「なぜアーティストと僧侶?」
今日は、そもそもなぜ、僕自身が「美術家(アーティスト)」と「僧侶」の両方を続けているかについて書かせていただきます。その大きな理由の一つは、「芸術(アート)の世界と、宗教の世界を繋げなおすため」です。
でも、お寺で守られてきた美術品はいっぱいありますし、「国宝展に展示されているものってお寺の所蔵品でしょ?」と、思われるかもしれません。「わざわざ改めて『繋げなおす』必要はないんじゃない?」そうも思うかもしれません。しかし、繋げなおす必要はあるのです・・・。
「『芸術(ART)』と『宗教(Religion)』は輸入された概念」
実は、僕たちが自然に使っている「芸術」という言葉、「宗教」という言葉も、明治期に輸入された概念です。そもそも日本には、「芸術(アート)作品」というものは存在しませんでした。
日本にあったのは、陶磁器や竹細工など「民藝(みんげい)」といわれる日用品、茶道に使われる「茶器」、日本刀や甲冑などの「武具」、今でいう雑誌のような扱いの「浮世絵」、そして「仏像」や「仏具」など。どれも現在では海外でも日本でも芸術品としての価値をもっていますが、明治以前の日本人にとってはどれも「鑑賞」するものではなく、「実用」していたものばかりです。つまり、日本では西洋でいう純粋な「芸術」は存在しなかったのです。しかし、そのどれもが芸術的価値を見出すほどのクオリティ(質)を有していました。
つまり、日本人が生み出す「クオリティ」とは日常生活や慣習、時には「信仰」と、切っても切り離せないものであり、西洋人が芸術品に求める「クオリティ」とは、生み出す動機も性質も異なるのです。
そこに後から輸入された「芸術」という概念が、日本人のもつ審美眼を混乱させてしまいました。
「美術教育」
僕自身は、東京にある武蔵野美術大学でアートを学びました。大学院までの6年間、いろいろな美術/芸術を学びましたが、結局、僕が生まれたお寺で見ていた仏像や仏具、(廃仏毀釈の影響によって所蔵されている古い絵や面)などを理解するための手助けにはなりませんでした。
日本の美大、芸大で学ぶ内容の多くは、「西洋のアート」です。ヨーロッパやアメリカの美術史やアート作品は徹底的に学びますが、それらと日本の伝統技術や文化が、どう繋がっているのかは全く教えてもらえません。「どう違うのか」すらも教えてもらえません。それは、日本の美術教育自体が、明治期の輸入概念「芸術(ART)」の丸写しになってしまったからです。
その一方、そこに抵抗した東京芸大の創始者の一人「岡倉天心」という人もいます。彼は、「西洋の絵」と「日本の絵」は性質からして違うことを示すために「日本画」という分野を作りました。しかし、その功績をもってしても、日本の美術は「西洋のアート」を純粋な「アート」として扱ってきました。
誰しもが高校で、なんの理由も聞かされず、当たり前のように「キャンバス」に対して「油絵具」で絵を描くことを強要される・・・、日本の「美術」とは、そういった背景があるのです。
風間天心
(②へ続きます。次回は、「日本人にとってのアート、宗教とは?」 に言及します。)