Check our Terms and Privacy Policy.

自慢できる実家に!安心して暮らせる家で10代の女子をサポートしたい。

【ネクストゴール目標150万円!】10代の女子が安心して暮らすことができる、自立援助ホームの立ち上げにご協力お願いします!

現在の支援総額

1,624,000

162%

目標金額は1,000,000円

支援者数

150

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2020/03/17に募集を開始し、 150人の支援により 1,624,000円の資金を集め、 2020/04/16に募集を終了しました

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

自慢できる実家に!安心して暮らせる家で10代の女子をサポートしたい。

現在の支援総額

1,624,000

162%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数150

このプロジェクトは、2020/03/17に募集を開始し、 150人の支援により 1,624,000円の資金を集め、 2020/04/16に募集を終了しました

【ネクストゴール目標150万円!】10代の女子が安心して暮らすことができる、自立援助ホームの立ち上げにご協力お願いします!

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

thumbnail

こんにちは!八神です。ネクストゴール設定から4日間、みなさまからの支援の輪が日に日に増えていっていることを実感し、とても感動しています。ご支援やシェア、拡散など最終日までたくさんの応援を本当にありがとうございます!自立援助ホーム「Le Port(ル・ポール)」のことを多くの方に知っていただくと同時に、入居のお問い合わせも増えてきています。安心して家に帰ることができない10代の女の子たちはまだまだたくさんいること、彼女たちにしっかりと手を伸ばしていくことの大切さをひしひしと感じています。プロジェクト本文の最後に、私は「みなさんの協力で、彼女たちにとっての「実家」を一緒につくりませんか。」と投げかけました。その想いに賛同してくださったみなさんのおかげで、彼女たちの「実家」を完成させることができたと感じています。完成したLe Port(ル・ポール)の様子を少しお見せいたします!こちらはリビングルーム。代表が引っ越すにあたり家具や観葉植物を置いていってくれました。ラグは女の子たちが少しでも明るい気分になれるよう、かわいい柄をセレクトしました!寝室だった場所は壁紙を張り替えて綺麗になりました。秘密の部屋につながるかのようなドア!部屋を増やしたので新たに扉をつけました。元々和室だった部屋です。小さい部屋ですがクローゼット付きの部屋になりました!私が10代の時に住みたかったなぁ〜と思います。今回のプロジェクトを通して、私は今まで周りに話せていなかった自分の体験をお話してきました。      【私の過去を語った活動報告】母子ホームでの経験ー5畳での3人生活、私が見つけた自分なりの居場所。どの子どもも捨てられたくないー私がが虐待されていることを言えなかった理由支援するみなさんへ伝えたいことー完全に「理解」はできなくても「信頼」は生まれる最後にー私が私のことを語る理由色々と語ってきましたが、実はまだ話せていないこともたくさんあります。伝えるってすごく勇気がいることで、私は父から暴力を受けていた当時の5年間、その事実を誰にも言えませんでした。時間がたって話せるようになったこともあるし、まだ話せそうにないこともあります。それでも私の経験を伝えることで、昔の私のような状況にいる子どもたちの力になりたい、という思いでいます。1ヶ月前に始まったクラウドファンディング。本日23時59分までとなります!私の想いを最後にもう一度だけ伝えさせてください!***プロジェクト本文「最後に」より***もしあの日、私が悪い人に引っかかっていたらどうなっていたんだろう。そう振り返ると同時に、これからも私のような悩みを抱える女の子は出てくると思っています。あの頃困っていた自分のように困ってる子どもたちと繋がりたい。そんな子どもたちが安心して相談できる相手、安心して頼れる場所になりたい。自分の存在はダメな存在なんかじゃなく、ちゃんと価値があって、味方がいることを知ってもらいたい。ここに来る子どもが、自分のことを誰よりもわかって、何事にも立ち向かって、自分を大切にできる、そんな風になれるように。この場所を、みんなの家にしたい。 疲れたらまた帰ってくればいい。悩んだらここに休みに来たらいい。困ったら助けてって頼ってきてくれたらいい。これから出会う子どもたちに、そんな私の思いを、はっきりと伝えていきたいと思っています。それを伝え続けることは、私1人の力だけでは足りません。1人でも多くの方の協力が必要です。みんな、生まれてくる環境を選べません。独りになりたくてなる人なんていないです。彼女たちにいつでも学べる環境を。自分だけの安心できる空間を。みなさんの協力で、彼女たちにとっての「実家」を一緒につくりませんか。*************最後まで応援よろしくお願いいたします!


thumbnail

こんにちは!ダイバーシティ工房代表の不破です。クラウドファンディング最終日の明日は実は私の38歳の誕生日でもあります。ラスト1日、「Le port(ル・ポール)基金」により多く積立てができるように応援よろしくお願いします!Le port(ル・ポール)の運営を担当する八神との出会いはちょうど今から10年近く前。私の父親がやっていた「自在塾」で講師を始めてから入ってきた、4人目の生徒でした。入ってきたのは中3の受験のなんと1ヶ月前!あと1ヶ月でどこまでできるかな、と不安をよぎらせつつも、でも受け入れないわけにもいかないので「入試まで残り1ヶ月だけど頑張ろうね!」と言って自在塾で受け入れることにしました。当時の自在塾は6対1のグループ指導をしていて、推薦などで早く受験が終わった子たちは卒業していくので受験直前まで残っていた子は3人。そのうちの2人が母子ホームからの子どもでした。八神ともう1人も家庭環境が複雑で、塾の授業が終わる度に「家に帰りたくないからここに泊まりたい」と言っていました。(毎日のように自在塾に来て勉強に励んでいた2人。)私が塾の運営を始めた頃、このような感じでいわゆる普通の塾では出会わないような子が生徒の半数近くを占めていました。私自身は、中学・高校時代から友達が「家にいたくない」と言って自宅に1週間泊まったり、私の両親は私が寝ている時に友達の話を聞いていたり、私がいない時にまで家に遊びに来る友達もいました。私の両親も、「家に居場所がないならうちに来れば良いよ。◯◯ちゃんのお母さんには電話しておいてあげる」と言ってくれていたので、私の友人達は安心して私の家に泊まることができていたのです。そして私自身も、自分の家が息苦しい時期は、友人達の家に泊まる日々を送っていました。だから、自在塾で出会った八神やその同級生たちが「家に帰りたくない」という気持ちは何の違和感もなく理解できたのです。でも大人になった今、改めて考えてみると、うちの両親のように「いつでも泊まりに来ていいよ」「話を聞くよ」と言ってくれる大人と出会える中学生や高校生は中々いないと思います。(アットホームな雰囲気だった自在塾。年末に開いたクリスマスパーティーにて。)そして今の仕事を始めて、世の中の社会資源を知れば知るほど、10代の子や高校を中退してしまった子、または目に見えにくいけれど発達障害などの特性があって大多数の人と物事の捉え方や感じ方が違う子をサポートできる環境が少ないことに気づきました。10年前の塾で、そこにいた八神がポロッと話していた「家に帰りたくない」という言葉は一見、冗談っぽくもありました。でも過去の経験からか直感的に「あっこれは聞き逃しちゃいけないな、この子たちはきっと『辛い』ってことを誰にも理解されていないんだな」と感じたのはよく覚えています。だからこそ、学生時代に自分の親が私の友人達に言っていたように「家に帰りたくないんだったら泊まっていいよ」と伝えることにしました。そして「私が聞ける範囲なら話も聞いてあげよう」そんな風に思って塾の仕事の合間に話を聞いたり、時には事務仕事を手伝ってもらったりしながら彼女たちの話を聞く時間をつくっていました。(真剣な話もくだらない話もたくさんしてきました。)でも振り返ってみると「私が何かをしてあげた」というより、私自身がその後の生活で助けられたことの方がたくさんありました。1人目も2人目もこどもが生まれた後、私は経営者なので育休がありませんでした。1人目が生まれた当時は、まだ常勤職員が3人くらいの小さな組織だったので、産後1ヶ月から働き始める必要がありましたが、待機児童が多い市川市では保育園に入れず、でも仕事は終わらない…。夫も母親もフルタイムんで働いていたので頼ることもできず、絶望的な日々を送っていました。そんな時にベビーシッターとして私の仕事や生活を助けてくれたのが、自在塾の卒業生だった彼女たちでした。また私は先月の3月25日に千葉県から沖縄に引っ越したのですが、引っ越し前日にまだ荷造りが終わらない家に、当時の卒業生のアキナ(仮名)が遊びに来てくれました。彼女は10年前と同じようにポツポツと今の家のことや自分のことを話しながら、私の荷物を片付けたり、子ども達と遊んでくれました。そう市川にいる最後の日まで、私のことを気づかって夜遅くまで色々手伝いに来てくれたのです。そんながアキナが沖縄出発前の私にくれた手紙の一部を紹介します。「まきこ先生がいつでも近くにいると思ったら心が落ち着いて安心して何があっても大丈夫な気がしていて、自分がおもうままに進んでこれたんだよ」この手紙を読んで、「私にとっては昔からやっていたことだからそんな大したことした気はないけどけど、彼女にとっては10年経った今でも思い出せるくらい、話を聞いたことや家に泊まったことが大きなことなんだな」と改めて感じました。(引越し前夜にアキナがくれた手紙。感謝の言葉が綴られていました。)自立援助ホーム「Le port」を立ち上げたのは、私の親が昔、中高生だった私の友人たちにやっていたこと、そして私が10年前に自在塾でであった彼女たちにやっていたことを途切れないようにしたかったからです。でも個人で続けるには金銭的な負担が大きいし、何より困っている子どもたちと出会うことは、中々簡単なことではありません。だから「自立援助ホーム」という公的な形を取ることで、今出会えていない「安心して帰る家がない」子ども達に情報を届けられる。そして1年、2年といった長期に関わることで彼女たちにとって「自慢できる実家」になっていくのだと思います。クラウドファンディングも残り1日となりました。この不安定な社会の中で、より安心して暮らせる環境が必要な子ども達のために、最後までみなさんの力を貸してください。(約10年間、八神を見守ってきました。彼女の成長はこれからも続きます。)


thumbnail

こんにちは!八神です。この週末でなんと、目標金額の100万円突破しました!今回のプロジェクト、この社会状況の中で「本当に応援してくれる人がいるかな…みなさんにご支援いただけるかな…」と、とても不安でした。でも、実際には本当にたくさんの方に応援をいただき、とても嬉しく思っています。みなさまの思いとご支援をもとに、これから出会う女の子達の安心できる居場所づくりの一歩を踏み出せること、心より感謝しています。4月16日のプロジェクト終了まで残り4日、私たちは、新たに【目標150万円】のネクストゴールを設定させていただきます!コロナの影響で、子どもたちも今後自宅での学習が主になっていくと思われます。しかし家を離れて入居する子どもたちは貯金も少なく、ましてやこの状況下でアルバイトを見つけるのは難しい状況です。プラス50万円分は、入居する子どもたちが学習に使える個人用パソコン約6万円×6台=約36万円に充てさせていただきます。そして残りは子どもたちの生活援助金、Le Port (ル・ポール)基金へ積立をさせていただきます。今日は、私がこの自立援助ホームで「学び」を大切にしていきたいと思うきっかけとなった話、そして最後に私の想いをお伝えできたらと思います。ぜひご一読ください!   **********虐待を受けた子は、ちょっとしたことでフラッシュバックを起こしてしまいます。私も今ではだいぶコントロールできるようになりましたが、高校を中退して、ダイバーシティ工房に入社した直後は、特にひどかったと思います。私は感情の波が激しく、当初は「反発心・反抗心がある子」そう思われていたようです。就職した今の職場、ダイバーシティ工房代表の不破が、そんな私にセミナーの受講を勧めてくれました。実際に「アンガーマネジメント」や「共感・傾聴・受容」に関してのセミナーを受講しました。受講したときは「何言ってんだろう」という気持ちもありましたが、振り返るとあの時のセミナーで学んだ知識やスキルが、自分自身の感情をコントロールするのに役立っていると感じています。代表は、反発心のある私に直接あれこれ言うのではなく、セミナーを通じて間接的にコントロール方法を伝えてくれたのです。本当にありがたかったです。(新教室立ち上げの際、作業の合間のお昼ご飯。子どもたちの「学びの場」をみんなで作り上げていきました。)一方、自立援助ホームに繋がる子どもたちは働くことに手一杯で、両立して学びの機会を自分から得ていくことが難しいと言われています。私は周囲の方々がいたから、学ぶ機会を通してたくさんのことを得ることができました。だからこそ、今までの経験や教えてもらったことを元に学ぶことの意義を長期的な視点で一緒に考えたり、その子に合った学習機会をサポートしたりしていきたいと考えています。***私の話をすると「あいちゃんは力があるね」と言われることがあります。過酷な経験をしたのに、それを伝えながら、子どもたちへの支援にあたっているのでそう見えるかもしれません。確かに力はあるかもしれません。それでも時々言いたくなることがあります。「私は今も毎日頑張って生きています」と。些細なことで不安になって未だに眠れない夜を過ごすことがあります。突然起こるフラッシュバックで過呼吸になったり、行き場のない感情を抱えることもあります。それでも私は生きていかなければならない。それは、これから出会う子達も同じです。私の経験を語ることで、私が関わることで、誰かの力になれたら。そんな思いでいます。クラウドファンディング、最後の1週間となりました。最後までどうかみなさんの力を貸してください。ネクストゴール達成まで応援をよろしくお願いします!(入職当時お気に入りだった「愛」のTシャツを着て一枚。)


thumbnail

こんにちは、八神です。 このプロジェクトが始まってから毎日のように皆さまからのご支援が届いています。私の身近にいる方、海外に行かれても活動を応援してくださる方、普段会っているけれど初めて私の経験を読んでくれた方、そして初めて私のことを知ってくれた方、皆さまお一人お一人から背中を押していただいています。本当にありがとうございます!クラウドファンディング終了まで残り1週間を切りました。達成まであと【17万6千円】まだ道のりは長いですが、徐々にゴールまでの道筋が見えてきました。私たちのチャレンジへ、どうか最後までみなさんの力を貸してください!***私は現在子どもたちと関わる仕事に就いていますが、その中でも周りの大人たちへ反発心を持っていたり「自分のことを信じてもらえない」と心を閉ざしたりする子どもたちに出会ってきました。そんな彼女たちの話を聞きながら、よく昔の自分を重ねています。子どもたちは何を思い何を求めているのか。かつての私が周りの大人に感じていたことをお話できればと思います。***以前の活動報告「母子ホームでの経験ー5畳での3人生活、私が見つけた自分なりの居場所。」でもお伝えしましたが、私は母子ホームでの生活が嫌でたまりませんでした。嫌だと思っている場所で生活をしなければけない苦痛。誰からも守られない、助けてもらえない苦しさ。様々なストレスでよく過呼吸を起こし、救急車で運ばれたこともあります。「誰も私をわかってくれようとしない」私はそう思っていました。もちろん、周りの大人たちは私をわかろうとしてくれていたんだと思います。それでも、当時の私にはその気持ちが届きませんでした。(中学3年生のとき。周りの大人は私を理解してくれないと思っていました。)***母子ホームは、通帳を管理したり月に一度面談を行ったりして私たちの暮らしをサポートしてくれていました。しかしそのサポートは、当時の私にとってはとても厳しい「管理」でした。「お友達の家にお泊まりしたい。」そう言おうものならば、「どこに?誰と?住所は?親御さんの名前は?親御さんの連絡先は?外泊理由は?」と問い詰められます。“お泊りに行くのにいちいち長い書類を出さなきゃいけない家なんてある?”“親がOKならいいんじゃないの?”私の不満はたまります。門限は22時。間に合わなかった時は、「どこ行ってたの?なんでこんなに遅いの?なんで連絡しないの?誰と一緒に出かけていたの?」矢継ぎ早に質問されます。”なんでいちいち親でもないあなたたちに聞かれなきゃいけないの?”口にはしませんが、いつもそう思っていました。「ここを出たい。」と言ったときは、「生活が大変でしょ。ママ外国人だからあなたたちだけじゃやっていけないでしょ。」私がなぜ出たいのか理由も聞かずに否定されました。当時高校生だった私のお小遣いは2,000円でした。携帯を持つのが当たり前の時代で、友達との付き合いも必要。お小遣いだけでは足りなくて、アルバイトをしようとしました。許可を得ようとすると「お母さんの収入が減るからダメ」とまた否定されます。私たち家族は生活保護を受けていました。当時の生活保護の仕組みでは、子どもがアルバイトするとその分世帯収入が増えたとみなされ、支給額が減らされてしまったのです。私がアルバイトをしたことが判明したときは、ものすごく叱られました。(後々母が私の学費を払っていなかったことが判明し、私のアルバイト代から学費を出すことになりましたが・・・)“母子ホームから出たい” そう思っていた私が、他の支援機関からサポートを受けようとしていた時は、「あなたたちにあの子がどれだけ大変かわかってるの!?」「余計なことしないでください!」とサポート先の方々が怒られたこともありました。まるで私のことをわかっているかのように言われたのがとても嫌で、「じゃぁあなたたちは私がどれだけ大変かわかるの?何もわからないくせに。」そんな思いが溢れて感情が爆発していました。私は反発心が強く、いわゆる「大変な子」でした。でも、理由もなく反発していたわけではありません。「私がどうして欲しかったのか、あなたたちは聞いたことがありますか?」「わたしの声を拾っていましたか?」せめて私の気持ちにちょっとでも気づいてくれていたら、私はこんなにもホームにいることが嫌になっていなかったかもしれません。***「理解する」って簡単に使われることが多いですが、実際自分以外の人を理解することってすごく難しいと思います。軽く「わかるよー」って言われても、私は全く信頼できませんでした。だからこそしっかり向き合うこと、勝手に気持ちを決めつけないこと、解決策を提示し、一緒に考えること。お互いが納得できたら完全に「理解」ができなくても「絆」「信頼」は生まれてくる、私はそう思っています。(「あいちゃん聞いてよー!」学習教室に来る子どもたちの第一声です。)今は、これからどんな子どもたちに出会えるかワクワクしています。かつての私のように、反抗的な子やぐれていると言われている子、また、心に傷を負っている子、色々な背景を抱えた子。一人一人の声にとしっかり耳を傾け、向き合っていきたいと思っています。このプロジェクトを通していただいたみなさんからの応援の声一つ一つを、子どもたちにも届けていきます。引き続き、ご寄附やシェアなどでのご協力をよろしくお願いいたします!(ダイバーシティ工房入職当初、代表の不破とスタッフたちと。私の声に耳を傾けてくれました。)


thumbnail

みなさんこんにちは。八神です。クラウドファンディングも残り10日となりました。今日までご支援をいただいたみなさま、本当にありがとうございます。65名ものみなさまにご支援をいただきましたが、まだ達成まで約30万円足りない状況です。ぜひ最後まで、シェア、拡散、ご支援での応援をどうぞよろしくお願いいたします。****先月、自立援助ホームを開所するにあたり児童相談所に訪問しました。自立援助ホームには原則児童相談所からの紹介で入れることになります。対象となる子どもたちを繋いでもらえるよう、開所のお知らせと私たちの自立援助ホームの方針を共有しに行きました。児童相談所の方と話している中で、その方がおっしゃいました。「どの子どもも捨てられたくないと思っているんですよね。」その言葉に「あぁ私の気持ちを代弁してくれた」と強く共感したのです。今日は私がそう感じた理由をお話できればと思います。(先日開かれた無料学習教室の卒業式にて。中学を卒業する子どもたちにメッセージを送りました。)※トップの画像は、私の高校受験の合格祝いに塾が開いてくれたすき焼きパーティの様子です。***私は虐待を受けていた約5年間、誰にもそのことを言えずに過ごしてきました。やっと言えた相手は学校の担任の先生。中学3年生のときでした。「県外の寮制の高校に行きたい」進路相談の時間に私は突然担任の先生に伝えました。そしてそのことを「お母さんには言っても構わない。ただお父さんには内緒にしていてほしい」と伝えたのです。突然の私の発言に先生は驚きました。父は外にいる時は「いい父親」として振舞っていましたし、私にも人前では父を慕うように強要していました。先生は私と父が仲良しだと思っていたのです。***当時、私は父からの拘束状態にありました。父は時間に融通のきく仕事をしていたこともあり、中学生の私の送り迎えを毎日していたのです。さらに学校から帰ってからは絶対家にいなければなりませんでした。父は仕事に戻った後も時折家に電話をし、私がいるかどうかを確認しました。すぐに受話器を取らなければ、父が帰ってきた後暴力をふるわれました。15時35分。その時間は私にとって絶対超えてはならないラインでした。帰りのホームルームが終わるのが15時30分。父には15時35分までに門に来るように伝えられていました。1分でも遅れようもならその後ひどい目にあいます。学校が終わる15時30分からの5分間、私は毎日全力で門に向かっていました。ある時、中々ホームルームが始まらない時がありました。先生もクラスをまとめられずにどんどん時間が過ぎていきます。15時30分・・・31分・・・「お願いだから早く終わって!!」 もう心の中では半泣き状態です。気づいた時私はクラス全体に叫んでいました。「早くしろっっ!!」なんなんだあの子はと思われたに違いありません。それくらい35分に間に合うことは私にとって命がけのことだったのです。***先生はなぜこのようなことが起きているのか知る由もありません。「県外の高校に進学したい」という発言を怪しんだ先生は私に理由を聞いてきました。数回の面談を重ね、私はとうとう自分の身に起きていたことを正直に伝えました。先生に話したその日のうちに私は児童相談所に引き取られました。私はそこで約4ヶ月間一時保護され、その間学校にも行けませんでした。母と弟は別の施設でしばらくの間暮らしていました。父にはそれ以来会っていません。***「なんで言わないの?」父からの虐待が発覚した後、何も知らなかった母に何度も言われました。でも私はその度に思いました。「言わなかったんじゃない。言えなかったんだよ。」父の虐待が発覚した後母は父とすぐに離婚してくれましたが、あの頃の私は「離婚しないでほしい」と思っていました。「自分のせいで家庭を壊したくない」そう思っていたのです。「虐待されていることを誰かに言ったら見捨てられる」と感じている子どもたちは少なくありません。そして虐待がひどければひどいほどそのことを言えずに「自分が我慢すれば全ておさまる」と悪循環に陥ってしまいます。子どもたちが自立援助ホームに入居する一番の理由は「親の放任・虐待」次に「養育困難」と続きます。どの子どもも初めから好んで家庭を離れる選択をするわけではありません。長く耐えてきた子どもたちがやっと恐怖から解放されて保護されたのち、安心して生活するために繋がる場所、それが自立援助ホームです。だからこそ彼女たちが巣立った後にまた帰ることのできる実家になれる場所を作りたい、作らなければならないと思っています。【みなさんからのご支援の使いみち】ー 備品代(エアコン本体代、設置費用など):約35万円ー 広報費(HPの開設、パンフレット制作など):約5万円ー Le Port(ル・ポール)基金:約30万円先日正式に開所をしてから、既に何件かの問い合わせがきています。子どもたちの入居に向けての準備も、このクラウドファンディングのチャンレンジと同時に進めている最中です。今回の外出自粛要請で、家を離れたくても離れられない子どもたちが、どれだけつらい思いをしているだろうと胸を痛めています。虐待リスクも今確実に高くなっていると感じます。「あと一歩早ければ」そんな悲しい状況を少しでも減らしていくために、私たちも全力で取り組んでいきます。最後まであたたかな応援をよろしくお願いいたします!(工事が無事完了したル・ポールの内装です。)