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親亡きあと
今日は増村さんという人を紹介します。86歳の女性です。57歳の息子さんと二人暮らし。久しぶりに家を訪ねると、洗濯物を干しているところでした。
二日に一度の洗濯物だというのですが、息子さんの下着だけ4枚もあります。
「あの子は、洗濯済みの下着も、脱いだ下着も、全部同じ引き出しにしまってしまう。だから、毎回、全部の下着を洗うんだよね。もしかしたら今日履いている下着も何日も洗っていないものかもしれないけどさ」
この話は去年から聞いているので、何とか解決する方法があるんじゃないかと、私はつい口をはさんでしまいました。
「そういうのって、作業療法士さんとかにアドバイスもらえるんじゃないでしょうか。」
すると増村さんは、諭すように言いました。
「洗濯すれば済む話。毎朝ケンカをしてへとへとになるよりいいんだよ」
テーブルの上には、このプロジェクトのチラシが丁寧に置いてありました。
息子さんが障害を負ったのは15年前。趣味のモトクロスレース中にくも膜下出血を起こし、ゆっくり減速して倒れたそうです。熱中症だと思われて病院をたらい回しにされ、その間に意識不明、心肺停止の状態に。搬送先で一命はとりとめたものの、10日間意識不明。
11日目に意識が戻った時、増村さんに「俺、もう一度生きられるか?」と言ったのが発症後初めての言葉で、増村さんにとっては一生で一番の言葉とのこと。
しかし肝炎などの症状が発症したため、それが陰性にならないと開頭手術はできないと、ずっと身体拘束されたまま過ごすことに。
手術ができたのは、なんと45日後でした。
事故の時、搬送の時、病院で。いろいろな人が高次脳機能障害や失語症のことをもっと知っていたら、何かが変わって、息子さんにももう少し違う未来があったかもしれない。私はとてもはがゆく、悔しく思うのですが、増村さんは「疑問はあったけど、責任の所在を探す時間はなかった。前に進むしかなかった」と言います。
私の工夫は私にしか役に立たない
もしあなたのお子さんが、けがや病気で障害を負ったら、どうしますか?
私はいろいろな当事者会にお邪魔していますが、いつも、新米の「家族さん」が居ます。
「先週退院した。家に帰ってきたは良いものの、一人では危険で家に置いていけない。」
「一家の大黒柱が倒れてしまった。家に置いて働きに出られない。私と子どもはどうしたらいいのでしょう。」
「親がもういないので、弟の世話は私がすることに。結婚はあきらめた方が?」
障害があるないにかかわらず、いろいろな人生があります。明日も今日のような一日になるはずだったものが、一変する。それが中途障害です。
急性期の病院を退院し、回復期病院で日数制限が来るまでリハビリを受ける。そのあとは、家族が安心して変わらぬ生活を送れるフォローがありません。なので、たいていの「家族さん」は、役所で聞いて地域の支援団体を紹介してもらったり、同じ障害の会に行ったりします。
そしてそこで聞いたアドバイスを頼りに、自分の足で、いろいろな手続きをしたり、少しでも解決するよう、探し回ります。中には、自ら当事者会を運営する人も出てきます。というか、多いです。
増村さんもそうでした。いちごえ会【高次脳機能障害者小金井友の会】(https://ichigoe.org/)はそうやってできた会です。
しかし、せっかくのアドバイスが、その人の場合には役に立たないこともあります。それくらい、この障害は「個別化」しているのです。
冒頭の洗濯物ひとつとっても、同じ障害名が付いている人の中には、何も問題なくできる人もいますし、逆にもっとひどい状態の人もいます。同じアドバイスはできません。この病院は良かった、あの病院は良くないよ、という口コミも、年月が経つと役に立たないこともあります。
藁をもつかむ気持ちで当事者会に来る新米家族さんにできることは「ここは安心な場所だよ」と示すことくらいなのかもしれません。
特殊な例。それで?
「医者は、検査などをして『あなたの息子さんの障害はこういう障害です。これとこれが得点が高く、これとこれが低いです。』という。私はね『はい。それで?』という気持ちになる。それで、私は何をしたらいいですか?ということ」増村さんは言葉に力を込めました。増村さんの息子さんの場合は、左利きでもあったので、左麻痺で失語症もあるという特殊な例なのだそうです。
「息子は、とても特殊な例だということは分かった。でも私は、特殊な例でなかった息子を知らないからね。」
障害者の会には「障害」がない
私は、地元ということもあり、このいちごえ会の茶話会などによく参加します。先日はクリスマス会もあり、とても楽しかったです。春にはお花見にも行きます。
そこで私がいつも感じるのは、「ここは障害者だらけなのに、全然「障害」がない」ということ。
失語症者、高次脳機能障害者もいます。足が不自由な人も多いので、皆がゆっくり話し、ゆっくり歩きます。歩くために装具を付けるのに立ち上がれなかった人に、障害者が気遣って椅子を用意します。毎回要点をパソコンでサブ画面に打ち出しているのも障害がある人です。私は片手でも叩けるタンバリンや鈴を用意して、ギターに合わせて奏でてもらっています。障害のあるなしに関わらず、皆ができることをする。
どこにも「障害」がありません。
効率や速さを求めない世界では、誰もが居心地が良いのです。
いちごえ会の会報。この会報は息子さんが中心になって作っている。
みんないつかは障害者になる。
増村さんは元気な女性。でももう86歳という年になり「老いることは障害を持つようになっていくこと。それが日に日に分かる。前はささっと出来たことがだんだんできなくなる。一度でできていたものも二度三度かかるときもある。そういう意味でいうと、みんな、いつかは障害者になるってことね。でも待ったなし。親亡きあとを考えるようになったよ。」と締めくくられました。
高次脳機能障害や失語症のような、個々で違う障害は、一つ一つに対応するのは難しいかもしれません。でも、まるっと支援する社会ができたら、他の、例えば高齢者にも、優しい社会ということになるように思います。
「日本に生まれて良かった。ここで老いても大丈夫だわ。」「障害者になってしまっても生きていける。」「障害を持った子供を置いて行っても大丈夫」そう思える社会になったとき、障害という概念そのものも消えるのかもしれません。
NPO法人Reジョブ大阪
松嶋