台風19号からの復興、丸森町にホッと休める居場所を作りたい!

台風19号の阿武隈川の氾濫により、店内165センチの浸水、作業倉庫の崩落、そして店の顔だった二つのウッドデッキの流出の被害を受けました。日当たりの良いウッドデッキを再構築し、全天候型に屋根をかけ、丸森町にホッとできる居場所を作ります。

現在の支援総額

1,920,000

128%

目標金額は1,500,000円

支援者数

132

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2020/03/01に募集を開始し、 132人の支援により 1,920,000円の資金を集め、 2020/04/15に募集を終了しました

台風19号からの復興、丸森町にホッと休める居場所を作りたい!

現在の支援総額

1,920,000

128%達成

終了

目標金額1,500,000

支援者数132

このプロジェクトは、2020/03/01に募集を開始し、 132人の支援により 1,920,000円の資金を集め、 2020/04/15に募集を終了しました

台風19号の阿武隈川の氾濫により、店内165センチの浸水、作業倉庫の崩落、そして店の顔だった二つのウッドデッキの流出の被害を受けました。日当たりの良いウッドデッキを再構築し、全天候型に屋根をかけ、丸森町にホッとできる居場所を作ります。

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台風被害を乗り越えた、丸森産直シスターズ。みんな浸水被害がありました。応援コメントも10本目、皆さんの応援、本当に心にしみます。ありがとうございます。今回の齋藤百合子さんは、丸森町農業創造センターの職員。丸森町の直売所などを束ねるご担当です。これほど働くか!というほど、よく気が利き、よく動いてくださいます。そこでつい、頼んでしまいまうのです。来月からはレシートラリーがスタート。丸森町へおいでくださいね。エピソード1『こんな時だけど、こんな時だからこそ、元気を発信しよう!』 台風19号が丸森で猛威を振るい、至るところに大きな被害をもたらした。もちろん直売所も例外ではなかった。3か所の店舗と1か所の加工場が床上浸水となり、道路はあちらこちらで寸断。そして、全ての店舗で長い間、断水に苦しんだ。お店だけではない、直売所のスタッフ、生産者にも大きな被害が出て、いつも笑顔だった直売所のお父さんの笑顔が消えた・・そんな時だった、八島さんから職場に電話がかかってきた。「11月6日、イベントの宣伝でOH!バンデスに出る予定だったけど、こんな時だけど、こんな時だからこそ、直売所のみんなでテレビに出て、元気を発信しないかい? 何とかみんなが出られるよう手伝ってほしい」と。電話をしていて、涙が出そうになった。床上浸水で一番大きな被害が出でいるのは八島さんだったからだ。その八島さんがみんなを心配し、それでもがんばって前に進んでいこうと言っている。私は「やれるだけやってみます!」と引き受けた。テレビ出演まで数日しかなかったが、至急上司に相談し、車の手配をしてもらった。私は各直売所に電話をして、一緒に出演できる人を探した。幸い3店舗から協力がもらえ、八島さん含めて4人出演は決まった。八島さんからはもう一つのお願いがあった。「出演の際に使用するパネルを作ってほしい」と。「元気が発信できるようなパネルを」と。私は、直感的に直売所のみんなの笑顔の写真を使おうと思った。片っ端からパソコンの写真を探した。パネルを作りながら、またみんなの笑顔が戻りますようにと願いをこめて・当日、何とか準備が間に合い、みんなで1台の車に乗り合わせて仙台に向かった。今回参加を決めたお食事処のお母さんのお店も床上浸水160cmで、お店の物が全てダメになった。とある菓子加工のお母さんのお宅は新築7か月で床上浸水2m。その他、被害の少ない店舗でも駐車場に泥が入り、スタッフ総出で泥かきをした。みんなみんな被災者だった。発災後初めてだったかもしれない。被災にあったもの同士が集まり、お互いの状況を聞きながら、お互いの苦労を知った。仙台に着くまで、いろんな話をして、「もう後はがんばるしかないね!!」と励ましあった。OH!バンデスの出演も無事終わり、久しぶりに仙台の美味しいパン屋でそれぞれが家族に美味しいお土産も買って、気持ちを新たにすることができた。八島さんはいつもみんなのことを考えている。「自分だけではダメ、みんなが良くならないとね。」齋藤百合子さん渾身の作品 素晴らしい!! 元気を発信できました!!エピソード2『来られなくなる前にやしまやに来たかった』いなか道の駅やしまやは11月30日に再開した。この日、私も八島ファミリーに会いたくて、やしまやを訪れていた。店内には再開を祝う多くのやしまやファンがいた。席も満席で、たまたま老夫婦の隣に座った。「どちらから来られたんですか?」と尋ねたところ「仙台から」とおっしゃった。途中から八島さんも加わり、みんなで話していたら、お母さんが「毎回、毎回、やしまやに来るのを楽しみにしていたけど、お父さんもそろそろ運転が限界だから、今度免許を返納することにしたの。だから、もう来られなくなると思う。でもね、この災害で、ずっとやしまやのことが心配だったから、最後に来られて良かったわ」と言う。それを聞いた八島さんが「それなら、やしまやタクシー(哲郎さんのこと)に電話してよ。最寄り駅まで迎えに行くから、また遊びに来てよ」お母さん「そんなこと悪いわよ~」と言いながら、嬉しそうに笑っていた。いなか道の駅やしまやにはファンが多い。丸森の中心部から車で20分かかるが、それでも、お客が絶えない。なぜなら、ここには人の心を引き付ける魅力があるからだ。どんな時でも、人に寄り添い、共に前に進む力を与えてくれる八島哲郎さんがいるからだ。今回、ウッドデッキが流出し、クレーンで吊り上げ、仮置きした時、八島さんは「やしまやに魂が戻った」と思ったそうだ。みんなの集う、このウッドデッキは「やしまやの魂」なのだ。私は今度は八島さんの心を支えたい。どうか、このクラウドファンディングが成功しますように・・そして、新しくなったウッドデッキで、あの老夫婦がお茶を飲み、また多くのお客さんとの交流が生まれることを心から祈っております。最後にどうか皆さん、「やしまやの魂」の復活に力を貸してください。応援よろしくお願いします!丸森町農業創造センター齋藤 百合子ボニータとともに、左が齋藤百合子さん、右がお姉さん。北海道から丸森町へボランティアで何度も通ってくださいました。


応援コメント9人目は、サイクリスト今野 庸さんです。うちの店においでいただく時は、ほとんど自転車。いつも笑顔の今野さん、会うたびこちらが元気をもらっていました。台風被害に遭った当店、最初の泥出しから終わりの干し柿作りの作業まで、何度も何度も復旧作業のお手伝いをいただきました。今野さんに感謝です。ありがとうございます。---------------------------------------------------------やしまやさんは私達サイクリストのオアシスです。  1952年9月5日 東京日本橋生まれ 現在67歳 男ばかりの6人兄弟の末っ子 兄3人が ハンドメイドサイクルのフレームビルダーです。長男 CHERUBIM号(旧約聖書に出てくる天使の名前ケルビム) 次男 3RENSHO号(三連勝とよむ) 4男 MIYUKI号(三幸:三つの幸福の意味) 現在も活動を続けているのはCHERUBIM号のみ 長男は他界しており、現在は甥っ子の 今野真一が引継ぎ 有名競輪選手にもフレームを提供しています もちろん私の沢山の自転車もほとんど「CHERUBIM号」です。やしまやさんとのご縁  東京の理科教師から宮城県へ 私は2011年大震災の時、東京の浅草中学校で理科教師をしていました。東京都は福島・宮城・岩手の3県に、他県に先立ち、ゴールデンウィーク明けの5月9日、100人の教員を救援派遣しました。私はその中の一人で、宮城県山元町の山下中学校に派遣されました。東京都で借り上げた白石駅近くのアパートで宮城県の生活が始まりました。 私は若い頃、国体にも出場したことのある、長距離選手でした。引退後もサイクリングを楽しむ人生でした。当然、引っ越し荷物の中に自転車が3台ありました。  白石のアパートから日曜日には、自転車で角田を越えて山下中学校に出勤しました。当時の教頭先生が白石に帰るんだったらいいコースを教えてあげると、地図をコピーし、貼り合わせて紹介されたコースが、丸森から阿武隈川を北上し、やしまやさんの手前で県道24号線に入り、峠を越えて白石蔵王駅に出るものでした。初めて走った阿武隈川沿いの国道349号線。すぐに気に入りました。その後、大河原でお世話になっている、鬼平ラーメンの御主人に会いに行くのに、わざわざ349号線を通り、福島に出て、4号線を北上しました。宮城県の生活が始まって最初に知ったサイクリングコースがやしまやさんの前の道(349号線)だったのです。  2012年、一度東京に戻り、定年までの残り1年を浅草中学校で終えました。定年後は自転車を持ってフランスへと思っていたのですが、宮城県から宮城県で働かないか?とお誘いがあり、今に至っております。 現在は名取在住で岩沼西中学校で常勤講師をしています。 349号線を通る時は必ずやしまやさんによります。哲郎さんだけでなく、奥様やお母様ともすっかり顔なじみなりました。 自転車でやしまやさんに行き、美味しい賄い飯をさかなに、しこたま飲んで、阿武隈駅まで自転車をひいて輪行で帰ったことも何度かあります。現在は名取在住ですが、やしまやさんを遠く感じたことはありません。 やしまやさんへの応援メッセージ  サイクリスト、実は道が好きなんです。自転車に乗れればどんな道でもいいってもんではありません。若い頃自分でもわからなかったのです。選手だった頃は速く走るのが目的でした。でも引退し歳をとっても自転車からおりません。20年近く前、渋谷で自主上映の「ツールドフランス」のドキュメンタリー映画をみました。副題に「道のとりこ」とありました。はっと気がつきました。そうか、私は「道が好きだったんだ」とわかりました。宮城県で最初に出会った国道349号線は私にとって特別な道です。そして、そこにある「いなか道の駅やしまや」は私のかけがえのない居場所なのです。 去年10月の豪雨のあと、連絡が取れない中、自転車仲間が白石市大鷹沢(おおたかさわ)側から阿武隈川沿いのやしまやさんに下りるルート(唯一)を確認。みんなで駆けつけ泥かきをしました。みんな笑顔で作業をしました。とにかくみんな明るいのです。やしまやさんはそういう場所なんです。何度も水害に遭われている。何度も立ち上がり、今回、最も過酷な水害でしたが、立ち直り、また私たちを笑顔で迎えてくれます。 丸森は数年前からサイクリストを応援してくれる街になりました。阿武急が自転車をそのまま持ち込めるサイクルトレインになった直後に豪雨がありました。これから、またサイクリストの街として復活するには、やしまやさんの元気なくしてはあり得ません。サイクリストはみなあのウッドデッキが大好きです。リニューアルされたウッドデッキに座ることを心待ちしています。一人でも多くの人に応援をしてもらいたいです。---------------------------------------------------------昨年、4号線と6号線全線走破、日本橋折り返し時の写真です。今野さん、今後ともよろしくお願いいたします。 八島哲郎


応援コメント8人目は、丸森町耕野地区に千葉県柏市から移住した、養蜂家石塚武夫さんです。株式会社 石塚養蜂園の代表として、美味しいはちみつを生産、販売しています。町内のみならず、各地に石塚養蜂園のはちみつのファンは多いです。私もオススメします。お仕事のみならず、地域活動にも熱心です。丸森町が進めているアフリカのザンビアとの国際交流事業で、養蜂の技術支援を現地でしています。地区自治組織の役員の務め、地区になくてはならない人になっています。「応援してます!」 丸森町耕野地区で養蜂業を営んでいます、株式会社 石塚養蜂園、石塚です。哲郎さんとは、私が耕野地区に移住して以来、20年を越えてお付き合いさせていただいています。 ハチミツを販売してもらうだけにとどまらず、耕野地区を楽しく盛り上げていこう、という気持ちは同じく、一緒にイベントなどを行ってきました。哲郎さんの次から次へと沸いてくるアイデアと、それを実行してしまう行動力には嫉妬すらおぼえます(笑)台風19号では、想像をはるかに越える、まさかこんなことがおこるとは思いもしなかった、そんな被害に見舞われました。台風後は私も自分のことで手一杯でお手伝いは出来ませんでしたが… 耕野地区の人も他所から来てくださる人も ホッと一息、ゆっくりできるウッドデッキの 再建を心より応援します。同じ耕野地区の住民として、これからも哲郎さんの後ろをくっついて行こうと思っています。 今回のクラウドファウンディングも応援します!石塚さんも、台風で蜂箱が流出する大被害がありました。心より、お見舞い申し上げます。いなか道の駅 やしまや以外でも、各店舗で好評販売中です。下のリンクを訪れてください。石塚養蜂園のサイトです。石塚養蜂園さんの蜂蜜のファンはとても多いですよ。オススメです。


応援コメントNo.7は福島県伊達市の株式会社CIA、代表取締役 横山光衛さんです。今までの笑顔の写真で始まる応援コメントを予想したあなた。心配ご無用です。人を1枚の写真の第一印象で判断してはいけません。心優しき、懐の深い代表取締役です。広告・ブランディングをメインに扱う会社で、いなか道の駅 やしまやの印刷物を一手に引き受けていただいています。--------------------------------------------------------------------------応援コメントお~い!やしまや! 早くウッドデッキ作ってくれ! 不便でしょうがねーだろ!あそこの田舎道はなんもないところ。ずーっと自転車で走っていると(車でもバイクでも一緒か)、誰だってそこでコーヒー飲みたくなるんだぞ!とにかく、君には水没しても復旧する「義務」があるんだかんね! 何! 2回目の被害だって!?しょうがねぇだろ!泣きながらガンバレ!!な、な、なに!2回目の被災なんかじゃなくて、12回目だと!?しぶといやつだとは思っていたけど、ヤルな~!13回目、14回目と記録更新期待して待ってる!みんなもやしまやがどこまでヤルのかとりあえず応援してみねがい!!あ!!あと、若いの連れてペンキ塗りさ行ぐがら!このメッセージをご覧のみなさん、私は決して怪しいものではございません。ご安心ください。株式会社CIAというこれまた怪しい名前の会社を経営している広告・ブランディング屋です。--------------------------------------------------------------------------浸水記念メモ帳 復旧のお手伝いをいただいた方をご招待した「感謝の会」。CIAさんにオリジナルメモ帳をたくさんプレゼントしていただきました。表紙が「浸水記念」!! 手にした途端、「バッカヤロー!!」とメモ帳を思いっきり床に叩きつけ、にらみつける器の小さい人間では私、八島哲郎ではございません。私も大ウケでした。茶目っ気溢れる横山さんには脱帽です。次回は第○○回浸水記念入れましょう。あ、あんまり回数が多くて、浸水回数を私も数えていないのは問題です。完全限定のオリジナルメモ帳。もう手に入りません。コアなやしまやファンには垂涎のグッズ。CIAさんにお願いしている印刷物。※感動の一日四尺たけのこカレー、感動の一日四尺たけのこごはんの素のパッケージは言うに及ばず、いなか道の駅 やしまやオリジナルカレンダー(11月と3月の2度発行)、ポストカードなど多岐にわたっています。真面目で面白い方、真面目で面白い会社です。感動の一日四尺たけのこカレーリターンにも入れています。感動の一日四尺たけのこごはんの素年中、たけのこご飯が食べられます!!これもリターンに入れてます。再オープンの日には取材にもおいでいただきました。動く代表取締役をご覧ください。FDNをご覧ください。CIAさんの制作です。


応援コメントNo.6は都築寛明さん、ご家族でおいでいただいています。会うたびにお子さんの成長ぶりがわかり、こちらも嬉しくなります。台風被害の後も率先して復旧作業のお手伝いをいただきました。感謝しています。都築さんご家族も、ネオ親戚ですね。応援メッセージ 八島さんとは10年ほど前、仕事の関係で知り合いました。その後、やしまやにはタケノコ堀りや、ころ柿作りなど、折々にお邪魔しています。私達家族にとっては、季節ごとの楽しみに触れることのできる、大切な場所です。 やしまやは、阿武隈川を見下ろせるところに位置しています。ちょうど阿武隈川の流れが大きくカーブをして、川幅が狭くなるポイントです。地形的な特性として、雨が降ると水位が上がりやすい場所になっています。 昨年10月、台風19号の大水で、お店の前のウッドデッキが根こそぎ引きはがされてしまいました。 あのウッドデッキでは、ニャンコ駅長とらおさんがくつろぎ、訪れた人が食事やコーヒーを楽しむことができました。夏場のビアガーデンも楽しい思い出です。やしまやのウッドデッキが復活することを応援したいと思います。都築寛明駅長とらお君と遊んでくれてありがとう!とらお君は現在放浪の旅の途中です。ビアガーデンもやりましたね。今年もやりましょうね!!ロケーションバッチリのウッドデッキが、今度はオープンテラスに!!


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