2020/03/27 20:00

開始から1週間半経ち、目標の50%を突破しました!たくさんの皆様から応援いただき本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

今回新しく始める自立援助ホームは、児童福祉施設の1つですが、入居する子どもたちの「自慢できる実家」にしたい。それが私の強い思いです。

前回の活動報告でも少し触れましたが、その思いはかつての施設での経験が元となっています。今回は当時の私の生活について、少しお話したいと思います。

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父のDVが母にも伝わり両親が離婚した後、母と私と弟の3人は母子ホームと呼ばれる施設に引っ越しました。

母子ホーム(母子生活支援施設)とは、18歳未満の子どもを養育している母子家庭などが、子どもと一緒に利用できる施設です。DV被害者の保護のために使われる場合が多くあります。

もともと住んでいた場所から引っ越すことになったため、入居前の下見は母だけが行きました。母は「もう行くところがないから決めるしかない。」と妥協したようですが、私は初めてその「家」を見たとき、自分の目を疑いました。

古い建物の中にあったのは、5畳くらいの狭い和室と、小さなキッチンがあるだけの部屋でした。収納は押入れのみで、タンスを置いたら寝るスペースもほとんどないくらいです。

私と母・弟の3人は、文字通り川の字になって寝ていました。もしあの時地震でもあったらタンスの下敷きになってなっていたかもしれません。

当時、高校入試を控えていたこともあり、私は引っ越し直後から毎日勉強に励んでいました。

しかし、そんな狭い部屋に3人もいると、集中して勉強することもできません。
勉強中でも構わずに声をかけてくる母にイライラして当たり、大好きな弟に対しても激しい言葉をぶつけることがありました。

幸いその母子ホームでは一時的に借りられる余分な部屋があり、その部屋にこもって勉強をすることができました。しかし施設共有の部屋をいつまでも独り占めするわけにもいきません。

当時施設の人が紹介してくれた塾に通うことができたので、できるだけ塾へ行って勉強するようになりました。
施設での生活が息苦しかったからこそ、その塾が一番安心できる家だと思えたのかもしれません。

(合格祝いに塾が開いてくれたすき焼きパーティー)

私は元々母と寝るということに慣れていないこともあり、狭い1つの部屋に3人で寝ることに、段々とストレスを感じるようになっていきました。受験勉強が家でできないというストレスも合わさり、私は母と布団を並べて寝ることができなくなってしまいました。

そこで私は、キッチンのわずかなスペースに自分の布団を敷いて寝ることにしました。

母からは「その周辺は、壁にカビが生えているからやめなさい。」と注意されました。
私だって、もちろんそんなところで寝たくはありません。
でもどうしてもみんなで一緒に寝ることはできませんでした。施設を退所する日まで、私はキッチンに見つけた自分なりの居場所で寝続けました。

トイレも、洗濯も、お風呂も、シャワー部屋も全部他の住民と一緒。
トイレは和式のみで、1フロアに2つしかありませんでした。公園の公衆トイレのような感じです。

そしてトイレの隣の部屋に住んでいたのは同い年の男の子。当時私は、思春期まっさかりの女子中学生で、トイレに行く度に音を聞かれるのではないかと恥ずかしい思いをしていました。

そのトイレの真横に洗濯機が置いてありました。トイレから運び出した洗濯物は、屋上に干しにいきます。

施設みんなで共有するので、干したいときに場所がなかったり、服がなくなっていたりすることもありました。「あれなくなったよ」「今度はこれなくなったよ」とよく住民同士で話していたものです。

共同のお風呂に入るのにはお金がかかり、数百円の回数券を買う必要がありました。お風呂の時間は男女で別れて1時間くらいと決まっています。

10代の私は恥ずかしくて、他の人と一緒に同じお風呂に入ることが中々できず、シャワールームをよく利用していました。100円で5分くらいお湯が出るコインシャワーです。
お湯は途中で止めることができなかったので、仕方なく200円払って10分に延長させます。それでもゆっくりなんか浴びてられません。
急いで身体と髪を洗って出ても、母には「お金がかかるから短めにしろ」と怒られます。

小さいイライラがどんどん積み重なっていきました。
私が家出をしたのはこの施設からです。自分の居場所を求めていたのだと思います。

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もちろん母子ホームと言われるすべての施設が、いま話したような環境なわけではありません。

私がいた場所も、老朽化が進み立て直し直前だったので、特に環境が悪かったのだと思います。多感な思春期の頃だったので、特に敏感に感じてしまったのかもしれません。

ただ私は、あの場所をどうしても「家」と思うことができませんでした。


今回立ち上げる自立援助ホームも共同生活になるので、子どもたちにストレスがかかることもあるかもしれません。

それでも少しでも、彼女たちが心休まる居場所を作りたい。勉強に集中できる環境を整えたい。疲れた時は本音を言い合える実家にしたい。そう思っています。

みなさまの応援が、近い将来、ここに住むであろう女の子達の生きる励みになります。
あたたかな応援とご支援を、引き続きどうぞよろしくお願い致します。