2020/06/23 14:55

第7章 五十嵐創 Part Ⅰ 炎の料理人からの続き

「こちら県南衛生工業です。葉坂社長からの伝言です。東京にあるアースアンドライフという会社の大浦政秀さんという方にご連絡して下さい。先方に話は通してあります。」

「かしこまりました!」

五十嵐は、葉坂さんからの伝言だから何か意味があるのだろうと思い、理由は聞かなかった。

いや、突然のお電話を受け、胸が高鳴って理由を訪ねるゆとりなど無かったのだ。久しぶりにドクドクと感じる鼓動はなかなか収まらなかった。

この大浦さんとの出会いが五十嵐の価値観を大きく変えることになる。

心を落ち着かせ、すぐに大浦さんにお電話すると、「銀座オフィスに来てください」と言われ、後日、アースアンドライフの銀座オフィスに五十嵐は足を運ぶことになった。

2016年秋口、アースアンドライフの銀座オフィスビルの前に立っていた。自分がこれまでやってきた料理のことと、そこで気付いたこと、そしてこれからやりたいと想っていることを包み隠さず話すことしかできない。五十嵐にとって、それはある意味、投げられる球はストレートしかないに近い。それでも、汗を拭いながら一生懸命話をした。

「僕は、東京のレストランのゴミを0にしたいんです。資源に変えたいんです。」

オーガニックという言葉がまだ日本で認知されていなかった頃から、オーガニックにこだわられて食材を取り扱われてきたオーガニック界の巨匠でもある大浦さんは、仕事を通じて世界中を回られ、たくさんの経験をされてきた方。そんなMr.オーガニック大浦さんが、五十嵐の言葉を聞いて、

「五十嵐くん、君、面白いね。」

と言ってくださった。それまでは、1人で2年間勉強し続け、周りの大人たちからは気が狂ったのかと思われていたかもしれない。だからこそ、その時、五十嵐は本当に嬉しいと思った。

「ちなみに、五十嵐くん、野菜って誰が作ると思う?」

「農家ですか?」

「農家もそうなんだけど、大事なのは土だよね。それじゃあ、土ってなんだと思う?」

「うーん...なんですかね」

「土って何か?ちゃんと言える人を私は二人しか知らないんだ。その一人が葉坂さん。本当の土とはバクテリアの量で決まる。もっと言えば有機(オーガニック)の究極は無機。土は命であり、命の根源は土。土と命が大切なんだ。」

社名にEarth&Life(アースアンドライフ)を掲げてる大浦さんの言葉には説得力しかなかった。

それから、食や、食べることについて、五十嵐がずっと疑問に感じていたことを質問すると、大浦さんは高度な視点で一つ一つ紐解いてくれた。そして、あっという間に時間は過ぎ、忙しい業務の合間を縫って、大浦さんは初対面の五十嵐に4時間もの時間を取ってくださったのだ。

葉坂さんと大浦さんは旧知の友人でもあり、葉坂さんが代表を務められている県南衛生工業のある宮城県に大浦さんと共に向かったのは2016年11月のことである。

ついに葉坂さんと対面し、大浦さんにお話した時と同じように、葉坂さんに想いをお伝えすると、
「全ては命の循環。廃棄なんていうとんでもない人間のおごりを捨てなければいけない。命の循環の大切さに目を向けた君はね、選ばれた人間だっていうことだよ。それはやらなきゃいけないこと。できる、できない、難しい、簡単とか、そういう次元の話ではない。ちなみに、五十嵐くん料理の三大原則って何だと思う?」

「えっと、そのぉ、、」

五十嵐は20余年、料理のことだけやって来たのに答えられなかった。

「料理の三大原則は風土、風味、風景!五十嵐くん。あなたが考える、風土、風味、風景についてと、あなたがやりたいと言っていることの青写真を次に会う時までに描いてきなさい。」

葉坂さんから出された宿題への自分なりの答えを、一年半かけて向き合い、2018年の夏、東京で葉坂さんと再会した際、藤野という地域に引っ越したこととともにお伝えした。

「風土とは、そこにある自然だと思います。山があり、川があり、それら全ての環境に風土があります。その自然を活かして育てた作物や命に初めて風味が乗ります。人がこねくり回して作ったものには風味は無く、ただの味です。農薬、化成肥料を使ってしまっては、風土とは言えませんし、そうやって作った作物には風味は乗りません。更に添加物を使ってしまっては、風味は消えます。風景とは、目で見る風景だけではなく、生産者や人や自然との命の繋がりを含めて風景だと思います。

自然、命の繋がり、それらを器に乗せたのが本当の料理と言えるのだと思います。恥ずかしい話、自分は料理人でありながら料理など作っていなかったのです。」

「正解。そういうことだね。」

それから時は経ち、2019年2月、五十嵐は長年働き続けた広味坊を退職した。2月、引越してから初めて妻の芽以子に誘われ、ビオ市に足を運んだ。そこで偶然にも、五十嵐が通っていた農業高校の副担任である佐藤亜子先生が居たのである。思い切って声をかけた。17年前の生徒ではあるが徐々に思い出し、昔話に花が咲いた。

そこで藤野観光協会の事務局長をされてる佐藤鉄郎さんの奥様であることを知った。その時の縁で、佐藤さんに畑を探して頂き、2019年4月、借金を抱えながら、沢山の地域の人の協力のもと、右も左もわからないままに、葉坂さんから頂いた言葉を胸に、風土、風味、風景を実現するために就農した。

それからというもの、がむしゃらに向き合って育てた野菜を納品しても、消費者から「美味しい」と言って頂ける言葉は生産者である五十嵐には全く届かず、精神的にもおかしくなり始めた。これまでは料理を作って、お客様から直接、「美味しい」と言われることが、ある意味当たり前だったのに、環境はガラリと変わり、農家の仕事はこれほどまでに過酷であり孤独なのかということを肌で感じた。そんなことに悩んでいる時、生産者と消費者を繋げる料理人に自分がなれるということに気付いた。

そして、妻の芽以子がシェアリビングコタンと繋いでくれたのだ。コタンとは、核家族から緩やかにつながる拡張家族の実験の場でもあり、コレクティブな暮らしを目指す咲子さんと久美子さんが運営する場である。

料理を作る場を貸していただけませんか?とのお願いに「うん、繋がろうよ!一緒に盛り上げて行こうよ」と快くレストランとしての場を提供してくれたのである。

その年の8月から土とシェフとしてレストラン営業を開始する運びとなった。また、彼女達の思想は五十嵐にとって人における風景とは何かを教えてくれた。風と踊り、空に涙し、宇宙に祈り、木々と眠る。自分とは全く違う形で自然と密に繋がるコミュニティにも心底感心をした。

しかし、元々レストランとして運営するコタンでは無かったので、油汚れ含め、オーナーやお客様にご迷惑をかけることも多々あった。その時、カフェレストランshuさんからお声がかかったのだ。
「ウチで土とシェフとして営業してみない?」

恩人でもあるコタンの咲子さんや久美子さんからも快く後押しをいただき、shuという場を使わせてもらえることになった矢先コロナの渦が襲ってきたのである。

しかし、五十嵐は止まらない。一歩一歩ではあるが、着実に進んでいる。忙しさや、集中し過ぎるあまりに、時に周りが見えなくなって、支えてくれる方々にご迷惑をかけ、お叱りを受けたりすることもよくある。それでも、すぐに本気で反省し、軌道修正してまた真っ直ぐ走り始める。たとえ大変なことがあったとしても、今日の反省を力に変えて、深夜までshuの後片付けと、キッチンの磨き上げを徹底的にしている。そんな姿は、最近はあまり見かけなくなったゼンマイ仕掛けのブリキのおもちゃのようだ。ハイテクでもないし、不器用なほど真っ直ぐしか進めない、それなのに、一歩ずつ進むその姿に、郷愁の念に駆られ、周りの人間は応援したくなってしまう。

そして今日も、ブリキのおもちゃは動き続けている...

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メディア掲載情報

五十嵐創さんが【料理王国】に掲載されました。ぜひ読んでください。
農業で東京のレストランの生ゴミをゼロに!?
畑から目指す食の循環(五十嵐創/土とシェフ)
https://cuisine-kingdom.com/connectedto-tsukuruigarashi/

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