章は、(中略)本来何かを伝える文章というものを、 「誰にも伝わらないでしょ、どうせ」 といったスタンスで書く と言っていた。 続けて、 今回もブレないなあと思い、自然に笑顔になる。 笑っている。 斉藤とは 「好き」と言えば100%「好き」になるとは限らないし、 100%「あなたの責任」なんてものは存在しないじゃない? なんて話をしたりする。 そんな斉藤とは、もう5年の仲だったりする。 3月2日の日記で吉乃は「言葉」について一通り述べたあとに ここまで書いておいて何が書きたかったのかよくわからなくなりましたが、 それもそれでいいのかなと思います と言っていた。 吉乃とは会うとたまに昔の話なんかしたりする。でも幾つか、思い出せないことがある。「楽しかったであろう記憶」はその題名のまま置きっ放しにしてある。 いつだったか忘れたけど、目の前に僕の好きな人が座っていた。その前日から、もっと前の日から、何を話そうか考えていたけど結局、言いたいことは言えないし、言ったところで伝わりやしなかった。でもなんとなく笑いあっていた時間が存在していた気がするんだ なんて話をつたない中国語で顧有立にしたら、 僕は中国語も日本語も中途半端だから、 と前置きをした上で そんなことを話している増田たちといる時は相当なプレッシャーだ と言っていた。 もしかしたらそれは現在進行形であり、「わからなさ」の中で生きている人間が隣にいるのかもしれない、と思った。今日の顧の日記を読みながらも、思うことがあった。 ーー そういえば、この日記の企画は去年「麻布校刊」を製作していたときもメンバー全員で回して書き、投稿をしていた。そこで僕は、 この憂鬱な夕方は、僕らの進む向きとは反対に、ますます深くなっている。こんなことを思いながらも毎日同じ道を歩き、踏む。サラリーマンと電車の間に挟まれながら、「考えるのをやめたら終わりだ」と自分を守り続けられるのはいつまでなのだろうか。 と書いた。 また桜が満開になり、散り始めている。同じ風景が目の前に広がっている。今日は、雨が降っている。桜が散り始めている。 ただ、同じ道を歩くことはなくなり、友人だけが一歩先に大学生になってしまった。 そんな社会の流れを一括りにし、その反対にある自分を「考えること」で守ることができると考えていた。 2017.01.31 言語がなかったから青春が担保されたのであって / 『物語』の喪失について考えるところがある。キラキラしていた、所謂「青春」が過ぎ去っていくことへのもどかしさがある。何か失ったものを内面化させながら、終わらない日常をironicalに生きることはできるのか。 そんな自分も、この一年を通して、「考えること」や、物事を相対的に考えることが「悪」なのではないかと捉えるようになった。 ではこの「一年」に何があったのだろう。 続いて、斉藤の昨年の日記を引用する。 耳をそばだてて、息をつめてじっと見つめる なんでとか、何を見ようとしているのかは分からないが 眉間にしわを寄せてそれを見る そういうのが大事なことなんだと思う ニャー ーー 4月になった。 撮影も実務的になってきた。 大学もみんな忙しそうだ。 そんな感じで、僕ら映画メンバーの「二者関係物語」は浅くも、終わっていくのだろうか。 ーー 街はただ 夕日の中 僕の影をのばしていく 街はただ 夕日の中 雨の中、 坂本の作った劇中曲を聞きながら、僕は1時間前に家の前で見た猫を探し続けている。 ーー 元は人間は1人だと思っているし、結局は他人だと思っています。 (中略) この映画が完成したら、終わってしまう気がする。 (0316 アヤノちゃん) ーー 数ヶ月後に本編公開しますので楽しみにしててください。 気になる方は¥3000ポチっとお願いします。 あと数時間でクラウドファウンディング終了します。 ありがとうございました。 フェイスブックいいねお願いします。 監督 増田 捺冶 まだ譜面を追っているだけと言われたら言い返せない感じがある。 もっとがんばろう。
(日本語は下にあります!) 大家好 我是攝影的顧有立。 我不太會寫文章所以如果有語詞不順的部分請見諒。 今天我要跟大家分享的是 經過這幾次的拍攝我所感受到的事情。 其實一剛開始我覺得在這一群優秀的團體中,我根本沒有存在的空間,而且每次開始討論電影的內容時我完全不知如何的表達自己的意見,因為我幾乎無法跟上他們說話的腳步且他們所說的詞語都是我沒有聽過的,雖然他們講的都是日文但我都聽不懂,我那時覺得自己根本就像是個啞巴。 過了一個月我們開始拍攝了,我開始有機會可以表達自己的意見的時刻了,身為攝影我開始去了解且體會導演對於鏡頭設計的感覺,想辦法讓自己可以與導演站在同個頻率上來拍攝,在拍攝進行中雖然會有與導演意見不合的時候,但是我們學習互相協調、互相溝通,讓雙方達到共識。我們這樣做一切都是為了可以拍出好的作品。 流光易逝、轉眼之間三個月多月就過去了,我似乎在這群團體中找到自己的定位了,我真的覺得自己非常的幸運有機會可以參與此活動且透過這個經驗了解到自己不足的地方,雖然片還有一半還沒拍完,但是我相信我們一定會拍出最好的作品呈現給大家的!敬請期待! 謝謝大家 大家晚安。 ーーー 久々の更新となります。 撮影監督をしている顧有立です。 今日は撮影を通しての感想や思ったことを書きたい。 周りが優秀だということもあって、去年10月に入ってから、自分の居場所がないように感じていた。映画の内容などの議論も高度で、且つ僕にとっては難しい言葉を話しているように感じた。言葉の面や考え方の面からもどのように自分の意見を伝えればいいかすら分からず、はじめは何も言うことができず、モヤモヤしていた。 ついに撮影が始まり、自分の意見を言わなくてはならない時が来た。撮影を通して監督・増田のレンズ感覚やカメラワークについて理解を深めようとした。 もちろん撮影中に増田と意見が合わないこともあるが、お互いに強調をし、歩み寄り、コミュニケーションを撮ることで共通の認識を得ることができた。 時が経ち、何ヶ月も過ぎた頃、僕はこのチーム内で自らの立ち位置、或いは居場所を得れたように思う。 また、この機会を通して僕は自らの足りない部分を知ることができた。 まだ撮影は終わっていないけれども、きっと良い作品を皆に見せることができると思う。 楽しみにしててください。 次回は最後の更新、増田から。 撮影監督 顧有立 ---------- 曲のイメージとベースの難しさは関係ないことが分かった。なんか日々を過ごして昔を追憶するみたいな曲のベースよりも下らないアニメの曲の方が難しかったりする。 まさがき
日記4月8日 お久しぶりです正籬です。 ベース日記じゃない日記は二回目ということになります。 前回はこの映画への初期の感想とか自分の価値観とかそういう抽象的なことを書きました。今回はもうちょい細かく、今の、前よりも深くなった(?)感想や、 好きなこととかについて書こうかなと思います。 ーーー 最近、昔よりも精神的に安定してきた感じがしてます。いや、別に昔も物を壊したりとかそういうことはしてないんですけど、ネガティブなイメージとかそういう負荷的な思考が減ってきたかなって。これによって世の中の見え方が大きく変わるとかはないんですけど、まあ率直に楽になってきたと思います。ただ、楽になった分、自分自身で行動を起こしていかないとイケナイ、という意識が強くなってきました。こういう意識を持つのちょっと遅いのではという意見は否めませんが、これでも精一杯やってきたつもりなんです。 はい、ネガティブ。 話を世の中の見え方とか能動性に戻します。僕自身昔より良くなってきたというふうに書きましたが、世の中をどう捉えるかは本当に人それぞれだと思います。最近感じた例だと「君の名は。」等で有名な新海誠氏の作品で、新宿とか六本木とか、都会がとても綺麗に描かれていて、今日の都会のイメージに、孤独だとか、冷徹、荒んでるみたいなものがよく見受けられる中で、憧れの都市みたいに描けるのはすごいなと思ったんです。ただ、別に、綺麗に描くことがすごいということが言いたいのではなくて、人によって見え方が違うということです。創作作品の解釈が分かれる世の中で、その世の中への解釈が分かれるのは当然といえば当然のようにも思います。こういう当然と思えることを意識して、今後も世の中をみていけたらいいな、という自分への言いつけのような意味も込めてここに書きました。もうちょっと掘り下げると、僕自身の過去の経験からも言えることなのですが、人間の価値観や感覚、感想なんてものは本人にとってショックなことが起きたりすると簡単に崩れたり変化したりするもので、今感じていることはいつか変わってゆくものだし、その変化はゆっくりとは限らないということを意識していきたいです。 「アンダーバー」はインターバルの中の空間を問うています。(今、インターバルの中にいる(?))僕自身は自分の視野と能動性を最近意識していますが、インターバルの中の空間にも様々なモノがあります。増田くんはそれをとても上手く描いているように思います。そして、その先を含んで、描いていく作品にもなっています。映画「アンダーバー」、公開に乞うご期待! うーん、露骨な宣伝。でも嘘じゃないヨ。 あと好きなことについて少々。 最近面白かった映画は「トムアットザファーム」です。面白いというか、考えさせられるような作品で、そして終わり方が個人的にとてもかっこよかったです。時間に余裕がある方は、是非。そして、好きなマンガに「ピューと吹く!ジャガー」というものがあるんですけど、この企画に参加している坂本くんも好きで、本当に下らないんですけど、作者の他人には真似出来ないようなセンスが感じられて、個人的にオススメです。宣伝ばっかだな。日記とは…? でも、こんな僕を受け入れてくれて、こういう価値観とかの話を真面目にしてくれたりするみんなに感謝しています。(適当すぎる…) 収集がつかなくなりそうなので、この辺で。 キャスト 正籬 掌伍
京都に引っ越して4日が経った。 一人暮らしでかつ、友人が少なく、なんの団体にも所属していない自分の現状の生活は、自由度が高いが、引っ越す前より格段に頭を使うようになった。 物を干す為に天気を逐一チェックし、自分の部屋をどのようなテイストにしていくか、お金と相談してどこで買うのが適切か、お得なお店を誰が知っているのかなどなど。 SNSをあまり使わず、情報アプリを華麗に使いこなせる訳ではないので、その情報を得る為に聞く相手が非常に重要になってくるし、そうなると人間関係の結び方も変わってくる。 今までは適当というか、あなたにそこまで興味ありませんからこちらにもそんなにグイグイ来ないでというオーラを無意識的の内にか、放っていたと思う。しかし、生活が変化して、他人に頼っていきたいので、よく人の話を聞いてがっつり一歩踏み込む姿勢にしていこうかな、と。 僕の前にこの日記を書いた三人の文章について。吉乃の文章は感覚的な自分を分析的に捉えてしまう、というどっちつかずな「ダサさ」があって大きく共感できるな、と思ったし、その迷いみたいなのが全体に散りばめられていてかなり好き。 斉藤の文章は社会の流れに対して、「ありがち」な態度しか取れない人間として自己を描いていて、少し投げやりな雰囲気が漂っているけれど、社会への参加を「前進すること」と肯定的に捉えている点で、漠然と「成長」を感じることができた。なんだか急に斉藤が大人になった気分。 増田の文章は、思ったことをつらつらと書いた散文調だけど、「誰にも伝わらないけど」文字を書いている姿勢は確かにアイロニカルなものだなと思う。本来何かを伝える文章というものを、「誰にも伝わらないでしょ、どうせ」といったスタンスで書く。今回もブレないなあと思い、自然に笑顔になる。そんな文章だと思う。 しかし、この日記に皆はどれくらい時間をかけているんだろうとふと気になる。自分の番が回ってきた時には多少なりとも力むだろうし、顔が写ってない分、本音に近い部分を出せるだろう。思えば、メンバー内でも「こいつはこんなこと考えているのか」と新鮮に驚く時もある。では、このいわば「公開日記」というコンテンツは一体なんなのだろう……? この疑問は一旦置いといて、この日記は「内部」の僕らにとっても「外部」の応援してくださってる方にとっても非常に面白いものに間違いない。 アンダーバーに関心を持ってくださっている方は、この日記というコンテンツで製作側をより近しく感じられると思います。この後も、メンバーの文章を是非チェックしてくれると嬉しいです。 キャスト 脚本 太田颯馬