はじめに
人口2,300人、面積574.10㎢の北海道幌延町は日本最北端のまち稚内市から南へ60kmにある酪農業のまちです。入植、農業、林業、炭鉱、鉱山などで賑わった町制施行時に7,500人いた人口は減少の一途をたどり、今や往時の3割に。
幌延本町から30km南に位置する問寒別地区。
(秘境駅・糠南駅俯瞰と言われている山から見下ろした問寒別市街地区)
問寒別地区は生活圏域を本町と異にする独自文化を築いてきたものの、やはり過疎化の波には抗えず、往時に地区全体で2,000人いた人口は今や300人弱。市街地に限っては200人に満たない限界ギリギリ集落となってしまいました。
(問寒別市街地区メイン通り)
問寒別市街地区には、昔は、旅館、映画館、商店、居酒屋など地域に必要な資源がたくさんありましたが、地域の衰退や交通形態等生活環境の変化などによって、地域の関係づくりの拠点だった住民の集う場はどんどん無くなっていきました。
(昔の商店のひとつ「岩橋商店」)
今では、Aコープを引き取って広域的に北北海道で運営している店舗が1店あるのみの買い物も不便な地域になってしまいました。
(問寒別地区唯一の商店「Qマート」)
働く環境が少なく若者は地元を去り、地域には、北海道大学の森林研究フィールドの職員、地域皆で守り育ててきた学校と保育所、主産業の酪農業世帯と農協支所、そして高齢者を残すのみとなり、地域集落はどんどん衰退し続けています。
(全校児童5名、全校生徒3名の問寒別小中学校)
(問寒別へき地保育所は保育士2名で頑張ってます)
そんな集落の衰退を目の当たりにした地元問寒別出身で現在本町に在住する千葉浩・未絵夫婦は、出身地の問寒別地区が限界の手遅れになる前に、何とか皆が元気を、喜びを持てる場所を作り出せないか、と昔の住民の憩いの場だった、駅前食堂「巴食堂」を買い取り改修し、「駅前食堂」を復活させることを決意しました。
(昔の地域食堂「巴食堂」を買い取り改修する千葉夫婦)
解決したい地域課題
誰もが暮らし続けたいと願いながらも過疎化が進む地域集落で暮らし続けることは困難を極め、多くの高齢者は都会の子供たちやサ高住などに住むため集落を離れることが集落の衰退により一層の拍車を掛ける要因です。
また、集落で若者の雇用がないため若者は集落を去り高齢化が進み、集落の持続可能性が失われつつある現状にあります。
そこで、いつまでも暮らし続けたいと願う人が住み続けられる仕組みづくりと子育て世代が働く環境と住環境によって集落が持続し続けることに協力できないかと考えました。
これは、幌延町役場が取り組み始めた集落支援対策事業を共に協力して前進させたいと思って考えた結果の集いの場づくりでした。
このプロジェクトで実現したいこと
千葉夫婦は、これまで問寒別地区で1日食堂「といかん食堂」を開店しました。
普段飲食店の無くなってしまった地域住民の大入りでお店がパンクするという嬉しい悲鳴を味わいました。まさに地域住民が求めているものが気軽に外で飲食できる場であることに気づきました。
(といかん食堂は大盛況で写真を撮る間もありませんでした…)
また、昨年から5つある集落ごとに1日サロンなどを開催し、住民の集まる場、おしゃべりする場で生き生きとする高齢者を見ると、気軽に集える場の重要性を認識したのでした。
(といかんサロンでどらやき作り)
さらに、お手伝いした幌延町のイベント「南幌延駅還暦記念待合所のお化粧直し会」を通して、本町の赤ちゃん連れの住民や鉄道愛好家とのふれあいが地域住民によい刺激を与えることも発見し、多世代交流や外部の旅人との交流が地域住民にとっていかに大切なことなのかを感じたのでした。
そこで、千葉夫婦は、問寒別地区の住民たちの憩いの場、集いの場、楽しみの場として気軽に集まれる昔懐かしい「駅前食堂」を復活させ、衰退する地域集落にあっても生活の喜びを感じられる空間を創出したいと建物の買い取り・改修を決意し今回工事を進めることとなりました。
この、食堂や調理場などを改修する経費を皆さまからの応援によってよりよいものとしたいとクラウドファンディンを利用することとなりました。
資金の使い道
土地建物の取得費用と改修費用です。
・土地建物取得費:77万円
・建物改修費:1227万円(事務室や多用途部分など建物全体の改修費用)
・計1354万円のうち食堂と調理場部分(25.80%)336万円
・広報費:5万円
・手数料:40万円
・合計:381万円
実施スケジュール
・2月:工事開始
・3月下旬:工事完了
・5月上旬:食堂オープン
・6月:リターン発送
<All-in方式で実施します。>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。
リターン
問寒別などの中心としたオリジナルグッズをお礼の品としました。
○昔家具職人だった問寒別駅前の友人が制作しているトナカイ角細工
幌延町には、日本で唯一のトナカイ観光牧場があり60頭ほどのトナカイが愛らしい眼差しで迎えてくれます。また、町内の別のエリアでは食肉用に飼育されているトナカイも100頭以上おり、トナカイが地域に根付いています。
その毎年生え変わる角を使ったトナカイ角細工です。
幌延町役場HP
幌延町役場HP
○秘境駅ファンにはたまらない秘境駅グッズ
幌延町では、秘境駅などの鉄道系資産を活用したまちおこしに取り組んでおり、オリジナル秘境駅グッズも充実しています。また、町内4秘境駅で「秘境駅キャラクターコンテスト」を実施し、その大賞作品が秘境駅キャラクターとして活躍しており、そのキャラクターを使ったグッズもございます。
幌延町役場HP
幌延町役場HP
最後に
自分が子供だった頃の問寒別は同級生が15名いました。そんな問寒別も30年後には全校児童で15名もいません。昔元気だった地域の父さん母さんももうやっとこの生活している人も多くいます。
どんどん衰退する故郷を何とかしたい。
それはやっぱり昔みんなが集まって楽しんでいた駅前食堂を復活させることだ、と。
みんなの笑顔がみたい。
希薄化してしまったコミュニケーションは時代もあってしょうがないと思うけど、でも、みんなあったらいいと思ってる集いの場。それを作りたい、みんなの笑顔を見たい。
懐古主義は流行らないのかもしれないけど、それでも自己中かもしれないけど、やっぱり昔のきらきらした故郷に恩返しがしたいんです。
それを夫婦でできたらなんて幸せなんだ…。
どうぞよろしくお願いします。
最新の活動報告
もっと見る3/26:自動販売機が設置されました!!
2020/03/26 18:48本日、ドゥモンドの前に自動販売機が到着しました!さっそく、近所の子どもが喜んで買いに来てくれました。そして、ドゥモンドでお喋りを楽しみましたヾ(。>﹏<。)ノ゙✧*。お店らしくなってきましたねー!! もっと見る
■昭和61年11〜12月:問寒別駅木造駅舎解体、貨車駅舎設置
2020/03/26 06:37昔懐かしい問寒別写真コーナー。問寒別駅は昭和61年11月1日ダイヤ改正で無人駅となり、翌2日住民の呼びかけで問寒別駅職員を招き「さよならパーティー」が開催されました。その後すぐにそれまでの木造駅舎が解体されたそうです。そして、これまた素早く貨車駅舎が設置されました。これは、昭和61年12月の写真です。内部にはストーブが設置されていました。左の椅子などは木造駅舎から引越ししてきたのでしょうか??宗谷本線にはヨ3500形車掌車駅舎がたくさんあり、幌延町にも問寒別駅含め4駅舎ありますが、最初はこのような東北新幹線の車両を想起させるような塗装でした。子供時分には、新幹線駅だぁ、と喜んだものです。その後、ラベンダー色に塗装し直されそれが風化し水色っぽくなり、平成27年に外装が金属サイディングなのでしょうか、新たになりました。幌延町HP問寒別駅舎も歴史がございます。その歴史と共に駅前食堂も末永く地域に親しまれる存在になっていきたいです。どうぞよろしくお願いします。 もっと見る
■S61.11.2 問寒別駅さよならパーティー
2020/03/25 07:04昔懐かしい問寒別写真コーナー。問寒別駅は昭和61年11月1日ダイヤ改正で無人駅に。翌2日住民の呼びかけで問寒別駅職員を招き「さよならパーティー」開催。当時の新聞記事が貴重な情報が読み取れます。歴代の駅長さんも。問寒別の人の温もりという伝統守りたいものです。問寒別駅にはこれらの情報や写真が掲載されており、昔の地域を知ることができるプチ歴史館になっています。最後の駅長だった富川駅長と木造問寒別駅、そして普通列車キハ22だそうです。ウィキでは、S59.11.10無人化ってなってるんですね〜。まぁウィキだし…。とても貴重な情報です! もっと見る
リターンにレポートのようなものの追加はないでしょうか。 衰退する地域をどうするのか、人々は集うのか、高齢になる中で自分で作るより作ってもらう・みんなと食事をするのがどう影響を与えるのか、先例として非常に価値がある情報になると思います。お金出して読みたいです。 1つか気になったのですが、改装費が過大じゃないかなと。 人口300人と利用率、収益性を考えるならもっと抑えた方がいい気がしました。借り入れではなく、自己資金ならいいですが。 余計なお世話かもしれませんが、成功して欲しいのでコメント致しました。
リターンについて。正直このトナカイ角細工に然程魅力を感じません。集落が再び蘇る遠大長大なプランをぶち上げ、その端緒として人が集える場を作り地歩を固め日々の成果を発信して下さい。