今日のメンバー紹介は、山口大樹くんです。たいじゅと呼んでます。北海道出身の熊っぽい彼とも5年ほど前に出会いました。これもまたにいくんの紹介です。「河和田はものつくりの聖地だ!」と北海道からヤマト工芸に勤めに来た、無口な道産子というのが彼の印象です。パワーで押し切らないといけないそんな時は大抵たいじゅの出番です。ただ高いところが苦手なのが可愛い。熊なのに(笑)そんなたいじゅもめぐみちゃんという素敵な彼女との遠距離恋愛の末結婚し、子供も生まれてパパになりました。言葉にできないことを形作るそんなデザイナーとして活躍することを期待しています。
●河和田に辿り着いた経緯から聞かせてもらえますか?
「えっと、僕が大学卒業したのはいわゆる就職氷河期と言われるときで。デザインとものつくりの仕事に携わりたくていろいろ探したんですけど、中途採用、経験者の募集しかなくて、地元・北海道は全滅してしまい。途中でゲーム制作会社やグラフィックデザイン事務所にもアタックを仕掛けてみたんですけどね、すぐに見透かされて「君はものつくりをやりたいんだね」って言われちゃったりして。それで就職支援センターへ行って、全国規模で改めて探し始めたら、今働いているヤマト工芸にヒットして、インターンシップで来ることになったんです。住み込みで10ヶ月間。そこで“ものつくりがしたいんです、この会社で働きたいんです!”って猛アピールをして。“デザイナーは募集してないから、作り手として精一杯やってほしい”ということで雇ってもらえることになって」
●福井や河和田を選んだというより、ヤマト工芸だったんですね。
「そう。ものつくり、手に職をつけたいっていうのが第一というか、それしかなかったですね」
●それに伴い、住むことになったこのまちはどうでしたか?
「実は住んでいるなって実感が持てたのは3年前くらいなんです。最初は会社に住み込み状態だったし、2年目に引っ越した鳥羽ではマンション暮らしだったんで、近所付き合いがほとんどなくて、人と話してないから福井に来ている感覚もなかったし。2年前に結婚して、河和田に移って、家を借りて。そうすると近所の人がいるわけじゃないですか。しゃべってるとすごく泥臭いこと言うんですよね。フフフ。そこでやっと、3年経ってついに、鯖江に来たなって思えたという」
●しかし北海道からお嫁さんを迎えるというのは、河和田で暮らすことに対する覚悟を感じます。
「確かに、全然違いましたね。やっぱり来ている感覚のときは、いつでもさよならできるから表面上の付き合いで大丈夫なんだけど。今は地元の行事があるときは絶対に顔を合わせるのでヘタなことはできない(笑)。河和田地区でも地域によって違うみたいですが、ここは土地も人も穏やかなので、僕は自警隊に入って隅っこのほうからじわじわと仲間に入れてもらっています」
●では、PARKの仲間になったのはどうしてだったのでしょう?
「ろくろ舎の(酒井)義夫さんから呼び出しを食らって、“自由に扱える工房をつくらないか?”みたいな話を聞いて。そのあとにハマ(浜口)さんが交渉してくれて、眼鏡工場の跡地が使えることになって、じゃあみんなで本格的にやろうよ!っていうのが始まりだから、最初はかなりボヤッとした感じだったんですけど。正直、会社で自由にものがつくれる状態ではなくなっていたので、そういう場所ができるなら参加したいなって思ったんですよね」
●会社でもつくり手ではあるんですよね?
「主に木を加工する職人をやっています。あとはちょこちょこ取引先との電話対応をしたりとか、少しでも手が空いたときは、忙しい場所にシュッと行って手伝うようにしてるんです。やっと全体が見えるようになってきたので、面白くはなっているんだけど……。やっぱり僕は自力というか、スキルを高めていきたいんです。本当にやりたいことは、ものつくりとデザインなんで、それにまつわることを経験していく場所としてPARKにはずっと関わっていきたいなぁと思っているし。PARKのメンバーと一緒にやっていくなかで発見があったら、それをつくるし。楽しいことが起こる場所として、PARKを盛り上げていけたらいいですよね」
●これまで積み重ねてきたものがあるからこそ、新たな刺激によって広がる可能性は無限大というか。
「そう、そういう感じがする。しばらく落ち込んでいた時期があって。でも年を越した瞬間に思ったんです、無駄にしたくないなって。学校で学んできたことだったり、6年前にこっちに来てずっとつくり続けている木工の仕事だったり、あとはまぁお客さんの対応だったり。そう、今もデザインをまったくしてないわけではなくて。お客さんと駆け引きをしつつ、こういうデザインはどうですか?って、自分でつくって提案することもあるので。これからはそういう全部を無駄にしない動き方を心掛けていかなきゃ、生きてるのすらもったいないじゃないか!って」
●話を聞いていると、つくりたいものが具体的に見えているのかなとも思いました。
「子どもが生まれたことで、今は子どものためのものをつくりたいと思うようになって。さじはもうつくったんだけど、子ども用のおもちゃだったり、机だったり。子どものものをつくっていると、成長した先のことも考えるから楽しいんですよね。子どもが成長したらこのさじはどうなるんだろう?とか、そのときに自分たちはどういう生活をしているんだろう?とか。自分の子どもに偏ったものつくりもどうかと思いつつ、考える対象が明確にいるっていうのは、つくり方として面白いなぁとも感じていて」
●すごくいいと思います。生まれてくる前に頼まれて、たくさん勉強してつくったさじと、目の前の子どもが使うためにつくったさじではきっと変わってくると思うから。
「ほんとに変わった。ハハハハハ。とにかく予測不可能な行動をするので、それはもう、経験に追いつこうと一生懸命想像していた危機感とはまるで違ってて。さじの形状でも、たとえば、誤飲防止って必要なのかな、けどまぁ確かにねって思ったりしていたけども、子どもはもうガンガン口のなかに突っ込んでいくんですよ。あぁ、これか!って実感を持ってつくるのと、疑いながらつくるのでは、さじの説得力が違うっていうか。しかもそれを使わせる妻が意見をズバズバ言ってくれるんで、たまに喧嘩になることもあるんですけど(笑)、それは的を得ているからだったりもするし。そして子どももね、素直に使ってくれるので」
●さじでそれだけの発見があったら、お子さんが椅子や机を使うようになったら、
「大きく展開していけると思うから。あとPARKのカフェ部門担当のコタマさんと話していたときに“食べ物によって食器にもストレスがある”って聞いて。なんかこう、困ってる誰かと直面すると、そこにはリアルがあるじゃないですか。PARKは人が合わさるところだから。いろんな人が来て、交差して、何か新しいものが生まれてくる。自分も子どもができて、そういう部分を実感したところでもあるんで、いろいろと生かしていけるんじゃないかなぁって。メンバーとして、理事として、やっていきたい」
●そこって地に足つけて生活していないと生まれないものだし。
「そう、落ち込んでいたときは離れてちゃってたんですよ、生活も仕事も全部が。だからやりたいことがあっていろいろ手を出してみるけど、空を掴むような感じでまったくたぐり寄せられなくて。最近やっと繋がってきましたね。PARKができてくるにつれて、どんどん近寄ってきてる感じがする」
●とにもかくにも、目の前の霧が晴れた爽快感が伝わってきました。
「今や里帰りがパワースポットに思える(笑)。要は原点回帰だったんですよね。原点を見失うと、慣れ親しんだ実家に帰ったはずなのに全然気持ち良くなくて。けどあっちゃこっちゃ行ってたらだんだん思い出してきて、3日目には、あぁ、帰ってきたーって感じになったし。そうしたら今度は河和田の家の居心地まで変わって思えて」
●日常生活に閉塞感を感じている人も多いだろうし、PARKに行ったらリフレッシュできる。見慣れた景色がちょっと違って思えたりしたら素敵ですね。
「うん。PARKがホームになったらいいと思う。安心できるような場所にします」
インタビュー 山本祥子