ナンダ・コート、6867m。1936年10月5日午後2時55分(日本時間午後5時55分)。
立大山岳部の堀田弥一隊長、山縣一雄、湯浅巌、浜野正男、特派員の竹節作太、そしてシェルパのアンツェリンの6人全員が山頂に立った。
山頂に立った5人の勇姿がドキュメンタリー映画「ヒマラヤの聖峰 ナンダ・コット」(28分)に収まっている。
撮影カメラ「アイモ」を回した竹節は、1972(昭和47)年に出版した自著「遠近の山」で登頂シーンの撮影を次のように回顧している。
「リュックから急いでアイモを取り出し、フィルムの詰め替えにかかった。黒布で作った袋の中へ素手を入れて、手探りで詰め替えるのだから、指先がジーンと凍えて、上手くいかない。気が焦る。やっと詰め替えて、皆に肩を組んでもらって盲滅法に写した。絹手袋一枚だけの指先はもう感覚がなくなった」
アイモはドイツ製撮影機で、フィルムをゼンマイで巻き上げて撮影する。フィルムを1回装填して撮影できる時間は3分程度。カメラマンは度重なるフィルム交換を求められた。
アイモの重さは11㎏を超え、フィルムは五千尺を持参したという。五千尺と言えば、1515mの長さである。カメラとフィルムを運搬するだけで相当の労力を要した。
竹節はアイモのほかに12枚撮りの写真機「ウエルターペレルF4.5」を携行し、スチール写真も撮っている。
2017年2月28日午前11時。日本BS放送株式会社ビル5階。多くの報道陣が詰めかける中、同社の4月から始まる番組の記者発表が行われた。
同社は開局10周年を迎える。登壇した二木啓孝編成局長が記念番組のライナップを紹介して行く。隊員5人の姿が写るセピア色にあせた一枚の写真をスクリーンに映し出した。
「ナンダ・コート山頂に埋めた日章旗、立大校旗、毎日新聞社旗を探す再登頂をドキュメンタリー番組として放送します」
再び「遠近の山」に記された登頂シーン。
「隊長たちはピトン(ハーケン)に日章旗、立教大学旗を縛り付けて頂上の雪穴に埋めようとしている。私も大急ぎで毎日新聞社旗を一緒に縛り付けてもらった。するとアンツェリンもポケットから赤い布片を取り出してピトンに縛り付けた」
セピア色にあせた写真は80年の時を超え、隊員たちがシェルパを仲間として受け入れ、アンツェリンも隊員たちを友人として受け入れ、固い絆で結ばれた物語を伝えている。