Check our Terms and Privacy Policy.

4月25日を失語症の日にする認定料を集めたい!

日本に50万人いると言われる失語症者。でも、その存在はあまり知られていません。私たちは4月25日を「失語症の日」の記念日にすることで、大勢の人にこの障害について知ってもらい、その結果、失語症についての理解が深まり、失語症者への支援が広まり、失語症者自身の社会参加がすすむと考えています。

現在の支援総額

784,500

261%

目標金額は300,000円

支援者数

108

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2019/12/19に募集を開始し、 108人の支援により 784,500円の資金を集め、 2020/01/10に募集を終了しました

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

4月25日を失語症の日にする認定料を集めたい!

現在の支援総額

784,500

261%達成

終了

目標金額300,000

支援者数108

このプロジェクトは、2019/12/19に募集を開始し、 108人の支援により 784,500円の資金を集め、 2020/01/10に募集を終了しました

日本に50万人いると言われる失語症者。でも、その存在はあまり知られていません。私たちは4月25日を「失語症の日」の記念日にすることで、大勢の人にこの障害について知ってもらい、その結果、失語症についての理解が深まり、失語症者への支援が広まり、失語症者自身の社会参加がすすむと考えています。

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

thumbnail

「おめでとうございます!ただいま、あなたのプロジェクトがSUCCESSしました。」昨日、12月24日の11時11時分、CAMPFIREからメールが届きました。目標金額の30万を達成したというお知らせです。みなさん、たくさんの支援、励ましのメッセージなどありがとうございます。クラウドファンディングはもうしばらく続きます。そして、4月25日の失語症の記念日に向けて、ミーティングも始まっています。左からNPO法人日本失語症協議会の園田先生三鷹高次脳機能障害研究所の関先生NPO法人Reジョブ大阪理事の松嶋ワイプでNPO法人Reジョブ大阪の西村東京と大阪をzoomでつなぎ、第1回失語症の日制定委員会の会議を開きました。なんとMRI検査で脳に障害が今日は、私たちが「家族さん」と呼ぶ人にインタビューしましたので、お伝えします。「家族さん」はいわゆる「患者の家族」のこと。一般名詞の「家族」とは少し違うニュアンスで使っています。では、一般名詞の家族と「家族さん」とではいったい何が違うというのでしょうか。どこで運命が分かれるというのでしょうか。その運命の道に立ちはだかっている壁こそが「障害」ではないのでしょうか。梅垣栄一さんが、「家族さん」になったのは、奥様が、MRI検査で10日間意識を失ったあとのことです。検査で使用した造影剤が原因で、アナフィラキシーショックを起こしました。「万が一」が起きてしまったのです。10日間意識を失い、意識が戻った時、言葉が出ず、脳に障害が残っていることがわかりました。右麻痺も残り、入院中はずっと「私の右がない」と言っていたそうです。それから今でちょうど1年。奥様は話せるようにはなりましたが、失語症独特の症状が残っているそうです。いくつかエピソードを聞かせてくださいました。エピソード1 意に反して違った語句が出てしまう「水入りうどんが美味しかった」→正確には「ゆず入りうどん」「麻婆豆腐と、しょうがが食べたい」→正確には「麻婆豆腐と、ぎょうざが食べたい。」「救急レストランでバイトしてたの」→「高級レストランでバイトしてたの。」「鉛筆のケチャップを買いに行きたい」→「鉛筆のキャップを買いに行きたい。」これに対し、梅垣さんは「聞く側は、柔らかい想像力が必要です。」と。さぞかし大変だろう、悲しいだろうと胸がしめつけられている私に、ユーモアさえ感じる言葉です。エピソード2 何でも「はい」の言葉が出てしまう。・キャベツのおかわりが自由のとんかつ屋で、店員さんが「おかわり如何ですか」と勧めてきたら、お腹いっぱいでも「はい」と答えてしまい山盛りのキャベツが。・ドラッグストアで薬を持ってレジへ。店員さんから高い価格の方を勧められ、「はい」と言葉が出てしまった。断ろうと考えているうちに、レジが終わって「xx円です。」と要求され、結局、高い買い物をしてしまった。これに対しても「まあまあの頻度で、高い買い物をしてきますよ」と笑う梅垣さん。こういうことに対して「私もそんな時あるよ」程度では、片付かない時も、失語症にはあるのです。認知症との違い梅垣さん、実は介護の経験は2回目。一度目は実のお父様が認知症になった時。そのお父様も、転倒時に頭を打って、脳血管性認知症と診断されたのです。「今から思うと、父は認知症ではなく、高次脳機能障害だったのかもしれない。その時僕もこの障害を知っていたら、父のケアが違っていたかも」そう考えこむ梅垣さん。みなさんは、どう思いますか?失語症について、今まで書いたどの症状も「うちのおじいちゃんもそうだよ」「私の母もそんな感じよ」と感じた人は少なくないと思います。加齢と共にだんだんとなっていくのが認知症で、ある日突然なるのが、失語症や高次脳機能障害です。しかし、認知症には社会資源が整っていると梅垣さんはいいます。病院はどうしたらいい、役所は何をすればいい、そういうことが認知症にはあるのに、失語症にはないのです。一般の人にもあまり知られていないので、保険会社にこの障害を説明すること、保障をしてもらうことが、本当に大変だったそう。「認知症?何ですか?それ?」という日本人は、今、いないと思いますが、窓口担当者が「失語症?知りませんね」となれば、そこから先に進むのが本当に大変なのです。早くリハビリしていたら認知症と高次脳機能障害は、そのあとのかかわり方が大きく違います。認知症は進行を遅らせることはできても食い止めることはできません。なので、認知症の人に必要なのは「介護」です。しかし、後者は「良くなる」のです。なので、必要なのは「介護」ではなく「リハビリ」なのです。入所先も違ってくるはずです。実際に、早期に診断され、訓練を受けた人は、社会復帰の状態が良いのです。※診断・訓練あり 39.8% 診断・訓練なし 8.4%(NHK厚生文化事業団「高次脳機能障害のリハビリテーション」より)自分のことを言えなくなっている人がどうやって支援を求めたらいい?リハビリのための入院費用や、治療費用、障害手帳の申請や、様々な手続きを経れば、社会資源になんとかたどり着けるのですが、その手続きが本当に本当に大変です。そもそも、そういう社会資源があるということを、誰も教えてくれません。事故から何年も経って、やっと同じ障害を持つ仲間がいる場所を見つけ、何回か通ってから、手帳の手続き方法を知ったという人もいます。梅垣さんの場合は、幸いにも急性期病院のソーシャルワーカーさんが「失語症」のことを知っていたので、いろいろ教えてくれたそう。教えてくれただけで、それ以上の責務はないので、相当お節介な人でない限り、そこで終わりです。また梅垣さんというご主人がいたから、できた手続きもあります。一人暮らしの失語症者の場合は、たとえ助けを求めに役所に出向いても、自分のことを言えなくなっている人がどうやって支援を求めたらいいのでしょう。そもそも役所に出向けない人もいます。長年ずっとずっとずっと言われ続けていることですが「役所は申請したことしかしてくれない」これは制度的にも仕方のないことなのかもしれませんが、だとしたら制度の方がバグっている。私(松嶋)はそう思います。梅垣さんの場合も、障害年金担当の人が、この障害を知らなかったといいます。こんな状態でどうやって見えない障害の人は助けを求めたら良いというのでしょう。精神手帳2級では日本ではほとんどメリットもないそんな梅垣さんの場合、奥さんは、手帳を2つ取得しています。手帳の取得も本当に大変だったそうです。麻痺が残っているのに、歩けるようになったので、診断書を書いてもらえませんでした。なので、身体障害者手帳は「失語症」で申請し、何とか4級を取得できたとのこと。また、精神障害者福祉手帳は、高次脳機能障害が対象になっているので2級です。「麻痺がない皆さんは、精神障害者保健福祉手帳だけでしょう? あれ、はっきり言ってほとんどメリットもないですわ。」そう梅垣さんは言います。資料全国一律に行われているサービスとしては、公共料金等の割引、NHK受信料の減免、税金の控除・減免、所得税、住民税の控除、相続税の控除などがあります。その他は地域や事業者によって変わります。本当の障害はどこにある??「また、介護保険が使えない人も大変ですよ」梅垣さんもそうですが、ひとたび「家族さん」とお話するとき、様々な「制度の壁」の話になります。制度には期限があり、その日を境に急に利用できなくなるものもあります。長い長いリハビリを必要とする失語症者には、締め切りが早すぎますし、自分で期日を手帳で管理し、必要な書類をそろえ、自分の障害のことをろくに知らない役所に手続きに行く。毎回この壁にあたるつらさを経験しなくてはいけません。あまりの手続きの多さに、頭が痛くなる。これに脳損傷者は耐えろというのでしょうか?梅垣さんは幸いなことに診断を受け、リハビリを受けられましたが、病院によっては医者や看護師さえ「失語症」を知らないということもあります。その時には適切なリハビリの機会を遅らせてしまうことにもつながりかねません。特に高齢者の高次脳機能障害は正しく判断されているか心配だと梅垣さんはおっしゃっていました。人生100年時代。働き方改革も大切ですが、医学の進歩により命が助かった人たちが、助かったことを1ミリも後悔しない、そんな社会にしなくては。そのためには、各境界線にある壁を取り払わなければなりません。私は、この制度の「壁」こそ「障害」であって、失語症者をはじめ患者さん側に「障害」はないと思っています。それにはまず、制度を敷いている側に失語症のことをもっと知ってもらうことが大切だと思うのです。


thumbnail

先日、小金井市で活動を展開する「いちごえ会 [高次脳機能障害者小金井友の会]」のクリスマス会に参加し、その時に、失語症の方と高次脳機能障害の方にお話を伺うことができました。本で読んだことでも、ましてや私が想像したことではなく、リアルな声をちゃんと届けることも、「見えない障害見える化」の基本だと思います。失語症のカワさん、高次脳機能障害のkojikojiさんに、「もし、社会のしくみなどを、何でも変えられるとしたら、何をどうしてほしいですか?」とズバリ切り込んでみました。どうです? 私を含め、当事者でも家族でもない場合、なんかこう、便利で無料のアプリでコミュニケーション取れたらいいんじゃないかとか、ユニバーサルデザインのトイレとか、もうそっちに頭が行っちゃいますよね?でも、彼らは何と言ったと思いますか?「そんなに便利にならなくていい。道を平らにしてくれ。」これでした。失語症の人の場合、片麻痺、特に体の右側が不自由になることが多く、電動車いすか杖で歩行します。もちろん、そうじゃない人もいます。車椅子に関しては、私たちが想像する両手でこぐ車椅子は片方の手が不自由な片麻痺の人は使えないので、電動車いすの場合が多いです。電動かそうでないかに関わらず、車椅子の場合、道路がボコボコしており、段差もあり、とにかくお尻が痛いのだそう。段差はなおさら歩行を妨げるものです。電信柱も邪魔。路上の自転車も邪魔。杖歩行の方はお尻はいたくありませんが、とにかく道の段差があるし、でこぼこしているし、狭い。また歩道の自転車、電柱などが邪魔で、本当に歩きにくいのだそうです。便利にしよう、便利にしようと、いろいろなものの開発が進んでいます。それは、障害者の役に立つ場合もありますが、必要以上に便利にならなくていいんじゃないかというお話でした。「ぼくは左手一つで何でもできます。洗濯物だって片手で干せるんですよ。」とカワさん。「だからもし、片手で物干しができる道具が出来たら、それは便利かもしれない。でも、それより、道路を平らにしてほしい(笑)」「僕は車の自動運転が心配だ。人間が危険予知の本能を失ってしまいそうだよね。」と障害どうのこうのを超えた意見のkojikojiさん。「そういう贅沢な便利じゃなくていい。基本的なバリアフリーをしてほしいよね。年度末のたびに道路をあけて水道管変えなくていい。工事のあとは、道を平らにして。」このバリアフリーについては、様々な意見があり、カワさんとkojikojiさんの意見が失語症者の代表意見というわけでもありません。しかし、このやりとりから考えさせられることはたくさんありました。いくら便利なアプリが開発されても、それを買えること、使いこなせることが求められます。読む、書く、話す、聞くに障害のある失語症者にはハードルが高いですよね。ましてやバージョンアップがあったり、OSの大きな変更があったりすると、そのたびに落ちこぼれてしまう人が出るのは、何も障害のあるなしに限ったことでもないですよね。しかも、私たち人間は必ず老います。どんなにふんばったとしても、年老いたらだんだんと使いこなせなくなることは目に見えていますし、格差も生み出してしまいます。それよりも、本当に、彼らの言う通り、道を平らにした方がいいのかもしれません。また、「道路を平らに」ここには、抽象的な意味もあります。社会資源を皆にフラットにする。皆が安全に平和に過ごす。まずはそこなんですね。広くて平らで電信柱がない道を同行した時のこと。「この道!いいね!ね?わかる?わかる?いいよね!この道ほんといい!」そういいながらピューっと走り出した電動車いすの女性の笑顔を思い出します。NPO法人Reジョブ大阪松嶋


thumbnail

スタートダッシュ!序盤に支援してくださった皆様に感謝失語症とは、大脳の言語に関する領域が損傷されることで、それまで自由に使っていた、「話す」「聞く」「読む」「書く」ということばの機能が低下し、障害された状態です。問題です。失語症の人はどんなことに困っていると思いますか?おはようございます。松嶋です。このプロジェクトチームのひとりで、NPO法人Reジョブ大阪の理事をしています。毎日、NPO法人日本失語症協議会の園田先生、三鷹高次脳機能障害研究所の関先生と連絡を取り合い話し合いを重ねています。そのことを、どんどん記事にしていきます。まずはお礼です。このクラウドファンディングを開始したのが12月19日の朝でしたが、初日だけで52,000円の支援がありました。皆さま、本当に本当にありがとうございました。最初に手を挙げてくださった人がいたこと、本当に心強いです。そして、現在は、あれよあれよという間に数字が増え、141,000円の支援が集まっています。もう少しで「失語症の日」記念日協会に支払う認定料に達します。このクラウドファンディング中に、認定料を払えて、認定が正式に決まるドラマを思い描いて、頑張っています。私は今、東京都の失語症者向け意思疎通支援者養成講習を受けています。長い名前ですが、要するに、聴覚障害者に対する手話通訳者のような存在の人を養成する事業です。聴覚障害者には手話があります。では、失語症者には何ができるでしょう。手話や筆談?補聴器?五十音表?いえいえ、もっと複雑なのです。このようなことを考えるとき、まず「知る」ということが、本当に大事です。今日はざっくり失語症についてお話します。また、このような知識よりも、当事者や家族の話が勝ります。今後は生の声もお届けしますので、ゆっくり「知って」いってください。失語症とは失語症とは、大脳の言語に関する領域が損傷されることで、それまで自由に使っていた、「話す」「聞く」「読む」「書く」ということばの機能が低下し、障害された状態です。「話す」ができなくなっちゃった言いたい言葉が出ない、別の言葉が出てしまう、推測できないほどの言い誤りがある、遠回しな言い方をする人によってさまざまで、「あれ……あれだよ……あれ……」と言い続けて、諦めてしまう人もいます。私も年のせいか「あれ」が多くなってきましたが、それとは違うんです。別の言葉が出てしまう人にも会いました。本人は「明日」と言っているつもりだったのに、口から出た言葉は「今日」。これが何かの手続きだったら大変です。また「明日」と「今日」くらいだったらカレンダーを持ってきて確認できますが、内容が違うという場合もあるそうです。自分だったらと考えると、本当につらい気持ちになります。私たちはそういう人を見かけると、手話や筆談をしたらいいんじゃないか?と思ってしまいますよね。でも聞こえないから話せないわけじゃないんです。手話や筆談がコミュニケーションの手段として取れないことも、失語症の方の特徴だとのこと。「聞く」ができなくなっちゃった聞いた言葉の意味が分からない、複雑な内容、長い話が分からない、早口、まわりくどい言い方が分からない。この「複雑な内容、長い話が分からない、早口、まわりくどい言い方が分からない」に関しては、疲れている時は私たちでも感じます。頭がくたくたな時に、複雑な仕事の話なんてできません。そんな感じなのかもしれないと推測しますが、「聞いた言葉の意味が分からない」については、もう、同情しかできません。同情すらできているのかどうか。「ある日突然外国に行ったよう」と表現することもあるようですが、もっともっと心細い感じなんだと思います。誤解されやすい点としては、聴力の問題ではないということ。耳が遠いわけでもない。聞こえてはいるのだそうです。なので、補聴器で補うのは違うんです。「読む」ができなくなっちゃったNPO法人Reジョブ大阪の賛助会員『知っといてぇや これが高次脳機能障害やで』の著者、下川さんも同じようなことを言っていました。入院時に新聞を読もうと思って広げたのだけど、何が書いてあるのかさっぱり分からなかったそうです。これも視力の問題ではなく、見える文字が理解できないのだそう。単語もそうですが、文章になるとなおさら分からなくなるのだそうです。他に、別の言葉に読み誤ったり、文字の読み方を誤ったりします。講習の中で、バスの料金表が読めなくて、運賃が払えず、運転士に聞いたら「書いてあるだろう!」と怒鳴られた人がいたという例が挙げられました。そして運転士に「読めないんです」と言ったら「ふざけるな!」とさらに怒鳴られたのだそう。もうほんと、しんどかっただろうと涙が出ます。もし、この運転士さんが失語症のことを知っていたら「あ、もしかしてこの人は失語症なのかもしれない」と気づいて、「〇〇円ですよ」と言えば済んだ話なのです。「書く」ができなくなっちゃった文字が思い出せない、誤った文字を書くなど。そして、失語症の場合、右手に麻痺があることが多いので、物理的に文字が書けなくなることも多いそうです。これも、「書けないなら口で言って!」となりそうですが、それが出来る人と出来ない人がいるのです。私の知り合いで、めちゃくちゃしゃべる失語症の人がいるんですが、言葉の読み書きができません。役所の書類なんていうのは、かなり難しいことが想像できます。以上「話す」「聞く」「読む」「書く」について、私たちが誤解しやすい部分を挙げました。でもどうでしょう? 他の障害でもそうですが、そういう人たちがまずいるのだということを分かり、知っておくことで、こちらもずいぶん気持ちが楽になります。そして、この失語症は先天性の障害ではありませんから、いつ自分や家族や友人がなってもおかしくないということなんですね。原因は、脳卒中のようなものだけでなく、例えば、自転車で転んで障害を負った子ども、網棚から落ちてきた水筒で障害を負った若い女性という例も知っています。その時はひどい外傷もなかったので、病院に行くこともなかった~なんて例もあるそうです。またここからが問題なのですが、病院の先生が全員失語症に詳しいわけでもないということを心がけておかなければいけません。これは本当に驚きです!医者は大丈夫だと言って退院。でも、ずっとずっと変。何年も経ってから自分が失語症だと分かったという人を、何人も知っています。「倒れる時は、失語症に詳しい医者のいる病院名を叫んでから倒れた方がいい」なんて、冗談まがいの話も笑えないほどです。今日はお礼とともに、失語症のことをざっくりとお伝えしました。どんなにつらいか、そして社会がこの障害を受け入れるにあたり、どれだけ整備がされていないか、想像してすぐに分かることです。それはこの失語症が「見えない障害」「知られていない障害」であるからです。いろいろな方法があると思いますが、私たちは「記念日」をカギにして、少しずつこの障害のことを広めていきます。※ 障害を「障がい」や「障碍」と表現する方が良いという意見もありますが、私は、まずはこの障害について知ってもらうことが大切だと考え、ネット上の拡散力を重視し、検索でヒットしやすい「障害」を使用しています。ご了承ください。