ナンダ・コート初登頂80周年記念事業

1936年に撮影された世界初の35mmフィルムによる幻のドキュメンタリー映画『ヒマラヤの聖峰ナンダ・コット征服』の修復保存と、昨年11月に発見された登頂時の国産テントなど装備品の保存。初登頂の際、立教大学の学生達が山頂に埋めた立大校旗、毎日新聞社社旗、日章旗を探すナンダ・コート再登頂プロジェクト

現在の支援総額

3,130,000

20%

目標金額は15,000,000円

支援者数

35

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2017/02/24に募集を開始し、 35人の支援により 3,130,000円の資金を集め、 2017/05/13に募集を終了しました

ナンダ・コート初登頂80周年記念事業

現在の支援総額

3,130,000

20%達成

終了

目標金額15,000,000

支援者数35

このプロジェクトは、2017/02/24に募集を開始し、 35人の支援により 3,130,000円の資金を集め、 2017/05/13に募集を終了しました

1936年に撮影された世界初の35mmフィルムによる幻のドキュメンタリー映画『ヒマラヤの聖峰ナンダ・コット征服』の修復保存と、昨年11月に発見された登頂時の国産テントなど装備品の保存。初登頂の際、立教大学の学生達が山頂に埋めた立大校旗、毎日新聞社社旗、日章旗を探すナンダ・コート再登頂プロジェクト

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 35mmフィルムを保管していると知って駆け付けた東京・市ヶ谷の公益社団法人日本山岳会の会議室。8月4日午後1時半。真夏の昼下がりだと言うのに、クーラーの冷気ではなく、体に寒気を感じていた。  目の前におかれた35mmフィルムを納めたブリキ製の丸型缶4缶を開ける瞬間に立ち会えた、その緊張のせいなのだろうか。毎日映画社の古参社員が手慣れた手付きで缶を空け、フィルムを点検していく。  1936年10月5日。9月を過ぎて10月を迎えると、ヒマラヤの山々にはモンスーン接近の気配が漂っていた。立大山岳部の堀田弥一隊長と特派員の竹節たち隊員は一度、悪天候のため体力を消耗し、登頂を断念している。竹節はその際、重さ11㎏の撮影機アイモを山頂付近の雪の中に埋めて下山した。再アタックする場合に、撮影機を掘り出し、そこから撮影を開始したほうが体力の消耗を防げると考えた。堀田、竹節ら隊員は、雪庇がせり出した6000m付近に第4キャンプを張って一夜を明かし、この日、登頂の朝を迎えた。  頂上まで残り880m余り。 4缶目のフィルム缶に、登頂のシーンが納まっている。 むろん竹節の姿は、フィルムに映ることはなかった。が、堀田のほか山縣一雄、湯浅巌、浜野正男の立大山岳部員の勇姿と、シェルパ一人が頂きに立つシーンをフレームにきっちりおさめていた。 10月5日午後2時55分、登頂。   28分間のドキュメンタリー映画「ヒマラヤの聖峰 ナンダ・コート征服」のラストシーン。 「立った」「立った」「立った」 ナレーションを担当した男性アナウンサーが興奮した声を張り上げている。 このラストには逸話がある。男性アナウンサーは、映像を観ながらナレーションを吹き込んでいくのだが、目くるめく隊員達の登頂シーンに感極まって泣き出し、録音のとり直しをしている。 この映画は東京日劇第一地下劇場、新宿映画劇場などで封切られ、多く人を魅了した。 http://sangaku-e.com/nandacourt/


2016年8月、東京・市ヶ谷の公益社団法人日本山岳会。私達ははやる気持ちを抑えて駆けつけた。 1936年10月、日本初のヒマラヤ遠征隊「立教大学山岳部」がナンダ・コート(6867m)に初登頂する様子を35mmフィルムで撮影したドキュメンタリー映画「ヒマラヤの聖峰 ナンダ・コット征服」。そのプリントフィルムが日本山岳会の倉庫に保管されていると知ったからだ。  撮影者は、立大山岳部に帯同した大阪毎日新聞社運動部の特派員、竹節作太記者(1906~88年)。竹節は重さ11㎏の撮影機と大量のフィルムを背負って登頂隊に加わった。 竹節は、日本が初めて参加した冬季オリンピック「サンモリッツ大会」にノルディック選手として参加し、早稲田大卒業後に毎日新聞社に入社。戦後はマナスル遠征隊にも参加しており、ペン、スチール写真、ムービーまでこなす万能記者だった。 肝心のネガフィルムは、毎日映画社内で長年保管されてきたが酸化のためか、廃棄されたらしく所在不明のままだった。 日本山岳会の担当者が目の前に運んできたフィルム缶に「毎日映画社」の文字と毎日新聞の古いロゴマークが見える。 この瞬間が80周年記念プロジェクトを立ち上げる全てのきっかけとなった。 28分間の映画「ナンダ・コット征服」は当時、35mmフィルムで撮影された世界初の山岳ドキュメンタリー。世界の山岳史に残る極めて貴重な映像資料なのだ。 http://sangaku-e.com/nandacourt/


「2017年10月、再び、あの頂きを目指す」「ナンダ・コート初登頂80周年記念プロジェクト」 2月24日付の毎日新聞夕刊で連載中の「ナンダ・コート 1936初登頂の軌跡」の記事直下に掲載された広告の一文です。  広告は幻の記録映像「ヒマラヤの聖峰 ナンダ・コート征服」修復保存▽発見された登頂に使用した遠征隊のテント、装備品の保存▽ナンダ・コート山頂に埋まる三旗を探す登山隊の派遣を目的としてクラウドファンディングで支援金を募る、と謳っています(写真・毎日新聞掲載広告)。  「サンガクサイト」はスタートした80周年記念事業に併せ、動画と写真、記事で綴る連載を始めます。 http://sangaku-e.com/nandacourt/


今から80年前、「ヒマラヤはるかかなたの遠い存在で、空想の世界にのみあった」時、「登山は、自由に楽しく、身の丈に合った登り方をすればいい」と、立教大学隊(隊長堀田弥一)は手探りでナンダ・コート(6867メートル)を目指す。なにしろヒマラヤ登山は初めて、海外の高峰に挑戦できる可能性を示した画期的な出来事だった。 1987年10月、初登頂50周年記念に再び立教大登山隊の7人がその足跡を追い頂上を目指す。まだ登頂はインド隊を含め2例のみだった。先輩と同じように少数で合理的に登るシンプルなスタイルを踏襲。登山の価値観は普遍といえた。日本のヒマラヤ遠征、黎明(れいめい)に刻まれるナンダ・コート登頂。立大隊が全力で切り開いた道は今も時代を超えて輝く。 ナンダ・コートに挑んだ若者たち、その後戦争の渦に巻き込まれ、登山どころではなくなるが、そんな時代だからこそ、その自由度と自立精神には感服!こんなすばらしい青年像を今に甦らせ、多くの人々に知らしめたいのです。そのために同じルートを同じ季節に、同じ人数で登り、80年前の登頂の証、3種の御旗を探し出すという命題を全うするためプランニングしています。   登山隊総日程:29日間  2017年 9月17日(日) ~ 10月15日(日)登山行動日程:17日間  2017年 9月24日   ~ 10月10日ルート:ナンダ・コート 6861m  北東稜隊員:リーダー 1、メンバー クライマー2、カメラマン1、BCマネージャー1 計5   インド・スタッフ ヘッドガイド1、クライミングガイド3、コック2、キッチン1、   他準備日程 ①人選4月初旬      ②登山登録料等支払い4月上旬      ③トレーニング5月連休後半     ④食糧装備等準備7月下旬~8月中旬      ⑤荷造り等9月上旬        


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